2016/1/20  23:03

落合信彦  身辺世相
筆者の中学生時代は、昭和32年04月〜35年03月。中学入学は墨田区錦糸中学校だった。田舎の小学校では、いわゆる洟垂れ小僧が少なからず居て大いに苛められた。今、その田舎に住んでいるが、筆者を苛めた奴は、その後、見たことがない。他の苛められっ子に蹴り倒される逆襲に遭って大人しくなったと聞いている。いつまでも詰まらないことを記憶しているべきでないが、東京の中学はすでに入学式からして同じ年齢だが、男女全てが都会の人間で紳士淑女!?で所謂“洟垂れ小僧”は見当たらず、ほっとした記憶が残っている。

三年生の記憶だが、図書室勤務の“オチアイさん”が居た。今頃になって記憶を頼りにインターネットで検索すると、やはり作家の落合信彦だった。墨田区の名門校・両国高校の定時制に学びながら、錦糸中学で働いていたらしい。昭和の後半、ジャーナリスト落合信彦は一世を風靡した。

「辛口生ビール・スーパードライ」のCMで、その風貌を記憶していた。だが小生はアルコールはビールさえ飲まないから半信半疑だった。やはり“あの時のオチアイさん”だった。両国高校卒業後は、奨学金でアメリカの大学へ進学したらしい。他の同級生に言わせると「大ぼら吹き」らしい。だが筆者には、苦学して学士と米語を取得したことで、そのことだけで単に真似できないことだと思う次第。ケネディ大統領兄弟とも交流!?があったと言うが、それは素直に信じよう。

ともあれイスラエルの諜報機関“モサド”などに詳しく、「月刊・サピオ」(小学館)では、日本の安保法制には、警鐘を鳴らしている。早くから日本の情報収集、諜報活動の無さを嘆いていたのは、これは率直に評価すべきだ。

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