2011/10/28  23:25

父方祖先  身辺些事
このブログでは「日米開戦への道」「小沢一郎強制起訴」についての発信がまだ完成していない。資料は十分に保存してあるので精査してなるべく早く叙述したいが、ブログ発信とは独断であろうと偏見であろうと公序良俗に触れない限りは自由なので、どんどん主張したいことが出てくる。最近ではいろいろHP・ブログで検索すると新聞・テレビでは報じない事実を知ることになる。政治の世界では内閣総理大臣は“どじょう”を標榜する野田佳彦である。だが実質日本には無い筈の「大統領」が存在するのだと云う。勝栄二郎(かつえいじろう)財務省事務次官、61歳である。幕末の勝海舟とは無縁だが、いわゆる東大法学部卒、国家上級職試験をクリアしたキャリアである。民主党政権は二年目に過ぎず、最初の勢いは何処やら、もうすっかり野田政権も霞が関に乗っ取られ“増税路線”まっしぐらである。霞が関官僚は情報・データを握り、法律を熟知しているから、選挙に忙殺される政治家など叶うわけはない。原発問題はおろか円高さえも是正できずおろおろしているだけである。閑話休題。

四週に一度、クリニックに通い、何種類もの薬を処方される身だが、評判は、悪く言う人もいるが近所のクリニックは云わば一蓮托生である。医師は筆者と同じ昭和19年生まれ、医師の叔母と筆者の実母が小学校の同級生だからである。本日17時に行くと最近は空いているのだが、今日は二時間もかかった。24日に「頸動脈エコー」25日に「脳のMRI」検査を受けていたから、結果を訊いた。そろそろ脳梗塞かな、と思っていたが杞憂に終わった。最近導入された東芝製のMRIの画像は鮮明で脳内部・血流も良好だった。場所柄、定期的に東海大学・山下泰裕教授も検査に来るらしい。

定年後、ここではリウマチを患い整形外科に通う媼と出くわした。媼は昭和11年生まれ、筆者の実父の兄、伯父の家の嫁だった。伯父は昭和44年まで歯医者を営んでいた。当時は自分で義歯も作る職人肌の歯医者だったらしい。実母が再婚だったから数十年音信不通だった。筆者が母親と暮らすようになってから、実父については腹蔵なく話し合ったことはない。平成06年12月呆気なく蜘蛛膜下出血で一日だけの入院で死去したので、迂闊なことだが実父の両親については何も知らなかった。今日思い切って媼に実父の両親、つまり筆者の父方の祖父母に付いて訊いてみた。むろん写真では解っているが、実父は櫻井正徳、兄の歯医者は櫻井考一、父の姉は国鉄職員に嫁いだ新橋アイ、祖父は櫻井鐘次郎という「小田原警察署」の署長だった。実母が死んだときの遺産分割(土地)で取り寄せた戸籍謄本では、祖母の名は“崩し字”で読めない。一応「てる」と読んで置く。だが祖母の旧姓は面白い事実が判明した。「一寸木」と書いて“ちょっき”と読むとの由。小田原近辺には多い苗字らしい。これも小田原図書館にでも行って調べる価値がある。「ルーツ」なる言葉は筆者は嫌いだが、一応父方の祖先が判明しただけで今日は大満足である。

蛇足だが隣町・大磯には「二挺木」“にちょうぎ”なる苗字がある。所属する短歌会には「大豆生田」さんがいる。おおまみゅうだ、まみうだなど栃木県下都賀郡には27通りもの読み方があるとネットで判明した。筆者の中学時代は、墨田区錦糸中学、同級生に墨田区石原町に「月見里」なる苗字の女性が居た。正解は次回。読める人はコメント・拍手でどうぞ。序でに「小鳥遊」は?

