2015/6/30  21:32

安全な場所  身辺些事
ここのところ天候不順やら火山噴火などで日本列島の安全は脅かされている。一昨年?は九州、昨年は広島など西日本に豪雨被害が顕著だった。昨年の木曽御嶽山の噴火にも驚いた。今年に入っても各地で噴火の徴候が伝えられる。拙宅に近い所では箱根大涌谷、長野県・浅間山や鹿児島・桜島は相変わらずだし、同じく鹿児島の口永良部島では、島民は帰れなくなった。山形県・蔵王山も徴候があるらしい。日本の領海内の遥か南、西ノ島も止まない噴火で新島になった。筆者の好きな富士山は大丈夫だろうか!?

4年前の三・一一震災より日本列島の自然災害を改めて認識できる。地球は生きている。5月下旬は、温暖な湘南方面も「震度5」の大地震!だった。大地震の後は、地球の奥深くのプレートが動いて火山噴火を誘発するらしい。

今日は新幹線で焼身自殺があり、酒酔い運転の車の事故は絶えない。今年は危険ドラッグの殺傷事件もあった。イジメや通り魔事件、殺人事件は多発、地方ではクマに襲われることもある。原発事故は終息しないし日本列島に安全なところは少ない!

だが探せば安全なところはあるものだ。それは千代田区永田町、予算委員会の衆議院、参議院は安全だ。一般人は厳重にチェックされるし警備は万全だ。「安保法制」とかのテレビ中継やユーチューブを好んで!見るが安全を通り越してのどかなものだ。政権与党の質問はツマラナイから見ないが、民主党・共産党の質問は面白い。ことに民主党は、衆議院議員は80名くらい居るのになぜ辻元清美の質問が多いのか。舌鋒鋭いが、過去の総理大臣、官房長官、法制局長官の発言の“重箱の隅”をつつくことばかり。

総理大臣は抑止力としての集団的自衛権を言うが野党は聞く耳を持たない。彼らが一切口にしないのが中国の覇権、北朝鮮の拉致。ロシアの戦闘機の領空侵犯にはメディアも報道しない。政治家は日本国憲法を遵守するのは当然、だが国民の安全は憲法が守ってくれるわけではない。民主党はまた元に戻ってしまった。百田尚樹発言など枝葉末節のこと。作家は虚の仕事と知るべし。作家のサービス精神旺盛な発言に反応するのは、甚だ幼稚。

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2015/6/28  19:29

旧万世橋駅  身辺世相
テリトリー東京 秋葉原06 旧万世橋駅
秋葉原地区から神田川を渡るのは万世橋と昌平橋。万世橋を渡って行くと程なくJR神田駅に至る。距離にして300m。橋の南脇には「肉の万世」の豪華なビルがある。筆者は、肉食は苦手なのでこれはパス。中央通りの向こう側にあったのが「交通博物館」、これは規模を大きくして埼玉県へ移転した。今はJRのビルが出来ている。だが無くさないのは「旧万世橋駅」。ホームも引き込み線も撤去できないのが正解だろう。東京駅から山手線を横切る中央線は大動脈なのでこれは止められない。

ネットで「肉の万世ビル」から撮影した画像を勝手に拝借した。中央線電車の左側にあるのが旧万世橋駅のホーム。しばしばテレビ番組でホームの下部(地上部分)の駅舎・階段などが紹介される。右側の引き込み線の下が赤レンガに囲まれ残っている。2年前、ここが再開発され、少しくモダンな「マーチエキュート神田万世橋」となった。これもメディアで紹介された。店舗は装飾品の店、レストラン、カフェといった按配。“売り”は神田川を臨むレストラン、中央線がスレスレに通る展望の旧ホームにあるレストラン。だがどうもオジサンが勇躍訪問する処でないは確か!

