2017/3/29  22:50

エッセイの昭和 番外編  昭和史
その昔、あまり読みもせず多くの書物を購入したのは、印刷の製版の現場、活字の文字を拾う文選、それを組む植字の参考の意味合いが濃かった。むろん小説を読むのが好きなのは、今も昔も同じ。単行本より安価な文庫を多く購入した。だが鉛の活字の文庫本は、当時は8ポイント仕様、文字数は42字前後、左右は16行〜18行。今では売れる作家の重版、新人の作家の書物でも文庫・単行本に関わらず9ポイント仕様。10ポイントはおよそ3. 5o。

いわゆる「菊版」の単行本は、今も昔も少ない。正式には菊版は、全紙の32分割。A5判(月刊誌大)よりやや大きく、B5判(週刊誌大)より小さい。昔、菊版の雑誌があった。至文堂の『解釈と鑑賞』、學燈社の『國文學』。共に月刊誌で国文学を専攻する大学生や専門家が引用する文学専門の学術雑誌だった。共に発行元の出版社は東京都新宿区、この雑誌をいつも求めたのは神田神保町。新宿には早稲田大学があり、神田御茶ノ水は明治大学、中央大学、日本大学があった。前者は2011年、後者は2009年に休刊している。共にインターネットが普及したので需要が少なくなったことを推察する。

解釈と鑑賞』は8ポイント30字×2段組×208頁。今では老眼用(近眼だが)の眼鏡を使用しないと読めない。ここでは印刷・製版の感想を述べて置く。鉛の活字の製版は、あくまで物理的作業だったことにある。それを列記する。

縦横の罫線は亜鉛罫を使用。アルミ罫は1ポイント。通常は5号活字(10. 5ポイント)の8分の1を使用。
表題は模様入りの亜鉛罫を囲みとして使用。鉛だから柔らかく固いものにぶつかると凹んで印刷できなくなった。
鉛の活字のいちばん大きいものは初号(42ポイント)。基本は5号。表題は2号(21ポイント)が多く、これは明朝体では圧倒的に印圧感があった。
ルビ、圏点は職人泣かせ!で国文学にはフリガナが多かった。漢文などは更に面倒で返り点、はみ出しの記号もあった。行間を調節して挿入した。
写真は銅板を使用。銅板は、銅を塩酸?で腐食させて作られたもの。
菊版の製版の原版は縦19p、横12pがあり、ゲラ(木製の箱)に2ページが納められ、210頁なら105枚が必要、鉛は重いから全体の重量は大変なものだった。場所も必要とした。
柔らかい鉛の活字の原版では、鉛の突端は摩滅するから5000枚程度が限度だった。それ以上ものは紙型(原版に特殊な厚紙を載せ模る)を取り、その紙型に溶かした鉛を流し込んで複製した。新聞社は紙型を使って輪転機用の丸みを帯びた複製版を空輸、地方に送った。

コンピュータの発展で以上の製版の作業は全て解決、製版技術は殆ど20年で様変わりして想像だに出来なかった。活版印刷は、今では名刺・葉書のみ?になっている。東銀座に中村活字、昔、入船町にあった築地活版は今も横浜で鉛の活字を販売している。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します
0

2017/3/28  22:11

エッセイの昭和07  昭和史
昭和45年、発行の「日本人とユダヤ人」は300万部を超えるベストラー。翌年、角川文庫を購入、一気に読んだが、後半の聖書の世界になると理解不能だった記憶がある。「日本人は安全と水はタダだと思っている」とは、発見で以後「日本人と〇〇」というそれに肖る日本人論がよく発行された。それよりも前に日本と欧州の国民性の相違を著わしたのが後述の鯖田豊之氏だった。

戦争と人間の風土』(鯖田豊之・新潮選書 四六判・ソフトカバー、9ポイント42字×17行×288頁)は、昭和42年発行。著者は前年41年に『肉食の思想』(中公新書 9ポイント×42字×16行×282頁)が発行されていて注目を浴びていた。日本人とヨーロッパ人の食生活の違いから日本とヨーロッパ文明の相違を著わした。この書が翌年の「戦争論」に繋がった。

鯖田豊之氏の著作は、いわゆる日本人論の魁である。前記2冊には、自分の書き込みもあり、繰り返し読んだ筈だが40年以上も前の20代の後半、あまり覚えていない。だが大いに触発された指摘は「日本人の同一性」だった。すなわち日本人は日本語を話し、日本民族であって伝統的な日本文化の中で暮らしている、ということで“眼から鱗”だった気がする。

