2015/7/30  22:12

土下座 and 号泣 01  昭和史
07月26日、テレビ東京「教科書に載ってない20世紀・あの言葉が世界を変えた!?」で、池上彰氏は、ドイツに取材してアドルフ・ヒトラー、松岡洋右を取り上げた。ジョン・ケネディとヒトラーは割愛。ドイツ語・英語に堪能な池上氏ならではの企画。昭和08年・1933年の「国際連盟脱退」に至る松岡の演説は動画が残っている。この昭和15・16年の外務大臣・松岡洋右の4男が88歳で健在だ。御殿場市観光協会のHPにも「松岡別荘陶磁器館」が掲載されていてリンクフリーとは正直驚いた。
 http://gotemba.jp/visit/matsuoka/
ここには昭和史の一級史料が保存されている。この御殿場の近くには岸信介元総理の別荘もある。岸は松岡の義理の甥。

松岡の四男は史郎氏、インタビューでは、松岡が皇居前で土下座したことが証言されている。だがそれが何時かの明言は無かった。昭和16年「日ソ中立条約」締結後の帰国後、迎えに来た近衛文麿首相を無視、皇居前広場へ赴いて挨拶したのは知られている。実子の証言は重い、筆者の推論は、土下座は外務大臣を解任されて以後の日米戦争開戦決定の後だと思う。

「日独伊三国同盟」の推進者として悪い外務大臣として定着している松岡だがこれは正しくない。実質推進したのは外務官僚、リードしたのは独伊の大使、大島浩、白鳥敏夫、昭和12年の「日独伊防共協定」は、近衛文麿総理の責任、日中戦争で日本を泥沼化させたのは陸軍、米内光政・山本五十六・井上成美の海軍トリオも強大な陸軍を阻止できなかった。ナチスドイツを礼讃したのは朝日新聞だった。松岡が昭和16年訪欧したのはヒトラーと同盟を確かめたのではなく、スターリンに会うためだった。ソ連を巻き込んでアメリカに対抗するのが松岡の構想だった。最終目的はルーズヴェルトとの会談だったが、思惑は外れ「僕一生の不覚」という述懐が残っている。アメリカが好きだったのに敵に回してしまったのはやはり不覚。

この他に皇居に向かって一般民衆が土下座したのを昭和20年08月15日、朝日新聞で報道された。また皇居に向かって泣いたのは、昭和20年06月の米内光政、昭和16年12月の東條英機、二人とも総理大臣だった。

今から10年前2005年・平成17年、月刊文藝春秋「1945・終戦後60年総力特集」に外交評論家・加瀬英明氏(戦前戦後の外交官・加瀬俊一の息子)の「捏造された宮城前号泣記事」が掲載されている。教科書にも掲載されている終戦の日の「皇居前の号泣写真」は、朝日新聞が捏造したものだった。朝日新聞の捏造体質はここから始まったと言われれば10年前の指摘だから鋭い。

昭和20年8月15日の朝日新聞の一面(夕刊は無く当時の新聞は裏表のみ)は「戦争終結の大詔渙発さる」という見出しがあり、二面には二重橋の写真の下に「玉砂利握りしめつつ宮城を拝しただ涙、嗚呼胸底抉る六年の戦ひ」の見出し。これが“玉音放送”のあった15日の新聞なのだから、画像は14日以前のもので明らかな嘘だ。つまり新聞は玉音放送が終ったあとに都内の販売店、地方には積み出しがあったので記事も画像も15日の「皇居前の広場」ではない。

加瀬英明氏は、14日に朝日新聞のカメラマンから促されて「皇居に向かっての土下座姿を強要」された青森県の教員の手紙を紹介している。多くの一般民衆はまだ日本の敗戦を知る由もない。新聞社から頼まれれば嫌とは云わない従順な臣民・日本人がここにあった。