ネットで調べた限りだが明治45年、開業のときは、まだ東京駅は無く、新橋、上野と同様、地方へ行く始発駅だったという。万世橋が営業中止になったのは昭和18年。想像はつくが、今の秋葉原駅の北側広場付近には神田青果市場があった。つまり中部地方から青果の到着がメインであったに違いない。

やはりこれも同じ設計者からなる「赤レンガ」の建物、東京駅は造りかえられ、万世橋はそのまま残された。設計者の辰野金吾は日本銀行本店、日本銀行小樽支店、旧国技館などを設計。日銀に縁はないが荘厳な建造物だと思う。

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2015/6/25  22:21

神田練塀町  身辺世相
テリトリー東京 秋葉原05 神田練塀町
4年前の1月に「神田練塀町」を記述した。今回はその続きになる。あくまで筆者のテリトリー東京・最終回!の秋葉原の一連。なにしろ34年間半を勤務した会社の存在地、よくも悪くも愛着があるし歴史もある。前回の取っ掛かりは、その町名の読み方だった。“ねりべい”の歴史を知れば簡単なのだが「れんべいちょう」と言っていた人が居て、笑うに笑えない。その人物が神田生まれだから始末が悪い。思い込みにしても東京の中心地に住むと歴史には無頓着。更に始末が悪いことに、その人物が勤務先の社長のお嬢様だった。経緯は省くが我儘なお嬢様は「出戻り」で且つ「行かず後家」だった。

千代田区のHPにはその歴史の案内がある。以下は要約。≪練塀(ねりべい)とは、瓦と練土を交互に積みあげ、上を瓦で葺いた土塀。瓦と土の縞模様は関東ではとくに武士たちに好まれた。江戸時代、この界隈は練塀が一帯に広がる武家地、南北に神田から下谷まで通じる道には、立派な練塀の屋敷が多く「下谷練塀小路」と呼ばれた。正式な町名は明治05年(1872年)、昭和22年、千代田区ができたときに神田練塀町となる。大正12年の関東大震災後に、神田青果市場ができると、練塀町は東京の物流拠点となった。≫

秋葉原は、今の「つくばエクスプレス」が開通、家電量販店の「ヨドバシカメラ」が出来てから様変わりした。この周辺の町名を探索。つくばエクスプレス駅の地上部分区道を挟んで存在するビルは“目と鼻の先”だが町名が違う。
◇富士ソフトビル 神田練塀町
◇秋葉原センタープレイスビル 神田相生町
◇ヨドバシカメラ 神田花岡町

秋葉原駅南側は、神田佐久間町、神田川を越えれば神田岩本町、神田松下町、神田富山町、神田乗物町、神田紺屋町、神田美倉町がある。「神田」を冠する町は須田町、小川町、淡路町、多町、司町、駿河台等々。明治大学西側の猿楽町(さるがくちょう)は先頃「神田」の名を冠する決議が為された。江戸時代は今の東京駅以東は屋敷町で淋しかったに違いない。千代田区の「神田」と中央区の「日本橋」を冠する町は江戸経済の中心地だった。江戸の歴史が何だ!とも思うが地域の当事者のこだわりはどこも同じ。

 神田の名復活さるる「猿楽町」思ひ出してゐる坂多き街 平成26年

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2015/6/24  19:10

神田川  身辺世相
テリトリー東京 秋葉原04 神田川
神田川と云えば、南こうせつの神田川」のメロディが浮かび、それから青黒く淀んだ川の風景を思い浮かべる。この歌が一世を風靡したのは、昭和48年、当時は多分、生活排水などが流れ込んで相当汚れていた筈だ。今、水質は明らかに良くなっている。JR水道橋駅西口を降り、後楽園に至る神田川を跨ぐ陸橋から眺めれば、川面の真鯉、緋鯉の群が見られる。

神田川はJR吉祥寺付近にある「井の頭公園」が源らしい。三鷹市から東京北部の杉並区・渋谷区を通り、新宿区の高田馬場付近からJR山手線の内側に入る。文京区の江戸川橋、飯田橋付近から川らしくなる。地図を見ても正直言って高田馬場以西はよく知らない。新宿・渋谷は完全にテリトリーの外側の町。ただ目白の「椿山荘」は訪れてみたい。元勲・山縣有朋の別邸。

