2016/3/20  23:11

生きて在れば  身辺世相
月刊「文藝春秋」は、定期購読だから毎月10日の発行日前に宅配便で来る。他にもカレンダーなどのオマケもある。今回届いたのは昭和38〜39年に週刊文春に掲載されたグラビア画像の集成版。「私はこれになりたかった」という有名人の憧れた職業に扮した画像だった。むろん全部がモノクロ写真。そこには当時、若手の政治家だった中曽根康弘、得度前の瀬戸内晴美、先代の林家三平などが憧れた職業の画像だった。46人のうち生存者は13人。元気で活躍されているのは草笛光子、黒柳徹子、平岩弓枝等、女性が圧倒的。

46人のなかで油の乗り切った時代に亡くなったのが、太地喜和子、田宮二郎だと思う。太地喜和子は文学座の女優だったが48歳(平成04年)のときに、車が港に転落、泥酔状態だったらしく水死している。中村勘三郎、三国連太郎などとの関係はあまりにも有名。津坂匡章との結婚歴もあった。昭和18年生で文学座の主演女優、大先輩・杉村春子が大いに嘆いた。

筆者の私は、昭和37年、17歳の正月、川崎東映で映画を観た。当時川崎まで出掛けて東映のスターの挨拶を見たのは大変な出費だった気がする。梅宮辰夫・久保菜穂子・大村文武などが挨拶した。タイ舞踊を披露したのが志村妙子、18歳、お姫様女優である。後に文学座で修業、看板女優になった太地喜和子だった。最初の芸名がなぜ「志村」だったのか知らないが、それが縁か志村けんの「バカ殿さま」にも出演、「笑っていいとも」など、タモリなどとも懇意、コメディ番組にも大いに出演していた。

今、生きていたなら72歳。文学座の大御所だろう。いわゆる清純派の吉永小百合などを圧倒していた筈だ。人気は別にしてもテレビ・映画では圧倒的な存在感を示していただろう。その死から24年を経過する。

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