2015/10/30  23:41

小沢昭一  読書
今日は朝から中学時代の同窓会のための印刷物作成で夕刻までかかった。A4用紙の案内、出欠葉書の裏表、長3封筒の裏表をパソコンとエプソンで作成した。これらは印刷会社なら1時間と掛からない。これで明日は心置きなく出かけられる。定年以来初めて「神田神保町古本市」で本漁りにいくことにする。定年前と定年後では目的が違って読書傾向は変わった。定年後は専ら自分に課した昭和史・太平洋戦争史への傾斜。藤沢周平は5冊を残したまま。

「新潮45」の最新号で野坂昭如を読んで“中年御三家”を思い出した。小沢昭一の「散りぎわの花・文春文庫」を再読した。小沢は文章を書くのが苦手だ、と言いながら多くの著書がある。むろんこの人物は俳優。昭和20年代後半、俳優座出身の舞台俳優が出発点。エッセイを読み返して小沢は、一滴も飲めぬ下戸、喫煙者だった。文藝春秋・平成23年03月号で「前立腺癌」だったことを告白している。82歳で翌24年12月に亡くなった。

NHKBSで小沢昭一を偲ぶ再放送があった。初出は平成19年、78歳の時の90分番組「100年インタビュー」、同じくNHKBSの「私が子供だった頃」にも出演している。昭和回想と戦争への積極的発言は、既に癌死を覚悟していたことになる。6歳年下のエッセイスト・江國滋(1934─1997)は、俳句の「東京やなぎ句会」で小沢の盟友だった。江國は平成09年に癌で亡くなった。だから小沢は江國の死の前に「癌治療」を開始していた。なお江國は新潮社の編集者だった。江國の娘・香織は直木賞受賞者。小沢の俳号は小沢変哲

中年御三家の永六輔も俳句仲間。小沢は、父が修業した新潟の写真館の建物が収蔵されていることから、博物館明治村の村長も務めた。野坂昭如のいわゆる“焼跡闇市派”は小沢も同じ。麻布高校の同級生はフランキー堺、中谷昇、加藤武。昭和一桁生まれの有名人も次々に亡くなっている。

小沢昭一に関しては思い出が多い。文庫本7冊、録画2本を見直しての小沢昭一讃歌は何れ又の機会にする。

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2015/10/28  23:46

中年御三家  読書
いわゆる保守だと云われるが、最近月刊誌『新潮45』をほぼ毎月、愛読している。昭和の時代はむろん活版印刷だった。ここの処、定期購読の状態。この雑誌の良さはグラビアが少なく圧倒的に時事、現代史を文章で読ませる処にあるだろう。ほぼ巻末に「新潮45」に連載されて8年半に及ぶのが野坂昭如の「だまし庵日記」、この作家は、自らの体験から小説にして、アニメ映画の傑作にもなった「火垂るの墓」は、直木賞受賞作品。野坂は保守の論客ではない。小沢昭一・永六輔と共に、「九条の会」に名を連ねている。野坂は昭和5年生で現在85歳、12年前に脳梗塞を患い、毎月のエッセイも“息絶え絶え”だ。

『新潮45』は、殊に筆者が常に“眉をひそめる”単純な理想論や平和論がない処がいい。現実に踏み込まないで情緒纏綿たる「鉄砲担いで戦争法案」とか「この道はいつか来た道」論調は、朝日新聞だけで願い下げだ。自らの主張に沿えば、牽強付会して戦前の「女子挺身隊」を「従軍慰安婦」と見紛う記事を展開して恥じない大嘘を平気でつく。国益を損ねて謝罪しない。

野坂は、昭和5・1930年生、昭和4年生の小沢昭一、昭和8年生の永六輔と三人で「中年御三家」を結成していて、そのコンサートを日本武道館、NHKホールの何れかで見学したことがある。野坂は昭和58年、参議院議員に当選したこともある。上手いか下手か俄かに断定できないが“歌手”もどきに挑戦した。「黒の舟歌」「マリリンモローノーリターン」など。それが中年御三家のコンサートだった。三人に共通するのは早稲田大学だった。後者二人は中退、酒が好き、小沢、野坂は喫煙者。小沢、永は俳人、野坂、永は寺住職に共通点、三者は何れも放送・芸能関係者だった。三人の著書を数ある蔵書?から探したのが以下の本、いずれもかなり前に読破しているが詳細は忘れている。

