2011/2/26  22:34

世相独断08  身辺世相
最近、筆者のメール受信欄に殆んど毎日送られてくる宣伝がある。「アマゾン」は、書籍、デジカメ、昔の「松坂慶子主演」の映画をDVDで購入したのでこれは仕方がない。年金生活者なのでそんなに買うものはないが…。同じく「野菜スライス機」を購入した「らすた」も同様である。2年前に購入したのによくメールを送ってくるものである。「ヤフー」や「楽天」も同様、商品の宣伝である。

どこでどう筆者のアドレスを知ったのか、怪しげなメールも多い。その一つが「在宅ワーク」というしろもの。実名は出せないが、自宅で片手間に「テキスト入力」「顧客管理」「校正」で、月18万円にもなる人が居ると言う。天の邪鬼の筆者が不思議に思うのは、なぜ2段目に「配信停止」のクリック欄があるかである。これをクリックしたら、「私のメールアドレス」は確かに存在します」と告白するようなものである。

精査しないが、テキスト打ち、顧客管理、マーケティングなど、各々の企業で「ハローワーク」「生甲斐事業団」にでも頼めばいいことである。パソコンが出来れば、こんな暇なご時世、山のように仕事があるのなら仕事が無くて困っている非正規社員や主婦など居なくなるに決まっている。おそらく高額の教材や登録料?などをむしり取られるのがオチであろう。

最近、雑誌や新聞であまり見かけないが「ホーム校正」などと言う宣伝もあった。これも内容を問う必要がない。ある程度の校正なら印刷会社出身なら誰でも出来ること。クォリティの高い校正者は、作家をも上回る国語力を必要とする。先ずは漢字検定・歴史検定・地理検定などは必須かも?後は出版社に知人や親戚でも居ればの話で、多額の教材費を払うだけである。実務○○、ユー○○○など…。校正記号を知るのなら誰でも可能と言うこと。

短歌をやっているとどこで電話を調べたのか「あなたの素晴らしい短歌」を新聞に載せます」という勧誘もあった。「どうぞご自由に」と言えば、10首で24万円、必要と来たもんだ…。この執拗な勧誘はNHKのニュースでも報道された。20万円を割る値段で「短歌文庫」200冊が出せるのに、と思う。

昨年03月、開園の「花菜ガーデン」訪問23回目、ひと月に2回のペースである。間もなくルピナス・チューリップ・ラナンキュラスが満開となる。

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2011/2/25  13:47

活版印刷今昔10  印刷
同じ短歌会の友人から昨年、新聞の切抜きを頂いた。毎日新聞・日曜の「ものがたり」という欄に「活版印刷」のことが書かれていた(平成22年05月)。その友人は、筆者より一回り?上の世代のご婦人である。先ごろ未亡人となられ且つ長年経営されていた鉄工所を閉鎖された。その一連の歌には世相・感懐・達観が詠まれていて筆者より数段上の実力者である。歌歴も長い。店じまいは活版印刷だけとは限らないということなのか。これはこれで「物造り日本」の経済・政治問題で由々しき大事である。

ご婦人は中央区に住んでおられる。昔、「」の字型に開いた隅田川の勝鬨橋はその役目を終えている。すぐ上流の橋は「永代橋」だった。昭和39年「東京オリンピック」に合わせて「佃大橋」が完成した。月島の得意先への配達は勝鬨橋・永代橋共に遠く、会社のある日本橋通三丁目からは、聖路加病院の横から乗れる「佃の渡し」が便利だった。人・自転車・バイクもOKで小型フェリーのような存在だった。この渡しは昭和38年に閉鎖となった。筆者が18歳のときである。東銀座に「中村活字」があり、新富町には「築地活版」という活字メーカーがあって活字も購入に行った。あるとき偶然に築地本願寺で「小津安二郎」の葬儀に出くわした。配達の途中、若き岩下志麻・倍賞千恵子を眼の前にして興奮したものだ。

 大橋の完成までは配達へ自転車ごと乗りし「佃の渡し」

その頃、中小の印刷会社の印刷物は圧倒的に事務用伝票だった。納品書控・納品書・請求書・領収書などの3枚複写・4枚複写の伝票は裏にカーボンを印刷することが多く、カーボン専門の印刷会社も多かった。その後、複写専用の用紙も開発され、更に通しナンバーをも印刷する活字の高さの「ナンバリング」も普及し活版印刷の一時代を築いた。だが今は完璧にデジタルコンピュータ印刷にとって代わられた。

