2011/12/8  23:13

真珠湾攻撃70年  昭和史
70年前の今日、大日本帝国は止むにやまれず、日米開戦を決意して、アメリカ“ハワイ真珠湾”を攻撃した。4000人のアメリカ人を殺傷し、昭和20年08月、日本は310万人の二桁多い戦死者を出して敗戦を迎えた。

添付の本は平凡社ライブラリー、文庫本と新書本の中間の大きさで中途半端でもある。23日封切りだというので、映画『山本五十六』を観てみたいものだ。むろん戦争シーンはCG制作だろう。

未だに真珠湾攻撃を、当時のフランクリン・ルーズヴェルト大統領は知っていて、アメリカ国民を炊きつけるために「騙し打ち」を演出したに違いない、との憶測は絶えない。アメリカ国立公文書館は、定期的に過去の秘密文書を公開するが、これは秘密を上回る軍事機密なので永遠に公開されないだろうとも云われている。

ここで詳しい「真珠湾攻撃」の実態は割愛するが、戦後の極東国際軍事裁判で“騙し打ち”では無かったことが証明されているが、あまり知られていない。今朝の産経新聞朝刊(朝刊しかないが)が第31代のハーバート・フーバー(共和党)アメリカ大統領の批判証言を掲載している。昭和23年に発行された『ルーズヴェルトの責任─日米戦争はなぜ始まったか』。著者はコロンビア大学教授、チャールズ・ビーアド。これは当時、アメリカでは発禁本となったと云う。都合悪いことを隠すのはどこの国も同じ。フーバーはルーズヴェルトを「陰謀を図った狂気の男」と評したらしい。

今、確実に言えるのはルーズヴェルトは「日本が先制攻撃を仕掛けて来るのを、それを待っていた」のは、どの学者も作家も指摘するところである。グレイゾーンは「真珠湾」を知っていたか、どうかである。筆者は多分に黒に近い灰色だと思う。明治時代末期「日露戦争」で行司役となり辛うじて日本に軍配を挙げたのが、第26代セオドア・ルーズヴェルトでフランクリン・ルーズヴェルトの従兄である。従兄はこの時から「日本びいき」が「日本脅威論」に変わったらしい。「日露戦争」終結の功績で、この従兄は、アメリカ人として初めて1906年ノーベル平和賞を受賞した。

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