2012/8/28  6:16

禁煙もどき  身辺些事
この猛暑にして不眠、耳鳴り、めまい、ふらつきの不定愁訴、そこへ歯槽膿漏で抜歯、腰椎骨折、歯科医、整形外科医の電気治療で治療のはしごです。今は小生には精神的・肉体的に絶不調。わが人生でかつて無き体調不良で、日中はげんなりです。

無気力で秋のお彼岸までは自信がもてません。ご迷惑をおかけします。涼しくなったらブログ大いに発信します。今週は多分ブログお休みすると思います。

本年初頭より朝、一服すると激しい咳き込みがあり、尋常ではなく喫煙50年にして禁煙してみました。咳・淡が出なくなり、深呼吸が爽やかで喉・肺機能は良好です。ですが今週2カ月ぶりにまた喫煙しました。頭がすっきりするのは、完璧なニコチン中毒のようです。やはりCOPDなど肺機能は確実に衰えていると思います。また咳込むようであれば禁煙です。下戸につきアルコール中毒はありませんが、ニコチン中毒のほうがはるかに良くないのは承知です。COPDの「息切れ」を進行させるのか喫煙を取るのか、二者択一のおもむきで、すべて自己責任と云うお粗末な報告です。

皇居・桜田門。

クリックすると元のサイズで表示します
0

2012/8/25  19:48

啄木子孫  日本史
三年前の平成21年・2009年08月22日に「石川啄木の子孫」という記事を叙述した。石川啄木の直系の子孫が存在する事実を雑誌「太陽」から引用した。だが最近“通りすがりの者”という方から以下の書き込みをいただいた。

≪初めまして、通りすがりの者です。石川玲児氏は、下記のサイトで1998年06月30日に69歳で亡くなられています。それにしても石川啄木の家系は、短命の人が多いですね。
と云う内容。筆者が紹介した」ときはすで亡くなられていたことになる。

引用した『太陽』は昭和55年、添付は昭和45年発行。
目下、猛暑で体調不良につき、詳しくは次回。

クリックすると元のサイズで表示します
0

2012/8/16  21:33

日米開戦への道 責任者  昭和史
“毎日が日曜日”の生活をしていると思わぬ事態に遭遇する。たいしたことではないかも知れないが、「終戦の日」の天皇のお言葉に関してだから、この猛暑で真夏の幽霊に出会ったようなもの…。毎年同じ文言なら間違えるはずはないと思うのだが、それ以前の常識問題だ。テレビ報道での天皇の「お言葉」最後の部分。

≪ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。≫

「戦陣に散り戦禍に倒れた」を先人に釣り戦火に倒れた」とテロップを流したらしい。単なる文字変換のミスだけでは済まされない問題である。これがNHKだったら政治問題であろう。後で修正しても、テロップを監視している責任者は居ないのか。出演者の訂正と謝りで知ったが、日本テレビだかTBSだか、解らなかった。一瞬のことだった。戦争で死んだものは、好き好んで戦争で死んだわけではない。「先人に釣り」とはふざけた変換ミスだ。

いつもこのブログをご覧いただいている関西の方から
≪開戦前の時点で、客観的に見て敗戦必須の戦争に突き進んでいった「意思決定を誰がした」 のでしょうか。貴説を伺えれば幸いです。明日は67回目の敗戦記念日です。≫
という書き込みをいただいた。昨年23年09月12日に「日米開戦がなぜ避けられなかったのか」を記述している。それは「日米開戦への道」の5回目でまだ完成していない。これはあくまで個人の感想である。

2011・09・12 「日米開戦への道05」
この項目「日米開戦がなぜ避けられなかったのか」の結論は、
@メディア・国民世論の日米開戦支持
A陸・海軍中枢部(佐官クラス)の開戦画策
B陸・海軍上層部の責任回避
C内大臣・木戸幸一における昭和天皇への決断封じ
D外務省の不作為

によって日米開戦は避けられなかった、と筆者は今のところ思う次第。「日米避戦」の“歴史のif”は確実に存在した。それを今後、明らかにしたい。「しなくてもよかった戦争」ということが確実に云える。