新聞記事の「活版印刷」は世田谷区の「オール○○○工房」。主流はグラフィックデザイン。廃業する区内の活版印刷の機材一式を譲り受けたらしい。活版を知らない若者が文選・植字・プラテン印刷と覚えるまで時間がかかっただろうと思う。しかしこういう若者がいることは心強い。

今でも名刺・二つ折りカード・単カードなどは活版の「正楷書体」で印刷したら印刷物としてかなりの重々しさと存在感がある。筆者が死んだら、あののっぺりとしたコンピュータの「会葬御礼」だけは願い下げにしてもらいたいものだ。

画像は新聞記事を無断拝借した。

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2011/2/21  13:17

活版印刷今昔09  印刷
植字(しょくじ・ちょくじ)とは文選された活字と図や画像の銅板を組み合わせ、割り付け用紙に従って組版することである。これが原版(単純に組版、元版とも言っていた)と言われるもの。「割り付け用紙」とは言葉の説明は難しいので、筆者が「ワード」か「インデザイン」で近々作成してみたい。簡単に言えばある頁のどこに文字を配置、見出し、文字数、行間などの指定、どこに図版などを配置するかの指定書である。機械なら設計図であろう。これは出版社の編集者の仕事、それに従い活字を拾うのが印刷会社の文選工、組むのが植字工、印刷機に組み付け印刷するのが印刷工である。出来た原版・元版を試し刷りしたものの不備を直すのが印刷会社でも出版社でも「校正」となる。

校正とは稿を改めて述べたいが、間違いを直すのだから簡単と云えば簡単で誰でもできることだが、出版社の出版物ともなれば、どうかすると著者を上回る国語力・知識を必要とされる。慣用句・四字熟語など知悉していなければならないのは当然である。

危機一髪が「ドラゴン危機一発」はおかしいし、「シクラメンのかほり」は、作者が拒否したが「かおり」か「かをり」でなければ、言葉にならない。顔、尚は旧仮名では「かほ、なほ」だが「かほり」では「kahori」でしかない。

下記画像は、昭和48年発行の『万有百科大事典』(A4判変形)。5つの画像の5番目が、当然縮小されているが、この頁の原版・元版。頁の右側の文字が原版では、左側になる。因みに、和文は横組み、7ポイント22字、64行である。縮小画像の右側の空白は、実際のこの頁の5個の図版部分である。カラーなので黄・青・赤・墨と計4回の印刷となる。左上は「文選」右上は「植字」中左は「鉛版作成」中右はオフセット印刷。下部は原版縮小版。

本日、筆者の所属する短歌会の原稿がエクスパックで到着。文字入力のため、ブログは週末までお休みします。「花ブログ」は一週間分のストックを用意、毎日更新します。

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2011/2/20  16:10

活版印刷今昔08  印刷
今日は、筆者の勤務していた中小の印刷会社の営業実態を垣間見る形で叙述したい。
各々大小の差はあれ、印刷会社は得意先があり、その企業から小さいものは名刺から大きいものは社史・契約書など印刷物は様々であった。小企業だからこそ、今ではコピー・パソコンのワードやエクセルで済むものまで一切の印刷物は印刷会社で請け負った。おおむね納品書・請求書・領収書など事務的印刷物が多かった。

デジカメ・パソコンなどデジタルの勃興で廃業に追い込まれたのは、家族でなりわいとしたカメラ屋・小規模の印刷業である。筆者の勤務していた印刷会社もまだ裁断しないA判・B判の全紙で印刷できる大型の活版印刷機から名刺・ハガキ専門のプラテン印刷機も所持しており、文選工・植字工・印刷工まで常時30人ほどの社員がいた。○○生命保険・○○家電量販店など仕事は常時あり多忙で残業に明け暮れた。地方公務員なみのボーナスを頂いたこともあった。

