2012/9/29  8:46

讃・高倉健  映画TV
何度も記述しているが、筆者の10代は昭和30年代と重なる。中学入学時に上京した折、まだテレビは一般家庭に普及しておらず高値の花。中学生の娯楽はむろん映画だった。封切館から三番館まで映画館は多く“55円三本立て”が貧乏な!筆者にはいちばん相応しかった。安価で時間が過ごせるからである。浅草など映画街は隆盛を極めた。東映などは“第二東映”まで出来て封切上映は必ず2本、1週間から10日の上映期間。むろん粗製乱造だったのは確か…。高倉健は「東映」の第二期ニューフェイスでスターの地位を確立しつつあった。したがって筆者の映画人生には13歳からの途切れることのない“神様”的存在の男優である。因みに女優は吉永小百合。ただし高倉健自身も述懐しているようにいわゆる“ヤクザ映画・任侠もの”は否定的で、良く観るようになったのは、東映から独立してからのことである。

筆者の人生には映画・小説・日本史・旅行・カメラ・VTRは付いて回る。「黒澤明映画」は全部見ているが、高倉健の出演はない。『』(昭和60年)には、黒澤監督自身から再三再四の出演依頼があったらしく実現していたらと「if」を切実に思う。もったいないことだ。高倉健の映画の分岐点は、あくまで昭和52年の『八甲田山』『幸福の黄色いハンカチ』である。

この度六年ぶりの『あなたへ』は、いい映画だった。来年の「日本アカデミー賞」はこれで決まりである。義兄の友人は「つまらなかった」と云い、映画通の畏友「なでしこ」さんにも評判はよく無かった。ストーリーは現実にあるような無いような、盛り上がりは少なく甚だ地味な内容だったが、筆者には早くこの映画のDVDを手に入れ何度も見たい秀作のように思う。映画の「いい・悪い」は個人の好き嫌いだろうが、強いて云えば誰にでもその映像美は賞賛されるに違いない。兵庫県・和田山町の竹田城址は美しい。

なぜこの映画がつまらないと思われるかは、高倉健を師と仰ぐビートたけしの役どころにヒントがある。たけし扮する「車上あらし」が、主人公に被害を与えなかった理由は極めて日本的心理であり、長崎県平戸は、平戸大橋ができるまでは連絡船の行き交う貧しい漁村の島だったことが大前提にある。亡き妻への思慕は丁寧だが淡く、脚本・演出も高倉健の個性・人間性に依拠していると云って過言ではない。外国映画のようにストーリーが独立した起承転結のはっきりした、どこの国で見ても判る自他のはっきりしたものではない。きわめて日本的な共同体の倫理と論理の“あ・うん”が背景に厳然とあるようにも思う。ここを是とするか、否とするかである。

ただ81歳の高倉健は、年齢相応に手の甲が皺・シミだらけなのは、もう少しドーランなどで隠すことはできなかったのか、とも思う。同時代の石原裕次郎・勝新太郎などは、もうこの世に居ないので、そのストイックな私生活は賞賛されていい。映画出演もあと数本だと思うから、NHKの密着取材を了承したのだと思う。NHKの二本のドキュメンタリーは都合10回ほどみた。高倉健は初めてだがDVD7本をアマゾンで購入。これも繰り返し見るだろう。

筆者の勝手な想像だが、英会話が堪能な高倉健は、日本映画に関わっていないときは大好きなハワイあたりで暮らしているのではないか、手の甲の皺・シミだけで外国生活を思うのは穿ち過ぎか…。

高倉健主演
ブルーレイディスク5巻組
◇『駅 STATION』昭和56年・1981 監督・降旗康男
 倍賞千恵子・いしだあゆみ・烏丸せつこ・田中邦衛・宇崎竜童
◇『海峡』昭和57年・1982 監督・脚本 森谷司郎
 吉永小百合・三浦友和・小林稔侍・笠智衆・森繁久彌
◇『居酒屋兆治』昭和57年・1982 監督・降旗康男
 大原麗子・加藤登紀子・田中邦衛・伊丹十三・池部良
◇『夜叉』昭和60年・1985 監督・降旗康男
 田中裕子・田中邦衛・大滝秀治・小林稔侍・ビートたけし
◇『あ・うん』平成元年・1989 監督・降旗康男
 富司純子・板東英二・富田靖子・大滝秀治・宮本信子