この書は重版され、平成時代にも復刻されたらしいから個人的な感想の解説は虚しいが、欧米と日本の戦争観を捕虜の実態から照射したのが特徴。大陸狩猟民族は、戦争は食料争奪の戦いであったことが、専門の西洋中世史から説き起こされている。日本人は捕虜になったら“死ね”が戦陣訓だった。捕虜が想定外ならその処し方の教育はされていない。日本という国は、物理的な戦争も精神論が凌駕した。戦闘・戦術はあっても戦略・政略は無かった。今でも戦争はただただ「」であると捉えているから防衛・守備さえ忌避される。

昭和42年は、1967年、明治100年だった。これを象徴するのか。この年、秋に戦後5度も内閣を担当した吉田茂が89歳で亡くなった。春に衆議院選挙が行われ、初めて国政選挙を体験。以来、選挙という選挙は皆勤だ。

クリックすると元のサイズで表示します
0

2017/3/22  20:58

エッセイの昭和06  昭和史
昭和44年・45年、京都・奈良の同じところを日本史愛好会の仲間と旅した。京都南部の浄瑠璃寺・岩船寺、奈良の室生寺・長谷寺だった。当時は、皆20代で若く且つ貧乏!なので、ユースホステルを利用したように思う。このユースホステルが今も存在するのかよく知らない。当時は、旅行社のパック旅など皆無だったので自分たちで計画をたて、新幹線など利用せず、往きは夜行列車に乗り、帰路のみ新幹線の自由席だった。それでも往復の交通手段に草臥れた記憶はない。

この二度の関西旅行で記憶にしっかり残ったのが、室生寺へ行くときの車窓から見た「大野寺の摩崖仏」、浄瑠璃寺近辺の「当尾(とうの)の石仏」群だった。浄瑠璃寺の阿弥陀如来・三重塔、室生寺の金堂・五重塔は、国宝ゆえに歴史の財産で、誰でも圧倒されると思う。だが古都であっても路傍の仏、野ざらしの仏は、それほど印象に残ることは無い。田畑の畦道を歩いたりして見学、素朴ゆえに何がしか記憶の底に残ったものと思う。神奈川県北部から山梨・長野にかけては道祖神が分布、これは幼い頃から馴染みだ。野ざらしゆえに朽ちる運命の石仏・道祖神は、自分の感性に合ったということになる。神仏の違いはあるが。

今では石仏・道祖神関係の書は写真集も含め、案内書もかなり集まってしまい、捨てられなくなった。そこから著書を通して知ったのが、加藤恵(けい)という旅案内・日本史紀行の作家。最近調べたら“ケイ”は、「かおりぐさ」とも読み、紫蘭の別名らしい。加藤恵の本は4冊を数える。「野の道・野の塔・野の仏」(読売新聞社 B6判・上製本、9ポイント×45字×17行×288頁)」は、日本史・仏教・探訪を基にした紀行エッセイの先駆的な著書。他に「日本古代史の旅」(四六判・新人物往来社)、「武蔵野の石仏」(カラーブックス・文庫仕様)、「鎌倉 ブルーガイドブックス、小B6判」がある。

加藤恵氏には年賀状を書き、返礼も頂いた。最近著作は見当たらない。1929年生だから元気で居られるなら80歳代後半。

加藤氏の名前は「恵」の上にくさかんむりが着く。文字化けのため添付の著書の表紙をご覧頂きたい。

月末の仕事、短歌の原稿がどっさり到着。来週までこのブログは休みます。

クリックすると元のサイズで表示します
0

2017/3/21  21:22

エッセイの昭和05  昭和史
山口瞳は1926年生。いわゆる数え年なら昭和の元号と同じ。平成07年・1995年に70歳を前に死去している。昭和38年(1963)に『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞を受賞。作家に専念する前には洋酒の「寿屋」に勤務していた(現サントリー)。何と言っても一世を風靡した「トリスを飲んでHawaiへ行こう!」とのコピーで有名だ。特筆されるのは週刊新潮に連載された「男性自身」というエッセイ。昭和38年から亡くなるまで31年間、単純に計算して1500回も続いた。これは新潮文庫で27冊、発行されている。

添付の書『旦那の意見』(中央公論社)は、昭和52年の発行。(四六判・上製本、9ポイント、43字×17行×256頁)。当時は「ロッキード事件」で、田中角栄・前総理大臣が逮捕されたあとである。「下駄と背広」で、その総理大臣の如何わしさ!を手厳しく批判している。1冊のみ所持している「男性自身」シリーズの「巨人ファン善人説」(新潮文庫・昭和62年発行)も活版印刷。こちらは8ポイント、41字×18行×318頁。