加瀬氏の指摘の≪ルビ(ふりがな)は世界で日本にしか無いが新聞には「やらせ」とルビを振るべきである、と思う≫は強烈な皮肉で至言でもある。「慰安婦問題」は、30年間ほったらかしだった。朝日新聞の捏造体質は“終戦の日”から始まった。朝日新聞しか読まない人は、この事すら知らない。

皇居前広場で土下座している丸坊主の少年の動画は、調査不足で解らない。多分これは08月15日以後のことだと思う。

画像は松岡史郎氏、御殿場市観光協会画像より拝借。

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2015/7/28  22:57

感じ悪いよね  身辺世相
10日ほど前「新安保法制」が衆議院予算委員会で採決され、本会議でも可決された。国の安全に関わる重要法案だが、安倍内閣も拙速だし、反対する野党も迫力不足で心許ない。安倍サンには、逆風どころか追い風となっている?としか言いようがないが、台風のような自然現象や飛行機事故などが多発して野党の反対も一向に盛り上がらない。だいいちこの猛暑で国会を取り巻く人達も少ないと思うが、熱中症で倒れたら洒落にもならない。

どうもこの処、このブログでの記述は“右翼”っぽくなって自分でも何だか変だ!!とは思うが、日本という国の国民の安全に関する、国の根幹に関わる問題にしては、理想論に終始し現実を意図的にずらしていると思うからである。問題は梅雨明けの猛暑に比べて少しも熱くない。舞台は参議院に移されたが今日のテレビ中継も相変わらず法制局長官が過去に「こう言った、ああ言った」ということと自衛隊の“たられば”の状態を言うばかり。

予算委員会では、民主党の辻元清美議員は「お願いだからやめて」と手を合わせて叫んでいた。何だか場所と時間の違う“女性のお願い”を想像してしまうが不謹慎なのか!?これではマイナスの効果でしかない。テレビカメラからはきっちりと映るのを計算済で、必要なときに涙も出せる?というから、この議員は女優が向いている。

筆者の外交的感想は中国・北朝鮮・ロシアの脅威だ。なぜ与野党とも知悉して居る筈の脅威を口にしないのだろうか。欧米とイランの「核開発断念の合意」されたが、北朝鮮の中国大使は「一方的に、核を凍結したり、放棄したりするような対話には全く関心がない」と強調、このニュースは日本のメディアも小さな扱いだ。中国の膨張にいちばん敏感な筈の沖縄があくまで反基地・反米なのは皮肉。

平成21年の総選挙で民主党に一票を投じたことはわが人生の悔恨の一つ。平成22年秋の「中国漁船衝突事件」で海上保安庁の職員がユーチューブへ投稿して解ったが菅直人政権はこれを隠した。翌年福島原発事故の対応を誤る。だからこそ24年の総選挙で240人の議員が80人になった。国民を騙した罪は重い。安倍首相の欠点は「言論の自由」に無頓着!なことに決まっている。

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2015/7/26  23:36

暑中見舞  身辺些事
このブログにお越しの皆様方、暑中お見舞い申し上げます。
26日、日曜日に月末の短歌文字入力の仕事が終了、文字データ、カット画像のデータを送付、本日レターパックにて原稿を返却、滞りなく終了しました、と言いたいが猛暑に熱せられた空気は夕刻も下がらず外出できなかった。

この季節の戸外の活動は、笑ってしまう程だが、暑さに弱く早朝06時〜08時までの2時間だ。たった5日間なのに世情は喧しい。もう安保法制や集団的自衛権はどこかに行ってしまった感がある。

主にテレビ朝日とテレビ東京の「池上彰の時事解説」は録画して2年前ほどから筆者のお勧め番組、NHK出身の池上は“学べるニュース”でジャーナリストとして開花した。戦争・諜報・中東・宗教などに詳しい。それらに日本国民は基本的に無関心だからもてはやされる!?向きもある。

