2013/1/31  21:01

変換ミス・誤用  身辺些事
ここのところ次から次へ“事件発生”で、長年の日本の政治問題なのに「公務員の待遇」はあまり顧みられない。手持ちの資料も問題の本質を突いていないから過日報道された「退職金減額」問題はよく判らない。筆者は中小企業も、それも小企業だったので退職金はあるだけで“良し”と自分を納得させた。実際、教職員や警察官が手取りで「2700万円」もの退職金を手にするとも思えない。だが月給・ボーナスなど定年後の年金も“民間平均”とは、かけ離れた?金額なのを無視するから100万円の減額で「聖職者」を捨て去ることになる。三学期終了を待たずに本日で定年退職なら、教員としてはかなりいい加減だ。要するに下々の生活実態を知らないから、或いは知ろうとしないから、所謂サラリーマンの悲劇のように被害者意識旺盛となる。情けない限りだ。

これは多分に労働者意識から抜け切れない「連合」などの組合員かも知れない。筆者も連合に07年間、所属したことがあるから解るが、公務員組合の組合員と中小企業の社員の本給では天地の開きがあった。彼らは決して下を見ようとはしない。若い時分、苦労して勉強して教員になったのなら、それなりの選良意識があるはずだ。受け持ちの生徒とあと二か月苦楽を共にできないなら、どう生徒に説明するのか。弁解できない“教導育成”だ。

この種のブログ記事は、どんなに本質を突く記述でも、まずは「妬み・嫉み」としか受け取られないからあまり追求しても仕方が無い。だが民間企業では「退職引当金」を積んで置かなければ、それだけのことである。自治体は原資が無ければ、いとも簡単に地方債を金融機関に受けさせても当然の如くべらぼうな報酬となる。閑話休題。

体調が今年になっても良くないので、発表する機会と費用があればこその話だが、自分の文章を精査している。下手だが投稿歌、昭和史、ブログ記事、画像など。ブログだから公序良俗に反しないかぎりその吐露は、日記と同じで許される筈だ。然し他人が読んでも詰まらない、と思われれば、それはそれでこれ又、仕方がない。短歌も「自分の生活の小さくても発見」がないと選者には了承されない。ブログ記事は5年間で650点あった。100点削除して、550点、更に10分の1くらいの50点は、発見のある記事になるかも知れないと、今、推敲している。その中の一つを披露…。パソコン全盛時代なればこそのお粗末な誤用だった。昨年のいわゆる終戦記念日、TBSが偶然か、無知なのか、意図的なのか、テロップを間違えた。天皇の「お言葉」の最後の部分である。

「戦陣に散り戦禍に倒れた」を
先人に釣り戦火に倒れた」と当初報道した。

昔なら責任者は切腹ものである。言霊信仰の国、日本は今、差別表現という問題に直面している。皇室への好き嫌い、日本の政治機構の好き嫌いは個人個人にある。だが少なくとも日本国憲法の第一条で「国民統合の象徴」とされる方の発言である。これは明らかな逆差別だ。「少々間違えました」で済む問題なのか…。小学生でも「戦陣」と「先人」の違いは判る。

「日米開戦への道」の5回目でまだ完成していない。これも推敲、続行中。

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2013/1/26  14:28

金目商店街  身辺些事
筆者の居住する平塚市郊外の金目(かなめ)地区は、昔は「神奈川県中郡金目村」と称して典型的な農村だった。昭和40年以前はマイカーなど皆無に等しく、村の集落にトラックなどとが入り込んで来ただけで子供達には、大騒ぎだった記憶がある。今、容易にネットで「平塚市金目商店街」を検索すると53店舗が加盟と表示される。だが平成25年・2013年の商店は、筆者が勘定するだけで10店舗くらいである。確かに農村だったころの移動は、歩行、農作業の牛車、あるいは自転車、リヤカーである。生活必需品は個人商店にそれぞれ求めるしか無かった。今は極端に云えば、買い物は、郊外の大駐車場完備のスーパー乃至はコンビニに限られる。したがって昔の、市と市との往還道沿いの個人商店は、近所の主婦相手のみで商売としては軒並みアウトである。