◇小沢昭一 散りぎわの花 文春文庫 2005年
◇野坂昭如 火垂るの墓 新潮文庫 昭和47年
◇野坂昭如 死屍河原水子草 文春文庫 1975年
◇永 六輔 大往生 岩波文庫 1994年

永六輔は、今はパーキンソン病で車椅子の人になった。作詞家としては超一流、「黒い花びら」「上を向いて歩こう」「遠くへ行きたい」等、中村八大とのコンビでミリオンセラーが何枚もある。三人の中では「小沢昭一」に筆者はいちばん思い入れがある。「小沢変哲」という俳号もある達者な俳句を嗜んだ。この小沢に関してはNHKBSなどの録画も多数所持。小沢昭一に関しては何れ記述する。映画の主演は一本だけだが、名バイプレーヤーだった。

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2015/10/23  22:50

陽明文庫  身辺些事
10月18日の短歌大会で参加投稿歌は113首、互選で一位を選ぶ。一人10首だが二人の棄権があって1100票。一位は以下の歌、38点。
 望むもの少なくなりて九十の心爽やかに過す幸せ
筆者の歌は8点だった。友人より余計な文字があるとの指摘でこれを削除。
 伝ふべき戦争の頁は書けぬままけふの散歩に精霊棚を見る
 伝ふべき戦争の頁は書けぬままけふの散歩に精霊棚を見る

 京都の旅逝く夏の日の山里にひつそりと立つ陽明文庫

この歌の作者はご婦人でたった1票だった。その清き1票を投じたのは筆者だった。短歌大会で午前・午後4人づつ評者が一首づつ意見を言い評する。午後の若い女性の評者は、この「陽明文庫」を全く知らなかった。陽明文庫は、公家の名門で「五摂家」の筆頭である近衛家伝来の古文書(記録、日記、書状、古美術品)など約20万点に及ぶ史料を保管。京都市右京区宇多野にある。文庫だから図書館だと思ったら大間違い。博物館が正しい。洛西の仁和寺の近くに位置する。大学教授など紹介がなければ見学できない。

平成20年、上野の国立博物館では、平安時代から続く近衛家の「陽明文庫」の開催があった。1000年前の藤原道長の書(国宝)などが陳列された。元旦の朝、NHK特集番組があった。道長は平安時代の権力者。紫式部などを重用、和歌を通して平仮名文化を花開かせた。1000年前の直筆があるのは驚き。五摂家とは、近衛、鷹司、九条、二条、一条の5家。天皇の近くに居て衛(まも)るから“近衛”である。近世の近衛家当主には、NHKの特集にあったように諸芸に通じた教養人が多く、筆跡も多く資料的に貴重。国宝8点、重文60点に及ぶ。筆者はこれを上野で見学している。

昭和12年の総理大臣、近衛文麿は、昭和13年(1938年)に財団法人陽明文庫を設立し、資料の永久保存を企画した。おおかたは日本の歴史の一級資料だ。近衛文麿を擁護する歴史家は少なく“日中戦争”を自分で阻止できないので、東京を危険と直感、一級史料を“とっとと”東京から京都へ租界させたとの指摘がある。この言い分も的を射ている。

添付は本日書店で購入した中公文庫。近衛文麿が残した文書で一級史料。
◇最後の御前会議 昭和21年発行「自由国民」
◇平和への努力 昭和21年発行「日本電報通信社」
近衛上奏文 昭和41年「木戸幸一関係文書」
◇世界の現状を改造せよ 昭和12年「近衛公清談録」
◇戦後欧米見聞録 大正09年「外交時報社出版部」
英米本位の平和主義を排す 大正07年「日本及び日本人」

「英米本位の平和主義を排す」の戦後は第一次世界大戦のこと。「近衛上奏文」は吉田茂が書いたことが判明している。内容は読解して精査、何れ記述する。今月の文字入力の仕事が届きました。来週半ばまでブログ休みます。

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2015/10/22  22:25

東京駅中央口通路  身辺些事
先日の日曜日、年一度の結社の大会で江東区東陽町まで行った。帰路はバスで東京駅まで出た。錦糸町駅から東京駅までのこのバス路線は、昔は都電が走っていた。八重洲口に着いて北口通路を歩き、中央口通路を過って東海道線へ乗る。東海道線下りは09・10番線だ。中央口通路、右側のエスカレーターは下り専用、平塚方面へは、杖突き老人なのにエッチラオッチラ階段を上る羽目になる。難儀なことだ。序に云えば09・10番線へは丸の内方向から来て、中央口通路は左側に昇降口がない。新幹線改札口があって階段そのものがなく多くの新幹線への乗降客優先だ。