活版印刷の製版では“ぶら下がり”という処置があった。44字なら45字目が句読点・句点(ハジマルと現場では称した、文章の最後の小さい○)の場合一文字が下揃えから、はみ出る処置だった。それが鍵括弧の下の部分になれば、鍵括弧の下部と共に次行へ送る。したがってそこが一字、空白になる。それを解消するために「四分割り」の処置をした。活字は全て真四角、4分割した鉛の込め物で一行・44字の中に処理して整えた。これはどんな高級な書でも同様だ。今のコンピュータの製版では44字なら1字・2字少なかろうと1行の中で処理される仕組みになっている。

前述の「下駄と背広」では、山口瞳は、田中角栄は嫌いな政治家では決してないが、誰が何と言っても、これだけは許さない、と「靴下に下駄ばき」を非難している。背広でネクタイをしめて靴下を履き、下駄ばきで庭石の上に立ち、鯉に餌を与える、あのお馴染みのシーンである。ここだけは評論家・立花隆に賛同、「政治を土建屋の感覚でやる人」と胡散臭さを厳しく指摘している。

昭和52年は、前年自民党副総裁の椎名悦三郎裁定によって三木武夫政権だった。この事件に違和感を覚えたのは自民党の実力者だった。最近のNHK特集でも、この事件はアメリカの陰謀だったことがほぼ解っている。だからではないだろうが、日本の司法最前線は、よほどのことが無い限り、大物政治家を逮捕することは慎重になっていると思う。

クリックすると元のサイズで表示します
0

2017/3/20  22:26

森友問題  身辺世相
昭和の活版印刷の回想を基本に、いい気持ちで過去の単行本のエッセイを記述しているのに、ここのところ世情は賑やかだ。籠池、鴻池、小池と昔の活版印刷だったら“池”の字の大小の活字をたくさん用意しなければいけない。

大阪の「森友学園」という私立の小学校設置からして何だかいかがわしい気がするが、素人でも今、判ることだが「安倍総理大臣夫妻」が寄付金集めに大いに利用されたということだ。昔、大宅壮一が「男の顔は履歴書」(「女の顔は請求書」と言ったのは藤本義一)と言ったが、顔の造作のことは、言うべきではないものの籠池という人物は一見して何だかいかがわしい。

森友問題とは、そもそもは、財務省近畿財務局が、大阪府豊中市の国有地を一学校法人に安価で払い下げていたことが発覚したことらしいが、名誉校長を安易に引き受けた総理夫人が更に問題を大きくした格好。こうなるとワイドショーの内容にはテレビ局は困らない。そこへ議員にならない前に弁護を引き受けた「稲田朋美」防衛大臣にも飛び火した。籠池氏の自宅にまで赴いた野党の参議院議員もニュースに映し出されて、これも何だか如何わしい。国有地を一学校法人に売り払ったのは財務省なのではないのか。財務大臣の麻生太郎氏は、あまり問題にならないらしい。

籠池氏の自宅に、与野党の参議院議員が乗り込んだ。日本共産党の小池氏、自由党の森裕子氏は省いて、そこに代議士4人だけの社民党の「福島瑞穂」登場となると何だか更に胡散臭い。石原慎太郎氏が「小池百合子」に“厚化粧のおばさん”と言って100万票?は、小池氏に流れたと?思うが、福島瑞穂は、元祖・厚化粧のおばさん。薄化粧の“網タイツの女王”は、稲田朋美防衛大臣。両者、弁護士資格を持つ才女!だと思うが、与野党・衆参と分かれていても二人の弁護士議員・大臣は「何だかなァ」と思う次第。

支持率の高い安倍内閣を攻めあぐむ野党は「森友問題」に焦点を絞りつつあるが、安倍晋三総理の失敗は、網タイツ着用で下半身が艶めかしい稲田朋美に肩入れしたことだ。この人は、防衛問題など定見を持たない。早く交代させるべきだ。将来の女性総理候補などとんでもないと思う。東京都議会議員選挙の前に衆議院を解散して後、内閣を一新。大物を防衛大臣にしなければ、世界情勢に対処できない。北朝鮮のミサイルが秋田県沖に着弾しているのに、政治もメディアも明らかな「平和ボケ」だ。朝鮮半島は暴発寸前なのではないか。