大晦日に「灯油」の新年の販売はいつからとスタンドの店員に訊いたら「今日で閉鎖です」とのたまわられた。びっくりである。これもネット検索すると「消防法改正」でガソリンスタンドの地下タンクは補修するか、交換するかで1基1千万円も費用がかかるらしい。これでは個人商店のスタンドの経営は成り立たない。筆者などの居住地域は、まだ近くにスタンド、セルフサービスの大型店があるからいい。地方では車に頼るしかなく、また灯油を配達してくれる商店は何物にも替え難いらしい。各家と行政が連携して出資してガソリンスタンド閉鎖を免れた地域もあると報道。

金目商店街は、坂東33カ所観音霊場の「金目山光明寺」を起点とした歴史がある。今は生活必需品を個人商店で求める人は少ない。この商店街の残る店は、洋品「尾張屋」、菓子舗「山口屋」「小巻屋」、「西山魚店」である。往還道に沿う他の店は、クリーニング店、スーパー、信用金庫、歯科医院、呑み屋、鍼灸院、自動車整備、デイケア、材木店などあるが、衣食住に関する個人商店とは言い難い。大晦日で「ガソリンスタンド」は閉鎖、倒産している「三河屋豆腐店」(鎌倉小町も経営)の解体工事が、年明けから始まった。

蛇足だが、つい最近NHKBSで放送された森繁久弥主演『警察日記』は、昭和30年の映画で東北会津の往時の農村が描かれている。以前見た昭和33年の『鰯雲』は、淡島千景主演で往時の小田急沿線がカラーで描かれていた。これらを見ると幼いころの風景が蘇る。神奈川県北部の発展は、この小田急電鉄によるところが大。更に言えば昭和38年頃に「東海大学」ができてから、あるいは箱根行の「ロマンスカー」が運行されてからこの大山山麓は変わった。由緒ある大根(おおね)駅が「東海大学前駅」と昭和の終わりに変更された。何しろ大学周辺の町の発展は目を瞠る。昔の農村を知る者としては…。

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2013/1/15  9:33

ヨイトマケの唄  昭和史
筆者の掲示板には、撮りたての画像を記事と共に投稿していただける方がある。有り難いことである。Tomikokoさんはその一人。関西在住で今上天皇と同世代。つい先日は「NHK紅白歌合戦・ヨイトマケの唄」の感想だった。≪77歳の美輪さんの「ヨイトマケの唄」は、戦前、戦中、戦後の激動の時代を、貧しく苦しくとも互いにかばい合い、生き抜いた親子の絆を描いた歌ですね。SMAPの木村拓哉さんが「親が子を思い、子が親を思う、無償の愛の歌をお届けします」と紹介したが、私たちの昭和の歴史ですね。暗転したステージに「父ちゃんのためならエンヤーコーラー」と、振り絞るような声が響く。民族音楽を思わせる太鼓が続く。60年ほど前のニッポンの原風景を綺麗に歌いました。私は一番感動しました≫

筆者の返信は以下の通り。≪「こんにちは。今日は外は冷たい雨で、こちら方面の風物詩「どんど焼き」は中止です。明日に延期でも雨に打たれたものが、明日は燃えるかどうかです。小生は最近「紅白歌合戦」は見ていません。島倉千代子・都はるみ・八代亜紀の演歌御三家が出ないのはどうか、と思います。美輪明宏は残念ながら見ませんでした。ですがこの人の「ヨイトマケの唄」は評価しています。昭和41年の発表です。ビートルズが来日、公演しました。当時小生は20歳代前半。レコードも購入、所持保存しています。≫(以下、三輪の経歴・昭和41年はウィキペディア参照・引用)

当時の丸山明宏は31歳。後、三島由紀夫の戯曲『黒蜥蜴』で、その地位を不動のものとする。「シスターボーイ」と称され、“その道”の先駆者だった。 三輪明宏は長崎原爆の被災者でもある。昭和26年・1951年の春に国立音楽大学付属高校進学の為、15歳で上京。家業の倒産をきっかけに中退、翌1952年、当時17歳の美輪は、銀座のシャンソン喫茶『銀巴里』の美少年募集の張り紙をきっかけに、銀巴里との専属契約を交わし、歌手デビュー。その後の活躍と華麗な交遊は本人の才能と努力のたまもの。三島由紀夫、吉行淳之介、野坂昭如、寺山修司、なかにし礼等、文化人の支持を得る。