更に蛇足で云えばその乗降口付近に、昭和05年に襲われ翌年死亡した浜口雄幸(はまぐちおさち)の遭難碑がある。浜口は中央通路中央付近の円柱に、大正時代の原敬は南口・丸の内側改札口付近に遭難のプレートがある。

今は、東海道線は東京駅発着が無くなった。何と上野・高崎ラインと称して東北線直通だ。従って空いている電車で帰路に着くことはできない。だから最近は東京駅でグリーン車の乗ることになる。“スイカ”は忽ち2000円を費消する。

殺傷事件と云えば痛ましい事実もある。平成14年07月、中央口通路のコンビニ「サンディーヌ」において、パンとおにぎりなど僅かの品を万引きしたのを店員が発見。店長が追いかけた。犯人と揉み合いになり刺された。だが更に店長は追跡、力尽きた。追跡者、犯人ともたかだか500円相当のものである。犯人は自首した。犯人は無期懲役が確定。だが若き店長はもうこの世に居ない。筆者の定年の2年前のことだ。通勤時代にはいつもここを通る。その翌日も何事も無く営業していたのが事実だが悲しい。

そのサンディーヌの後にあるのが現在の土産物店。ここで売られているのが今評判の「東京ばな奈」、バナナの形をした土産菓子で筆者も好きだ。いわゆるスポンジ生地でバナナ風味。刺殺事件も忘れられて行列ができて購入者が多い。売られている場所がいい。新幹線を降りれば、またディズニーランドの京葉線から歩いてくればこの中央口通路を通る、売れる筈だ。筆者も並んで最近お世話になった人へ10個入りを買った。

筆者は3年半前に腰椎骨折、足腰の筋肉は弱っているので歩行補助として杖を使う。恥ずかしいが現実、幅のある中央口通路を横切るのは聊か難儀、とにかくここは常にごった返している。日本人ならまだいい。カートを引いた外国の旅行客も多い。最近は“ばか買い”の不遜な中国人も多い。右手で杖を突き、左手で手を上げて人を避けながら斜めに進む。転倒して骨折でもしたら自分だけが泣きを見る。ぶつかった奴は平気で逃げるし他人は見て見ぬふりになる。(最悪の場合だが)東京駅の東海道線下り乗車は老人に成り果てた筆者には辛い現実だ。

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2015/10/21  23:00

藤原正彦  読書
通販で文庫・新書の新刊本を注文すると何と就寝間際だというのに翌日の夕刻に届くのは驚嘆するしかない。つまり24時間を経過していないことになる。6冊を注文、購入決定をクリックする寸前までパソコンでアクセスして置くと、それがもう先方のハードに記録されているように判断できる。つまり本をアクセスして先方の“カート”に入れれば、すぐに発送できるように準備されてしまうのか…。ただし古本の場合は通販会社のギフトカードを予め購入して注文する。

24時間経過しないうちに届いたのは直近では以下の6冊。
◇「管見妄語 大いなる暗愚」藤原正彦(新潮文庫)
◇「管見妄語 始末に困る人」藤原正彦(新潮文庫)
◇「管見妄語 卑怯を映す鏡」藤原正彦(新潮文庫)
◇「藤原正彦、美子のぶらり歴史散歩」(文春文庫)
◇「決定版この国のけじめ」藤原正彦(文春文庫)
◇「月下上海」山口恵以子(文春文庫)

前記3冊は、二日で読破した。内容はユーモア・エスプリに塗しているが、巧みなホンネの論議だ。週刊新潮の「管見妄語」は、実は良く読むようになったのは今年になってからだった。グラビアの最後に載る文章は殆ど読んでいなかった。グラビア画像は、昔の「写真週刊誌・フォーカス」のようで好きではなかった。筆者の好きだった演歌歌手の三橋美智也、奈良光枝のファンだったのは驚いた。奈良光枝は美人の誉れが高い。著者の言うように美人薄命、昭和52年、53歳で死んだ。「月下上海 山口恵以子」(文春文庫)は、松本清張賞のエンターテインメント小説、秋の夜長向けの本だ。

このブログを開設(平成20年)していない17年秋にベストセラーになったのが藤原正彦の『国家の品格』新潮新書。この本の感想はいずれまた。賛否両論があると言うが、数学者がアメリカの大学で教えていたから筆者の苦手な数学・英語が堪能だけで文句は無い。英米に阿る学者は多々居る、左右のイデオロギーに凝り固まった学者も多士済々、まともに反論できない筈だ。でなければ一般読者に270万部は売れない。