◇『ホタル』平成13年・2001 監督・降旗康男
 田中裕子・奈良岡朋子・夏八木勲・石橋蓮司・中井貴一
◇『冬の華』昭和53年・1978 監督・降旗康男
 池上季実子・北大路欣也・田中邦衛・三浦洋一・小池朝雄

『駅』『夜叉』『冬の華』は秀作である。『海峡』『ホタル』は、内容が平板・平凡だと思う。

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2012/9/27  18:57

同姓同名  昭和史
筆者のブログには見知らぬ人から時々書き込みがある。Tomoki Yamabayashiさんから有り難い書き込みがあった。3年前の≪2009/8/14 校正ミス≫。

“はじめまして。「同姓同名」という表現は、不正確もしくは誤解を招きやすい言い回しではないでしょうか。より正確には「同姓同字」または「同姓同字異名」とでも呼ぶべきでしょう。「しゅんいち」と「としかず」――読み、すなわち発音が異なる2つの名前を、いくら同じ漢字表記だからといっても「同名」と呼ぶことに対しては違和感を覚えます。”と云うもの。

云われてみればその通りで「同姓」であっても「同名」ではない。同じ表記だから「しゅんいち」「としかず」の相違が問題になる。「同姓同字異名」が正確である。この方はプロの校正者かも知れない、感謝申し上げる。「校正ミス」という叙述で四字熟語の意味が違うのであれば、シャレにもならない、おそまつなことである。もう一度その違いを記述しておくことにする。

その本は、≪中公文庫『われ巣鴨に出頭せず 近衛文麿と昭和天皇』工藤美代子著≫である。昭和20年12月、戦犯としてGHQより出頭を命じられた近衛文麿が、何で服毒自殺をしたかが新たな視点で描かれる。三度も組閣した近衛文麿は、軟弱な政治家として語られるが、終始「日米開戦」に反対だったのは事実である。文庫本としては500ページに及ぶ読み甲斐のある本である。

ミスは、401ページ。戦前戦後を通じて加瀬俊一という外交官が居た。昭和20年09月02日ミズーリ号甲板で「降伏調印式」が行われた。首席全権の重光葵(まもる)にサインするところを誘導したのが外務省の加瀬俊一である。振り仮名には「しゅんいち」とあった。明らかな間違いである。正確には「としかず」である。加瀬俊一は、読み方が同じなら二人居る。同姓同字異名で「しゅんいち」は大加瀬、「としかず」は小加瀬と云う今でも外務省では区別がある。

 加瀬俊一(かせしゅんいち)1897─1956 終戦時のスイス公使
 加瀬俊一(かせとしかず) 1903─2004 終戦時外務省報道官

「しゅんいち」は終戦時、スイスのアメリカ戦略事務局アレン・ダレスと終戦工作をした外交官である。「としかず」は平成16年、101歳の天寿を全うした。同姓同字異名だが、筆者が云いたかったのは「としかず」氏である。詳しくは別の機会にしたいが、昭和16年12月の「アメリカハワイ真珠湾無通告攻撃」の真の犯人は、出先のアメリカ駐在日本大使館の不手際ではなく、それを知られたくない日本本国の外務省の不作為だからである。

その不作為をあくまで“大使館の現場の所為”として譲らなかったのは、加瀬俊一(としかず)その人である。いわゆる「騙し討ち」は、極東国際軍事裁判でも不問に付されている。アメリカ・ルーズベルト大統領が真珠湾攻撃を知っていたのではないか、と云うグレイゾーンを追求されたくないからである。だからと云って日本本国の外務省の責任は、出先の大使館より重いのは免れない。