昭和41年頃、筆者は、まだ住み込みの活版印刷の植字工だった。レコードを鳴らすステレオ装置は所持していなかったのに何故購入したのかは記憶にない。ビートルズ公演のときの武道館周辺のものものしい警備が記憶に焼き付いている。4畳半のアパートを借りたのは翌年、昭和42年のこと。「ヨイトマケ」の意味は、筆者の世代なら解るし、その情景も見ているに違いない。便利な時代で隔世の感がある。美輪明宏の絶唱はユーチューブですぐに見ることができる。蛇足ながら昭和41年・1966年は、飛行機墜落が多かったのは何故なのか。今のロシアの事故は飛行機そのものがが古いこと。ベテランの操縦者が少ないからだとの指摘がある。

 住込みの北向きの部屋に寝ねをれば南京虫は夜な夜な現はる
 売り出されし即席ラーメンを煮込みたる彼の朝食は喉を通らず
 荷を載せて靖国通り上り来てビートルズ公演の騒ぎに遭ひき

02月04日 全日空機が東京湾に墜落。(全日空羽田沖墜落事故)
03月04日 カナダ太平洋航空402便着陸失敗事故。
03月05日 英国海外航空機空中分解事故、乗員乗客124名全員が犠牲。
11月13日 全日空機が松山沖に墜落。

04月01日 メートル法完全施行。尺貫法、ヤード・ポンド法使用禁止。
04月29日 東京都中央区銀座にソニービルがオープン。
05月15日 日本テレビ系の演芸番組『笑点』放送開始。
06月29日 ビートルズ来日。日本武道館公演。06月30日、07月01・02日。
09月07日 明星食品が「チャルメラ」を発売。
12月27日 第54国会召集、衆議院解散(黒い霧解散)

◇ヒット歌謡曲
君といつまでも(加山雄三)、悲しい酒(美空ひばり)、
柳ヶ瀬ブルース(美川憲一)、恍惚のブルース(青江三奈)、
夢は夜ひらく(園まり) 星影のワルツ(千昌夫)、
唐獅子牡丹(高倉健)、星のフラメンコ(西郷輝彦)

◇直木賞
第55回(1966年上半期)立原正秋『白い罌粟』
第56回(1966年下半期)五木寛之『蒼ざめた馬を見よ』

◇テレビドラマ
大河ドラマ「源義経」(出演:尾上菊之助・4代目、緒形拳)
朝の連続テレビ小説「おはなはん」

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2013/1/10  9:30

プリントゴッコ  印刷
つい最近まで年賀状を印刷するのに「プリントゴッコ」なる印刷機があって一世を風靡した。印刷機なのだが「器」が相応しい。筆者は昭和40年頃から40年間、印刷会社に勤務したので鉛の活字による「活版印刷」「タイプ印刷」は知っている。現在は殆どがコンピュータによる製版でオフセット印刷である。だから年賀状など葉書専用の「プリントゴッコ」は詳しく知らない。もっぱら賀状・暑中見舞専門だから四人家族なら十分に楽しめたであろう。だがこの印刷器も平成24年にすべてが終了した。一時代が終わったことになる。(以下プリントゴッコ、謄写版(とうしゃばん)印刷、ワードプロセッサは、ネット上の主にウィキペディアなどの記事を参照引用)。

「プリントゴッコ」は、理想科学工業が1977年(昭和52年)から製造・発売していた家庭用小型印刷器。 平成20年06月末に本体の販売終了、事業全体が平成24年12月で完全に終了。この印刷の原理は、インクが原稿フィルムの細かい穴から染み出る「孔版印刷」である。だが少ない枚数でも安価に自由な印刷ができ、主に葉書大だけだが幅広く用いられた。何より高い支持を得たのは誰でもカラフルな印刷ができることらしい。最盛期には年賀状印刷の定番となり、年末になるとTVCMが盛んで文具店や家電量販店に山積みにされるほどの人気商品になった。