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2015/10/16  23:16

管見妄語  読書
昭和40年代、筆者の20代から愛読しているのが「週刊新潮」。昔から毎週木曜日発売で、今では早朝コンビニへ行くのが楽しみなのだから暇人のいわば真骨頂。検索すると週刊文春、週刊新潮、週刊現代の順で発行部数が多い。毎週50万部を超える。先日も記述したが、連載読み物の北方謙三、五木寛之、櫻井よし子は毎週、よくこれだけのエッセイを書けるものだと思う。

最近必ず繰り返し読むのが、目次の前のグラビアページの最後にある「管見妄語」、作者は数学者・藤原正彦。「管見」とは、視野が狭い意味だが自分がへりくだった言葉、「妄語」とは仏語で不実の意味だが、内容は決してそうではないのが、作者の言いたいところ。内容は自分の体験から書かれているから発言する事項は、多岐に渉る。「管見妄語」は、新潮文庫4冊を通販で注文する。著者の『国家の品格』はベストセラーになった。新潮新書で平成17年発行、270万部も売れた。藤原正彦の父親は「八甲田山死の彷徨」、映画「八甲田山」の著者、新田次郎。新田夫人は藤原てい。「流れる星は生きている」は戦後、ベストセラーになった。

文春文庫『昭和史が面白い』の鼎談で満州から朝鮮半島を南下しての引き揚げの実態の記述はまさに修羅場の記憶と記述だ。そこに幼い藤原正彦の1年間の引き上げが明らかにされている。藤原ていは80歳から認知症だと云うが大正07年・1918年生で97歳、今も健在。因みに筆者の母親と同じ。

『国家の品格』と同時期に発行されたのが『祖国とは国語』(新潮文庫)、両書とも繰り返し読んでいる。ここに書かれていることは初出が新聞記事なのだから短いエッセイの集積、核心を突いている。10年前なのに10年後の今を確実に捉えている。日本では、簡単に云えば小学生に英語教育など無用と断言。国語が十分に確立していないアフリカや東南アジアでは普遍的な英語は必須。識字率、歴史の確立している日本では先ずは国語教育だと言うこと。

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2015/10/15  22:19

父系祖先03  身辺些事
東京から現住所へ転居したのが昭和57年、当時新築した洒落た白亜の殿堂?“大成パルコン”もガタガタになって雨戸の開閉もままならない。車庫を造ったのが2年後、友人の「日産バイオレット」を譲り受けたのが1年後、普通免許を取得したのが昭和60年だった。その前に原付バイクの免許を取得している。経緯は省くが“愛車”にぶつけられたのが2度、普通免許を取得して31年、先日初めていわゆる自損事故を起こした。

ボンネットの左前方が見えず、車止めのガードレールを見逃していた。スーパーの出口に侵入し後続車を気にして急ぎ、左前部をぶつけてしまった。すでにガードレールは同じ事故が多発!しているらしく左右の車止めはかなり曲がっていた。人身事故でないのが救い。近所の整備工場へ修理を頼んだ。車の保険が効いてライト、横、前部の部品三個で10万円。

畏友より前回の「父系祖先」に質問があったので知る範囲で答える。己の戸籍の一部分でも、全員昭和50年までに物故していて個人情報云々程のものではない。戸籍上の現在の苗字は、母が再婚した別の姓名なので問題ない。
歯科医の伯父の水銀中毒死
昔は、虫歯のあとの義歯はアマルガムという水銀を含む合金であったらしい。歯科医が職業上、水銀中毒とは聞いたことが多々ある。伯父の息子の従兄は10年前70歳で肝臓癌、その息子の二男は50歳代でやはり肝臓癌で先日、死去した。従兄の嫁はリウマチだが健在。
成田市・小田原市・平塚市への移動の理由
現在も父系の又従姉が成田市、昔の香取郡下総町に住む。三代前の祖先が同じだろう。櫻井鐘次郎なら祖父は二男、多分農家、何か縁があって小田原へ転居したに違いない。この経緯は伝聞だからよく知らない。忖度・類推だ。
若いのに警察署長の疑問
明治時代中期なら近代化の真っ最中、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の話もまだあとのこと。才能など関係なく官吏の道はあった筈。生日は多分、明治初期。40歳前後の死去は当時の衛生事情を考えてもやや早い。