添付は筆者が生まれて2ヶ月目?程か、昭和19年の画像、実父は戦地でまだ生きていた。筆者を抱くのは歯医者の伯父、右隣は実母である。因みに筆者が眼鏡を外すとこの伯父そっくりである。筆者以外は鬼籍の人である。

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2011/10/23  21:32

捕虜虐待03  昭和史
М・昭子氏のように英国在住30年、亭主がイギリス人でも、日英の歴史と文化の差は、歴然としていて埋め難いものがあると思われる。ここで比較文化論は到底叶わないが、ましてや捕虜虐待の解釈では尚更である。自分自身がビルマ戦線で英国の捕虜となり、それを詳しく観察・叙述したのが会田雄次氏の『アーロン収容所』である。初出は会田雄次氏が帰国して15年目の昭和37年、今、手にしている文庫本の初出は昭和48年、間もなく40年になる。33刷だから今でもよく売れている。内容はここで戦勝国イギリス人の日本兵捕虜への虐待を縷々列記しても仕方がない。

だが掻い摘んでその差を著わすなら直接的暴力が日本人軍人ならイギリス人は、もっと合理的だったことにある。≪とにかく英軍は、なぐったり蹴ったりはあまりしないし、殺すにも滅多切りというような、いわゆる「残虐行為」はほとんどしなかったようだ。しかし、それではヒューマニズムと合理主義に貫かれた態度で私たちに臨んだであろうか。そうではない。そうではないどころか、小児病的な復讐欲でなされた行為さえ私たちに加えられた。≫P74

この書から一点だけ紹介する。
≪私たちは食糧がすくなく飢えに苦しみました。…あそこ(イラワジ河)は毛ガニがたくさんいます。うまい奴です。それをとって食べたのです。あなたもあのカニがアミーバ赤痢の巣だということを知っていますね。あの中州は潮がさしてくると全部水に没し、一尺ぐらいの深さになります。…もちろん薪の材料はありません。みんな生のままたべました。英軍はカニには病原菌がいるから生食いしてはいけないという命令を出していました。兵隊たちも食べては危険なことは知っていたでしょう。でも食べないではいられなかったのです。そしてみんな赤痢にやられ、血便を出し血へどを吐いて死にました。水を呑みに行って力つき、水の中へうつぶして死ぬ。あの例の死に方です。看視のイギリス兵はみんなが死に絶えるまで、岸から双眼鏡で毎日観測していました。全部死んだのを見とどけて、『日本兵は衛生観念不足で、自制心も乏しく、英軍のたび重なる警告にもかかわらず、生ガニを補食し、疫病にかかって全滅した。まことに遺憾である』と上司に報告したそうです。何もかも英軍の計算どおりにいったというわけですね≫P74

筆者は目に見える暴力と目に見えない暴力は、それが植民地統治の歴史と狩猟民族・農耕民族の差であると思う。≪残虐性の度合いや強弱などというものは、一般的な標尺のあるものではない。…日本人はヨーロッパ人の動物飼育の感情を理解できるだろうか。かれらは豚を可愛がる。豚は食料になるからだ。殺すことと可愛がることとは矛盾しない。家畜に関しては使用することも食糧になることも同じ意味で「役に立つ」のである。この点は日本人の考えの方がおかしい。牛肉は大好きなくせに、殺すことと殺す人を嫌悪する風習がある。ヨーロッパでは、毛皮業者や食肉業者の社会的地位が昔から高かったのである。しかし、生物を殺すのは、やはり気持のよいものではない。だからヨーロッパではそれを正当化する理念が要求された。キリスト教もそれをやっている。動物は人間に使われるために、利用されるために、食われるために、神によって創造されたという教えである。人間と動物の間にキリスト教ほど激しい断絶を規定した宗教はないのではなかろうか。≫P68。

極東の辺境の島国・日本は、その地理的風土と気候的風土において、国土の七割が山地であれば「稲作農耕」が最も適した暮らし方である。怖いのは地震・雷・火事・おやじ(台風)で他民族との戦争はおろか、その接し方もノウハウがあろう筈が無かった。むろん人間と動物との境目も曖昧だった。「我田引水」こそ最大の罪だった。「村落共同体」では、強烈な自己主張や発信は平和なムラの秩序を乱すものだった。教義のきびしい宗教も芽生えなかった筈である。だからこそ「日本人論」の著書があらゆる角度から著わされる。日本人が他国の人に媚び諂う態度に見えるのも決して「謝罪」なのではなく、殆んど儀礼的な謙譲の心であることを世界に丁寧に発信すればいいのにと思う。1919年(大正08年)の「パリ講和会議」で日本は“サイレント・パートナー”(沈黙する隣人)と称された。これは今の世も変わらない。日本人の古今変わらぬ確実なDNAである。このことを今度М・昭子氏に伝授したい。