筆者が知る神田川は、あくまで秋葉原・御茶ノ水附近だ。昨年05月17日「ある軍人の死」として旧勤務先の社長の死亡記事を載せた。今生きていれば100歳、99歳の大往生だった。社長の息子の専務は、平成03年、49歳で癌死だった。昭和から平成時代に入った頃は、活版からデジタルへ移行する印刷技術の所謂“端境期”。鉛の活字の活版技術は、大きな転換期だった。社長はリアルタイムで二・二六事件を記憶していた。大正・昭和・平成を生きた旧「神田金澤町」を体現したとも云える。

 葬儀場の窓より見下ろす神田川疾駆するボート万世橋を潜る 平成26年

水上バスの「神田川クルーズ」がある。日本橋乗場から反時計回りに運航される。日本橋→江戸橋→隅田川(永代橋・清洲橋・両国橋)→神田川(浅草橋・万世橋・聖橋)→日本橋川→一ツ橋→常盤橋→日本橋。水道橋西口の後楽園庭園付近から南に別れるのが日本橋川。この川の上を行くのが首都高速道路。ある意味無粋な、それでいて首都ならでは風景。

ブログ記事によく掲載されるのが、JR御茶ノ水附近の聖橋、加えて東京メトロ・丸ノ内線の陸橋を潜る辺り。添付は万世橋付近の神田川と昌平橋。2枚目は地下鉄丸の内線の陸橋、聖橋から。黄の電車は総武線、赤の電車は中央線。水上バスは、隅田川・神田川の満潮に左右されれば潜れない筈!加えて川幅の無い処で怖いもの見たさもある。神田川は水道橋付近で日本橋川に別れる。日本橋川の上を行くのが首都高環状線。首都東京の大動脈を江戸時代の大動脈だった隅田川と運河から眺めるのも大いなる意味がある。

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2015/6/20  22:49

神田界隈の老舗  身辺世相
テリトリー東京 秋葉原03 神田界隈の老舗
秋葉原・外神田から昌平橋を越えた神田郵便局の東側にあるのが4軒の老舗。池波正太郎のエッセイに登場、食べログ、東京散歩の本、テレビ番組でもしばしば紹介される。古い順から、あんこう鍋いせ源、神田藪そば、神田まつや、甘味処竹むら。

神田藪そば」は神田淡路町、道を隔てて3軒は神田須田町。2年前02月に記述したが「神田やぶそば」は漏電で半焼、それは表通りから見てのこと、歴史ある肝腎の厨房は全焼だった。耐火・耐震性に強い厨房と店舗が完成、営業は昨秋、再開された。この「神田やぶそば」の前の脇道を行くと「しるこ・竹むら」「名代あんこう鍋・いせ源」がある。この2軒は向かい合わせ。「神田まつや」という蕎麦屋も更に脇道を入ったところ。ここは神田淡路町交差点から「靖国通り」を直進、万世橋に近くJR秋葉原駅にも近い。

いせ源は天保元年・1830年創業、藪そばも江戸末期創業、神田まつやは明治時代の創業。竹むらは昭和5年創業。この4つの店は、夫々二、三回ほど行っている。藪そば派、まつや派と好みは二分される。“つう”ではないので判定し難い。「やぶそば」の一人前は、量が少ないこと、「まつや」は、東側から入り、西側出口から出る、トコロテン方式の客捌きに長居はできない。

筆者は、肉食は嫌いだが魚料理は何でもいい、だが鮟鱇は、肉そのものの食感で好きではない。これは個人の好き嫌い。下戸の筆者は甘味処の「しるこ竹むら」がいちばんいい。揚げ饅頭が有名だが、みつまめがおすすめ。揚げ饅頭の中身が餡子だからが重要な!?理由。何れも歯にやさしく筆者にはうってつけ。二年前発行した短歌文庫の書名とした相生坂、昌平坂、湯島聖堂、神田明神にも近く正にテリトリー秋葉原の老舗だった。神田明神下には蒲焼「神田川」がある。須田町交差点にあった「万惣フルーツパーラー」は、3年前閉鎖された。ビルが耐火基準に満たされないのが理由。池波正太郎は、ホットケーキを愛した。万惣は高級果物店だった。

