2020/8/31  22:24

コンビニ開店  身辺些事
筆者の私はゆえあって鰥の生活なのでコンビニを使用する。金目観音交差点脇にある「ローソン」の上得意?だ。通院など街中へ出ると帰り際、寄るのが岡崎という交通要所の交差点にある「デイリーヤマザキ」。ここは駐車場が広く大型トラックが駐車可能、この店舗でパンを焼いているので歯のない?小生には打ってつけ。体力勝負の労働者のために、小生には一個しか食べられない手作りの「大きなむすび」があって夕方行けば売り切れである。

拙宅の横のスーパーは6度目の経営変更。今度、ドラッグストアが九月中旬開店するが、一足先に東隣に「セブンイレブン」が開店した。早速二日続けて行ったが、開店したばかりなのかレジの女性は甚だ不愛想。

「マーガリンはどこにあるかと」聞いたら「無い」とけんもほろろ。他のコンビニと比較して子供向けのアイス、チョコなど冷凍食品のスペースが広い。主力はどこも同じ、しっかり結んでいない?むすびとパン類。ローソンには多少でも野菜や果物も置いてある。この拙宅の横のコンビニは元々下戸で禁煙5年なので筆者には用はない。今は煙草の値段も知らない。

1400坪の敷地、車は50台のスペース。昭和57年、拙宅を新築した時は「スーパー曽我の屋」、次に「エスパティオ」、「生鮮市場」、「スーパーしまむら」、「フラワーランド」と経営が変わった。今度はメインがドラッグストア。歩いて1分の隣のコンビニ、どうやら相性は悪い。ドラッグストアに併設される調剤薬局は多分お世話になる。

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2020/8/29  19:41

寄贈本  読書
今年06月頃、小生のブログのコメントに皇居の乾門の画像を転載させて頂きたいと書き込みがあった。筆者の画像など趣味の範囲で、著作権などどうでもいい。元画像の1. 5MBの「乾門」を送った。この門は通常、皇族が出入りする。最近は桜の季節、紅葉の季節に一般の人々が観覧できる。門の向う側の明るい部分に警察官がコントラストをなしていて、そこに着目されたのか。ヤフーで「皇居の門」と検索すると筆者のHP「歴史の舞台を行く」のなかに今もそのページがある。

その画像が掲載された著書が送られてきた。出版は大阪市福島区の「日本機関紙出版センター」。殆ど少人数で経営する出版社だろう。反権力のいわゆる左筋なのか。画像提供者に出来上がった本を送ってくるのは律儀で称賛される。偶然だが内容は筆者がこだわる「インパール作戦」に従軍して生還した人の話のようだ。舞台となったビルマ西部のチンドウィン川は、日本の天竜川と信濃川を併せたような大河。川幅が広く剣呑でもある。

何度も記述するが、この作戦の陸軍のヒエラルキー(序列)は、🔶参謀本部(杉山元)→🔶南方軍(寺内寿一)→🔶ビルマ方面軍(河辺正三)→🔶第15軍(牟田口廉也)→◇第31師団・烈(佐藤幸徳)・◇第15師団・祭(山内正文)・◇第33師団・弓(柳田元三)。この本の主人公は第15師団、通称「祭」。指揮官は理知的軍人の筆頭と評判の山内正文。三人の師団長は、この作戦は物理的に不可能と結論づけていた。牟田口は短期決戦・精神論一辺倒の現場を知らない指揮官。三人の師団長に直接命令することさえ嫌がり陸軍参謀を通して命令を下達した。日本軍は上官の命令は拒否できない。拒否すると憲兵に逮捕され軍法会議が待っている。

第15師団は、結果70%の1万人が犠牲となった。陸軍の組織の基本は、中隊100人、小隊50人、分隊10〜12人。日本陸軍の作戦指導は、基本的に現地のことは無視。あくまで机上の作図。作図に現地の土地の高低差、環境・風土・人間も無視する。唯我独尊の戦争指導で結論として大日本帝国は壊滅した。この本はまだ最後まで読んでいない。読解感想は何れ記述する。

皇居乾門の画像の依頼だが、筆者がインパール作戦のブログ記事を掲載していることとは偶然だった。筆者は第31師団(通称名・烈)第58連隊の生き残りの兵士を父(2年前96歳で死去)に持つマクドナルド昭子氏との交流。