画像はネットより無断拝借。許されたい。

クリックすると元のサイズで表示します
1

2017/3/19  21:25

エッセイの昭和04  昭和史
坂道と雲と』(角川書店、昭和47年発行、四六判・9ポイント43字×18行・320頁)。著者にとっては3冊目の随筆。この本が刊行されたのは昭和47年11月、04月に川端康成が逗子のマンションでガス自殺した。三島由紀夫が割腹自殺したのは昭和45年。川端・三島の自殺を大いに比較している。この年、田中角栄内閣発足、札幌五輪、日本赤軍など列記されるが、この随筆は政治的なものには一切触れていない。小説の舞台の鎌倉、旅、きもの、酒、作庭記など新聞、雑誌に発表した随筆が多数。

『心のふるさとをゆく』44年、『秘すれば花』46年、『風景と慰藉』49年、『夢幻のなか』51年、『日本の庭』52年、『冬の花』55年、『紫匂ひ』56年、などの随筆集があった。いずれも上製本。

立原正秋という純文学・大衆文学、どちらも熟す作家が居た。昭和55年、54歳の若さなのに食道がんで亡くなった。直木賞受賞後、新聞・週刊誌連載など流行作家の仲間入り、その絶頂期の死去なので衝撃的に報道された。「その年の冬」という新聞小説が読売新聞で終了したばかりだったので、読売新聞では社会面に大きな記事になったのを覚えている。添付の本は随筆集。

この作家は、本人は父母共に朝鮮貴族と日本人の日韓混血という触れ込みだったが、これは立原自身の創作で純粋の朝鮮人だったことが今では解っている。1926・大正15年生だから昭和の元号とほぼ同じ。三島由紀夫は大正14年生だったからこれは昭和の元号と年齢が同じだった。

立原は戦前、創氏創名を経験している。日本人女性と戦後、結婚して日本に帰化した。どの本に記されていたか忘れたが、戦前、差別があり希望する高校?に進学できなかったこともあったらしい。大学は、早稲田大学国文科中退。『剣ヶ崎』で芥川賞候補、『白い罌粟』で直木賞受賞。『冬の旅』がベストセラーになり、テレビドラマ化された。昭和40年頃から15年間だが多くの作品を刊行、映画・ドラマ化されたものも多い。

出版社からの借金で鎌倉市の当時は開発中の梶原に邸宅を構えた。中世の日本文学が原点なので、能・陶磁器・日本庭園を好んで自宅も豪華ではないが凝ったものであることが、のちの随筆で解る。その頃なのか、昭和46年頃、友人と鎌倉を散策しているときに鎌倉駅西口で出くわしたことがある。夏だったのか白い和服(浴衣?)着用で編集者を引き連れていた。昼間から顔が赤かった。

クリックすると元のサイズで表示します
0

2017/3/18  21:22

エッセイの昭和03  昭和史
日本教の社会学』山本七平・小室直樹 講談社 昭和56年08月発行。
(四六判9ポイント44字×18行×352頁)。
元、植字工の筆者に言わせれば、この本の製版はかなり面倒だった筈。小室直樹の博学は、日本語に多くの片仮名のルビを加えている。当然ルビは4・5ポイント。本文の右側に込め物を除去して甚だ小さい活字を挿入する。目のいい若手でなければこの製版は不可能だったように思う。製版工泣かせだ。以下は巻末の著者紹介を引用。

山本七平(やまもと・しちへい)1921・大正10年生。青山学院卒業。1944年、ルソソ島へ派遣され、第103師団砲兵隊本部付、少尉にて終戦。1947年、帰国。1958年、山本書店創立、1991年・平成03年死去。主な著書に「ある異常体験者の偏見」、「私の中の日本軍」、「日本教について」(文芸春秋)、「聖書の常識」(講談社刊)ほか多数。

小室直樹(こむろ・なおき)1933・昭和08年生。2010年・平成22年死去。京都大学理学部卒業後渡米。ハーバード大学、東大大学院などに通算16年間在籍。物理学、理論経済学、政治学、文化人頬学などの学問をおさめる。主な著書「ソビエト帝国の崩壊」(光文社)、ほか学術論文多数がある。

何といっても山本七平は、イザヤ・ベンダサンというペン・ネームで『日本人とユダヤ人』が300万部を超えるベストラーとなったことで知られる。「日本人は、安全と水はタダだと思っている」は、戦後民主主義の欺瞞を突いた。小室直樹は天才肌の学者だが、奇人と云われる性格が災いして大学教授などがなかなか務まらなかった。東京工業大学特任教授だけは4年間勤務した。『ソビエト帝国の崩壊』は、旧ソビエト連邦崩壊の10年以上前に予測したことで一躍その名を轟かせた。それ以来著書は多数。