月末の仕事が入りました。四・五日ほどブログお休みします。

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2011/10/21  22:03

捕虜虐待02  昭和史
イギリス在住のM・昭子さんから日本の二人の学者の評判を訊かれたのは10月11日、三日後に返事を出した。無事にメールは届いたか、どうか。昭子氏の活動の骨子は、次の通り。

≪私はイギリスにおいて、どれだけ日本や日本人が苦労したかの状況を多くの人々に伝える努力をしている。2009年にはBBC4ラジオの生番組で戦争議論討論に出場。また先々週から民営の歴史テレビ番組“Yesterday”と言う戦争番組のシリーズ後半にインタビューされているので、これにも出場。また各地での戦争体験者やその家族との接触も行っているので、お互いの国や兵士達がどれだけビルマの戦場で苦労し、餓死したり病死したり、した事など共通の痛みを分かち合えるような会話を続けている。現在は、三つのプロジェクトを同時進行、その内の一つに印度北部ビルマ国境付近に位置するサンジャックという激戦地に置いて、400数名の日本兵が戦死していて、その英霊の為の慰霊塔を建立する為の協力を行っている。委細は略すが、基本的理念は相互理解にあり、互角でしかも平等の立場で異文化・異なる宗教伝統を理解しながら、話し合い、戦争を語り継ぐ仕事を続けている。≫

過去の日本の戦争について日本の立場からの発言は、イギリス在住30年、貿易商の仕事もありながら安易にイギリス人の味方することがなく立派としか云う他はない。それにつけても日本の学者が最初から「日本の落ち度」ありきでは話にならない。前回も記述したが日本軍は『戦陣訓』で「生きて虜囚の辱めを受けず」が昭和16年、東條英機より示達されている。帝国軍人は捕虜にならないとするあまり捕虜の扱いを殆ど知らなかったと言っていいのではないか。何しろ自分達の兵器、糧秣、衛生状態が最悪なのに、捕虜の待遇に心情はともかくとして物理的には不可能だったに違いない。筆者はその後「ビルマ戦線」「泰緬鉄道」「イギリス植民地」「イギリス連邦」など検索、蔵書などで調べてみた。ここではその詳細は長くなるので割愛する。ひとこと云えば「木を見て森を見ず」で「イギリス人への捕虜虐待」など森の一本の木の枝葉の話である。やはり大英帝国・ブリテンの矜持なのだろうか。どの著書の叙述か忘れたが、英米ともに最初から「英米が勝つ」と確信していた由。数字・物理・科学をもって計算すれば当然であろう。

少々の捕虜虐待が未だに叫ばれているなら、大英帝国のインドをはじめ、東南アジア・アフリカでの植民地の歴史と実態はどう認識しているのだろうか、知りたいものである。インド独立運動家チャンドラ・ボース、ボースが師と仰いだマハトマ・ガンジーは肝腎のイギリスではどう評価されているのか。話は跳ぶが、世界の国々では「英連邦」は53ヶ国、「英連邦王国」は16ヶ国が加盟している。オーストラリア、ニュージーランドは解るがサミットに参加する大国「カナダ」までもが国王・元首はエリザベス女王である。

だいぶ昔読んだ記憶があるが著書が見当たらない、当時は青い表紙の中公新書だった。中公文庫で版を重ねているので、会田雄次氏の『アーロン収容所』を再購入して読んだ。会田氏はビルマで捕虜になり昭和22年帰国、京都大学教授で評論家だった。『日本人の意識構造』という優れた著書もあり、これはベストセラーになった。会田氏は平成09年、81歳で鬼籍に入られた。『アーロン収容所』では会田氏の詳細な観察が綴られている。むろん日本人捕虜へのイギリス兵の虐待の事実である。次回この著書から重要な点を列挙してこの「捕虜虐待」の項を終わりたい。英米との風土の相違は歴然としている。

添付はインターネットで入手したイギリスの植民地だったところ。一番右側が日付変更線であって、この世界地図が筆者はいちばん正しいと思っている。まさに日本は極東の辺境の島国である。昔も今も、こうした世界地図を為政者が真摯に俯瞰すれば、全世界を相手に戦争など起こせなかった筈である。

