2013/11/8  17:52

日米対立・日米交渉  昭和史
私解 戦争の昭和史」などといささか偉ぶった恣意的な文章の二つが推敲・完成、転送した。書き直しを意識してから6年になる。出来上がった文章を何度見直しても、これは多量の「昭和史」を読んだ読書感想文の域を出ない。

◇「日米対立」─松岡洋右を中心に─
◇「に米交渉」─近衛文麿の一年間─


今でも松岡洋右は“昭和の悪役”、近衛文麿は“軟弱・無責任”と散々である。前者は靖国神社に合祀されていて、昭和天皇をも嘆かせた。後者は、よくその言動・行動を見ると“日米開戦”などとんでもない、との考えが解る。すべては軍部、特に「大日本帝国陸軍」の頑迷さが中心。個人で云えば内大臣の木戸幸一の責任転嫁、メディアの“戦争遂行”論調の四字熟語の羅列。「欲しがりません勝つまでは」などは愚の骨頂。これを容認したのは、戦争をよく知らない国民だった。

添付の画像の文庫は再読、三読した。日米交渉をテーブルに乗せようとしたアメリカの二人の神父の来日にさり気なく踏み込んでいる。昭和15年、筆者の生まれる4年前の1940年のこと。日米対立を和らげる目的が、実は英国のスパイで、日米対立をむしろ煽る目的だった。近衛文麿が無邪気に喜んだ。日本側すっかり騙されたのが今では解っている。

だが更にこれに疑問符を投げかけたのが「富士屋ホテル」経営者の子孫に当たる山口由美氏。昭和16年、独ソ戦争勃発で“御用済み”の二人の神父が再来日していたのは、昭和史を齧る者には“驚愕の事実”だ。関係者がその宿泊名簿を消し去った痕跡がある由。ならばカソリック神父の矜持を思う。消し去ったのはアメリカの追求を考慮したことが考えられる。いずれにしても外国人が多い「箱根」「軽井沢」には米軍の空襲は一切無かった。

http://www1.odn.ne.jp/~ceg94520/mumyouan/mumyouS03c.html

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