ここでは第2章の「戦前日本は軍国主義国家ではない」から所謂「百人斬り」の項目に触れたい。結論としてこれは、戦争を煽ったメディアの戦意高揚のデタラメな記事だった。ただ戦後昭和22年、GHQが二人を逮捕して中国へ送って死刑になった。「百人斬り競争」とは、日中戦争(支那事変)初期、帝国陸軍の野田毅少尉と向井敏明少尉が、日本刀でどちらが早く100人斬るかを競ったとされる行為である。今は、大人しくしている朝日新聞記者・本多勝一とイザヤ・ベンダサンが昭和40年代雑誌「諸君」で激しくやり合った。むろん本多は、朝日の記者で戦前の大日本帝国は“悪の権化”だとの主張。戦前いちばん戦争を煽ったのは朝日新聞なのにである。

ベンダサンこと山本七平は、学徒出陣の幹部候補生だった。戦争最前線、それも砲兵隊を経験した者でなければ解らない山本の指摘は、事実を語っていると思う。それは指揮系統のことだから猶更だ。つまり歩兵砲小隊長(向井)が砲兵隊を離れ、大隊副官(野田)が司令官の傍を離れて個人的な勲功を競うなどということが有り得ないことで、とんでもない軍律違反であることを論破。序に一本の日本刀で一人50人は切れないことを指摘している。でもいったんそんなこともあっただろうとの現在の“全体の空気”は容易に晴れない。

クリックすると元のサイズで表示します
1

2017/3/17  19:59

エッセイの昭和02  昭和史
裏窓の風景』(英潮社発行 B6判9ポイント42字×16行×216頁)
著者・外山滋比古は、英文学者・言語学者、大正12年生で現在94歳。著書をウィキペディアで検索すると多分100冊になんなんとする。

殆んどの単行本が、いわゆる“四六判”で、ハードカバー(上製本)にしろ並製本のソフトカバーにしろ、手触り感は手頃で読み易い。寸法は4寸×6寸、127o×188o。全紙は788o×1091oで32面に分割される寸法。これは普通「四六判」と呼称され単行本としては最も多い。全紙を5回折ると32面になる。B6判はやや小さく高さが数ミリ少なく182o×128o。この四六判よりやや大きいのがA5判で、通常の月刊誌の大きさになる。

本書は「英語文学世界」という小冊子の編集後記をまとめたもので1977年・昭和52年発行。見開き2頁がひとつの項目になっていて春夏秋冬・雑に分かれ夫々が20項目、計100点。その中の一つ「都電」は懐かしい。

筆者の私もこの昭和46年頃までは都電を使用していた。今より車の通行は、かなり少なかった。江東区佐賀町、永代橋脇の公団住宅に住んでいた。流しが付いているが、トイレもシャワーも共同の刑務所の独房のような趣だった。これでも申し込む時は、29倍の競争率で、これに当選。筆者の運はこれで使い果たした気がする。この佐賀町から都電に乗り、当時開通したばかりの地下鉄日比谷線の茅場町まで行く。そこからこの地下鉄に乗り換え、秋葉原まで乗る。あとは神田明神下の勤務先まで歩いた。都電が廃止された後の昭和47年からはJR錦糸町から日本橋を経て東京駅までは都バスが運行された。

結局、昭和46年から54年まで、毎日永代橋を越えて戻ったことになる。偶然だが、筆者の戸籍上の兄弟の弟が28歳頃より都バスの運転手。この錦糸町─東京駅間が、ほぼ専門だったらしい。弟の運転する都バスに乗車したことがある。当時は、運転手は国鉄・地下鉄・バスもフリーパスだった。筆者も地下鉄の定期券で都バスに無賃乗車した。ただし弟の運転のバスだけである。もう遙か40数年前のことだから時効だろう。

クリックすると元のサイズで表示します
0

2017/3/15  23:10

エッセイの昭和01  昭和史
「なぜアマゾンは一円で本が売れるのか」で、活版印刷の終焉と大日本印刷のことにも少しく触れていて「鉛の活字」の製版を思い出した。筆者の勤務した印刷会社も今から20年前の平成09年までは、鉛の活字を使用して製版、最後まで使用した印刷機は、ドイツ・ハイデルブルグの「プラテン」。厚紙のカードやハガキへの印刷では抜群の印圧感があった。

