2016/3/23  16:15

東京の桜  身辺世相
03月21日のテレビで「東京の桜の開花」、「寝台特急・カシオペアの廃止」が報じられた。靖国神社に桜の標本木があるとの由、気象庁の職員が観測4日目の21日、「お待たせしました!8輪が開花しました」との宣言で、メディアと共に見守る見物客から歓声が沸き、拍手さえあった、長閑だ。上野駅では、寝台特急「カシオペア」の廃止で最終列車の発車が賑々しく報道され、多くの“鉄ちゃん”で大賑わいだった。日本はとにかく平和だ。

日本の友好国トルコでは「自爆テロ」が多発、今年に入ってからもかなりの死者が出ている。欧州では、押しかけるシリア難民で往生している。遠い国のことで、いずれも島国日本には無縁だ。靖国神社と聞いてツラツラと思い出したのは靖国神社の4字を入れた小生の拙い歌だった。特にこの神社を支持しているわけでなく、他国からそのプロバガンダでとやかく言われるのは、これは国民として聊か心外で、所属結社の歌会で思わず、そのことを吐露したら「何を場違いな」と友人に怒られてしまったのを記憶していた、それもそうだ。

短歌の例会では、個人の政治信条など関係ない。逆に個人のブログでは、原発反対・憲法改正反対など、滔滔と披瀝してもそれは平凡な正義論・理想論。原発賛成、憲法改正論者は一定の割合であるだろう。筆者の場合、自分の短歌が文学・芸術性に乏しい分、ここでのブログでは“逆もまた真なり”の論調で天邪鬼に徹する。政党は、もう十分に裏切られた“民進党”だけは御免だ。

靖国神社を賛辞しても、非難しても個人攻撃されたことがある。ただこの神社にいわゆるA級戦犯は合祀されているが、賛美しているわけではない。靖国神社の「遊就館」が軍国主義の象徴のように喧伝されているが、これは違う。戦争博物館・記念館のない日本の実情の方がよほど問題で、神社がその代替施設では、文句のある方がおかしい。戦争を否定するのにその国家的検証機関がないのは遙かに問題だ。戦争の物理的資料を展示するのは、本来神社のすべきことではない。現在の自衛隊が、靖国神社の合祀に深く静かに潜行していることになぜこれをメディアは追及しないのか、不思議だ。

短歌は三十一文字の定型詩で古代から抒情が基本。日本の四季風土があればこそ発達した文学。だからいわゆる社会詠と称される短歌は、いきおいテレビや新聞で得た知識を個人の忖度・斟酌になる。だから己の政治的発言に終始して、芸術性は希薄になり“ツマラナイ”説明になってしまうのだろう。筆者の短歌はこれが多いから顰蹙!を買っている。短歌をたしなむ人はおおむね紳士淑女が多い。著名な歌人は、学者・医師などで生臭い政治最前線の人は皆無といっていい。短歌の世界では日本の近くでミサイルが発射されても、それが恐怖として歌になることは無い。

ここから先は、個人の意見。短歌が四季という気候風土を背景とした抒情を中心に据えれば、庶民の生活を縛るときの権力者の施策はおおむね否定される。だがそれは民主主義を謳歌する戦後のこと。戦前、斎藤茂吉など国策に協力させられた歌人は多い。島崎藤村などあの悪名高き「戦陣訓」の校訂を余儀なくされた。だが率先してナチス・ドイツを礼賛した戦前の新聞社より許容されるべきだ。

最近の筆者の乱読による読解では、日本を支配しているのは、財閥 and 霞ヶ関官庁であるのが解る! 主権在民はタテマエ。NHKで放送される国会審議を見ていると国会・内閣は、目に見えるタテマエの部分だろう。東京墨田区選出の衆議院議員が審議中居眠りをしたり、スマホに夢中になったりしていたのが報道された。法務大臣を首になった“怖い顔”の女性。そんな人でも当選すれば立派な国会議員。だがこれは好き嫌いの問題。

安倍晋三内閣の外交姿勢は支持するが、アベノミクスは失敗ではないのかと思う。ハボマイを読めない大臣が居た。そんなところから内閣は蝕まれて行く。日本の総理大臣は安倍晋三も野田佳彦も民主主義者だ。日本が習近平・金正恩という独裁者に支配される国でないのが嬉しい限りだ。政権を批判すると中国では行方不明、北朝鮮では粛清処分される。「日本に生まれてまあよかった」という本があった。筆者の考え方は借り物の思想と批判されても太平洋戦争に関しては、今、資料を可能な限り収集、事実を提示して理想論・精神論を排除したい。だが処理能力を超える隘路に迷い込んだ気がする。

月末の短歌結社の仕事が来ました。ブログ記述はしばらく休みます。

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