2016/11/10  18:09

また11月10日  身辺些事
定年までの勤務先は秋葉原、通勤をしなくてもいい年齢になると首都圏の交通事情は途端に疎くなる。また覚えようとしない。何がびっくりしたかと云えば東海道線の東京駅発着が無くなったこと。神奈川県から行けば高崎線直通とかで東京の次は上野になる。秋葉原に停車しないのは如何なる計算か。

昔、中央競馬の中山競馬場、府中の東京競馬場に入り浸っていたころ、総武線西船橋から南武線府中本町まで武蔵野線が出来た。秋葉原からつくばエクスプレスもできた。多くの私鉄も東京メトロ、都営地下鉄と繋がって湘南に住む老人には首都圏への交通事情は縁遠いものになった。ひとつ知っていることは、品川からの以西の京浜急行と上野から以東の京成電鉄は、レールが広軌道で、都営地下鉄で繋がったこと。

昨日は義弟の納骨・一回忌で武蔵野線吉川美南まで行った。新松戸からの乗り換えで拙宅から三時間。駅から墓地までの距離は杖突老人には堪えた。自分の死去後は妹と義弟に始末してもらおうと考えていたら義弟に先に死なれた。諸行無常、生者必衰の理あり、神は無常だ。

 高倉健森繁久彌森光子吾が父も逝きし十一月十日

本日11月10日は筆者の実父の命日、昭和20年のこと。これは短歌としては単なる報告で短歌会での評判は悪かった。添付の画像は、ブログで何度も使用したが、二等兵の実父の上官が部下の兵隊の戦病死を、戦後知らせてくれたものもの。以下は通称らしい。

肝第三三二二部隊第二中隊長 陸軍大尉 渡邊辰彌

正確には「独立歩兵第二二二部隊第二中隊」らしいが生き残った軍人の戦史はない。類推するとネットには「独立歩兵第二二二大隊第四中隊会 千葉県 独立歩兵第8旅団 肝3322 南支」とあるからこれが該当する。中隊は100人規模で指揮官は陸軍中尉、大尉ならば大隊で500人規模の筈。おそらく中尉も戦死していたのではないかと思う。

南支は今の中国山西省か広東省。尉官クラスの軍人は、戦争最前線の指揮官、一般市民の兵士の生死を左右する現場の責任者だった。二万人規模を率いる師団長は多くが評価されている。いけないのはその上のいわゆる司令官だった。当時の司令官は、おそまつな政略に左右される中将クラスだから物理的な一般兵士の生死は後回しにして組織の存続に終始した。そういう連中は生き残って手厚い軍人恩給で暮らした。戦争の責任を痛感、自決した軍人もいるがそれは僅かだ。

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