2019/9/29  20:46

タケシバオー  昭和史
本日、船橋市の中山競馬場で中央競馬のGT(グレード1・サラブレッド競争の一番格上)スプリンターズステークス(1200m)があり、タワーオブロンドンという馬が勝った。一着賞金は1億1000万円。因みにダービー・有馬記念などは、今は3億円だ。だから安い馬を勝って馬主になった人は大儲け。1億円以上もする血統ある馬を購入しても一度も勝てない馬もいる。競馬の世界は厳しい。

昭和44年、アポロが月面着陸、東大安田講堂攻防戦、映画「男はつらいよ」の封切、年末に総選挙があった年、筆者は25歳だった。友人を真似して、この年の春、中央競馬の馬券を中山競馬場で的中。200円が6000円になったのがいわゆるビギナーズラック。

馬券が的中、非的中(この方が多い)に拘わず、この年、凄い馬がいた。母系がオーストラリアから導入されていて、母の名はタカツナミ、4人の馬主の頭文字だった。この馬は成績が上がらず、最後に「競友」とういう競馬新聞社社長小畑氏がしぶしぶ200万円で引き取った。この馬が昭和40年に産んだ牡馬がタケシバオー。前評判は悪く期待されていなかった。

だが昭和43年の皐月賞・ダービーは2着、菊花賞はフランス遠征で回避したが、明けて4歳、冬場の重賞を皮切りに春の天皇賞(3200m)を含めて怒濤の8連勝。日本で最初の1億円の賞金をゲットした。手離した馬主は多分切歯扼腕。今の賞金なら軽く10億円を突破している。春3200、秋に1200のG1は今では考えられない騎手の負担重量は62sだった。50sの騎手ならば12sの鉛が装備されているチョッキを装填することになる。

筆者はこのレースをリアルタイムで観た。しかも競馬場の4角(最後の曲り角)では後方、ゴールでは突き抜けた。添付はその時の競馬専門紙。鉛の活字の時代。一ページ組むのもたいへんだったと思う。記念に保存していた。

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