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2020/8/24  23:56

近代日本の暗殺  日本史
明治維新から太平洋戦争終戦までの政府要人のいわゆる“暗殺”を著した書籍は殆どお目に掛かれない。一冊に纏めても売れる本ではない。しかし内容はかなり重要。夫々の経緯が夫々の著書に詳しく論考されている。暗殺と云えば幕末の坂本龍馬が有名。歴史に“たら、れば”は空しいが、この人物が暗殺されずにいたらと思う人物が多い。筆者の私が強調したいのが、明治維新に関わった薩長以外から初めての首相の原敬(はらたかし)。

原は議会制民主主義下の日本で政党人それも薩摩長州以外の東北の出身の総理だった。ここが近代政治の分岐点だった。明治維新世代の元老・山県有朋は政党政治を嫌ったが政党政治家のリアリズムに邁進する原を認めていた。原亡き後、山縣もかなり落ち込んで病死した。原は確実に国際協調を目指し軍人の跋扈を抑えた気がする。

永田鉄山(ながたてつざん)亡き後、85年を経過する。多くの識者が今でも昭和の軍人の天才として評価する。松本清張の『昭和史発掘』が端緒で世に知られた。陸軍内部のいわゆる統制派・皇道派の対立は熾烈を極めた。永田の軍務局長就任後、多くの皇道派の軍人を粛清した。昭和10年、皇道派の相沢三郎中佐に白昼堂々刺殺される。陸軍省の心臓部の軍務局が手薄なセキュリティに唖然とする。皇道派は天皇神格化、仮想敵はあくまでソ連。これが転機で翌11年、皇道派の青年将校が二・二六事件を起こす。

近代の国家総力戦を知悉する永田は統制派の筆頭。両者に常に軋轢があった。永田が無事であれば必ず陸軍大臣か参謀本部総長。東條英機、杉山元などという国際情勢も国際条約も知らない陸軍のことしか知らないボンクラの出番は無かった筈。「永田ありせば日米戦争など無かった」という多くの指摘がある。大久保、伊藤、原、犬養、永田への暗殺は愚者の行為で、確実に近代日本の損失だった。重ねて言うが永田鉄山が陸軍大臣だったら徴兵された一般兵の肉弾戦強要など無かった。

◇大村益次郎 1824〜1869 日本陸軍の創始者 45歳
倒幕・王政復古の戊辰戦争勝利。木戸孝允、大久保利通と共に明治新政府の幹部。元長州藩士のいわゆる守旧派の刺客に襲われ二か月後に死去。
大久保利通 1830〜1878 初代内務卿(実質総理大臣)47歳
西郷隆盛、桂小五郎と明治維新三傑と称される。薩摩出身、近代日本の政治のリーダー。石川県士族の反乱により千代田区紀尾井坂にて暗殺される。
伊藤 博文 1841〜1909 初代・5・7・10代総理大臣 68歳
松下村塾に学び日本帝国憲法を起草。日本初の議会政治の首相。朝鮮人の民族運動家・安重根に射殺される。初代韓国統監。実際は韓国の理解者。
原   敬 1856〜1921 第19代総理大臣 65歳
東京駅で19歳の少年・中岡艮一に刺殺される。総理大臣を刺殺して大審院では死刑を免れた。後に釈放。1980年まで生きる。背景に右翼の存在がある。
◇浜口 雄幸(おさち)1870〜1931 27代総理大臣 61歳
大蔵官僚出身。幣原喜重郎と同級生。立憲政友会総裁。東京駅で右翼・佐郷屋留雄に撃たれる。翌年、感染症で死亡。中国強硬派の森格の存在もある。
◇井上準之助 1869〜1932 浜口内閣大蔵大臣、日銀総裁 62歳
浜口雄幸内閣の大蔵大臣。荒療治で本本位制を復活。昭和恐慌の緊縮財政で海軍予算を削減、海軍・右翼に怨まれ團琢磨と共に血盟団に射殺された。
犬養  毅 1855〜1932 29代総理大臣 77歳
42年間、衆議院議員18回連続当選。西園寺公望の推薦で77歳で首相就任。五・一五事件に遭遇、海軍青年将校に自宅で襲撃される。5時間後に死亡。
永田 鉄山 1884─1935 陸軍省軍務局長 51歳
日本陸軍では石原莞爾と並び最高の逸材と今も称されている。陸軍内部の統制派、皇道派の抗争で、相沢三郎に白昼刺殺される。二・二六事件の原因。
◇高橋 是清(これきよ)1854〜1936 20代総理大臣 81歳
二・二六事件に遭遇、6発の銃弾に倒れる。昭和前半の財政立直しに尽力。
◇斎藤  実(まこと)1858〜1936 30代総理大臣。77歳
二・二六事件に遭遇。47発被弾して即死。海軍軍人出身。岩手県出身。歴代首相のなかでも最も英会話が堪能だった。着任したばかりのジョセフ・グルー米駐日大使は嘆いた。

