2013/11/12  16:18

日米開戦への道  昭和史
ブログの記事をページにまとめた。内容よりHPのページ作りに勤しんだ趣き。ゴシック・赤の部分だけ眺めればいいようにした。日米開戦の責任者と組織。

http://www1.odn.ne.jp/~ceg94520/mumyouan/mumyou11.html

@松岡洋右
松岡は「日米対立」を解消しようとした。ソ連のスターリン、アメリカのルーズヴェルトの世界二大巨頭と話し合いで決着しようとした。英語はペラペラだがむろん松岡にそんな力はない。ナチス軍を閲兵して帰国。舞い上がっていた?
A近衛文麿
「天皇の次に偉い自分が総理大臣なら誰でも言うことを聞く」と簡単に思っていたようだ。自分が軍部に利用されている自覚がないのがこの人物の最大の欠点。木戸幸一に責任転嫁された?
B統帥権
大日本帝国憲法では「統治権」も「統帥権」も天皇にあった。実際には輔弼(内閣)と輔翼(軍事作戦)が責任者。「大本営政府連絡会議」の決定事項は、大日本帝国憲法上、天皇にも拒否権は無かったのが真実。
C参謀本部&軍令部
統帥権は、司馬遼太郎の「魔法の杖」との指摘で先ごろでは知られている。統帥権を行使するのが参謀本部&軍令部。統治権は行政で、予算、装備、人事。統帥権を持つエリート軍人のみ“戦争作戦・戦争遂行”を成し得た。
D大島浩
駐独日本大使。“ドイツ大好き”軍人の典型で、アドルフ・ヒトラーに心酔。誤った情報を最後まで軍部に送り続けた。戦後は少し反省?したのか、沈黙を守った。東京裁判では“5対6”で辛うじて絞首刑を免れる。
E東條英機
いつの世も「総理大臣は軽くてパアがいい」の典型。帝国陸軍のみを熟知。最後まで「中国大陸撤退」を決断出来なかった。その清廉潔白な私生活に、戦後のアメリカの「戦略爆撃調査団」も大いに驚いた。
F嶋田繁太郎
日米開戦時の海軍大臣。この海軍軍人も信念はあやふや。当時の軍令部総長「伏見宮博恭王(ふしみのみやひろやすおう)のドイツ好きを阻止できずいた。東京裁判では、木戸、嶋田とともに僅差で絞首刑を免れた。
G外務省
外務省のサボタージュ・不作為は人事が原因。松岡が多くの主要国大使を更迭して反感を買った。加瀬俊一は、松岡の欧州訪問に同道。「真珠湾攻撃無通告」では米大使館の責任と戦後も言い続けた。これはウソ。
H朝日新聞&毎日新聞
大正デモクラシーから昭和初期は、メディアはリベラルだった。軍人が制服で町も歩けず、嫁の来てもなかった程嫌われた。それが一変したのは「満洲事変」。メディアは、戦争は確実に儲かったのが事実。
I木戸幸一
昭和天皇への確実な情報を意図的に取捨した「内大臣」。陸・海軍中枢部は、“やる気マンマン”だった。責任は全部、軍部に押し付けた。木戸が終始恐れたのは、自分への暗殺・テロである。昭和天皇には面従腹背だった。
◇特別編 昭和天皇
昭和天皇に「戦争責任」があったかどうかは、永遠のテーマ。「あったか、無かったか」で単純に問われれば、それはあったと指摘できる。だが「戦争責任」とは何か、の設問がすでに曖昧模糊。開戦責任・継続責任・終戦決断・道義的責任とある。責任が全て昭和天皇にあると言う人は一義的で無責任。

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