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2011/10/18  20:07

偏光フィルター  カメラ
筆者は今日、残り少ない預金をはたいて11月の旅行の代金を支払ってきた。4人分だから20万円になる。生活保護費程度の年金生活者に預貯金の目減りは応える! 「湖東三山」は紅葉の名所である。20代の頃、訪問した記憶はあるが、きちんと手帳に記録はしていなかったので三山の寺の名ぐらいしか記憶にない。一泊二日で5万円はパック旅にしては少し高い気もするが、往復新幹線、当日・翌日の4食付き、帰路は小田原に停車するらしく、まああまあといったところ。後は降雨にならないことを願うのみである。閑話休題。

本日、郵便局から近いところにある「花菜ガーデン」へ花の撮影に出かけた。34回目である。園芸種の彼岸花を撮影したのは09月初旬、秋のバラがそろそろ満開だと思ったからである。全部満開では無かったが、200枚ほど撮影した。この花はいろいろな名前があるものである。イングリット・バーグマンは解るが、今日はフリオ・イグレシアスと云う名があった。

筆者は昭和42年、月給03万円の頃、日本橋の“月賦の林商会”で03万円の「ミノルタカメラ」を購入してからカメラが好きである。だが写すのは好きだが、そのメカニズムに詳しいわけではない。平成11年からオリンパスのデジカメから発展、今はフィルムカメラは駆逐されてしまった。商売柄だったが眼が悪いので今は専らオリンパスのコンパクトデジカメ。40数年カメラが好きで今ごろ気づくのもどうかと思うが、写したバラを見ると明らかに朱色なのに点検するとピンクになっている。赤色系は赤・橙・朱・紫と微妙に違う。旧仮名だと「くれなゐ」がピンクでは困る。

ソニーアルファを持参してバラのアップを撮影している人が居たので訊いてみた。まだ現役のコンピュータ関連で働く人だった。結論は目で見る色とカメラがキャッチして保存する色は変化する由。つまり太陽光の反射の光もキャッチで色変わりするとのこと。「偏光フィルターレンズ」を教授して頂いた。紅葉ならなおさらのこと朱色がピンクになったら困る。「湖東三山」にはレンズフィルターを購入、装着することにした。

「ハンネ」「フレンシャム」というバラだと思うが色は朱色。前者は自分のデジカメ。後者はカメラに詳しい人がフィルターを被せてくれた。後者が本当の色である。この場を借りて感謝申し上げます

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2011/10/14  22:25

捕虜虐待01  昭和史
このブログでは、今「日米開戦への道」は、まだ予定の半分、そこへ奇妙な「小沢一郎強制起訴問題」に天の邪鬼の虫が騒ぎだした。両者ともきちんと精査して少数意見を述べたい。だが又もや別のことを何としても書きたくなった。10月11日、昨年メールを頂いた“M・昭子氏”から又もやメールを頂いた。昭子氏は現在イギリス在住、むろんイギリス本国からの発信であろう。貿易商として苦労されて今日があるらしい。昭和26年生まれだから日本流に言えば還暦である。昭子氏からは「日本の現代史の学者」二人の日本における評判についての質問である。添付に詳しい英文の説明書付きである。筆者の頭脳は自分で思うほど優秀ではなく、英文解釈はできない。日本語の問いだけに答えることにした。

昭子氏が当初、着目したのは筆者の『私解 戦争の昭和史』のなかの「帝国陸海軍は何をしたのか」で“インパール作戦”を叙述し「佐藤幸徳陸軍中将」の英断を指摘したからである。インパール作戦については筆者のHP、昨年の08月のブログを参照して頂くことにして、ここでは割愛する。ひとことだけ記しておけば、あらゆる昭和史の本でも「愚将ベスト3」に挙げられる「牟田口廉也陸軍中将」は中国大陸の蒋介石を援軍する英米のルートを遮断するべく作戦を強行した。結果は七万人の兵士を動員し、六万人が死んだ。実に100人のうち91人が戦死したことになる。戦争だから戦闘で死ぬことは古今東西後を絶たない。だがインパール作戦の戦死者の大半は病死・餓死である。M・昭子氏の父上は、その数少ない生き残りである。佐藤幸徳中将が上官・牟田口に逆らって撤退したのは前代未聞。だからこそ、今日の昭子氏も生まれたことになる。極東国際軍事裁判は、戦勝国の見せしめ裁判だから牟田口廉也はたくさんの日本兵を死に追いやったので御咎めなしだった。

