2013/11/29  11:54

所得隠し  身辺世相
筆者の住むところから良く見えるのが平塚市最北部にある広大な東海大学。最近東海大学の“所得隠し”いわば脱税が指摘されて追徴金が課された。

筆者は貧しい年金生活なので脱税するほどの収入・貯蓄はない。まともな収入と支出なら脱税など有り得ない。意図的な何か、税を逃れようと思うから結局は、ばれることになる。私立大学は何かしら国家の助成金を得ているのだからこれはとんでもない話だ。以下はネットで調べた東海大学の脱税手法

@大学はビルの所有会社に年間約4億円の家賃を支払っていたが、会館内にある部屋を貸していた倶楽部からは家賃を取っていなかった。一方で、倶楽部からは「業務委託料」の名目で年間約2億5千万円を受け取る契約を結んだ。国税局は業務委託に実体がなく、大学が受け取るべき家賃の一部を「委託料」として受け取ったと判断。家賃と委託料の差額のうち、約6億円は大学から、経営が厳しかった倶楽部への寄付行為で実質的な利益供与にあたる。
A校友会館の内装工事費約6億円についても、大学は収益事業の資産として数年に分けて減価償却する必要があったのにせず、これを所得隠しと認定。

頭の悪い、お金に縁のないものにはさっぱり要領を得ない。

数年前、悪質な脱税と指摘されて追徴金を収めたのが芸能人の北島三郎、中村勘三郎、林家正蔵、学者・茂木健一郎。「知らなかった」「御免なさい」で終わりだから気楽なものだ。添付は、また校友会館を造っているのか。「東海大学」は、富士山の眺望を邪魔する悪い大学だ!

 申告洩れ脱税節税相続税吾に縁なき税務署の門 湘南の暇人

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2013/11/26  16:44

隔靴掻痒  身辺世相
猪瀬直樹東京都知事が「医療法人・徳洲会」から5000万円の現金を借りていて、返却したらしいが問題になっている。メディアの記者が声高に「都知事選の政治資金ではなかったのか」と追及していたが、実に詰まらない質問だ。

何故なら石原慎太郎都知事が国政復帰で都知事を辞任したときに「副知事の猪瀬直樹君でいいのではないのか」と“お墨付き”を与えている。もうこれだけで「当選確実」なのだから400万票だったかは、ともかく選挙資金など要らないことになる。自民党だけでなく、集票マシンの公明党も支持すれば盤石だ。

問題は猪瀬氏とは接点のない衆議院議員・徳田毅の父親、徳田虎雄氏の関係。徳洲会グループは医師・看護師だけではない。ここに関わる業者はヤマと居て、集票力がある。核心は、石原慎太郎前都知事の政治資金提供者だった徳田氏との関係はミエミエ。“ある人を介した”との猪瀬氏の発言は、どのメディアも知って居る筈で、庶民には、ここは「隔靴掻痒(かっかそうよう)」「出来レース」と言うしかない。徳洲会から政治資金を提供された政治家は、自民党はじめたくさん居る筈。ここを突くと藪蛇になる。東京地検も安倍政権を倒すつもりも度胸も無いと思う。検察は事件を摘発するのではなく“事件のシナリオ”を作って捜査するのは「村木厚子事件」「小沢一郎事件」で証明済み。

優れたノンフィクションを著わしているものの猪瀬氏は、政治資金と届出など知っていて無頓着だったような気がする。石原氏と徳田氏の関係から挨拶に行って簡単に資金提供を承知したのが実情だろう。当選は確実なのに作家は所詮選挙は素人、お金にも甘い。戦前の日米戦争など無茶なのを知っていて“日米もし戦わば”と日米対立を煽ったメディアを克明に著わしたのが添付の文庫本。今、猪瀬直樹は、メディアの狡さ・怖さを実感しているだろう。戦前「鬼畜米英」と散々戦争を煽った一部メディアは猪瀬氏を追求する資格はない。

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2013/11/21  19:18

若山牧水  日本史
このHPの「短歌の部屋」では「好きな歌」の歌人として6人目に若山牧水を取り上げた。
この歌人は40歳代で亡くなったが、天才的な歌人だ。尾上紫舟に師事し、北原白秋は友人。前田夕暮石川啄木も友人、啄木の最期を看取っている。牧水の歌には山、海、旅、ふるさとの山が多い。遠くを見る心情はより強く、ふるさとの歌は、石川啄木と共通するものがある。

