2018/4/4  22:08

無名鬼の妻  読書
山口弘子著『無名鬼の妻』(作品社)を読んだ。著者は「りとむ」短歌会所属の歌人。「無名鬼」とは文芸誌の誌名だが、発行者の文芸評論家にして歌人・小説家だった村上一郎のことをも指す。筆者は、村上の著作は2冊ほど所持していたが、いわゆる小難しい理論を展開する右翼の評論家だと思っていた。村上は三島由紀夫(『尚武のこころ』日本教文社)と対談していたが、筆者の記憶では評論家の村上兵衛だと誤解していた。村上兵衛は陸軍士官学校出身の近衛連隊の旗手で画像も残っている。村上一郎は海軍出身である。一橋大学繰上げ卒業のあと海軍主計士官で海軍中尉。

この村上一郎と結婚したのが長谷えみ子。長谷は今も95歳で存命。「りとむ」短歌会の現役の歌人で尚「日本伝統工芸展」に出品するほどの人形作家であり作歌より経歴が長い。歌人「りとむ」で同人の山口弘子が著わした内容は、村上と長谷の家族の物語。ここに詳説されているが、村上は、能力は高いが、マイナーな作家だった。昭和50年頸部を日本刀で切り自殺している。1920年・大正09年生で54歳だった。重度の躁鬱病で入退院を繰り返していた。作品は概ね“躁”の状態のときに一気に書かれたらしい。

この本を読んで長谷えみ子に親近感を覚えたのはいわゆる“大検”(大学入学資格検定試験)の経験者だったこと。長谷は昔の女学校卒だが、戦後では高校二年生相当で大学入学資格はない。足りない単位の数学・物理など5科目に挑戦。後に通信教育だが慶応大学に学んでいる。長女の真理子(1948生)を育てながらの受験だった。筆者は定時制高校のしかも工業高校電気科だから、単位は圧倒的に足らず全科目14教科の半分を受験した。英語が出来ず3回受験した。長谷えみ子は向学心旺盛で芸術的才能も旺盛。村上亡きあとも乞われて再婚、二度目の男性も病気がちだった。二人の男性の病気をサポートする人生だった。今は軽費老人ホームで暮らしている。

『風に伝へむ』より
 罪深き日々なりしかも春の花みな集めきて風に伝へむ
 思ひ切り生きてみよとぞ聴く哀し春の墓辺のきみは風にて
 冴返る日ぞ身を緊めよ不器用に生きしひとりの死の憶ひ出に

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