2016/1/18  23:35

赤木圭一郎  映画TV
中学校を卒業した翌年のことだが、昭和36年、強烈な印象として記憶しているのが日活スターの赤木圭一郎が21歳の若さで死んだこと。撮影所でゴーカートで遊んでいてのことだった。筆者はこのとき16歳、娯楽は、殆ど映画・歌謡曲で浅草・錦糸町の映画街に入り浸っていた。どちらかと言うと日活より当初東映の勧善懲悪の時代劇が良かった。日常生活は、仕事と学業の両立でスターの事故死は、関心が薄かったのが真相。

映画会社は、東宝・松竹・日活・東映・大映・新東宝と六社があった。「五社協定」とは新東宝が潰れたあとのことだった。日活は石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、和田浩二、宍戸錠の五人のスターが5週に一本の割合で主演映画があった。映画の粗製乱造時期だが、黒黒澤監督の「用心棒」という画期的な時代劇作品もあった。黒澤映画に目覚めるのは筆者は昭和38年以降のこと。

柏戸・大鵬が同時に横綱に昇進、ソ連のガガーリンが宇宙空間に飛び出したのは、この年。米ソ冷戦はキューバを挟んで決定的になったのを記憶。

赤木圭一郎の胸像は、鎌倉材木座の長勝寺境内にある。ここの墓地に石碑はあるが赤木の墓地は静岡県にある。胸像を撮影、保存してあったのを新パソコンに画像移動で気付いたのが真相。長勝寺は、鎌倉市内から逗子へ行く道すがら横須賀線の踏切の近くにある。

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