昭子氏の質問は、日本の二人の学者の論調が多分に「日本を卑下する」態度なので日本での評判はどうかと云ったもの。結論から云えば日本では昭和史の分野では全く無名の学者だった。K・信子氏は山梨○○大学法学部教授。T・黒沢氏は東京○○大学現代文化部教授。筆者は文春など月刊誌も含めて昭和史、太平洋・大東亜戦争関連の書は200冊余を読破している。K・信子氏もH・黒沢氏も初めて聞く名だった。ウィキペデァで検索したらA4ペラ一枚の紹介だった。研究テーマは「日英の和解」である。殊にK・信子氏はケンブリッジ大学卒で、亭主も義父も英文学者である。これでは先ず「日本に落ち度」がある、が先行してしまう。筆者の耳に届かない学者など所詮二流である!

先ず冒頭に記すべきだったが、イギリスでは未だに「インパール作戦」における“日本軍のイギリス人捕虜虐待”が叫ばれているらしい。肝腎なM・昭子氏の活動は「戦争はお互い様」、「日本もこれだけ酷い結末だった」と戦争全体を説いているらしい。筆者には真っ当に思える。日本軍兵士は「戦陣訓」で捕虜になったら死ね、と教育されていた。高級将校でも「ハーグ条約」など知らず、ましてや捕虜に与えるべき食糧も薬品も衣類もない。自分たちが生きる・逃げるのに精一杯だった筈である。戦時では今日の常識・秩序など望むべくもない。因みにM・昭子氏はイギリス在住30年、夫君もイギリス人である。遠いイギリスで日本のために頑張っているのには頭がさがるのみである。30年、イギリスに在住する日本人婦人が日本のために頑張り、日本からわざわざ出向く学者が「日英和解」が研究だとしても「日本の落ち度」が先行するのであれば、英米の理不尽さは追及が鈍る。これでは立場が逆である。M・昭子氏には筆者のできる範囲で少なからず応援したいものだ。

今日はここまでとするが、太平洋戦争のイギリスの狡さを次回叙述したい。

添付は昭和19年10月フィリピンレイテ島に帰還したマッカーサー

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2011/10/10  23:53

「睦山会事件」02  政治
拙宅の近所に「武蔵国・御嶽神社」の分社があって毎年10月第2土曜・日曜は祭礼である。隣家は従姉が居り、夕食の御馳走の御相伴に与る。つまり従姉の兄弟・姉妹三組と政治談議に及んだ。別に天の邪鬼を気取ることもないが、今の停滞した政治・経済を打破するには「小沢一郎」しか居ないとのたまわったところ総スカンだった。結論は、小沢一郎は「お金に汚い」「田中角栄の流れをくむ古いタイプの政治家」「お金で子分を養い徒党を増やす今の日本には要らない政治家」と散々だった。だがこれは世間の最大公約数的世論の反映だと思う。小沢一郎を断罪する「産経新聞」のアンケートだから半分は割り引いても80%は「直ちに小沢一郎は議員を辞職すべき」という回答になる。

小沢一郎徹底糾弾は“産経新聞”にお任せすることにして、問題は、
@陸山会事件
A小沢一郎強制起訴
B西松建設献金問題
C水谷建設献金問題
がある。むろん全部が連動しているが、ひとつひとつ精査すると、検察の主張、地裁の判断にはいろいろ矛盾が見える。筆者は新聞・TVメディアは表面的なことしか書かないから容易に信じないが、週刊誌メディアは特に出版社系は、時々当事者に訴えられるが、ある事件の核心をついている記事が大だと思う。「週刊ポスト」の大相撲疑惑などは、いい例である。週刊文春・週刊新潮は「創価学会」の敵?でもある。

筆者も、検察の「結論ありき」「シナリオありき」に照らせば、小沢一郎氏は「有罪」だと思う。その根拠は国家権力の逆鱗に触れたからである。そこではどんなに正直に言っても、ダメなものはダメである。昨年の民主党代表選挙で小沢一郎氏は菅直人に敗れたが、国会議員の投票では拮抗していた。それが何故大差になったのは外国人の多い「党員サポーター票」に負けたからである。菅直人の「北朝鮮献金疑惑」は早々に東京地検は「嫌疑なし」でチョンである。しかし後述するが小沢氏は「法と証拠」に照らせば無罪である。状況証拠の推認だけで有罪なら政治家は誰でも有罪にできるだろう。