画像は昭和20年09月02日、東京湾ミズーリ号艦上。右から三人目のシルクハット姿が加瀬俊一(としかず)。杖をつくのは重光葵(まもる)全権大使、重光は上海事変で片足を失っている。

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2012/9/21  21:06

吉田矢健治  昭和史
昭和30年代に少年時代を過ごした者でなければ、それも演歌が好きでなければ判らない人物の名が“吉田矢健治(よしだやけんじ)”である。1923年・大正12年10月生─1998年・平成10年11月死去、昭和期の歌謡曲の作曲家、山口県岩国市出身、明治大学卒業。春日八郎・三橋美智也のヒット曲を作曲したキングレコード専属の作曲家だった。

◇津村謙・吉岡妙子『あなたと共に』(昭和29年)矢野亮作詞。
◇春日八郎『別れの燈台』(昭和33年)高橋掬太郎作詞、『山の吊橋』(昭和34年)横井弘作詞、『足摺岬』(昭和34年)高橋掬太郎作詞。
◇三橋美智也『夕焼けとんび』(昭和33年)矢野亮作詞、『ギター鴎』(昭和33年)矢野亮作詞。
◇バーブ佐竹『女心の唄』(昭和40年)山北由希夫作詞。

司馬遼太郎ファンで小説はもとよりエッセイもくまなく読み込んでいる人なら聞いたことがあるに違いない。ここでは吉田矢健治の人となりは割愛する。

司馬遼太郎ファンなら誰もが知っているベストセラーは『龍馬が行く』『坂の上の雲』である。解説するまでもないが、後者は近代史実のウェイトが高く、明治時代の国の有り様に焦点が当てられている。「日露戦争」は、単なる軍国主義の産物ではない。この戦争が無かったなら日本はとうに共産主義の国になっている。これも知る人ぞ知る司馬遼太郎の文学・司馬史観の原点は、軍隊経験である。その真骨頂は『歴史と視点』(新潮文庫)の「戦車・この憂鬱な乗り物」に詳しい。このエッセイを熟読するだけで「太平洋戦争」の何たるかが解るほどだが、これも詳説を避けるが、この文の中に「吉田矢健治」の名が出てくる。司馬遼太郎と吉田矢健治は、簡単に云えば昭和18年秋の“学徒出陣”における幹部候補生のそれも戦車隊の戦友だった。吉田矢は明治大学、司馬は大阪外国語大学。

「戦車・この憂鬱な乗り物」は、再読・熟読してマーカー・◎印が多い。この初期のエッセイと晩年の『この国のかたち』が「統帥権」を感情論抜きで断罪している。エッセイの中で司馬遼太郎は、至言をさり気なく吐露している。「私は不覚にも大正時代に生まれてしまった」。

男女を問わず「大正時代」に生まれた者は、戦争最前線のためにこの日本に誕生したようなものだからである。続編は何れまとめます。

月末の短歌誌文字入力の原稿が到着。しばらくブログ記述はお休みします。

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2012/9/15  19:15

NV─DV10000  映画TV
こんなギラギラした日射しにうんざりしていない今年03月08日、パナソニック NV-DV10000と云う録画機の記事を叙述した。

≪困ったこと05 昨年末と本年02月に以下のようなメールが筆者に届いた。ところが何度返信メールを送ってもエラーメッセージが出て、都内在住の高田氏に届いた気配は無い。内容は以下の通り。
パナソニック NV-DV10000 平成10年10月購入 休眠中─都内在住の高田と申します。NV-DV10000で検索しましたら辿り着きました。 もし故障等で、ご不要でございましたら、お譲りいただけませんでしょうか。 ご無礼申しますが、ご返信いただけますと幸いです。よろしくお願い致します。≫