母の膝に抱かるる吾の手の爪に触れて泣きゐし伯母を思ひぬ 平成26年

伯母の成田市での生活
前記の歌は筆者が4歳の頃の記憶で、伯父の家で、伯母は4歳の私の手を握って泣いていた。何故泣いているのか解らない年齢だった。これこそ“お涙頂戴”の話だ。伯母は実父の5歳年長。弟への思いは深かっただろう。伯母は国鉄職員と結婚、離婚。おそらく財産があったのだろう。晩年は下総に住んだ。謄本を再び見て確認したのは、末っ子の実父は大正元年、小田原の生、5歳年長の伯母は下総の生。実父は5男なので3人の男が多分赤子で早逝していることにある。この辺に小田原への転居の原因があるかも知れない。

母系は叔母が81歳で元気、従兄弟姉妹は16人が健在。結論として両親の家系は農業、たいした血筋ではない。

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2015/10/12  22:32

父系祖先02  身辺些事
21年前、母親が死去、遺産相続をした。預貯金は無かったが、祖父から母親が譲り受けた感の62坪の現住所の土地があった。実妹と知人の司法書士事務所で「遺産分割協議書」を作成。司法書士は、職権で関係者の全ての戸籍謄本を取り寄せることができる。そこで初めて自分の“父系”が解った。実父は戦死していて母親は筆者を連れての再婚だったから父系は殆ど知らなかったに等しい。実妹だが父親は違うことになる。ここから先は“お涙頂戴”の話ではなく良く言えば、自分が何者か!或いは父系の病歴などが知りたいだけ。因みに母系は4代前の明治・江戸時代まで遡れる。

父系の祖父の名は判明したが、祖母は手書きの戸籍謄本で読めなかった。然も原本からのコピーでは判読不明の箇所も多く天眼鏡で拡大しても今でも読めない部分がある。今回改めて戸籍謄本を見返しても祖母の名前は解らずじまい。そこで10年程前購入してあった「はじめての古文書教室」で当該文字を探訪し、江戸時代の古文書から、平仮名の崩し字は「はま」と分かった。だが謄本では大正・明治時代はかなりいい加減で祖父の死亡は記述されているが生年月日は不明。祖父の場合は祖母からの類推。鐘次郎なら長男ではない。

◇祖父 櫻井鐘次郎 明治08・1875年??生→大正02・1913年死 38歳
◇祖母 後喜多はま 明治10・1877年生→大正10・1921年死 44歳
◇伯父 長男 櫻井考一 明治30・1897年生→昭和44・1969年死 72歳
◇伯母 長女 新橋アイ 明治35・1902年生→昭和50・1975年死 73歳
◇実父 五男 櫻井正徳 大正01・1912年生→昭和20・1945年死 33歳

実父が“五男”なのは、三人の兄が死んでいることになり、新たな発見。父は兄と15歳の年齢差がある。父は大正元年生、その父は大正二年に亡くなっている。確かなことは父もまた自分の父を知らないことになり、兄に育てられたのだろう。戸籍謄本ではそれ以上の父系の私生活・経緯は解らない。

筆者の定年後に近所のクリニックで整形外科部門に通う伯父の家の嫁と再会!した。リウマチを患っていた。そこで実父の両親、つまり父方の祖父母に付いてプライベートを訊いた。以下はその伝聞。この従兄の嫁は今もクリニックで時々会う。七年前には伯父の金庫に残っていた父の死に様のあらゆる書類を譲り受け「戦争の昭和史」で紹介した。戦争の強制性とはこうした事実だ。正義論・理想論を物差しにしたら戦前は全て悪だ。そんな筈はない。

伯父は昭和44年まで歯科医だった。当時は自分で義歯も作る職人肌の歯医者だったらしい。祖父は「小田原警察署」の署長だった。祖父の出身地は今の成田市、千葉県香取郡下総町だった。だが経緯は解らないが神奈川県小田原へ転居したらしい。息子である伯父は歯科医院の書生となって歯科技術を学んだ。大学など出ていないように思う。筆者が二十代の昭和44年に所謂、水銀中毒で死んだ。患者をほったからしにして平塚競輪に通ったというから流行らない歯科医だったに違いない。明治・大正時代の衛生事情からしても祖父母は若死にだった。実父は戦病死、伯母は生まれ故郷の成田市で病死した。今でもここに父系の再従兄弟が住んで居る。

