2015/6/18  23:36

神田祭  身辺世相
テリトリー東京 秋葉原02 神田祭
昭和45年から34年間、秋葉原の小さな会社に勤務したから神田祭」には馴染があった。会社も神田神社(神田明神)の氏子だった。平成09年までは、土曜日も勤務だったから5月第2週の土・日に行われる祭を土曜日のみ観たことはある。興味が涌いたのはビデオカメラに凝ってVHSに編集・ダビングしたからと記憶。デジカメが勃興したのは平成11年。平成07・09年は8oビデオカメラ、11年にはソニーのデジタルビデオカメラで撮影した。デジカメ撮影開始は平成13年。神田祭は隔年ごとの開催。平成23年は東北の大震災で開催が中止。25年・27年は腰を痛めたので、もう撮影は無理になった。筆者の画像記録に残っているのは、13〜21年までの4回。添付の画像は19年のもの。

通称・神田明神祭の紀元は江戸時代。赤坂山王権現、日枝神社の大祭と共に江戸三大祭、当初は毎年行われていた。この祭は、江戸っ子、神田っ子の祭として京都の祇園祭、大阪の天満天神祭の両祭と共に日本三大祭とも云う。浅草三社祭、深川祭とは性格を異にするのか。神田・日本橋の冠る町内には、夫々神輿がある。5月第2日曜の朝8時半から夕方まで各町内の神輿の宮入が延々と行われ、その数100基はある。神殿の前で魂を注入!する巫女の鳴らす鈴の音は、リズムがあって清らか、耳の奥に残る。今では神殿に近いところからのライブ中継もある。

 江戸文字の墨の著けき提灯に「金澤町」はよみがへりをり 平成15年

手古舞は神輿の先導役、鳶の者が土木作業をする際に、手棍(てこ)を使って木や石を動かしたことが発端。江戸時代の鳶は、山車を組み立て、その山車を引き回すときには警護もした。後に芸者や氏子町の娘達がこの「手棍前」の格好を真似て、山車の引き回しに付き添うようになった。花街の芸者などが男の格好をしたのが現在の名残。今では地域の若い女性、また小中学生以下の少女扮する。山車は消滅しているがカメラ愛好者には格好の的だ。

「てんてこまい」の語源は「てんてこ」で、祭囃子や里神楽で用いる小太鼓の音のこと。音に合わせて慌しく舞う姿から、「てんてこ舞い」。

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