残されている池波正太郎の画像は煙草をくわえている。10年程前?から秋葉原地区は全面禁煙。池波も嘆いている。そういう時代にしても秋葉原から昌平橋を越えて老舗に向かう高架下はビラがベタベタ貼られ、汚く橋の脇にある公衆トイレは汚い。千代田区の行政もなにかちぐはぐだ。

 為政者を罵るビラの色褪せて高架下に棲むホームレス一人 平成14年

添付は火災前の画像。竹むらはネットより拝借。

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2015/6/18  23:36

神田祭  身辺世相
テリトリー東京 秋葉原02 神田祭
昭和45年から34年間、秋葉原の小さな会社に勤務したから神田祭」には馴染があった。会社も神田神社(神田明神)の氏子だった。平成09年までは、土曜日も勤務だったから5月第2週の土・日に行われる祭を土曜日のみ観たことはある。興味が涌いたのはビデオカメラに凝ってVHSに編集・ダビングしたからと記憶。デジカメが勃興したのは平成11年。平成07・09年は8oビデオカメラ、11年にはソニーのデジタルビデオカメラで撮影した。デジカメ撮影開始は平成13年。神田祭は隔年ごとの開催。平成23年は東北の大震災で開催が中止。25年・27年は腰を痛めたので、もう撮影は無理になった。筆者の画像記録に残っているのは、13〜21年までの4回。添付の画像は19年のもの。

通称・神田明神祭の紀元は江戸時代。赤坂山王権現、日枝神社の大祭と共に江戸三大祭、当初は毎年行われていた。この祭は、江戸っ子、神田っ子の祭として京都の祇園祭、大阪の天満天神祭の両祭と共に日本三大祭とも云う。浅草三社祭、深川祭とは性格を異にするのか。神田・日本橋の冠る町内には、夫々神輿がある。5月第2日曜の朝8時半から夕方まで各町内の神輿の宮入が延々と行われ、その数100基はある。神殿の前で魂を注入!する巫女の鳴らす鈴の音は、リズムがあって清らか、耳の奥に残る。今では神殿に近いところからのライブ中継もある。

 江戸文字の墨の著けき提灯に「金澤町」はよみがへりをり 平成15年

手古舞は神輿の先導役、鳶の者が土木作業をする際に、手棍(てこ)を使って木や石を動かしたことが発端。江戸時代の鳶は、山車を組み立て、その山車を引き回すときには警護もした。後に芸者や氏子町の娘達がこの「手棍前」の格好を真似て、山車の引き回しに付き添うようになった。花街の芸者などが男の格好をしたのが現在の名残。今では地域の若い女性、また小中学生以下の少女扮する。山車は消滅しているがカメラ愛好者には格好の的だ。

「てんてこまい」の語源は「てんてこ」で、祭囃子や里神楽で用いる小太鼓の音のこと。音に合わせて慌しく舞う姿から、「てんてこ舞い」。

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2015/6/15  23:24

大横川  身辺世相
テリトリー東京 番外編
昨日の短歌会例会で次の歌が話題になった。

 両岸に花溢れゐる大横川日々の移りを愛でて楽しむ

「移りを」は「移ろひ」がいいと批評があった。作者は深川のマンションに住む。

当然、東京江東区・墨田区の居住の経験が無ければ知らないのが「大横川」。筆者は中学入学時から東京墨田区横川橋に住んだからこの川を知っている。この歌の場合、「大横川」という固有名詞が生きたかどうかだった。

墨田区and江東区の川や運河の名を知っているが、改めてヤフーの地図で検索した。地図の北を上にすれば、やや斜めだが一応隅田川は南北に進む。スカイツリーのある吾妻橋から東に流れるのが北十間川、首都高小松川線が上を走るのが堅川、地番は立川、万年橋からほぼ東に流れるのが小名木川、隅田川の入り口の万年橋際には芭蕉の「古池や〜」の句で有名、旧中川、荒川へ通じる。一直線なのが人工的ですぐ解る、江戸開府の産物。