筆者より三歳上の実質経営者の専務が平成03年、膵臓癌で亡くなり、本葬は数百人の参列者があったほど。弔辞は早稲田大学の同窓生の衆議院議員だった。時を同じくしてデジタル時代となり完全に経営方針は停滞した。あとは急な坂を下るのみだった。活版印刷の印刷機、あらゆる道具も平成09年、全部が撤去され、製版は業務用パソコン、印刷機はオフセット印刷機にとって代わられた。今は自社ビルの一室で印刷機2台、社員04人、家族03人の小規模の会社になり果てた。それでも存続できるのは得意先が少なからずあり、自社ビルの大半を賃貸しているからである。社長は大正03年生まれ97歳、つい2年ほど前までロイヤルクラウンで京葉道路を飛ばし出勤していた。社長は今でも計算はそろばん、紙の寸法は「尺」である。二・二六事件のこと、自分が出征した港(呉?)の風景までが記憶に刻まれている。49歳で早世した息子の専務の分まで生命力旺盛は立派なことである。

今日の添付画像は茶会の案内状、実際の寸法は縦10.5センチ、横幅は地図入り・半券つきで26センチ、上質の和紙である。日本橋「はいばら」で購入。むろん活字の製版で筆者が作成した。名刺・カードなどに多く使われた「正階体」という書体である。地図は銅板である。因みにこの頃、表千家の茶道を短期間だが習い末席を汚した。今でも風炉の薄茶はだいたい覚えている。

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2011/2/18  18:47

活版印刷今昔07  印刷
「活版印刷今昔」も活字・書体・文選とおおよそは叙述できた気がするので、いよいよ筆者が担当していた「植字」(しょくじ・現場ではちょくじと言った)に話を進めたい。

植字とは文選された活字を「割り付け」用紙と原稿を見ながら、印刷するべく活版の元版(げんぱん・もとはん)を作成することである。実際の元版の画像は、何とか、まだ活版印刷を続けている企業もありそうなので、取材・撮影したいと思っている。漸時お待ち頂きたい。それまでは、昭和50年代に発行された『万有百科事典』(小学館発行・A4変形判)からスキャンしたい。

和文活字が欧文活字と決定的に違うのは、活字が真四角であることである。だが新聞活字は、昔は記事の文を多くするのに縦・横の比率が違った。つまり縦の比率が80%だった。これはあくまで特殊なことで、一般の印刷会社では、活字の大きさは違っても縦横は同じだった。欧文では「W」と「I」では、4倍くらいの相違がある。従って和文では作成された元版には活字が横になったり、逆さになったりしたこともある。これを正すのが「校正者」だった。

昭和40年代は、文庫本と云えば岩波・新潮・角川文庫くらいしか無かった。今は各出版社に文庫本が存在するほどである。その頃『教養文庫』という「社会思想社」の文庫があった。詳細は知らないが、倒産したらしくよく売れていた『菊と刀』『万葉の旅』などは、前者は版権を取得した「講談社学術文庫」後者は「平凡社ライブラリー」で発行されている。

短歌会の女性の友人は、しっかり本を読んでいるのか、眼がいいのか、天の邪鬼!なのか、誤植(主に漢字の誤りなど)を見つける達人である。昭和の時代の活版印刷の『万葉の旅』下巻に「雪」の字が逆さになっているを発見した。万葉集・山陰の旅で、大伴家持の
 新(あらた)しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)(巻20─4516)の山陰・因幡紀行である。

添付の頁には「雪」の字が7本もある。つい校正子も見逃したらしい。これはわざと洒落てそうしているのではなく、誤植である。現代のデジタル印刷が当たり前の時代の読者には、こういう誤植は理解できないだろう。あくまで活字が四角なのでこういう間違いもあったということだ。
因みに文庫本はA6判である。
 活版印刷では、8ポイント、42・43字×18行が主流。
 現在では、デジタル製版で9ポイント、38〜40字×15・16行である。

誤植は、添付の5行目、7字目である。下記画像は全体頁。因みに現在の平凡社ライブラリーでは、むろんデジタル製版で直されている。意図的でなければ活字がひっくり返ることはあり得ない。