「さあ戦争を始めましょう」というような直截的人物、つまり「意思決定を誰がした」が判る指摘はできないのが日本の政治機構で、責任の所在は集約されていない。これは昔も今も変わらない。現今の「原発問題」にも云える。そこを敢えて云えば、司馬遼太郎が、口を酸っぱくして云っていたように「大本営」つまり“統帥権”を恣にした「参謀本部」だと思う。では、それらの軍人はと云えば具体的な名前を近々列挙してみたい。聞いたことのある軍人・政治家もいる筈である。ひとつ云えるのは長州・薩摩出身の軍人である。実際に日米戦争へ誘導したのは「大本営海軍部」つまり「軍令部」である。決断したのは総理大臣である。命令書を出さざるを得なかったのが昭和天皇である。

行政 陸軍省大臣→東條英機 海軍省大臣→嶋田繁太郎
統帥 参謀本部総長(陸軍)→杉山元 軍令部総長(海軍)→永野修身
以上の4人にいちばん重い軍事責任がある。

クリックすると元のサイズで表示します
3

2012/8/9  16:57

ヤルタ秘密協定  昭和史
08月08日の産経新聞朝刊(朝刊しかないが)に、にぎにぎしく昭和20年・1945年の敗戦の年のことが報道されていた。当時のスターリンのソ連が「日ソ中立条約」を破棄して、いわばノックアウト負けの大日本帝国に襲いかかってくるという情報、いわゆる「小野寺電」のこと。ソ連は米英より信用できないと主張していた。

事実その通りになった。だが当時は、国民はおろか軍部もメディアも信じるすべは無かった、が真相である。原子爆弾を落とされるまで判らなかった。

詳しくは筆者の≪私解 戦争の昭和史≫の第4章「日米開戦に反対した人はいたのか」に詳しく掲載してある。当時のスウェーデン駐在武官“小野寺信(まこと)陸軍大佐”(終戦時は陸軍少将)は、独自のネットワークから米・英・ソ連の「ヤルタ協定」(日本の敗戦処理)から5か月後の08月に米・英承知の上でソ連が、満州に攻め入ってくるとの情報を日本の「大本営陸軍部」に送っていた。軍部中枢に真実を見極める能力も度量も無かったのは云うまでもない。

こともあろうに、そのソ連に終戦の仲介を模索していた内閣は、小野寺情報は、本当なら恐ろしいことで疎ましいものであったらしい。大本営・参謀本部(陸軍)の奥の院の次長、作戦部長、作戦課、軍務課などが、これを握りつぶしたのは、20数年以上も前の“昭和”の時代からささやかれていたことである。

ここで詳しい経緯は省く。今でも確かな証拠はないのである。しかし昭和史の専門家・学者・作家は知っている。握り潰しの張本人はもうこの世にはいない。

筆者は、梅津美治郎参謀総長、瀬島龍三作戦課員が、その人だと思う。後者は10年間、シベリアに抑留されたが、平成19年09月、95歳まで生きた。関西の小商社「伊藤忠」を大手にのし上げたと云われている。

添付は小野寺信陸軍少将。昭和62年没、89歳。ドイツ語、ロシア語、スウェーデン語に堪能な情報将校だった。娘さんは大鷹節子氏、昭和一桁生だが…。筆者のHPを評価してくれた。

クリックすると元のサイズで表示します
0

2012/8/1  13:50

暑中見舞  身辺些事
このブログでは“天邪鬼”と称して主に行政・内閣・メディア・東京電力など悪口ばかりを書いてきた。それがいけなかったのか、めぐりめぐりて因果応報のようでもある。目下“絶不調”、体調不良のせいだけでなく加齢のせいもある。

猛暑到来、自律神経系の不定愁訴、腰椎骨折、歯槽膿漏抜歯とさんざんである。整形外科の若き女医に言わせれば、しばらく横になっている生活を勧められた。どうやら腰の「圧迫骨折」を甘く見ていたのか…。

オリンピック報道で「メダルラッシュ」などと言って憚らないメディアも相変わらず画一的でおめでたい限り。柔道が金メダル一個で大騒ぎするのも見ていて変だ。判定が覆るのはもっと変だ。きちんと組み合って一本を取るのが柔道ではないのか。

 ポイントを稼ぐが今の柔道と金メダル保持者が解説でのたまふ
 ニワトリの突つき合ひのやうなる柔道を強ひらるる若者よメダルは要らない
 組み合ひて技を競ひて一本を取る柔道よいつ甦へるらむ

クリックすると元のサイズで表示します
2


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