2012/4/11  22:49

困ったこと14 防災会議  身辺世相
筆者は月刊誌『文藝春秋』を定期購読している。注目する記事があった。「原発事故・失敗の本質─圧殺された警告」(柳田邦男)は、やはりそうかと、という内容だった。ここでは詳しく述べる紙数は無いが、気になるところをピックアップすると「福島原発事故」は明らかな人災だということである。すなわち「津波対策」は“原発安全対策”と“地域防災”と二つの取り組みがあるらしい。

@電力会社と電力業界
A経済産業省「原子力・保安院」
B総理大臣直属の原子力安全委員会
C文部科学省「地震調査研究本部」
D内閣府「中央防災会議」、地方自治体

この5箇所のどこに権限と責任がどうあるのか、今も昔もそうだが、完全な縦割りで企業・管轄官庁・地方自治体は、それぞれの思考・裁量・解釈に終始する。確実に言えるのは差配するのは、現役官僚・天下り官僚群である。柳田氏の重要な指摘はやはり「想定外」という最近はやりの言葉だった。原発という巨大施設は「工学」の観点から建設コストがある。理学の観点からは平安時代の“貞観地震”(869)で、つまり1100年前であろうと、地層の中の津波堆積物という物的証拠がある。だが津波評価技術は、近世以降の記録されているデータを基礎にした。国の「中央防災会議」では、行政の対応は人や予算に限りがあり、それ以外は排除するという一見尤もな合理的判断である。だが合理性が正義かと云うとそれは違う。“水俣病”では、所轄官庁(旧厚生省?)が、学者は口出しするな、が真相だった。学者は、漁獲差し止めを申し出たのである。「薬害エイズ問題」も同じことなのか。「水俣病」では学者の意見を無視したために10数人の患者だったのが二桁多い2000人の死者を出した。

平成16年の「中央防災会議」では、福島沖、茨城沖の貞観時代の堆積物を“証拠不十分”で評価の対象から外した。ここでも学者の言い分を無視したかたちになる。平成17年、石橋克彦神戸大学教授の国会招致も意見拝聴で終わった。今ごろになって“首都圏直下地震”が報道されている。つまりは選良意識に裏打ちされた霞が関官僚群が、組織として判断するのだが、結果として悲惨な事件・事故が起きたとしても組織は、非難されても、そこに官僚個人の責任は甚だ曖昧となる。論理の飛躍かも知れないが、福島原発事故も太平洋戦争も甚だ杜撰な予測と非科学論理が支配していて無残な結末を招いたことは、良く似ている。つまりその場をまとめる“全体の空気の支配”ということになる。全体の空気は、科学論では無く精神論のように思う。

霞が関官僚は「予算裁量権」を持つ最高権力者である。年間予算にしか思考力が及ばないから、その範囲内でしかものを決められない。霞が関官僚をシロアリと喝破した人が、今や完全にそのシロアリの言いなりで「消費税増税路線」を突っ走っている。政治家や学者や民間のその道の専門家などの意見は「拝聴しました」で何もしない。将来、地震列島の日本が治まる筈もなく、第二のフクシマも起こり、尖閣諸島・石垣島なども中国に乗っ取られアメリカに代わって中国の属国になっているかも知れない。

筆者の二つの希望の星は「橋下徹現象」と「メタンハイドレード」である。

◇参考書 『文藝春秋・平成24年05月号』

クリックすると元のサイズで表示します
2


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