2017/8/7  22:03

諸刃の剣  政治
幼い頃は、今のJR平塚駅にほど近いところに自宅があった。子供の足で歩いても直ぐ近くに河野一郎、河野謙三邸があった。どちらの家も今で云う豪邸だった。河野一郎は衆議院議員、河野謙三は参議院議員だったのは大人になってから知った、兄弟である。河野一郎は、いわゆる党人派の実力者、池田勇人首相からの禅譲を待っていたが反故にされた。党人派の大物だったが、失意のなか昭和40年、腹部大動脈破裂で死亡。河野邸は放火にも遭遇している。

息子の河野洋平は地盤を引き継いで衆議院議員になった。昭和51年には、西岡武夫、山口敏夫などと共に「新自由クラブ」を結成して自民党を離脱した。当時は大ブームになって中選挙区時代の神奈川選挙区では5人がトップ当選している。自民党に復帰したあと総裁にまで上り詰めたが自民党・社会党・さきがけ連立政権で、あろうことか村山富市に首相の座を譲り自分は外務大臣に甘んじた。後の自民党総裁選でも橋本龍太郎が立候補すると「勝ち目が無い」とみるや鉾を治めて断念した。総理大臣に縁のない政治家だった。

その倅が、今度の第三次安倍政権・第三次改造内閣の目玉として外務大臣に抜擢された。河野太郎は安倍政権にとっては多分“諸刃の剣(つるぎ)”のような気がする。アメリカの大学出身だというから文科省の林邦正もそうだが、アメリカ人も唸る英語の遣い手らしい。何故諸刃の剣なのかは、父親の「河野談話」は甚だ如何わしいもので、この談話を「是」とする者、「非」とする側の双方から踏絵のように突き付けられることが予想されるからである。これを承知で安倍首相は、外務大臣に起用した。

平成05年、宮澤喜一内閣崩壊の一週間前に河野洋平は、いわゆる「河野官房長官談話」を出して決着済みの慰安婦問題に謝罪して、今もこれを引き摺っている。韓国外務省と打ち合わせをしつつ「河野談話」が作成されたことが、今では解っていても、これを恥とは思わないのは悲しい。秋の臨時国会では、この談話をどうやって追及しようかと与・野党も作戦を練っているに相違ない。内閣の一員となった河野太郎はどう発言するのか。安倍政権の「諸刃の剣」なのは確かだ。

美談として語られるが、子が父の生体肝移植のドナーになって、父の命を救ったことである。これは平成14年・2002年。父・洋平は「毎日、免疫抑制剤を飲みながら」無事であるらしい。

クリックすると元のサイズで表示します
0


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