昨年の民主党代表選の小沢一郎氏の政権構想は「行政および政治の改革」であったらしい。震えあがったのは「霞が関官僚」である。「独立行政法人、特殊法人と特別会計は必要不可欠なものは除き原則廃止、残りは民営化」の方針だった。官僚OBが天下った独立行政法人・公益法人の数は4500、そこには25000人もの官僚が天下り、年間12兆円もの国家予算に群がっているらしい。そんな政権構想の政治家が総理大臣では彼らには困るのである。ひとまずこれが筆者の結論である。

添付は「霞が関の秩序」を乱して逮捕され・収監・刑期を終えた佐藤優氏。

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2011/10/8  23:34

「陸山会事件」01  政治
筆者は、夕刊が無く、毎月3000円弱だから「産経新聞」を購読している。他の新聞は最近はとんと御無沙汰だが、朝刊は広告どっさりで40頁くらいはあるのではないか。産経は、広告は少ないからいたってシンプルでいつも28頁前後である。三日に一度は、いわゆるペラが挟まって30・26頁などはいささか貧弱である。この新聞は保守的で朝日新聞とは対極ではないかと思う。こと対中国や対旧ソ連、戦前の戦争など「皇国史観」まがいの論調である。だが日本国憲法では思想・良心の自由、表現の自由があるから余程のことがない限り、発言は自由である。

筆者はかねがね主張している通り「天の邪鬼」だから、そして少なからず小沢一郎ファンであるから最近の「陸山会事件強制起訴」には、この新聞の論調には与しない。一昨年の衆議院議員選挙の民主党勝利より一貫していわゆるトロイカ体制の小沢一郎・鳩山由紀夫・菅直人には、舌鋒鋭い。この際、鳩山由紀夫・菅直人は「その器に非ず」ということで割愛するが、産経新聞は小沢一郎氏がだいぶお嫌いのようで、検察審査会の議決による「強制起訴」が始まっただけで、1面から5面まで社会面も加えて、まるで極悪人の犯罪のような報道ぶりである。むろん小沢一郎嫌いの評論家・作家もにぎにぎしくお出ましである。これではロッキード事件以来の贈収賄事件さながらである。

09月26日の小沢氏秘書三人の「陸山会事件」有罪判決も、素人だからかどう考えても腑に落ちない。村木事件の前田恒彦検事の取調べ調書など不採用になったのに、状況証拠だけで有罪。産経新聞は一言も書かない「推認」で有罪である。しかも無罪かも知れないと噂されていたのに司法記者には一週間も前に「有罪」とリークされていたから驚きである。むろんあらかじめお知らせしたのは法務当局だろう。メディアはそんなことはまるで精査しない。西松建設からの献金は自民党、元首相・森喜郎、経産大臣・二階俊博、財務大臣・御身幸次氏にも渡っているのにこれも報道しない。政治資金で不動産を購入した政治家は、町村信孝・江田憲司・前原誠司・玄葉外務大臣などが該当するらしいが、記載ミスで終わりである。

明日は月に一度の歌会で東京江東区まで出掛ける。小沢一郎関連事件は、やはり国策捜査だと思う。来週「陸山会事件有罪判決」「小沢一郎強制起訴」をよく精査してブログに書きたい。小沢氏がここまで追求されて世間が納得?するのは、あの「悪人顔」だと思う。筆者のように貧乏生活で、顔があの「ヨン様」に似ていれば、責められることはない。やはり男は顔である!

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2011/10/5  23:30

日米開戦への道05−3  昭和史
参謀本部&軍令部03

「参謀本部」と「軍令部」について2回にわたり叙述したが、考察と云える内容ではない。殊に統帥権(とうすいけん)の全貌は、歴史・解釈・事実と多くの専門家が具体例を挙げて著わしている。何度も述べることになるが、統帥権はやはり司馬遼太郎が自分の軍隊生活を通して叙述・発言したので圧倒的な迫力があった。『司馬遼太郎対話選集』『この国のかたち』(文春文庫)、『司馬遼太郎の考えたこと』(新潮文庫)に詳しい。ここでは統帥権を行使した「大本営」と「帷幄上奏(いあくじょうそう)権」について記しておきたい。