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2011/2/15  21:58

活版印刷今昔06  印刷
筆者は、もう定年を過ぎて06年を経過するが、昔から日本史の好きな仲間との旅行が復活した。昔はユースホステルなど利用した貧乏旅行だった。もうひとつの「竹朋会」という活版印刷に従事していた友人たちの旅行会もある。殆んどが70歳を越えている。当初は「若竹会」だったが、老人ばかりで≪若竹≫でも無いだろうと考えたらしい。活字(鉛・アンチモン・錫の合金)を鋳込む鋳造工・文選工・植字工・鉛版工・印刷工だった。不思議と営業関係の人はいない。皆、同業他社の職人・職工の集まりだった。

平成10年、北海道道東の知床など、バスで移動しているときに何とはなしに、

 石北の峠を越ゆる山あひに大雪山の白きを見たり

の短歌が簡単に出来た。昭和54年より15年間短歌誌の本を勤務先で印刷していたので、門前の小僧が習わぬ経を読んだのである。15年も短歌誌の植字工に携わっていれば、何時とはなしに文語体は怪しいが、旧仮名の使い方は覚えていたらしい。早速平成10年、勇躍所属短歌会に入会、以後13年になるが、悲しいかな、この処女作を超える短歌を詠めないのが、勉強不足か、才能の無さか、枯渇か…。閑話休題

よく使われた5号活字・9ポイント活字・8ポイント活字は、文選工一人が活字を拾う活字ケースが、斜めに設えた≪ウマ≫という「」の形の台に並んでいた。ここには縦4×横3ほどの活字ケースが収められていた。これは印刷会社によって、あるいは活字の大きさによって異なる。ほぼ真ん中に「ひらがな」「カタカナ」、上下・番地・昭和などよく使われる「大出張」という活字ケースがあり、その次によく使われる「小出張」があり、後は一画の「乙」から始まり、最後は「麤」という鹿が3つの字で終わる。「外字」とは、外国語ではなくあくまであまり使われない活字ということである。語源がよく解らないが他の文選工と共有して使ったのか、外字より比較的使用される活字ケースが「ドロボウ」と言われた。他人のテリトリーに侵入して活字を拾うのでそう呼んだのか? 活字のケース自体は29×39センチほど。又活字の高さは工業規格で23.45mm。

活字の世界は基本の明朝体とは限らない。ゴシック活字、挨拶状などに多用される楷書体、株券などに使われた隷書体など様々な書体があった。パソコンではこれをフォントと言うらしい。活字の現場では字画が多く、あまり使われない躑躅、蠟梅、銅鑼など又、字画の多い「木へん」「くさかんむり」などの活字は必然、ホコリを被り、いささか錆びていて使用すると真っ黒になってしまう活字もあった。

今は「躁鬱病」などで頻繁に使われるが、昔は「」などという活字は滅多に使われなかった。読めても書けなかった。今は簡単に覚えるコツがあるらしい。「リンカーンはアメリカンコーヒーを三杯飲んだ」というしろもの。

<林><缶><冖><※><凵><ヒ>を
<彡>
杯飲んだ!!

添付は『万有百科事典』「科学技術」より使用させていただいた。

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2011/2/14  15:20

活版印刷今昔05  印刷
筆者は昭和44年07月から同年末までに半年間「大日本印刷」という当時の日本最大の印刷会社に勤務したことがある。ただし基本給はかなり安く大手企業としては低ランクだったように思う。当時は「朝日ジャーナル」など多くの週刊誌・月刊誌を「凸版印刷」と分け合い、とにかく活版印刷の現場は多忙だった。この会社はいろいろ手当が多く、週刊誌の場合、速効性を求められる場合に備えての「夜勤」の手当が多かったように思う。

筆者はここで「司馬遼太郎」と「石原慎太郎」の生の原稿を見たことがある。司馬遼太郎はその人間性ゆえか誰でも読める丁寧な筆致だったと今でも懐かしく思う。今、調べたら昭和44年は月刊誌の連載だったのか「花神」か「城塞」だったかも知れない。

先日のコメントで「漢字に関しては中卒の職人の方が大卒より博識だった」と言うところを「漢字・感じ」の誤変換は御愛嬌だったとしても、石原慎太郎は左利きでかなりの速度で原稿を書くので印刷現場のベテラン職人でも読めない。今でも原稿の文字入力の現場は指先の器用な若い女性だと思うが、活版の現場でも「全自動和文モノタイプ」に文字入力を指定する係のために各出版社には「石原慎太郎」専門の編集者がいて原稿の右横に赤字ですべて書き直していた。この原稿には驚いた。石原氏は自分の哲学があり、その発言に耳を傾けることも多いが、筆跡にも人間性が表われる、かなりせっかちで人の言うことは聞かないタイプと見た。