 日本の各地方にその歌碑が多い。

◇白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
◇幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ國ぞ今日も旅ゆく
◇けふもまたこころの鉦をうち鳴しうち鳴しつつあくがれて行く
◇ふるさとの尾鈴のやまのかなしさよ秋もかすみのたなびきて居り
◇白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり
◇多摩川の砂にたんぽぽ咲くころはわれにもおもふひとのあれかし
◇吾木香すすきかるかや秋くさのさびしききはみ君におくらむ
この歌も「名歌」だが歌碑はあるのか。

◇虎杖(いたどり)のわかきをひと夜鹽(しお)に漬けてあくる朝食ふ熱き飯にそへ
は生活がにじみ出ている。HPでは塩の正字“鹽”が出なかった。

短歌の世界は、正岡子規以来の師匠・弟子のラインがある。正岡子規→伊藤左千夫→斎藤茂吉・土屋文明。牧水を中心にすると白秋・夕暮となる。与謝野鉄幹・晶子夫妻は啄木、佐々木信綱とも関連する。明治時代の短歌の先駆者に共通するのは「浪漫主義」「自然・写実」。とにかく牧水の歌は岩波短歌文庫では収まり切れない。精査して「海・山」の歌を選択したい。

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2013/11/17  13:06

中央配置完了  パソコン
小生のホームページの“中央配置”を目指したのが昨年春、着手したのが今年春。ようやく完了した。ホームページビルダーの「どこでも配置モード」は左側に付着。簡単に中央配置にはならない。パソコンが左右にワイドになってからは、個人でも団体でも最近では、あまねく中央配置に作り変えている。このホームページは表紙も入れて72ページがやっと完了した。作り変えるコツは表組を多用することだった。同時に『私解 戦争の昭和史」』のなかの「日米対立」「日米交渉」の松岡洋右外務大臣の経緯、近衛文麿総理大臣の経緯を推敲、改訂した。基本的には二人とも「日米開戦」にNOだった。

残りの未発表は以下の通り。
「私解 戦争の昭和史6−3」─軍部は何故支持されたのか
「私解 戦争の昭和史8」─昭和天皇論
「私解 戦争の昭和史9」─あとがき

この夏は猛暑にて、さながら病床に臥す正岡子規の生活。正岡子規は、晩年は脊椎カリエスだった。腰椎圧迫骨折の数倍の痛さだろう。むろんそんな天才の能力にほど遠いのは、ともかくとして残った項目は、かなり難解。「あとがき」は感想文の域をでないとして、2点の項目は難しい。ありきたりの“読書感想文”ではつまらないし、客観性は無視できない。学校で教えない近代史理解の範囲にとどまるのは止むをえないが「見て見ぬふり」の近代の暗黒を垣間見ることになるかも知れない。

添付は自宅居間よりの富士山。富士山と美人は遠くより眺めるのが肝要。

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2013/11/15  10:08

頁更新113  パソコン
歩いても行ける「花菜ガーデン」の花撮影は、今年2回目、48回目だった。開園3年半だからまでは月二回のペース。昨年春までは、足繁く通っていた。

腰椎圧迫骨折で速歩は儘ならないが、猛暑が去ってからは、ストレッチを開始、足腰の筋肉は何とか、現状維持。眼精疲労が伴わない限り、午前中は少距離なら運転は可能。このガーデンは大分知られたので春秋の“バラ”の季節ではウィークディでも来園者は多い。なるべく過去に撮影した記憶のないものを撮影した。

更新の日付は「11月10日」。筆者の私の実父の命日、中国・広西省で昭和20年の戦病死。病名は、マラリア、肺結核、痔疾と散々である。糧秣、医薬品、転送手段などない時代、終戦後は、日本軍に味方する現地人はない。上官さえ手の施しようはなかった筈。

残された遺児は少しでも、死にたくないのに“打ち捨てられた”者の「代弁者」とならなければならない宿命を自覚する。

春のバラ、秋のバラは、色彩・花弁旺盛で匂いもいい。「花菜ガーデン」の花のシーズンは、これで終わり。あとは冬場の椿、程度。今年はもう一度見学してみるつもり。このフラワーパークは4月〜11月までは何かしらの花が満開。最近は来場者も多い。添付は「パパ・メイアン」。

http://www1.odn.ne.jp/~ceg94520/rekishi/251106bara.html

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2013/11/12  16:18

日米開戦への道  昭和史
ブログの記事をページにまとめた。内容よりHPのページ作りに勤しんだ趣き。ゴシック・赤の部分だけ眺めればいいようにした。日米開戦の責任者と組織。