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2020/8/19  23:47

太郎の国の物語  身辺世相
安倍総理大臣の体調が思わしくないらしい。平成24年暮から8年間、その座にある。憲法改正や拉致被害者問題が片付かないので大いに心残りがあるだろうが、これは来年の自民党総裁任期前に多分辞任されるだろう。朝日新聞・東京新聞のようにとにかく反権力を標榜する新聞は喜んでいる?に違いない。だがまた民主党が政権に復帰する筈もない。総理自らが“コロナ禍”に判定負けに過ぎない。

折しも丁度いい具合に二つに分かれた民進党がまた縒りを戻すことになって、左筋の方々は「シメタ」の心境だろう。筆者も平成06年から六年間、労働組合を経験したが、つづまりは労組もただの既得権の組織、が経験者の感想。旧民主党は韓国を真似して「共に民主党」のネーミングは止めて欲しい。単に「新民主党」でいいのではないか。福島原発事故のときの官房長官が枝野幸男、この福耳の代表は弁舌爽やかだが総理大臣には貫禄不足。サミット(7大国首脳会議)で世界の首脳と対等に雑談さえできる政治家が求められる。

残念ながら泥船を修理しただけの新民主党に人材は枯渇、政治はリアリズム、岸田文雄、河野太郎、茂木敏充など中身も見た目も才能がある政治家の登場が急務。

今、司馬遼太郎の『太郎の国の物語』を毎日見ている。江戸末期から明治時代の近代国家を成し遂げた「明治」のリアリズムを讃えている。1989年放送らしいから平成元年。DVD3本組で確か12000円くらいだった気がする。アマゾンのネットで今、4万円もする。江戸時代末期にオランダに特注した蒸気船・咸臨丸で勝海舟、福沢諭吉がアメリカを訪問したことなどに解説が及んでいる。「坂の上の雲」を執筆しただけに殆ど資料無しで一人語り。近代国家を作った「明治時代」を絶賛している。

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2020/8/16  16:41

夏のセレモニー  身辺世相
8月上旬は東北四大祭りだが本年は縮小・中止だったのは残念。06日・広島原爆、09日・長崎原爆、12日・日航機事故、15日・終戦記念日だった。都市部以外では旧暦の盆、13日に迎え火を焚く。今日16日は先祖の魂を送る。これで日本全国夏のセレモニーは終わった。

戦争の「昭和史」は、専門家の論考でも敬遠されがちなのに素人の論考では到底見向きもされない。平成時代に入ってから「昭和史回顧」というジャンルが意識されるようになったが、戦争に関わることは保阪正康という先駆者の成せる業だった。今では手にすっぽり入るテープレコーダーだが、なにしろ昭和の時代は肩で背負う程のオープンリールではなかったのか。旧軍人3000名にインタビューは先駆的記録。それも個人的に丁寧に手紙を書いての依頼だったらしい。今それら戦争に関わった高級将校はもう居ない。

一般の読者はこういう泰斗の著作であればこそ昭和の戦争の疑念も少なからず解消される。筆者には自分の追及する道筋に資料を案内してくれるのが実情。ずばり『昭和史入門』もある。太平洋戦争といえば原爆投下、東京大空襲、沖縄戦の極めて悲惨な具体的事実に触れれば、その原因に嫌でも触れる。もう一つ上の原因になれば愚かな軍人・政治家の所業にふれる。だが戦争の追及は多分そこまでだろう。戦争はそれ自体が“絶対悪”だから戦争を否定して普通なら追及はそこまで。日本の戦争の論考はそこから先は学者の世界だった気がする。

戦争の惨劇・悲劇は、劣悪な戦争指導ゆえだが、エリートと言われる高級将校やそれに引きずられた政治家、世相にも責任はある。だが戦前は殆ど自存自衛、皇国臣民、神州不滅、鬼畜米英という精神論一辺倒だったのが310万人の死者となった遠因だ。物理的結果は愚かな国家的“全体の空気”の果てだっただろう。具体的物理的悲劇には具体的物理的決定の原因がある。先ずは日本兵のみすぼらしい軍服と武器がこれを物語る。いささかの訓練と三八式歩兵銃と手榴弾を持っての肉弾戦。世界を相手に戦争を挑む国力など最初から無かった。試験で勝ち上がってきたエリート軍人は否応なく招集された兵隊を鉄砲の玉のごとく消耗品として消費したのが現実。