謄写版(とうしゃばん)印刷は、ガリ版(がりばん)とも云うが、この普及の経緯は省くとして筆者の小学生・中学生時代は、アマチュアの印刷物は殆どこの印刷方式だった。原理は、ロウ紙と云う特殊な原紙を専用のヤスリ板の上に載せ、鉄筆で書く。その部分は油質の塗料が削れ細かい孔が開く。この作業が「ガリを切る」などと称する。そのあとシルクスクリーンの網のある器具に原紙を取付け、ローラーで転がして原紙の「透かし」部分だけインクが通過して用紙に印刷される仕組み。この印刷方法は、筆者の世代では経験済み。今でも芸術家などが使用。非常に簡易な印刷装置だから持ち運ぶこともでき、何より原紙とインクさえあれば電気などがなくても印刷可能なのが特徴。このため戦後世代は教育現場で多用された。その手軽さから小部数の出版にも多く活用、1950〜1980年代には演劇や映画・テレビ番組の台本、楽譜、文芸同人誌など一時代が築かれた。日本や中国で多く使われた理由は、文字の数が数千・数万種類あったことによるのは容易に推察できる。現在では電気がない地域のアフリカやアジアの教育現場などで多く使われているのは納得。

一昨年亡くなったが名ナレーターとして名高い俳優・佐藤慶は、このガリ版で下積み時代の生計を支えたと云う。後年、山形市の山形謄写印刷資料館に愛用のガリ版用具並びに製作した印刷物が寄贈された。仲代達矢・宇津井健が同期である。ここには出版専門家の「田中栞」さんも訪問している。

ワードプロセッサは、コンピュータで文章を入力、編集、印刷できるシステムで、筆者などは未だに文字入力だけは「シャープ書院」を愛用。ただしもう印字ヘッドが故障、印刷はできない。だがMS・DOS変換が利用可能で“文字データ”を抽出することが出来る。したがって筆者は今でもフロッピーディスクを保存、パソコンへ取り入れるアダプタが活躍。このワープロの歴史は割愛する。昭和53年・1978年、東芝が初の日本語ワードプロセッサ発表した時の値段は630万円だった。ワープロの歴史は短い、パソコンの急激な発達でその歴史は20年くらいだった。だが、ワープロ専用機を支持する熱心な人も多く、50歳代以上の年代には慣れ親しんだ専用機への愛着、電源を入れるだけですぐ使用可能、パソコンのような色々な操作が不要な事が理由として挙げられる。このため2010年現在、ワープロの製造・修理サポートが終了後は、修理専門の業者が既存で残った製品の部品から使えるものを選び出して修理、販売している。

「プリントゴッコ」は葉書専門だったからその歴史は仕方ない。だが「謄写版」は今も愛好家が居て使われている。「ワープロ」も同様、ネットでは販売・修理も盛ん。以上の三つ印刷方式は、印刷会社に関係なく個人が自由にできるものだったが栄枯盛衰を感じさせる。ついでに云えばパソコンで高度の解像力で写真の印刷・あらゆる印刷物が製作可能なのが今では現実。個人の写真屋・印刷会社が廃れるわけである。平塚駅ビルに残っていた写真現像、データ持込みのカメラ店も廃業になった。むろんフィルムカメラさえ探すこともできない。したがって個人的印刷業はむろんのこと経営が成り立たないのは言うまでもない。そのうちNHK総合テレビの「ゆうどきネット」で“あれまだある”のコーナーで紹介されるかも…。

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2013/1/8  13:18

箱根駅伝・小田原  身辺些事
例年通りなら正月02日は、箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)の見学・応援に出かける。場所は通称「湘南道路」の国道134号。箱根駅伝に出場する大学は卒業していないが、甥3人は大東文化大学・城西大学・日本大学出身。3区は横浜市戸塚から平塚までの道程だから、それだけで筆者には感激でもある。毎年、平塚市南部の湘南道路の中心付近での見学だったが今回は、腰椎圧迫骨折で自宅観戦となった。