直接仕事には関係なかったが、評論家「立花隆」の文章は初校には徹底的に赤を(訂正文)を入れる作家で、これを自慢していたように思う。今のコンピュータ時代では、作家の文章の訂正などわけもないことだが、立花隆のような自慢にならない癖には、昔の活版印刷の職人には大いに嫌われたと思う。訂正を一文字づつピンセットで引き抜き、直していたら仕事にならない。新たな訂正の文字の活字を拾い(活字を拾う・は活字ケースから文選箱に集めること)最初の版を分解しつつ再度組み直すことになる。どんなに優れた評論でも途中で徹底的に書き直すなら、その主張がブレているのではないか…。

漢字の読み書きは中卒の職人・職工が大卒より優れると書いたが、これは一芸に秀でた感じが無くもない。筆者より上の世代では高校・大学へ進学するゆとりは無く中卒で働かなくては生活できない世帯はかなり多かったように思う。ベテランの文選工はどんなに癖のある筆跡も読みこなし、むしろ漢字が読めるというよりその活字がどの活字ケースにあるのか知悉していた。

添付は「万有百科事典」より。正しい文選のスタイル。
下記は文選する活字ケースでネットで見つけた画像。出所が不明で無断転載である。解ればお許しを願うつもりである。

次回は活字ケース・職人気質などを述べたい。

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2011/2/12  22:54

活版印刷今昔04  印刷
昨日は、活字の大きさについて述べたが、ポイントは解るとしても筆者が、実質30年間を経験した号数活字の詳細は、はっきりしない。明治時代の初めの「本木昌造」が発明者と言うが、号数活字の元の元は何の単位かはっきりしない。鯨尺、輸入活字などの解釈がある。なにしろ「本木」すらが、(もとぎ)と(もとき)の二説がある。

ともあれ日本式の活字は5号が基本で、その倍が2号、その2倍が初号で42ポイントである。5号は計算したら3.7ミリだった。活版でいちばんの特徴は罫線と余白である。罫線は亜鉛で出来ていて罫切り機で容易に切れないと「組版」は捗らない。罫線8枚で5号全角である。従って罫線を15枚使用したら、どこかで1枚分組版のなかで「差を整える」ことになる。そうすると16枚で5号2倍となる。余白は「込め物」という活字の高さより低いもので埋めてゆく。5号なら、
5号×4倍長、2倍長、全角、2分、4分と込め物が用意されている。いずれも活字と同じ鉛で出来ている。

およその活版印刷の工程は原稿入稿→文選→植字→校正刷り→校正・訂正→組み付け→印刷となる。本は製本され、組版は解版となる。これらの画像は入手次第、このブログで添付したい。

添付は昭和45年11月に割腹自殺した三島由紀夫の生原稿である。まだコピーもワープロ・パソコンも無い時代だった。昭和以前の作家の原稿に赤鉛筆で数字が書かれているのを見た若者も多いに違いない。作家の原稿に直接、編集者が「活字の大きさ」「組み方」を指定した名残りである。文選職人はこれらの原稿を左手に文選箱と持ちつつ活字を一本づつ集めた。今は多くの作家がパソコンで入力、メールで出版社に送る。もうここで「文選」という職種も御用済みとなった。浅田次郎のペン書きでも、文字入力の若い専門家があまた控えていることになる。

画像は「山中湖文学の森・三島由紀夫文学館」のカタログより。「豊饒の海」の単行本は旧仮名・旧字である。

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2011/2/11  15:44

活版印刷今昔03  印刷
丁度、元号が昭和から平成に移行する1989年頃に、活版印刷に翳りが見えてきた。それまで印刷と云えば活版印刷が主流で、先行して「日本経済新聞」などが「写植」による版面作成が大いに話題になった。今やワープロもお目にかかれないがパソコンが主流になったのは、ひとえにウインドウズ95が発売された、平成07年以降である。新聞社も大手印刷会社も多大な投資を繰り返し、今や完全デジタル化の印刷工程となっている。

