2014/1/18  23:07

スカイツリー  身辺些事
このブログで度々記述しているのが、東京・墨田区のスカイツリー。はてさてスカイツリーとは“奇妙な名”と侮っていたが、耳慣れると抵抗が無くなるのは、人間が単純な証拠。わがブログに≪テリトリー東京06墨田区業平≫にも記述したが、筆者が中学入学時、昭和32年上京。以後、多期間過ごしたのが墨田区、戦後12年目の時代で「汚い街」だった。何より敗戦から町が復興し始めていて運河は臭く、小さな町工場の稼働で耳煩く、民間アパートがひしめいていた。墨田区押上・業平など筆者の記憶では、灰色で貧しい人々が暮らす街だった。あれから50数年、押上・業平が脚光を浴びて、「おしなりくん」とは、昔を知る筆者にはただただ面映ゆい。

東武鉄道日光線の浅草から隅田川の鉄橋をゆるゆる超えた最初の駅「業平橋」が「とうきょうスカイツリー駅」に変更になっている。業平は、平安時代初期の歌人・在原業平(ありわらのなりひら)に由来するらしい。

 鉄片を打ち抜くプレス機の連続音耳に残れり業平の街

昨年暮、筆者には53年ぶりになる墨田区錦糸中学の同窓会、その時以来、俄かに交友が復活して、メール交換。小生の淡い希望が、このスカイツリー撮影、今では数少なくなったクラスメイトの経営する「喫茶店」訪問に相成った。錦糸町駅で一か月半ぶり再会のマドンナ!は和服姿。昭和30年代の記憶が甦る至福の時間だった。錦糸公園横の往時の「精工舎」(今のセイコーエプソン)は影も形もない。どぶ川だった「大横川」は水が澄み、歩道が整備されて散歩道になっていた。スカイツリー撮影、浅草・両国を訪問した。15000歩、足腰はへろへろだった。吾妻橋のアサヒビール本社は、“窓拭き”をしていた。

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