その折にも記述したが、都内在住の高田某氏へのメールの返信は、やはり“送信エラー”となって届かない。筆者が頑なにそんな「お願い」を無視しているわけではないのでいささか残念である。NV-DV10000とは添付画像の一番下のマシンである。平成10年頃の購入で、パソコンは「ウインドウズ98」ソフトも搭載され、それに見合ったVTR編集ソフトは無論、VTR撮影もデジタルが勃興し始めた時代である。最近はとんとVTR撮影はご無沙汰なので判らないが記録媒体は、テープは時代遅れで「SDカード」でもあるのだろう。ビデオ撮影マニアであれば昔の(今も存在するらしい)DVミニテープで撮影したものは、この機種は編集に役立つに違いない。

NV-DV10000は、マシン・リモコン・取扱説明書・元箱と、保存は完璧である。筆者が悪い奴!?で数十万円の値段をふっかけても欲しい人は欲しいであろう。今日のデジタル放送にも?対応しているのかどうかは判らないがVTRの編集は可能である。これを無償で、着払いで進呈しようと思っているのだが…。今、手元にあるビデオデッキは7台である。だがアナログ対応でしかない録画機は、燃えないゴミに廃棄するつもりである。アルゴリズム?とかで、このブログ記事がヒットして届かないものであろうか。多分これが最後通告になるだろう。どうか返信可能な“メールアドレス”で願いたいものだ。

上から順番に、
◇ソニーBDZ─SKP75 スカパー対応・ダビング10
◇パナソニックDMR─BR590 ダビング10
◆シャープDV─ARW12 ダビング1
◆パイオニアDVR─77H アナログ対応 休眠中
◆パナソニックNV─DV10000 アナログ対応 休眠中

◆は廃棄予定。以下の2台はテレビの下のラックにある。8oテープ・VHS対応は当分処分できない。画像のいいものはHDDにダビングの予定である。
◇ソニーEV─FH10 H09年購入(8oテープデッキ)
◇ビクターDR─HX250(VHS対応・ダビング10)

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2012/9/12  19:11

健さんの背中  映画TV
日本映画界にあって常に第一線の俳優であり続けている「高倉健」の特集があった。昭和06年・1931年生まれ81歳である。昭和史を書き綴っている?者としては何と「満州事変」勃発のときの生誕である。特集はNHK「プロフェッショナル」で放送され、08日・73分、10日・48分だった。筆者が映画に最も親しんだ昭和30・40年代の大スターは、もう女優を除けば高倉健と小林旭くらいしか居ない。小林旭は歌に比重が行っているから正に大スターと呼べるのは高倉健しかいない。あとは仲代達矢くらいか。だが仲代達矢はスターと云うより役者と云う言葉がふさわしい。

6年ぶりの映画とかで早速『あなたへ』を観てきた。ウイークディの夕刻、オリンピックなる映画館では30〜40人の観客があった。こんな時間帯に映画を観ているのは、日本経済に不要な?人間であり、観客数は特筆ものである。NHK特集は2本、都合三回観た。特集によれば私生活はベールに包まれていたが、その生活の有り様と俳優としての姿勢が明らかになった。高倉健を尊敬する“ビートたけし”などによって「高倉健伝説」が構築?されていたことが解る。

詳説は避けるが、高倉健としては、もうあと何本も主演は難しいから、NHKの密着取材を承知したのが納得できる。とうに亡くなっている有名歌手との私生活などは語られなかった。だがその大スターであるところの矜持としての俳優業50数年の姿勢は明らかにされた。そのストイックな生活信条は称賛されていい。ネットで検索すれば都内・世田谷区に居住しているのも解るし、行きつけの理髪店なども紹介されている。

録画マニアとして最も恐れている事態が起こった。NHK番組の悪い癖、字幕スーパーである。どんな番組でも「地震」と「鉄道事故」は即座にテロップが出る。遍く受信料を頂いている公共放送としては、義務かも知れないが、大津波をも引き起こす大地震以外は願い下げにしてもらいたいものだ。何年か前に「龍馬伝」で最後、暗殺される重要なシーンに「沖縄知事選」のテロップが龍馬の?顔の上に載せられた。NHKに苦情が何本も寄せられたらしい。当然である。知事選の結果などは番組が終わってからでいい。