活版印刷が完全にアナログの世界、アートの世界は悲しいけれども現実である。鉛の活字を鋳込み、文選して、植字工が割り付けに沿って版面を作り、写真やカットは銅板屋さんに注文して版に組み込む。写真がカラーで」あったら赤・青・黄・黒と4回印刷を繰り返すことになる。

40年も活版印刷の現場にいて活字の高さや大きさは、はっきり言ってあまり考えたことはない。現場では1ページでも多く仕事を仕上げるのが鉄則で給料にも差が出てくるということ。今日は鉛の活字の大きさを記したい。以下、昭和50年代に発行された小学館『万有百科事典』「科学技術」のお世話になる。

ワープロでもパソコンでも文字の大きさに10.5ポイントという半端な数字があるが、これは日本式の号数活字の名残りである。10.5ポイントすなわち5号活字が公文書の基本だった。文庫本や新書本の勃興で5号の下の6号では文字が小さいのでポイント活字が主流となってゆく。号数は次回にしてポイントは何の単位から来ているのか。現場の職人は、そんなことはあまり考えてもみなかった。どうやらヤードという長さを測る単位から来ているらしい。

すなわち1インチは2.54cm、72ポイントである。筆者が経験上あるとき気がついたことは60mmが170ポイントだったことにある。これで計算すると、
 170ポイント÷60mm=2.8333 1ミリは2.833ポイント
 60mm÷170ポイント=0.3529mm 10ポイントは3.53mmとなる。つまりはメートル法とポイントは互換性がないことである。むろん号数活字も同様。

紙の寸法はA4が世界標準らしい。297×210ミリである。だが印刷現場の職人出身はあくまでA4の用紙の寸法は842×595ポイントである。筆者はワードの文書でも単位をポイントにしてある。これでないと文書は作成できない。下記活字は実物大でないので念の為。

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2011/2/10  18:11

活版印刷今昔02  印刷
二日前の「文選ケース」の前の人物は文選工ではなく、単にポーズを取っただけかも知れない。だとしたらそんなに目くじらをたてることもない。

筆者の言いたいことは、鉛の活字とは鉛と錫の合金でたいへん重い金属で且つ柔らかいことにある。鉄のような固さはなく、ガスコンロで溶けるほど柔らかく何度も鋳込み直してほぼ永久に使えることにある。したがって鉄でできた固いピンセットで掴むことは、印刷する紙面に当たる「字面」には触らないことが求められる。

筆者の購入する産経新聞の平成19年09月03日の文化面に「活版印刷脚光再び」との記事があった。昨年の毎日新聞05月09日にも同様の記事があった。これは以後のブログで紹介したいし、インターネットで「活版印刷の工程」などもある。また「活版ワークショップ」なるものもある。

またまた昔の話だが、昭和53年に松本清張原作で、緒形拳主演『鬼畜』があった。緒形拳は埼玉県川越の印刷会社の社長との設定。妻(岩下志麻)には三人の子がある。記憶が定かでないが、工場が火事で全焼。そこへ愛人(小川真由美)が幼い男の子を連れて、自分で養え、と置いて行く。困り果てた主人公は自分の子を能登半島へ連れて行き、海へ突き落す。だが子は漁師に助けられ生きて主人公の元に現れる。男の子は「父親は何もしていない」と子殺しを企てた父親をかばう。そこで父親(緒形拳)は号泣する。緒形拳の演技は秀逸だった。だがそれ故に印刷現場の拙劣さが目に着く。

大体小さな印刷会社の社長に愛人があるとの設定が無理で、活版印刷の会社など大手ででなければ十分な利益は出ない。筆者が記憶するのは、ここでも緒形拳の社長自らがピンセットで活字を拾うシーンがあった。印刷会社の現場を借りて撮影しているのに不思議に思う。小さな活版印刷会社では儲からないこと。社長が文選をすることは先ずない。ピンセットで活字を掴まない。以上三つの酷い事実誤認である。野村芳太郎は『砂の器』など優れた映画監督だがつまらないシーンに変な演出をするものである。

次回は活字の詳細を述べたい。

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