いわゆる「箱根の上り」で知られる5区への中継所は小田原市内。何年か前からこの中継所は2キロぐらい延び、国道1号のそれまでの「鈴廣」(すずひろ)蒲鉾店の駐車場から撤退している。そこは箱根登山鉄道・風祭駅付近。今は小田原城近くの中心地。箱根駅伝の主催連盟は、この駅伝から瀬古利彦や谷口浩美など国際的なマラソンランナーが、その後、出ないことから剣呑な山登りに平地も増やしてランナーを育てることにしたらしい。つまり持久力・脚力に加えてスピードも要求して大型ランナーをここで発掘しようとしたのだろう。考えてみれば、箱根の山は一にも二にも脚力である。選手の負担が先決。

どのような経緯か知らないが、鈴廣蒲鉾店には丁寧な説明は無かったらしい。鈴廣のその駐車場は、今は蒲鉾博物館?か何かになってしまった。つまり元の状態には戻れない。国道1号線は幹線道路だが片側一車線でとにかく狭い。時間を費やす中継所をそう簡単には設定できないのが真相で、そのためにだけ土地を確保することは不可能。鈴廣が主催・読売新聞などに対して何かの対立の芽を育てたのか?との、憶測はどうやら逆であったらしい。

ともあれ鈴廣から約2キロ先は箱根湯本、早川沿いにあるのが函嶺洞門(かんれいどうもん)。国道1号線の落石防止の為に造られたとの由で、函嶺洞門は、昭和06年竣工の大変古い建築物。当時としては珍しく鉄筋コンクリート製で、王宮をイメージして造られた。その美しさが評価され平成17年に土木遺産に認定された。1931年の完成から既に70年以上経過していて、老朽化が進んでいるが、強度的には問題ないものの、幅員が狭く大型観光バスのすれ違いが困難。そこでバイパスとなる迂回ルートの建設が進められている。(ウィキペディア記事参照)宮ノ下の先の強羅には「函嶺白百合学園」がある。

これもインターネットでの検索で知ったが“函嶺”とは箱根の山の異称であるらしい。そこから塔ノ沢、大平台、宮ノ下、左折して国道1号を進むと小涌谷、芦ノ湯、芦ノ湖に至る。宮ノ下三叉路を進めば強羅、仙石原となる。この角にある宮ノ下・富士屋ホテルは近代史には欠かせない名ホテル。戦前、チャールズ・チャップリンやヘレン・ケラーも宿泊、戦後は昭和天皇も宿泊している。このホテルの経営者三代目・山口堅吉の孫が山口由美氏。『クラシックホテルが語る昭和史』なる文庫を発見した。新潮文庫、発行24年01月。いずれ記述したい。一つ言えることは「箱根」と「軽井沢」は昭和19年・20年に一切空襲が無かったこと…。画像は函嶺洞門。

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2013/1/6  13:41

山田洋次・時代劇  映画TV
この正月は、大晦日に放送された高倉健の映画4本と山田洋次監督の「藤沢周平時代劇三部作」を見た。時代劇三部作は、民放が提携だから放送済みだがCMがうるさいので録画はしておらず、今回、昨年秋にNHKBSで録画したものを見たが3本とも申し分なかった。

高倉健作品はDVDで購入済みの『駅 STATION』、『居酒屋兆治』の2本を除き4本を録画、早速鑑賞した。

◇『幸福の黄色いハンカチ』昭和52年・1977 監督・山田洋次
 倍賞千恵子、武田鉄矢、桃井かおり、渥美清
◇『野性の証明』 昭和53年・1978 監督・佐藤純彌
 薬師丸ひろ子、中野良子、三國連太郎、夏八木勲
◇『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』昭和41年・1966 監督・佐伯清
 池部良、三田佳子、菅原謙二、津川雅彦
◇『遙かなる山の呼び声』昭和55年・1980 監督脚本・山田洋次
 倍賞千恵子、吉岡秀隆、ハナ肇、渥美清、武田鉄矢