昭和15・16年の外務大臣・松岡洋右の四男が88歳で健在なのは驚いた。テレビ東京の「太平洋戦争」特集は2週に亘ってドイツを取材、その関連で、静岡県御殿場市の「松岡別荘陶磁器館」と松岡洋右の四男へのインタビューがあった。昭和16年「日ソ中立条約」締結後の帰国後(と思うが)、皇居前広場へ赴き土下座したとの、実子の証言は重い。

アマゾンで購入した昭和史の本が4冊、8月号の月刊誌4冊、うだるような、ではなく、うだる暑さの午後は、冷房フル稼働、ひたすら読書だ。

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2015/7/22  15:14

相生坂and聖橋  身辺些事
昨日述べたように駅舎そのものを作り替えているのがJR「御茶ノ水駅」、これは大工事だ。駅舎はそのまま使用なのだから工事期間もかかる。

御茶ノ水駅東口を降りたところにあるのが「聖橋」。千代田区駿河台と文京区湯島を結ぶ。本郷通りを神田明神から右折、靖国通りを交差して皇居方面、日比谷に至る403号線がこの橋を跨ぐ。

湯島聖堂とニコライ堂を結ぶから聖橋と命名された。千代田区というより東京の名所としても有名。放物線を描くアーチ橋で、鉄筋コンクリート製。関東大震災後の震災復興橋梁の一つで、昭和2年(1927年)に完成した。

本年05月21日に「隅田川に架かる橋」をブログに記述。「戦争の昭和史」にも番外編としてUPした。国指定の重要文化財である勝鬨橋、永代橋、清洲橋が昭和時代の前半に造られたから端緒は後藤新平の政治力の一環だと推察する。100年弱、現役の橋脚は日本の技術力の証明。

丁度2年前の7月中旬猛暑が襲来した。この時は10月初旬まで30℃以上の猛暑日が続いた。もともと暑さに弱く平成17年07月には駐車場警備員のアルバイトで熱中症に罹患、命びろいした。二年前は真面目に“地球に爪痕”をと思い短歌文庫「相生坂」を上梓した。そのときは相生坂の画像は無く、仕方なく湯島聖堂を使用した。画像は19日撮影、真夏の相生坂と聖橋。同じ位置からの撮影、東側と南側。

月末の仕事の原稿が到着。ブログしばらく休みます。

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2015/7/21  11:44

御茶ノ水駅  身辺世相
一昨日19日、猛暑到来のなかヨタヨタと東京まで出かけた。入院患者の見舞いで行き先は、JR御茶ノ水駅から神田川を越えた東京医科歯科大学。ここは中央線沿線で慶応大学病院や順天堂大学病院と並ぶ大病院。14時、西口で待ち合わせだから11時出発のつもりが10時に家を出てしまった。

こんな時に限ってバスも東海道線もスムーズに乗り継ぎ、更に最近は東京駅着でなく高崎線へ繋がっている。早や12時に御茶ノ水駅の隣駅・秋葉原に到着、仕方なく猛暑のなか日差しを避けつつ秋葉原・御茶ノ水の画像をゲットすべく散策。御茶ノ水西口を下車して神田川を越えたとろにあるのが東京メトロ入り口。吹き上がってくる冷気で長時間休む羽目になった。

「テリトリー東京」で取り上げるべく親しんだ街で、ここ神田駿河台は紹介すべきところが多く構想?がまとまらない。御茶ノ水駅は、神田川の護岸にありそこにそそり立つようにある古い駅舎だ。中央線・総武線が交差する。護岸工事が始まっているのは見て知っていたが、内容はもっと大規模だった。首都圏大地震に備える護岸工事はむろんだが、三階建の新駅舎にする全面建て替えだから文字通り大工事で、完成は2018年、駅前広場完成は2020年。

神田川にへばりつく按配の駅舎は大正12年の関東大震災後の建築、築90年を経過する。この駅の周辺には日大、杏雲堂、医科歯科、順天堂と大病院が多い。バリアフリー化は多くの要望があってJRは重い腰を上げた。