http://www1.odn.ne.jp/~ceg94520/mumyouan/mumyou11.html

@松岡洋右
松岡は「日米対立」を解消しようとした。ソ連のスターリン、アメリカのルーズヴェルトの世界二大巨頭と話し合いで決着しようとした。英語はペラペラだがむろん松岡にそんな力はない。ナチス軍を閲兵して帰国。舞い上がっていた?
A近衛文麿
「天皇の次に偉い自分が総理大臣なら誰でも言うことを聞く」と簡単に思っていたようだ。自分が軍部に利用されている自覚がないのがこの人物の最大の欠点。木戸幸一に責任転嫁された?
B統帥権
大日本帝国憲法では「統治権」も「統帥権」も天皇にあった。実際には輔弼(内閣)と輔翼(軍事作戦)が責任者。「大本営政府連絡会議」の決定事項は、大日本帝国憲法上、天皇にも拒否権は無かったのが真実。
C参謀本部&軍令部
統帥権は、司馬遼太郎の「魔法の杖」との指摘で先ごろでは知られている。統帥権を行使するのが参謀本部&軍令部。統治権は行政で、予算、装備、人事。統帥権を持つエリート軍人のみ“戦争作戦・戦争遂行”を成し得た。
D大島浩
駐独日本大使。“ドイツ大好き”軍人の典型で、アドルフ・ヒトラーに心酔。誤った情報を最後まで軍部に送り続けた。戦後は少し反省?したのか、沈黙を守った。東京裁判では“5対6”で辛うじて絞首刑を免れる。
E東條英機
いつの世も「総理大臣は軽くてパアがいい」の典型。帝国陸軍のみを熟知。最後まで「中国大陸撤退」を決断出来なかった。その清廉潔白な私生活に、戦後のアメリカの「戦略爆撃調査団」も大いに驚いた。
F嶋田繁太郎
日米開戦時の海軍大臣。この海軍軍人も信念はあやふや。当時の軍令部総長「伏見宮博恭王(ふしみのみやひろやすおう)のドイツ好きを阻止できずいた。東京裁判では、木戸、嶋田とともに僅差で絞首刑を免れた。
G外務省
外務省のサボタージュ・不作為は人事が原因。松岡が多くの主要国大使を更迭して反感を買った。加瀬俊一は、松岡の欧州訪問に同道。「真珠湾攻撃無通告」では米大使館の責任と戦後も言い続けた。これはウソ。
H朝日新聞&毎日新聞
大正デモクラシーから昭和初期は、メディアはリベラルだった。軍人が制服で町も歩けず、嫁の来てもなかった程嫌われた。それが一変したのは「満洲事変」。メディアは、戦争は確実に儲かったのが事実。
I木戸幸一
昭和天皇への確実な情報を意図的に取捨した「内大臣」。陸・海軍中枢部は、“やる気マンマン”だった。責任は全部、軍部に押し付けた。木戸が終始恐れたのは、自分への暗殺・テロである。昭和天皇には面従腹背だった。
◇特別編 昭和天皇
昭和天皇に「戦争責任」があったかどうかは、永遠のテーマ。「あったか、無かったか」で単純に問われれば、それはあったと指摘できる。だが「戦争責任」とは何か、の設問がすでに曖昧模糊。開戦責任・継続責任・終戦決断・道義的責任とある。責任が全て昭和天皇にあると言う人は一義的で無責任。

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2013/11/9  19:37

悼 島倉千代子  昭和史
昭和35年秋、JR錦糸町駅横の「東京楽天地・江東劇場」で“島倉千代子ショー”を観た。この時、島倉は、過密日程の疲労で声が出なくなっていた。筆者は16歳、島倉は22歳。島倉は美空ひばりと並んで歌手として絶頂期。満員で「立ち見」だった。入場料は300円?位だったのか。今では3000円以上だろう。

レコードを鳴らしていわゆる“口パク”だったのか。心無いファンも居て「金返せ!」の声も聞こえた。司会の漫才「晴乃ピーチク・パーチク」が平謝りだった。この江東劇場は今も存在。歌手は当時、ここでショーが開催できれば一流の証だった。

ここでは、何度も昭和30年代の三橋美智也・島倉千代子を記述した。NHK紅白の常連北島三郎・和田アキ子などは実質、島倉の足元にも及ばない。

昨日、島倉千代子が死んだ、肝臓がんで75歳。筆者が10代、20代に親しんだ歌手の死は悲しい。10年程前、乳がんを手術、克服したと思っていた。あまり苦しまなかったと言うが、それは見た目の問題だろう。半年間苦しんだ筈だ。