 一兵卒哀れなるかな扱かれてひたすら歩いて黄泉の国へも

添付は門前の盆飾りとヒメイタビ。

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2020/8/10  16:33

東條首相面罵事件  昭和史
08月15日「終戦の日」が近づいている。正確にいえば「敗戦決意の日」だが、ともあれNHKを始め太平洋戦争特集がある筈。節目の終戦から75年。当時戦争に関わった下級将校なら存命している人も居る。このブログで何度も決意のほどを披瀝しているが「天邪鬼の探索考 戦争の昭和史」は推敲の真っ最中なので、今、ウェブ上にあるのは中途半端なもの。本年秋口には、新たな項目を増やして新装開店したい。

アマチュアの戦争論なので専門的な軍事機構、その歴史は避けて、その裏事情のありそうな近現代史をウェブ上での叙述を成し遂げたい。最近は新書スタイルの近現代史の出版が多く、一市民には読みやすく値段も手ごろで有難い。日本人の口争いに「馬鹿野郎」があるが、帝国陸海軍に関連する「バカヤロー」には少なから真相がある。以下は天邪鬼の気の付いた骨子とするもの。

・松岡洋右 労働移民からの上昇志向と外務大臣就任。
・近衛文麿 貴族出身の総理・外交の本気と脆弱。
・木戸幸一 天皇への面従腹背、共産主義者ノーマン、都留重人の演出。
・参謀本部の末期 台湾沖航空戦虚偽報告、ポツダム宣言情報の握り潰し。
・インパール作戦、佐藤幸徳中将の激白「馬鹿の4乗
・作家・古山高麗雄の感想「軍人はバカだから
・猪木正道 二・二六事件、川島義之陸軍大臣の「四馬鹿
・田中新一 佐藤賢了と殴り合い、東條首相面罵「バカヤロー」事件
・アメリカ コーデル・ハル国務長官「東條はバカで勤勉で馬力がある」
・昭和15年「日米交渉」の神父来日、実はイギリスの密使
・陸軍軍人のドイツ贔屓、年功序列の戦争。
・アメリカ・イギリス情報の意図的無視と無知
・薩長の維新人物の後退、陸軍士官学校・陸軍大学出身者の登場。
・陸士・陸大の戦術・作戦教育。桶狭間・鵯越・川中島の古典的作戦。
・戦争最前線の貧弱な装備。三八式歩兵銃・戦車など。
原敬・浜口雄幸・犬養毅・永田鉄山(陸軍逸材)・高橋是清・齋藤実の暗殺。
大正07年・1918年の分岐点

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2020/8/6  23:59

大正7年・1918  身辺世相
戦前、陸軍のエリート軍人でなければ入室出来なかったのが千代田区三宅坂の参謀本部作戦課。軍事機密に関わると言われればそうだが、今の各省庁の本流の居場所以上の存在で、殊に参謀本部は陸軍部のヒエラルキーの頂点。それがゆえに軍事に関することは、他人の意見に耳を傾けることのない傲慢な存在だった。下からの情報をないがしろにしたがゆえに裸の王様、つまりは日本の戦争は残酷な結末を迎えた。軍事エリートは専門職で国のリーダーではない。明治維新を成し遂げた長州・薩摩の偉人と比べるべくもない。

以前「インパール作戦小論」の結末部分で陸士(陸軍士官学校)22期と25期の乖離について少しく触れた。22期は1910年・明治43年、日韓併合があった。世は日露戦争の勝利に酔いしれていた。25期は1913年・大正02年、「大正政変」の年。3年の相違で戦争の捉え方が違っていたように思う。

筆者の母親は大正07年・1918年生。この前後にロシア革命、平民宰相・原敬(はらたかし)登場、パリ講和会議に参加と昭和の激動の予兆があった。どうやら大正時代の中間地点に軍部独裁の芽が擡げたように思う。これが最近の筆者の「探索考」の理解。

1904 日露戦争終結
1917 ロシア革命
1914〜1918 第一次世界大戦
1918・大正07年 原敬首相就任、石原莞爾陸大30期卒
1919 パリ講和会議
1920 国際連盟加入
1921 ワシントン海軍軍縮会議、四カ国条約、日英同盟破棄
1921 原首相暗殺、バーデンバーデンの密約(薩長派閥打破の密約
1922 ワシントン海軍軍縮会議、九カ国条約
1923 関東大震災

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