筆者の自分が現役のうちに活版印刷が終焉するとは思わなかった。製版の参考にと買い集めたのが、主に四六判の単行本。自分の読書用の文庫本も多数購入したのは言うまでもない。ここでは上製本、いわゆるハードカバー・ソフトカバーのエッセイを再読して作家・活版印刷・昭和の世相を追憶する。

日本の挽歌─失われゆく暮らしのかたち
角川選書 昭和55年発行 四六判、ソフトカバー(並製本)9ポイント44字×15行×260頁。俳句の引用の部分は、9ポイント21文字、189ポイント間隔に10〜15文字の俳句が組まれ、ルビ(フリガナ)も多い。鉛の活字の組版作業は、物理的決して楽ではなかった筈。短歌は、基本的に字間は開けない。

森本哲郎氏は2014年・平成26年、88歳で亡くなられた。東京新聞・朝日新聞の記者を歴任。長い間、フリーの文明評論家で著書は60冊を数える。NHK出身の森本毅郎氏は、実弟で77歳。レギュラー番組がある。

火鉢・井戸・蚊帳・提灯・屏風などの俳句・短歌を引用しつつ「“なつかしい日本”をさぐる」が謳い文句。24項目のうち「ゆるい下駄」感想を述べる。

今では観光名所とか浴衣着用でないと下駄は履かない。アスファルトやコンクリートの地面が多くなったから擦り減る度合いが多い木製の履物が廃れた。都市化と反比例しているのが解る。安価でゴム底の運動靴やサンダルが今では主流。昭和57年「男はつらいよ─寅次郎あじさいの恋」では、冒頭、京都市内で鼻緒の切れた老人に主人公が手持ちの手拭を裂き、ただちに鼻緒をすげて助ける。これが人間国宝の陶器製作者だった(先代・片岡仁左衛門)。ここで働くのがいしだあゆみのマドンナで物語が始まる。以下割愛するが、鎌倉のアジサイ寺は北鎌倉明月院ではなく、長谷の成就院だったのを記憶する。

クリックすると元のサイズで表示します
0

2017/3/11  21:57

弾劾と独裁  身辺世相
韓国はどうも常識では通用しない国だ。湘南の評論家を自認する筆者の淡い希望は見事に打ち砕かれた。自分たちが四年前に清廉潔白な大統領と選んだばかりなのに韓国の「憲法裁判所」の判事全員が朴槿恵大統領を弾劾する道を選んだ。なにしろドロボーが奪って行った長崎県対馬の日本の仏像を返さなくていいと判断した裁判所のある国。日本的常識は通用しない。

僅かに朴槿恵大統領を支持する勢力もあるようだから少しは救いがある。弾劾が決まったら涙を流して喜び、祝杯をあげる韓国国民がいる。やはりこれは可笑しい。李氏朝鮮500年の拭いきれぬ格差は、現代も続いていることなのだろう。国民の10%が両班(ヤンパン)という支配階級、残りが賎民で貧民、労働階級だった。この構図は現代も変わらない。

北朝鮮も同じような政治機構だ。韓国のほうがいくらかマシだと思うのは独裁ではないことだ。核兵器を手離さないことが独裁維持で、逆らう者は自分の実兄でも暗殺する国でもっと恐ろしい。

日本という国は、本当に安全で長閑な国だ。秋田県沖にミサイルが着弾しても日本の国会は、これを取り上げないし、一教育法人のツマラナイ問題に集中して省みることはない。長閑だ。参院の予算委員会では、野党第一党・民進党の蓮舫代表は「森友学園問題」だったらしい。こんな二重国籍も曖昧な、それも参議院議員が代表なら二度と民進党に政権は渡らないだろう。

他の野党の議員もいわゆる“印象操作”に専念して何とか安倍政権の失点を取ることに終始して、朝鮮半島の崩壊には「見て見ぬふり」だ。北朝鮮が、在日米軍を擁する横須賀市、青森県三沢市、沖縄県などを「標的」にしているらしいが、与野党ともに無視なのか。よく解らない。

日米韓の連携は風前の灯のような気がする。北朝鮮が友好国・マレーシアで化学兵器のVXを使用して金正男を殺害したことに日本は鈍感だ。間違いなく朝鮮半島は近々、何かが暴発するだろうが、なるべく無視すべきだ。朝鮮半島の間には、日本海が横たわっていることが最大の防衛だ。

クリックすると元のサイズで表示します
1


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