2011/10/14  22:25

捕虜虐待01  昭和史
このブログでは、今「日米開戦への道」は、まだ予定の半分、そこへ奇妙な「小沢一郎強制起訴問題」に天の邪鬼の虫が騒ぎだした。両者ともきちんと精査して少数意見を述べたい。だが又もや別のことを何としても書きたくなった。10月11日、昨年メールを頂いた“M・昭子氏”から又もやメールを頂いた。昭子氏は現在イギリス在住、むろんイギリス本国からの発信であろう。貿易商として苦労されて今日があるらしい。昭和26年生まれだから日本流に言えば還暦である。昭子氏からは「日本の現代史の学者」二人の日本における評判についての質問である。添付に詳しい英文の説明書付きである。筆者の頭脳は自分で思うほど優秀ではなく、英文解釈はできない。日本語の問いだけに答えることにした。

昭子氏が当初、着目したのは筆者の『私解 戦争の昭和史』のなかの「帝国陸海軍は何をしたのか」で“インパール作戦”を叙述し「佐藤幸徳陸軍中将」の英断を指摘したからである。インパール作戦については筆者のHP、昨年の08月のブログを参照して頂くことにして、ここでは割愛する。ひとことだけ記しておけば、あらゆる昭和史の本でも「愚将ベスト3」に挙げられる「牟田口廉也陸軍中将」は中国大陸の蒋介石を援軍する英米のルートを遮断するべく作戦を強行した。結果は七万人の兵士を動員し、六万人が死んだ。実に100人のうち91人が戦死したことになる。戦争だから戦闘で死ぬことは古今東西後を絶たない。だがインパール作戦の戦死者の大半は病死・餓死である。M・昭子氏の父上は、その数少ない生き残りである。佐藤幸徳中将が上官・牟田口に逆らって撤退したのは前代未聞。だからこそ、今日の昭子氏も生まれたことになる。極東国際軍事裁判は、戦勝国の見せしめ裁判だから牟田口廉也はたくさんの日本兵を死に追いやったので御咎めなしだった。

昭子氏の質問は、日本の二人の学者の論調が多分に「日本を卑下する」態度なので日本での評判はどうかと云ったもの。結論から云えば日本では昭和史の分野では全く無名の学者だった。K・信子氏は山梨○○大学法学部教授。T・黒沢氏は東京○○大学現代文化部教授。筆者は文春など月刊誌も含めて昭和史、太平洋・大東亜戦争関連の書は200冊余を読破している。K・信子氏もH・黒沢氏も初めて聞く名だった。ウィキペデァで検索したらA4ペラ一枚の紹介だった。研究テーマは「日英の和解」である。殊にK・信子氏はケンブリッジ大学卒で、亭主も義父も英文学者である。これでは先ず「日本に落ち度」がある、が先行してしまう。筆者の耳に届かない学者など所詮二流である!

先ず冒頭に記すべきだったが、イギリスでは未だに「インパール作戦」における“日本軍のイギリス人捕虜虐待”が叫ばれているらしい。肝腎なM・昭子氏の活動は「戦争はお互い様」、「日本もこれだけ酷い結末だった」と戦争全体を説いているらしい。筆者には真っ当に思える。日本軍兵士は「戦陣訓」で捕虜になったら死ね、と教育されていた。高級将校でも「ハーグ条約」など知らず、ましてや捕虜に与えるべき食糧も薬品も衣類もない。自分たちが生きる・逃げるのに精一杯だった筈である。戦時では今日の常識・秩序など望むべくもない。因みにM・昭子氏はイギリス在住30年、夫君もイギリス人である。遠いイギリスで日本のために頑張っているのには頭がさがるのみである。30年、イギリスに在住する日本人婦人が日本のために頑張り、日本からわざわざ出向く学者が「日英和解」が研究だとしても「日本の落ち度」が先行するのであれば、英米の理不尽さは追及が鈍る。これでは立場が逆である。M・昭子氏には筆者のできる範囲で少なからず応援したいものだ。

今日はここまでとするが、太平洋戦争のイギリスの狡さを次回叙述したい。

添付は昭和19年10月フィリピンレイテ島に帰還したマッカーサー

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