2012/1/27  22:17

昭和感情史  昭和史
筆者は短歌会に所属、歌を詠むが自他ともに認められて? 下手(下手を脱しないといけないのだが)である。編集委員とは名ばかりだが、これは毎月の歌誌を作製する立場だからである。万葉集すら満足に読んでいないから、これは勉強不足、これも自他ともに認めるところ。

短歌で読む 昭和感情史・日本人は戦争をどう生きたのか(菅野匡夫・すがのまさお)平凡社新書』は、書店で見て直ちに購入した。太平洋・大東亜戦争に関しては、定年以後、かなりの冊数を読んだつもりだが、重要な部分をメモして置かないと忘れていて、拙論『私解 戦争の昭和史』なる作文には役立たない。だがこの本は一日で読破した。昭和元年から敗戦の20年までの経緯、総理大臣、主な事件は、だいたい頭に入っているので、歌の背景・世相は読む必要がない。歌を一気に読んだ。

◇すがやかに晴れたる山をあふぎつつわれ御軍(みいくさ)の一人となりぬ
 水原慈宏 あふぎ=仰ぎ 御軍(みいくさ)
◇父母の国よさらばと手を振ればまなぶた熱しますら男の子も 渡辺年応
◇あふぎ見るマストの上をゆるやかに流るる雲は白く光れり 棚橋順一
◇江南のしらじら明けを攻め進むすめら御軍うしをのごとし 渡辺年応
 うしを=潮
◇蘇州までさへぎる山も岡もなしはるばるとかすみ水牛あゆむ 水原慈宏
◇わらべらはちいさき笑顔ならべつつ兵に唱歌ををそはりてゐる 棚橋順一
 をそはり=教わり
◇白々とあんずの花の咲き出でて今年も春の日ざしとなりぬ 渡辺直己

 水原慈宏(じこう)東京帝国大学国文科卒。
   昭和13年05月、中国戦線で戦死。行年25歳。
 渡辺年応(としおう)京都帝国大学法学部卒。
   昭和13年、中国戦線で戦死。行年31歳。
 棚橋順一 東京商科大学・一橋大学卒。
   昭和14年05月、中国戦線で戦死。行年34歳。
 渡辺直己(なおき)広島高等師範卒。アララギ歌人。
   昭和14年08月天津で事故死。行年31歳。

太平洋・大東亜戦争といういわばフィルタを通さなくても十分に鑑賞できる歌である。著者・菅野匡夫氏は、講談社に勤務、『昭和萬葉集』の編集に携わった人物。何と「四国八十八箇所霊場」を遍路(むろん歩いて)、結願3回とある。在社時、多くの戦死を知って鎮魂の意味もあろうか。俳人でもある。

蛇足ながら『きけわだつみのこえ』は、戦没者学生の遺稿を集めた書として有名だが、遺稿の中の軍国主義賛美の部分はカットした、歴史の改竄と云われて久しい。発行時点での編集者のイデオロギーが優先されるとは戦前の軍部、戦後のGHQの検閲に等しい。

本の帯の歌は、昭和54年NHK特集昭和万葉集で取り上げられた歌。

 あなたは勝つものとおもつてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ
  (昭和20年作)

 土岐善麿(ときぜんまろ1885・M18─1980・S55) 歌人・新聞記者「東京箱根駅伝の創案者」、早稲田大学教授。石川啄木の友人。

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