一昨日は、御茶ノ水駅西口へ出るのに長い階段を掴まりながら休みながら上った。通勤時間帯なら多分邪魔な存在なのは悲しい。駅舎完成は急がれるが、素人目にもかなりの難工事。取りあえずは神田川の上の仮設駅舎の構築と思う。神田川、聖橋、新駅舎の“絵”になるコントラストは早く見たいもの。

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2015/7/16  20:36

花の名オンチ  身辺些事
ここのところ中学時代の級友から花の名の問い合わせがたてつづけにあった。筆者は、宿根草を“しゅくねそう”と思っていた花の名オンチ。なにしろ自宅の半分の30坪は草ぼうぼう。背高泡立草は背丈まで及んでいる。

腰痛につき草むしりも出来ないし季節の花を短歌に詠むことは殆どない。花の名の問い合わせなど拒否していいのだが、旧友を畏敬するのは畑を借りていて庭仕事がマメであること。それをスマホで撮影してメール送信してくる。スマホの価値を押し付けてくるのと、ディスクトップのパソコンは苦手なことが価値観を共有しない。スマートフォンの時代なのは十分に認識するが維持費が無いだけの話。「要支援1」+「弁当代」で2万円弱、貧しいのだ!?

最近の草花の問い合わせを検索して解ったのが添付の「ノコギリソウ」花弁が不鮮明の分、葉の形で判明。次の問い合わせは莟(つぼみ)に特徴があり、ピンク、7・8月の花、五弁の花形で「花魁(おいらん)草」と解った。百合にしか思えない花は茎が太く、花の萎れ方が百合と違う。短歌会の花博士に問い合わせをして「印度浜木綿(インドハマユウ)」と判明した。

花博士に珈琲・ケーキを奢るとなれば、旧友にその“賠償”を求めなければなるまい。以前、リンドウにしか思えない花は、ネットの“訊ね花”で「カンパニュラ・グロメラータ」でこれを探し出した。これは手柄だ。

あと一カ月でまた敗戦(終戦)の日、戦前の外務大臣・松岡洋右の人間関係を推敲中、「昭和の前半は、本当に闇黒の時代だったのか」も書き直し中。なかなか捗らない。今日は安保法案が成立、民主党の女性の議員が「お願いだからやめて」と叫んでいた。“駄目よダメダメ”とでも言えばインパクトがあった筈。こんな対応なら天邪鬼としてブログのネタには全く困らない。

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2015/7/15  20:26

砂町銀座  身辺世相
東京生活で無縁だったのが山手地区、「テリトリー東京」と「秋葉原」以外は、目黒、亀戸に縁がある。亀戸は番外編の予定、平成08年、一年間だけ住んだのが江東区北砂、「砂町銀座」という670mも東西に延びる商店街があった。

平成06年暮、プライベートに死があったので、現住所の平塚市の自宅を他人に貸し、定年まで東京生活をしようとした。片道2時間強の通勤を解消、確かに通勤は楽になったが、江東区北砂の1DKの家賃・駐車場代は11万円、自宅の貸出し家賃は9万円、差引き3万円の赤字だった。借りたマンションは、「清澄通り」「明治通り」の交差する幹線沿いでしかも地面の柔らかい砂町。大型トレーラーが通過するだけで“震度3”の揺れだった。早々に退散する羽目になった。些細な事実は理想を砕き、傍目には喜劇になる。

昭和から平成時代に変わるとき「NHK特集」12本の再放送があった。2本目が≪昭和54年8月15日 60分「私の太平洋戦争―昭和万葉集」≫。

 あなたは勝つものと思つてゐましたかと老いたる妻のさびしげに言ふ
                                        土岐善麿
 あかだもの葉末ゆすりて吹く風の涼しき夏にまた逢へるかも 湯川秀樹
 一線は全滅せりと喚(おら)びつつ熱に狂ひし若き隊長     田中富雄