次世代の高精細ハイビジョンを追求しているNHKが恥ずかしいことだ。字幕が放送されても録画はされない「テロップ」でも研究したらどうなのか。多分再放送がありますから、とのたまうだろう。おとなしい庶民の筆者は2本目の「インタビュー」は再放送をまた録画することになる。

健さんの背中”が泣いている。

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2012/9/10  18:29

啄木子孫02  身辺世相
08月25日に『啄木子孫』なる記事を叙述した。前述の通り三年前の平成21年・2009年08月22日に「石川啄木の子孫」という記事である。石川啄木の直系の子孫が存在する事実は、雑誌「太陽」から引用した。だが最近“通りすがりの者”という方から以下の書き込みをいただいた。

≪初めまして、通りすがりの者です。石川玲児氏は、下記のサイトで1998年06月30日に69歳で亡くなられています。それにしても石川啄木の家系は、短命の人が多いですね。≫

と云う内容。引用した「太陽」は昭和55年発行だから32年前になる。したがって石川啄木の子孫の玲児氏は、その当時、祖父の二倍生きたと、数えで52歳を標榜して居られた。筆者と同じく印刷業であることも吐露されている。今生きておられれば83歳である。

実際には69歳で亡くなられたのなら現代ではやはり短命だろう。となると娘さんは当時小学生なら今は40代後半であり、玲児氏には孫が存在するだろう。つまり啄木には玄孫(やしゃご)である。ここから先は「ウィキペディア」と「北海道新聞」からの斟酌・引用で啄木の子孫からすれば迷惑だろうが許されたい。今から11年前の「笑っていいとも」の『ご先祖様はすごい人』のコーナーに玄孫が出演されたらしい。添付の画像は筆者が紹介した太陽からの又しても引用である。左端が石川玲児氏、隣りの幼子は玲児氏の娘さんであろう。その子がテレビ出演したのだろうと思われる。

◇石川啄木─1912年(明治45年)04月13日、小石川区にて肺結核のため死去。享年26。
◇同年06月14日、妻・節子が次女を出産。房州(千葉県)で生まれたため房江と名付ける。
◇妻・節子─1913年(大正02年)、05月05日、肺結核で死去。
◇長男・真一─明治43年(1910)、生後24日で死去。
◇二女房江─昭和05年(1930)12月19日に19歳で死去。
長女・京子─懐妊中に急性肺炎を起こし、二児を残して24歳で死去。房江の死去はその二週間後。

長女の京子だけが、結婚し、長女・晴子と長男・玲児の2児を産む。玲児氏は生前「自分は『啄木の孫』を背負ってきたが、その背(荷?)は重かったので、もう自分の子供には背負わせない」と啄木研究者に語ったそうである。印刷業なので祖父の歌を自分で編集・印刷、上梓したいと「太陽」では語っていたのだが、出版されたのかどうかは判らない。

筆者の祖父は俳句をたしなんだが農業という生業の趣味だけだった。石川啄木と云う偉大な先祖は重荷かも知れないが、その末裔は誇ってもいいような気がするが、どうなのか…。なにしろ短歌をたしなむ人間には石川啄木は近代短歌の神様!であり、啄木を知らない歌人は居ない。

訂正記事を2018・06・21付で書き込みしました。

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2012/9/8  21:38

昭和の雑誌  昭和史
筆者が20代の頃から毎月必ずではないがよく購読していた月刊雑誌は、
 『文藝春秋』(A5判)
 『太陽』(A4判)
 『旅』(B5判)
 『歴史読本』(A5判)
 『ダ・カーポ』(A5判)
 『歴史街道』(B5判)
などである。今も存続しているのは、老舗の文藝春秋・歴史読本・昭和50年代創刊だが『歴史街道』。「太陽」と「旅」はカラーページと読む部分とがバランスが取れていていい雑誌だったと思うが休刊・廃刊になっている。『ダ・カーポ』は創刊号から終刊号まで620冊揃っているが高く売れないかとも思う。雑誌の創刊・休刊の詳しい経緯と考察は判らないが、手に馴染む感じの「」などは良かったのではないか。『太陽』は別冊が今でも販売されている。雑誌の栄枯盛衰があるのは、やはりひとつにはインターネットの発展だろう。もう雑誌はおろか、新聞・普通の出版物でもスマートフォンなどにとって代わられようとしている。文庫・新書など安価で内容があるものは認知され出版のメーンになっている。もう一点真似されているのがA4変形の美術週刊誌。30〜40頁で週刊誌仕様を圧力をかけて製本したもの。全体に薄くカラー印刷は抜群。眺める雑誌のおもむき…。