大本営(だいほんえい)とは、明治26 年(1893)に設置された天皇直属の最高戦争指導機関のことである。当初は参謀総長が陸・海軍の作戦を指導、陸軍優位の形態となっていたらしいが、明治36年(1903)、条例が改正され参謀総長と軍令部長が陸・海軍対等の形態になった。日露戦争は宮中に設置されて作戦指導がなされた。また日中全面戦争に於ても昭和12年(1937)大本営令を制定した。大本営は戦時にしか置くことができない筈が、ここが軍国主義の故か、修正して“事変”(戦争ではないという意味のこじつけである)の際にも設置を可能にするためだった。だが誰もが異を唱えなかったのかどうかは不明。大本営は宮中に設置され、太平洋戦争終末に至るまで存続する。然しこれは、対立する陸・海軍間を調整するためだけの機関だった。大本営設置に伴い「大本営政府連絡会議」が設けられたが、これを提唱したのは第一次近衛内閣である。近衛文麿にしてみれば、統帥部の専横に首相が逆らえないなら、こうするしか方法は無かった。

帷幄上奏(いあくじょうそう)とは、明治憲法下で、軍機・軍令に関して内閣から独立して行われた上奏を云う。軍機とは“軍事機密”、軍令とは“軍事命令”であろう。参謀総長、軍令部長、と陸・海軍大臣が行った。帷幄とは、軍を指揮し作戦をめぐらす本陣のことで、時代劇映画などで見られる戦国時代の合戦の家来に囲まれる武将のシーンを思い出す。陸・海軍を統帥する大元帥である天皇に対して、軍事の専門機関が行う上奏であることから戦陣に因んだ。この帷幄上奏は、明治22年(1889)制度化され、軍機・軍令に関する事項は、内閣を経ずに直接上奏、裁可の後、内閣総理大臣に報告することとなる。ということは一般の大臣は、統帥部よりも陸・海軍大臣よりも、こと軍事に関する限り何も言うことは出来ないことになる。太平洋・大東亜戦争の時代、軍事費は、国家予算の70パーセントと云うから大蔵大臣など何も抵抗できなかったことになる。「Yahoo!百科事典」参照。

ここでは筆者の知る限りにおいて戦前の内閣・軍部の対立を報告する。
@陸軍省・海軍省 ⇔ 統帥部
 前者は予算・装備、後者は用兵・作戦
A統帥部陸軍=参謀本部 ⇔ 統帥部海軍=軍令部
 いずれ叙述したいが作戦の擦り合わせなど皆無に等しかった。
B陸軍 ⇔ 海軍
 日米開戦時は開戦責任の擦り合いだった。
C陸軍「統制派」 ⇔ 陸軍「皇道派
 統制派→国家総力戦における戦争 皇道派→天皇中心の思想で精神面に重きを置いた。
D海軍「条約派」 ⇔ 海軍「艦隊派
 条約派→国際条約を順守する戦力保持 艦隊派→日露戦争を踏襲、艦隊決戦中心
E外務省「枢軸派」 ⇔ 外務省「英米派」
 枢軸派→ドイツ・イタリアと同盟 英米派→英米と協調
F長州・薩摩出身 ⇔ 他県出身
 明治維新を成し遂げた毛利・島津、山口県・鹿児島県が主流派を形成。
G現役軍人 ⇔ 重臣・元勲
 現在の官僚制度にも十分反映している。実権を持つ現役は元総理の重臣さえ無視した。

対立は内閣と統帥部だけではない。それぞれの機構と部署、出身と思想から「他国との戦争に勝つ」と云う目的から外れ、機構・部署・出身の単位と感覚で対立関係がクローズアップされる。なべて内側の論理と倫理で対立、そこにエネルギーを割くほかはなく相対する国のことには、考えが及ばなかったことになる。情報・諜報は無いがしろにされた。司馬遼太郎が厳しく指摘するように「日本人の地理的隔絶性における民度(国際的比較能力)の低さが、夜郎自大の軍部」を産んだことになる。哀れなのは貧弱な武器・装備・食糧で戦争最前線に立たされた一般人中心の日本兵である。どこで戦うか知らされないまま輸送され、現地に着くまで少なからず輸送船が沈められ水没、相手の情報も不確かなまま突撃を強要され多くが即死・怪我・病死・餓死した。

昭和12年着工の戦艦「大和」

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