「あなたは勝つものと思っていたのか?」とのインタビューが江東区砂町銀座だった。なぜ砂町だったのかは解らない。だが戦後34年目だからより切実感があった。「勝つものと思っていた」との媼の戸惑い気味の答えは、市民感覚だろう。因みに講談社の『昭和万葉集』20巻は昭和54年の発行、6巻目は「昭和16〜20年」で畏友より借りたままだが所属結社の歌人の歌も載っている。以下は筆者が平成18年に作製した頁。当時はアナログ放送でウインドウズ98で画像を静止画キャプチャで取り込めた。短歌に解説・説明は不要。

http://www1.odn.ne.jp/~ceg94520/mumyouan/mumyou02.html

この北砂に住んでいる頃、NHKの暮の首都圏番組で、俳優のきたろうが“重箱”を持って砂町を歩く試みがあった。結論は「節料理」が全て砂町銀座で調達できた。筆者も翌日、栗きんとんを購入した記憶がある。着目が面白く東京下町の商店街では当時はこれが可能だったと思う。今も多分可能だろう。なにしろ明治通り側の入り口には魚屋があってよく利用した。商店街でなければ魚屋は流行らない。

砂町銀座は「丸八通り」「明治通り」を東西に結ぶ670bの商店街。都営地下鉄新宿線、東京メトロ東西線の中間で最寄のJR亀戸から都バスの便しかない。蛇足だが亀戸から引込み線があって土屋文明の歌にも登場する。居住した北砂の近くに「志演尊空(しのぶそんくう)神社があった。20年前の追憶。

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2015/7/13  23:00

安保法制  身辺世相
東京生活の48年間と居住経験のある地域を追憶したが、不思議と東京の西部には縁が無くよく知らない。六本木など行ったことすらなく原宿、新宿、渋谷は数回程度、東急線など乗ったこともない。畏友の言う“猥雑な町”は、聊か興味がある。不思議と昔、遊郭のあった街、向島、亀戸、洲崎、浅草裏等。

取りあえず画像が何点かある「向島七福神」の探索をする。今日は梅雨明けのような猛暑到来。ナメクジよろしく直射日光は耐えられない。全ては秋以降に延期、例年通り秋の彼岸までの「二カ月間」は、自宅に籠もりひたすら読書に専念する。丁度安倍総理の三代前の縁戚・松岡洋右を断然!評価!?する立場なので松岡の遭遇した人物を照射してみることにする。

天邪鬼につき反自民、反公明、反民主、反社民、反共産、強いて言えば、次世代の党を支持、反学者、反霞ヶ関でもあるから「安保法制」賛成。霞ヶ関官庁は昔から税金を徴収することだけを考えている。もっと嫌いなのが中国・北朝鮮・韓国・ロシア。

60年安保は、戦後15年目、反米・反体制ですぐにでも「戦争が起きる」のでは無かったのか。安倍内閣の安保法制反対は多分ポーズだけだ。野党は先ずヘルメットを被り永田町を取り巻いたらどうか。日本国憲法でいちばん大事なのは第66条2項。「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」嫌なら総選挙で投票しなければいいこと。

「テリトリー東京」が一段落したので「安保法制」を考える。憲法解釈、日本の安全、自衛隊の活動、中国の膨張と視点はいろいろある。憲法があって日本があるのではなく、日本があっての憲法。ダジャレだが憲法より健保、年金問題の方が大事。反安倍は「アベノミクス」ではないのか!?