添付画像の文庫は平成13年12月発行。著者は田勢康弘、昭和19年生まれで当時、日本経済新聞社の論説副主幹。ノンフィクション作家・吉永みち子の紹介で島倉と知り合った。自分のエピソードを加えて、島倉千代子を余すことなく叙述していて好著、再読した。平成10年、田勢の故郷、山形県西置賜(にしおきたま)郡白鷹町における講演会の逸話は面白い。

田勢の2時間の政治の講演半ば「人生いろいろ」を歌いながら、今で謂う“サプライズ”演出で島倉が登場、本物の歌手など見たことのない田勢の親戚を含めた田舎の聴衆30人は喜んで泣く老人も居た。その死は10年早い。合掌

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2013/11/8  17:52

日米対立・日米交渉  昭和史
私解 戦争の昭和史」などといささか偉ぶった恣意的な文章の二つが推敲・完成、転送した。書き直しを意識してから6年になる。出来上がった文章を何度見直しても、これは多量の「昭和史」を読んだ読書感想文の域を出ない。

◇「日米対立」─松岡洋右を中心に─
◇「に米交渉」─近衛文麿の一年間─


今でも松岡洋右は“昭和の悪役”、近衛文麿は“軟弱・無責任”と散々である。前者は靖国神社に合祀されていて、昭和天皇をも嘆かせた。後者は、よくその言動・行動を見ると“日米開戦”などとんでもない、との考えが解る。すべては軍部、特に「大日本帝国陸軍」の頑迷さが中心。個人で云えば内大臣の木戸幸一の責任転嫁、メディアの“戦争遂行”論調の四字熟語の羅列。「欲しがりません勝つまでは」などは愚の骨頂。これを容認したのは、戦争をよく知らない国民だった。

添付の画像の文庫は再読、三読した。日米交渉をテーブルに乗せようとしたアメリカの二人の神父の来日にさり気なく踏み込んでいる。昭和15年、筆者の生まれる4年前の1940年のこと。日米対立を和らげる目的が、実は英国のスパイで、日米対立をむしろ煽る目的だった。近衛文麿が無邪気に喜んだ。日本側すっかり騙されたのが今では解っている。

だが更にこれに疑問符を投げかけたのが「富士屋ホテル」経営者の子孫に当たる山口由美氏。昭和16年、独ソ戦争勃発で“御用済み”の二人の神父が再来日していたのは、昭和史を齧る者には“驚愕の事実”だ。関係者がその宿泊名簿を消し去った痕跡がある由。ならばカソリック神父の矜持を思う。消し去ったのはアメリカの追求を考慮したことが考えられる。いずれにしても外国人が多い「箱根」「軽井沢」には米軍の空襲は一切無かった。

http://www1.odn.ne.jp/~ceg94520/mumyouan/mumyouS03c.html

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2013/11/5  15:51

法人登記  身辺些事
拙宅の近所にいわゆる“お屋敷”がある。公園として三分の一を削られたが、それでも60坪はあるだろう。建坪が40坪はある。緩い坂の下に建築されているから1メートルほどコンクリートの土台がある。本日の画像は、その土台にある「沁み」、単なる水分からくるものだろう。だが見ようによっては“真鯉”が流れに逆らって尾を振っているように見える。

このお屋敷は、筆者の3代前くらい明治時代に祖先を同じくする縁戚。平成16年に亡くなったが2代目の○○業を発展させて、高度成長期の時流に乗り成功。生業の○○業を成功させてそれに関連する会社を幾つも作り、10年程前に公開されていた「高額納税者」では平塚市では上位にあった。2000万円の納税ならその3倍の収入があった筈。一つだけ明かせば、今は、当然どこにでもある“スーパーマーケット”。まだコンビニも宅急便もない昭和40年前後では画期的なものだった。

これ以降個人商店は衰退してゆく。そのお屋敷周辺「1000坪は自分のものだ」と言っていたが、よく調べれば、これが“法人名義”、ヤフーの地図で調べても番地が無い。個人名義でないことが解ろうと言うもの。高度成長期、いくら頑張っても田中角栄氏ではないのだから個人で買収することは不可能。拙宅周辺の老人なら、親戚縁者の土地を勝手に名義変更。法人所有にして仕舞った事実を知っている。

昔は、土地の貸し借り、相互扶助などは阿吽の呼吸、口頭約束で“不動産登記”などは無縁だった。登記は何年か経過すれば有効となるだろう。真鯉に見えるシミは、土地がいつの間に無くなっていた者の悩める“怨霊”だ。

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