戸籍謄本祖父の死の記述は大正弐年実父もまた父の顔を知らず 平成24年
一寸木といふ屋号の店の娘とぞ祖母も昭和を待てずに死にき 平成24年

一寸木(ちょっき)なる姓は、旧武田家家臣が祖先で小田原市に多い。ここに祖母「はま」が居て祖父と知り合ったのか。ここは定かではない。ともあれ実父はかなりの酒飲みだったらしい。筆者は一滴も飲めない、母も全く飲めなかったから体質は母系だ。喫煙者なのに母系の祖父は94歳まで生きた。母系の祖母は、その先代からの養子。結論として血筋からの体質は、母系の心臓疾患・脳溢血が確実だ? 母親はくも膜下出血だった。これは楽に死ねるかも知れないという“落ち”になった。古文書への興味が増したことは収穫。

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2015/10/9  23:18

拡大鏡  読書
先日詳述したが、読書シーズンの到来。ホットカーペットの上で一日中ぬくぬくと読書三昧となれば、手を伸ばせば確認したく読みたい文庫・新書がなければならない。購入したラックは四段で二個、たとえ手が聊か!短くてもすぐ取れる位置にあればいい。そこで中段に事典の類いを並べた。

昭和の鉛の活字の「歴史散歩事典」は、山川出版社の三部作。民俗探訪事典、仏像巡礼事典、いちばん手にする日本史事典は中段、辞書の類いは下段。よく手にするPHP文庫の“太平洋戦争”の類いも中段。

てなわけで読書シーズンとは云え、ここのところすっかり“目ぢから”が衰えたので拡大鏡を購入した。漢和辞典の「新字源」の正字などが読めなくなったからが主な理由。アマゾンの得意先に成り果てた感の筆者は、通販で1712円、直ちに購入。拡大鏡は、文具店、電気店、カメラ店にも無かった。

昔取り寄せた戸籍謄本を近々読解しなければならない。筆者の母系先祖は、祖父母の代までは判る。父系は没交渉だったのでよく解らない。その死に様が気になった。昔の手書きの戸籍謄本のそれもコピーは判読困難、不能のものも多い。拡大鏡が必要だった。

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2015/10/6  22:36

テレビ東京  映画TV
昔、東京12チャンネルというテレビ局は、“5強1弱”と揶揄されて久しかった。今は「テレビ東京」だが、視聴率は低迷していて弱小局だった。テレビ東京になったのは、昭和の時代。この局で知られるのは「開運、何でも鑑定団」「出没アド街っく天国」だけだった。だが“5強1弱”は、だいぶ趣を変えている。筆者の好みもNHKを除けば今では、いちばん見ることの多い民放テレビ局だ。予算、人員の少ないから企画・アイデアが奏功した。俳優夫婦が露天風呂に入る旅番組はテレビ東京が先駆者のように記憶する。他局も真似するようになって存在感が増した。

他の民放局では、特別番組、ワイドショーを除けば、おバカタレントが大笑いするオチャラケ番組と刑事ドラマで殺人ばかり。お笑い番組は、やはり製作費が安いバブル以降の産物だろう。制作費が高く視聴率も稼げない時代劇はすっかり廃れた。他人を悪く言わない、下ネタのないコメディアン・萩本欽一は、好きだが飽きられた。もてはやされている大物の芸人もビートたけしを除いて翳りが見えるように思う。雲霞のごとく出て来る若手芸人は使い捨てのような気がする。

筆者が、自宅に居る限り見る番組は、なんだか固定化されている。NHK・あさイチ、TBS・ひるおび、NHK・スタジオパーク、NHKの最近までのゆうどきネット。夜は殆ど観たいものは録画しておく。そこにテレビ東京の番組が多い。土曜日に多い池上彰の特集番組をよく録画する。

◇月曜日 未来世紀ジパング 知らない国の日本人では考えられない実態は勉強になる。法治国家ではない国が多すぎる。蟹江一平がナレーション。
◇火曜日 ガイアの夜明け 日本経済新聞の取材力か。企業宣伝の趣きだが日本の技術大国を実感。蟹江敬三の語りだったが、今は杉本哲太。
◇木曜日 和風総本家 テレビ大阪の制作、ワンパターンの出だしで飽きるが日本の技術をよく捉えている。地方の企業の技術をクイズ形式で紹介。
◇土曜日 田勢康弘の週間ニュース新書 30分の番組だがインパクトはある。田勢は、昭和19年生、日本経済新聞出身。やや左翼的だが、関口宏・古館伊知郎よりは、リベラルで政治・文学に精通。上から目線でないのがマシ。

JR総武線・錦糸町駅前歩道橋より。

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