画像はヘメロカリス、オペラ・エレガンス、因みにこれは合成写真ではない、それほどの技術はないのは確か。茎は何処に。

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2015/7/11  10:06

秋葉原 終  身辺世相
「テリトリー東京」の最終版“秋葉原”。東京生活48年、秋葉原勤務は35年間弱。やはりいちばん懐かしい。以下はプラーベートの追憶。以後「向島七福神」にも思い入れがあり番外編を予定。散策の参考になればと思う。

秋葉原 01 電気街 2015・06・12 秋葉原今昔、秋葉原町名、ビデオ機器
 http://blue.ap.teacup.com/masamichi/997.html
番外編 大横川 2015・06・15 横十間川、北十間川、小名木川、仙台堀川
 http://blue.ap.teacup.com/masamichi/998.html
秋葉原 02 神田祭 2015・06・18 ビデオ撮影、宮入、手古舞の歴史
http://blue.ap.teacup.com/masamichi/999.html
秋葉原 03 神田界隈の老舗 2015・06・20 老舗4軒感想、池波正太郎
 http://blue.ap.teacup.com/masamichi/1000.html
秋葉原 04 神田川 2015・06・24 神田川歴史、勤務先、神田川クルーズ
http://blue.ap.teacup.com/masamichi/1001.html
秋葉原 05 神田練塀町 2015・06・25 練塀小路、神田・日本橋町名
 http://blue.ap.teacup.com/masamichi/1002.html
秋葉原 06 万世橋駅 2015・06・28 辰野金吾設計、マーチエキュート
 http://blue.ap.teacup.com/masamichi/1003.html
秋葉原 07 青果市場 2015・07・01 市場の歴史、八百屋エピソード、酒店
 http://blue.ap.teacup.com/masamichi/1005.html
秋葉原 08 つくばエクスプレス 2015・07・03 科学万博、ヨドバシカメラ
 http://blue.ap.teacup.com/masamichi/1006.html
秋葉原 09  メイドカフェ 2015・07・08 コスプレ、オタク、歩行者天国
 http://blue.ap.teacup.com/masamichi/1007.html
秋葉原 10 ラジオ会館 2015・07・10 ラジオセンター、コンピュータ館
 http://blue.ap.teacup.com/masamichi/1008.html

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2015/7/11  9:42

テリトリー東京 終  昭和史
中学入学時代から定年までの48年間の東京生活、居住は25年。主に隅田川以東の下町のデジカメ撮影と回想。あくまで個人的経験と追憶。「テリトリー東京」は、これにて終了。画像は墨田区石原町付近。

テリトリー東京
@千代田区神田明神下 2013・07・16 秋葉原電気街、神田神社、銭形平次
 http://blue.ap.teacup.com/masamichi/714.html
A江東区佐賀町・永代橋 2013・07・20 公団住宅、ちくま味噌、赤穂浪士
 http://blue.ap.teacup.com/masamichi/715.html
B江東区門前仲町 2013・07・26 深川不動門前、フォークグループ・ガロ
 http://blue.ap.teacup.com/masamichi/716.html
C千代田区神田神保町 2013・07・27 古書街、司馬遼太郎、東京空襲
 http://blue.ap.teacup.com/masamichi/717.html
D墨田区錦糸町 2013・07・30 伊藤左千夫歌碑、聖徳硝子、東京楽天地
 http://blue.ap.teacup.com/masamichi/719.html
E墨田区業平 2013・08・07 民間アパート、灰色の街、スカイツリー
 http://blue.ap.teacup.com/masamichi/722.html
F中央区日本橋 2013・08・10 通り三丁目、林商会経緯、カメラ月賦
 http://blue.ap.teacup.com/masamichi/723.html
G台東区浅草 2013・08・29 坂東三三箇所霊場、待乳山、浅草風景
 http://blue.ap.teacup.com/masamichi/732.html
G台東区浅草02 2013・09・10 浅草六区、ストリップ、駒形どぜう
 http://blue.ap.teacup.com/masamichi/736.html
番外編 墨田区石原町 2011・03・10 錦糸中学、東京大空襲、ルメイ少将
 http://blue.ap.teacup.com/masamichi/737.html
H中央区・東京駅 2014・10・04 新幹線6本のホーム、点と線、首相暗殺
 http://blue.ap.teacup.com/masamichi/894.html
番外編 白金の坂 2013・02・15 留園、日活アパート、日吉坂
 http://blue.ap.teacup.com/masamichi/677.html

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