北十間川から業平附近で南北に下るのが大横川、押上附近から南北に延びるのが横十間川、これは仙台堀川にぶつかり木場へ至る。仙台堀川は東西に延びるが、文字通り堀の雰囲気で川とは言えない、運河だろう。池波正太郎が深川を「東洋のベニス」と形容していたし、藤沢周平作品にも深川がよく出てくる。江戸城を中心に考えれば東側の横にあるから “横川”と名がついたらしいが、今では南北に流れるなら“”ではないのか!?と思う。墨田区・江東区は町筋が碁盤の目のようで江戸期以降の産物だ。

ともあれ中学入学時の高度成長時代は、大横川には工場排水が垂れ流され、異臭漂うドブ川だった。堅川以北は親水公園になって、以南の堤には桜が植えられ散歩コースになった。江東区中心部は、高層団地の走りで、今では高層マンションも多い。結構なことではないのか。「宝くじが当たったら」隅田川及び深川の運河に面するところにワンルームマンションを買うのが理想。

添付は小名木川と万年橋。この左側に「芭蕉公園」がある。

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2015/6/12  17:21

電気街  身辺世相
テリトリー東京I 秋葉原01 電気街
筆者の東京生活を“テリトリー東京”として一昨年・昨年に記述・回想した。正確には昭和32(1957)年(中学校入学)から57(1982)年までの25年間。以後、平成16年(2004)まで22年間は、神奈川県平塚市から秋葉原まで毎日往復4時間の通勤。千代田区外神田の会社勤務は、昭和45年(1970)、25歳からの34年間。計47年間。この詳説は割愛して「テリトリー東京」はこれまで9回。

@千代田区神田明神下A江東区佐賀町・永代橋B江東区門前仲町C神田神保町D墨田区錦糸町E墨田区業平F中央区日本橋G台東区浅草H東京駅だった。番外編として墨田区石原町。実際に居住したのは、墨田区業平・墨田区錦糸町・江東区佐賀町・墨田区立花(事実上江東区亀戸)、他は勤務先と読書や映画など好んで訪れた処。

神田明神下は交差点の名称、所謂“秋葉原”の西側の一角。正確にはJR秋葉原駅はあるが町名にはない。駅の西側は、千代田区外神田、東北側は神田松永町、神田練塀町、東南は神田佐久間町、外神田から神田川を越えれば神田淡路町。つい最近まで「鉄道博物館」があった。

秋葉原は、戦後70年間の東京の部分にせよ栄枯盛衰を象徴する。昔は電気製品なら先ず秋葉原電気街で購入するのが都民の習性だった。車社会の発達で、郊外型の量販店と駅前の量販店に今では二極化された。都市生活及び通勤圏拡大が秋葉原の構造改革を促した。更に考えられなかった通販の勃興、携帯電話の発達が消費生活を変えた。

 新しきCD機器を開けるとき金属のにほひ立ち昇りたり 平成12年

秋葉原は駅のホーム東側の操車場跡が開発されて「つくばエクスプレスが開通、「ヨドバシカメラ」ができて従来の量販店は姿を消した。石丸電気、ヤマギワ電気は無くなり、ラオックスは中国資本になった。若者を引き付けるためかメイドカフェ・ネットカフェなるものが勃興。

昭和の後半からは録画機・ビデオデッキが電化製品の一角を為し、ビデオカメラにも凝って更にS端子などコードに拘った。今では「ブルーレイディスク」に統一されて録画機ベータで敗れたソニーは名誉を回復した形。オーディオ製品は下火だが根強いファンがいる。録画とオーディオ趣味は秋葉原勤務が原点だ。秋葉原は様変わりしたが」、パソコン・オーディオのパーツのこじんまりした店は健在。外神田の入り組んだ路地にはまだ昔の秋葉原の風情は残る。

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2015/6/10  21:40

隔靴掻痒  身辺世相
国会では「安全保障法制」の審議が行われているが、これが何とも抽象的。与党も野党もいささか不真面目。政治に素人の庶民からみるとよく解らない。たくさんの法案における国の安全は、野党は理想論が先行、政治的には手続き論に終始しているように思う。民主党は「安倍総理大臣がアメリカと約束したから」乃至は自衛隊の参戦の仮定のいわゆる“たら・れば”を中谷防衛大臣に絞って攻める。日本共産党はあくまで「戦争は嫌です」が基本、公明党は金魚の○と言ったら失礼か。