『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』はヤクザ映画で、可もなく不可もない。『野性の証明』を除いた3本はまた見たいので保存する。『野性の証明』は高倉主演作品でも最低の出来と云っていい。東北の寒村で大量殺人があったのは、物語上ともかくとして村民の首を刎ねるシーンなど残酷映像のオンパレード、一体何がモチベーションとなってこんな映画ができたのか。原作・森村誠一、製作・角川春樹でおそらく製作者の意向だろう。薬師丸ひろ子、松方弘樹、田中邦衛、丹波哲郎、三国連太郎などそうそうたる俳優が共演していても、いわば史上最低の映画だった。筆者が密かに好きだった「中野良子」など、その良さは何も出ていなかった。語るに落ちる作品であって直ちにHDから削除した。元々映画に関わりない者が製作するとこうなることだと思う。角川映画は、横溝正史作『犬神家の一族』だけで十分である。重ねて言うがハード・ボイルドは日本人の感性に根本的に合わない。暴力肯定はいいが執拗な残酷的映像はよくない。

山田洋次作品の『幸福の黄色いハンカチ』、『遙かなる山の呼び声』の2作品は出来がよく今後も折に触れてみるだろう。とくに前者は昭和52年の封切。この年は『男はつらいよ・渥美清主演』の2本も封切となっている。
◇19作「男はつらいよ 寅次郎と殿様」真野響子・嵐寛寿郎・三木のり平
主な舞台─愛媛県大洲市
◇20作「男はつらいよ 寅次郎頑張れ」藤村志保・中村雅俊・大竹しのぶ
主な舞台─長崎県平戸島

後者は昭和52年の撮影だとしても、『幸福の黄色いハンカチ』・『男はつらいよ19作』『男はつらいよ18作・京マチ子』の撮影は、昭和51年だろう。山田監督が40代でもっとも油が乗っている時代なのは肯定できる。これら4作品の評価は次回にして時代劇三部作の出来は何れも申し分がない。

◇たそがれ清兵衛 平成14年・2002 真田広之・宮沢りえ・丹波哲郎・田中泯
◇隠し剣 鬼の爪 平成16年・2004 永瀬正敏・松たか子・緒形拳・吉岡秀隆
武士の一分 平成18年・2006 木村拓哉・檀れい・坂東三津五郎・緒形拳

「武士の一分」は、藤沢周平『隠し剣秋風抄・盲目剣谺返し』を敷衍・脚色したもの。最後の果し合いのシーンは圧巻。歌舞伎役者・坂東三津五郎が敵役になっている。坂東三津五郎は山田作品の次の「母べえ」では悲劇の大学教授を演じる。緒形拳は、前作「隠し剣鬼の爪」では悪人だったが今回は剣術の師匠。物語は単純だが、上司に騙された妻を離縁し、“武士の一分”として果し合いに挑む姿が描かれる。“赤つぶ貝”によって毒見薬の主人公が盲目になったとは、精査するまでもなく、そういう内容の原作である。下男役の笹野高史が、毎回山田作品でいい味をだしている。現代の名優と云っていい。

筆者には木村拓哉演じる主人公の妻が墓参りするシーンがすぐ判った。北鎌倉・浄智寺の石段が撮影場所だった。この石段と山門は特徴があり時代劇にもふさわしい。製作者のロケハンが成功した。

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2013/1/1  19:41

謹賀新年  身辺些事
新年おめでとうございます。
昨年06月後半、腰椎骨折以来、体調不良が続いています。何とか元通りになるべく治療・リハビリ・食後の運動などに励んでいます。本年もよろしくお願いいたします。

画像は奈良・薬師寺金堂の薬師三尊の本尊。どこの寺社も国宝級の仏像などは撮影できない。だが、薬師寺は金堂の外から撮影できた。昨年の6月初旬で体調はまあまあだった頃。デジカメのズームアップではピントが合わないが、一眼レフのズームなら十分に撮影可能のように思う。しかしもう薬師寺参詣は、旅費も体力も無理のようでもある。パック旅なら可能かも…。

この寺は「高田好胤」師のアイデア、説法、講演による「写経」のたまものであると思う。

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