雑誌の栄枯盛衰は、筆者にはもうひとつ理由があると思っている。それはデジタル時代の画像の鮮やかさであろうと思う。ほんとうは、カメラもフィルムの方が高精細で鮮やかなのだが、デジタル時代では、画像の修正が時間も処理も「アドビフォトショップ」などで、印刷の素人でも安易になったからだと思う。今や新聞などでも紙質がどうであろうと毎日がカラフルである。昭和の時代を象徴すると思う「太陽」と「旅」を見ていてつくづく感じることである。それらカラーの雑誌は、あたかも浮世絵のごとくいかにも黄・青・赤・黒の四色を重ねて印刷したアナログの美しさがある。今のカラフルな雑誌は、デジタル時代の申し子で、物理上、印刷のズレは皆無。鮮やかだが重みと深みがない。

『太陽』(平凡社)は2000年・平成12年に休刊、『旅』(JTB→新潮社)2012年・平成24年に廃刊となった。青春の一部分が喪失した感じがある。

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2012/9/5  21:42

銀粉蝶  映画TV
先月は、簡単に言えば「夏負け」、難しく言えば「自律神経系の不定愁訴」で体調不良、無気力でブログの記事もメロメロだった。今月は体調不良の報告を重ねてもつまらないので、記述したかったことを順次報告したい。旧盆には猛暑で墓参もしなかったが、秋の彼岸には涼しくなり多分体調は戻る。墓参が気がかりである。きちんと墓参の慣習を全うしなければいい死に方はしない。

NHKの朝の連続テレビ小説は「梅ちゃん先生」、戦後の東京、大田区蒲田のクリニックの物語である。筆者は好き嫌いが激しく今回はあまりよく見てはいない。主題歌が耳障りで全く筆者の感性に合わないからである。よく判らないが歌っているSMAPとは人気グループ歌手なのかどうか。昭和20年代・30年代の内容には全く合わない。よくこんな歌が採用されたものである。東北(東日本)大震災応援歌の『花は咲く』と好対照なのが面白い。この歌は名歌だ。

2年前の「ゲゲゲの女房」「てっぱん」「おひさま」は、ドラマの内容もよく、主題歌も良かった。「ゲゲゲの女房」は太平洋戦争で九死に一生を得た漫画家の“水木しげる”の話、「てっぱん」はベテラン女優の藤純子、「おひさま」は何よりも若尾文子の出演である。「てっぱん」は総集編を録画した。主題歌のトランペット曲「ひまわり」は、ヴァイオリン奏者・葉加瀬太郎の作曲だから当然か…。

「梅ちゃん先生」には、いつものことだがベテラン俳優が脇を固めている。父親役は高橋克実、祖母は何と倍賞美津子、クリニックの看護師役に出演しているベテラン女優が銀粉蝶。アングラ劇団出身?で“ぎんぷんちょう”と云う。昭和27年生まれで丁度60歳。本名は「吉田輝子」。年齢のせいかなぜか昔の新東宝の「吉田輝雄」を連想してしまう。菅原文太は同期である。銀粉蝶は、民放各局のスリラードラマ!?などには欠かせない脇役である。筆者はこのような殺人犯人であるような、ないようなまことに存在感ある俳優・女優が好きである。いずれこのブログで名脇役と称された俳優を列挙してみたい。

添付はインターネットより拝借。

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