2011/1/10  22:37

太平洋戦争にこだわる  昭和史
毎月第2日曜日は短歌会の例会である。歌会の終了後に豊洲のレストランで6人が珈琲を飲んだ。短歌会の重鎮でプロの美術家から次の質問をぶつけられた。「貴方はなぜ過去の太平洋戦争にそんなにこだわるのか。戦争で死んだ父親を持つのは貴方だけではない。太平洋戦争を詳しく追及している作家・評論家・学者は今では数多居る。そういう人に任せておけばいいことで、もっとほかに貴方が邁進するものがあるのではないか、戦争にこだわる核は何か」と問われた。この美術家も太平洋戦争で父親を亡くしているから、そのへんの長閑な無知な人の設問とは迫力が違う。

「こだわる核は何か」と核心を突かれると自分でも気の弱い性格から一瞬たじろいでしまう。「これである」と瞬時に応えられるものはないが、理由はいろいろあるが一つ応えれば、筆者は「三百十万人の軍人・軍属・民間人の戦死者(あくまで公式数字)の遺族ではいちばんの反戦主義者」だと自負している。理由は実に簡単平和の反対は戦争だからである。まだ85歳以上の男性なら戦争に参加せざるを得ず、たくさんの敵兵を殺傷し生き残っている人も多数居る。そういう元兵士は家族にすらその実際の多くを語らない。語りたくても語れない悲惨なものだっただろうと思う。況してや戦死者は何も弁明できない。戦死者に成り替わり一人くらいは専門家でなくてもこだわる人が居てもいいだろうと思う。

父親が戦死の大先輩から再度問われれば、「なぜあんな愚かな戦争を始めたのか」は多くの専門家に任せるとしよう。だが筆者は、確実な負け戦が誰でもわかった昭和20年03月01日の「東京大空襲」あたりから要所を絞って「敗戦」という事実に、なぜ早く政治家・軍人・メディアは軌道修正出来なかったのか、に焦点を当てたい。それが戦死者への供養であろう。為政者が責任逃れに終始している間に、戦争の大半の戦死者が、昭和20年08月15日以前の半年に集中したのである。悲惨な戦争の実態を専門家に任せっぱなしなら、日本人は「全体の空気」で世論は如何ようにも動く国である。二度と悲惨な戦争には巻き込まれない保証はどこにもない。現今の戦争観は悲惨だった戦争を「負の遺産」として振り返りもせず「見て見ぬふり・臭いものフタ」を決め込んでいるだけである。世界の軍事事情から眼を逸らすことほど怖いものはない。有事の対応さえアメリカ次第で、同盟国であってもよその国が日本人を守るために血を流す筈もない。

筆者は、理想主義的な「戦争絶対悪」は御免蒙りたい。「憲法09条を守り、非核三原則を忠実に守って居れば日本は平和」といった類である。それが単純か複雑な考え方かは解らないが、何も考えていないようにも思われて仕方無い。70年前に日本は愚かな日米戦争を始めた、軍国主義者が悪かった、政治家が弱腰だった、それだけでは何も戦争を知らないのと同義語のようにも思う。日本が本当に平和国家を目指すなら、太平洋戦争を国民レベルでいくらかでも精査して「戦争と平和」の自己主張を確実にして世界に発信することだ。「負の遺産」も遺産である。英会話の勉強など、その後のことである。

この「戦争論」にけじめをつけてから戦前・戦後を「一途に生きた歌人と軍人の二者」を小説に書きたい。多分「芥川賞」か「直木賞」は確実である?

自宅の窓から。

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