国の重要な審議なのにある党の政治家は、居眠りし、雑誌の回し読み、スマホを扱っている議員もいるらしい。与党を攻める民主党・後藤某は泥酔してタクシー運転手とトラブル、これは“オウンゴール”。野党は本当に日本を憂えているのか疑わしいが、これも仕方がないように思う。すべては「タテマエ」なのを与党も共有している。日本の長閑な国会審議を横目に大国中国は着々と南シナ海の他国の領土の島を埋め立て、軍事基地を造っている。

弁護士出身でビジネス感覚の米・オバマ大統領も軍部から忠告?されて重い腰を上げた。アメリカの基本はあくまでロシアの「クリミア併合」、だが欧州各国はエネルギーをロシアに握られている。ドイツサミットでメルケル首相に喚起されて、名指ししないが中国の「力の支配」を共同書に盛り込んだ。これは日本の首相の小さな!手柄。外交の専門家の見立てでは米中は一触即発の危険を孕んでいるらしく、与野党議員はそれを知っていて“見て見ぬふり”らしい。

だが中国・習近平も穏やかではない。香港の若者がまた結集しつつあるらしく、中国共産党内部の抗争も外部から窺えないシロモノだし、中国バブル崩壊も進んでいるのは確実。中国もアメリカもロシアも情報収集活発なのが、北朝鮮の「もしも」の現実。これは不確定だが、さすがにもう国家破産?は、現実味を帯びているらしい。長閑な国会審議はやはり隔靴掻痒、切歯扼腕。

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2015/6/6  22:53

伊勢志摩サミット  身辺世相
40回目のサミット(先進国首脳会議)に出かける前に安倍晋三総理大臣は、来年の議長国・日本の開催地を表明した。三重県志摩市の賢島が中心になる。決め手は警備の都合だと言うが、筆者は、伊勢神宮が近いので多分ここになるだろうと思っていた。他には仙台市、新潟市、軽井沢町、浜松市、名古屋市、神戸市、広島市だった。米議会演説の後では、広島では生々しい。仙台、新潟では首都圏から離れている。名古屋、神戸では地方とは言いにくい。軽井沢町、浜松も有力な候補地だったと思うが、総理の判断は伊勢志摩、同所はいちばん最後の“名乗り”だったというが、打診したのが官邸だったとの報道もある。

決定するのは議長国の首相だから、どうも総理の意向は、最初から伊勢志摩だったのではないか。安保法制でうるさい?民主党の委員長は、元自民党の岡田克也で三重県選出、ここにも配慮したのかと言えば、これは天邪鬼の深読み!と浅読み!

総理のスローガンは「美しい国日本」。「大小の島々、美しい入り江、志摩には日本の原風景ともいえる美しい自然がある」と強調、「伊勢神宮は悠久の歴史を紡いできた。日本の精神性に触れるには大変よい場所だ」と指摘。「是非各国首脳たちと伊勢神宮の荘厳で凛とした空気を共有できればよい」と語った。

何度も記述するが安倍総理大臣は、どうも経済・財政は詳しくないし“アベノミクス”も影の演出者が居るように思う。強いのは外交、2年半で50ヵ国以上、外国へ出かけているのがその表れ。ここは外交力の発揮する最高のチャンス、日本の友好国のインド、ブラジル、インドネシア、中国と対立するベトナムやフィリピンの首脳を招待したらどうか。中国・韓国は呼ばない!?のが賢明。近代日本の遺産、軍艦島などの世界遺産登録勧告までイチャモンを付けた両国にはきちんと意趣返しすべきだ。それが武器の無い戦争・外交だと思う。ここまでなら独断と偏見だが、ヘイトスピーチにはならないだろう。

添付は伊勢神宮・内宮の横を流れる五十鈴川、平成20年撮影。

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