2020/12/31  23:39

赤チン  身辺世相
例年、NHKBSでは大晦日に往年の洋画を何本も放映する。今年も「マイ・フェア・レディ」「ウエスト・サイド物語」「ゴッドファーザー1・2・3」と映画の録画派は忙しい。ゴッドファーザー1・3」は数年前に録画してあったので、特にTのマーロン・ブランドがいいのでDVDを取り出して再び見ている。往年の名画がデジタルリマスターで修復されているのでとにかく鮮やかな映像だ。大晦日のNHK紅白歌合戦は昭和の時代はよく見たが、今の流行歌は横文字とパフォーマンスでさっぱり判らない。演歌の実力派の福田こうへい・島津亜矢が外されているのが納得できない。

自分のブログを検索したら以下の5本のNHKBS録画を記述していた。

1968年『さらば友よ』アラン・ドロン、チャールス・ブロンソン
1969年『シシリアン』ジャン・ギャバン、アラン・ドロン
1970年『雨の訪問者』チャールス・ブロンソン
1971年『レッド・サン』チャールス・ブロンソン、三船敏郎、アラン・ドロン
1972年『ゴッドファーザー1』米 マーロン・ブランド、アル・パチーノ

12月29日には「三船敏郎生誕100年」の特集があった。つまり1920年・大正09年の生まれだった。戦争体験、俳優になる切っ掛け、黒澤明との出会い、志村喬との交遊等等。長男の三船史郎が解説していた。三船も黒澤も父が偉大すぎて息子は影が薄い。黒澤久雄も父の遺産で食っているのか。

12月20日の「日刊スポーツ」の後半に興味深い記事があった。“赤チン”という筆者の世代では懐かしい消毒液のメーカーが生産中止というニュース。唯一生産販売していた三栄製薬が終了する。これも懐かしい昭和の名残で正式名は「マーキュロクロム」。原液を高度の精製水に溶かすと赤色になったらしい。人体に影響ないが有機水銀剤が含まれるらしく、これも消える原因らしい。往時は手軽な消毒薬で100社も生産していた。今はマキロンという無色透明?の塗り薬が幅を効かせている。

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2020/12/30  23:52

外相会談  政治
天邪鬼としては右派の産経新聞、左派の日曜赤旗を購入。新聞の宅配が漸減しているとの由で、何度もこのブログで言っている。日本の中心部の不動産でいわば食いつないでいる朝日新聞。党員の半分ボランティア精神で持ち越えている日曜赤旗。産経新聞は元々発行部数が少ないので保守の岩盤支持層もあり、安泰ではないが新聞三大紙よりは打撃は少ない。

12月06日付けの「日曜赤旗」は、タブロイド判の2面だが、日中外相会談を取り上げて中国を非難していて、これはかなりの国益。朝日新聞などは見習えと言いたい。11月24日の中国・王毅外相、日本の茂木敏允外相の内容に日本共産党の志位委員長が批判した。日本の尖閣諸島の海域を中国の公船が、自分達のものと言って憚らず侵犯していることの日本の非難に逆襲してきた。茂木外相は大人しく反論しなかった。中国14億人の経済市場で日本経済は潤っている。日本政府はこれを否定できず、中国も知っていて尖閣諸島奪取に舵を切っている。中国は社会主義で軍部独裁、経済は資本主義。

サラミ戦術”という国家情報戦術はサラミスライスをするように目立たない小さな行為を長い年月を重ねて既成事実を醸成。最後は軍事力で領土を奪取するという大国中国の戦術。南シナ海の小さな島に軍事基地を建設している事実を日本政府は、日本外務省は公式反論だけだ。そのうち尖閣諸島に上陸されて大騒ぎになる。中国は多分、日本の自衛隊の最初の一発を待っている。だが尖閣諸島が日本固有の領土なら沖縄漁民のために港や灯台を造ることを何故しないのか。中国側の地図で見れば日本本土からかなり西端。小さな島ではなく周辺の海底資源を狙っているのは素人でも解る。

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2020/12/29  22:34

なかにし礼  身辺世相
作詞家・なかにし礼が12月23日82歳で亡くなった。作詞に限らず直木賞作家でもあり、テレビ朝日「ワイド・スクランブル」のコメンテーターでもあった。数年前に食道がんの治療でテレビ出演を休業した。持病の心臓に悪いとのことで高額医療の陽子線治療を受ける。その後、癌は寛解、テレビに復帰するが心臓も悪くペースメーカーも埋め込んでいた。心筋梗塞82歳。なかにしの好きな10曲のうち本人の作曲が3点あり多才である。なかにし礼は満洲からの引揚者、実兄の放蕩もあって幾多の修羅場を潜っている。『昭和史が面白い』(文春文庫)では半藤一利、藤原てい(新田次郎妻・藤原正彦の母)との鼎談で過酷な満洲引揚げの事実を語っている。

◇筆者の好きな歌謡曲
涙と雨に濡れて(作曲・なかにし礼)フランク永井・松尾和子
恋の奴隷(作曲・浜圭介)奥村チヨ
石狩挽歌(作曲・浜圭介)北原ミレイ
時には娼婦のように(作曲・なかにし礼)黒沢年男
愛のさざなみ(作曲・浜口庫之助)島倉千代子
ホテル(作曲・浜圭介)島津ゆたか
今日でお別れ(作曲・宇井あきら)菅原洋一
花の首飾り(作曲・すぎやまこういち)ザ・タイガース
君は心の妻だから(作曲・鶴岡雅義)東京ロマンチカ
知りすぎたのね(作曲・なかにし礼)ロス・インディオス

2020年の著名な物故者
小松政夫78・俳優、中村泰士81・作曲家、筒美京平81・作曲家、守屋浩81・歌手、渡哲也81・俳優、大林宜彦82・映画監督、宮城まり子93・ねむのき学園、山本寛斎76・デザイナー、久米明94・俳優、梓みちよ76・歌手、CWニコル79・作家、野村克也84・プロ野球、宍戸錠84・俳優。
新型コロナの死者
志村けん70・俳優、岡江久美子63・俳優、岡本行夫74・外交評論家、羽田雄一郎53・政治家。
2020年自殺者
竹内結子40、芦名星36、三浦春馬30、木村花22

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2020/12/27  16:41

戦争最前線  昭和史
前回の記述で戦病死した実父の死に様を母の実家に知らせてくれた上官の手紙を紹介した。重複するが横1mにも及ぶ達筆な和紙。

2─2 ある陸軍上等兵の死
≪「天邪鬼の探索考」の2─2≫としてページにした。

http://www1.odn.ne.jp/~ceg94520/mumyouan/mumyouS02-b.html

内容は上官の手紙、発病の日付から亡くなるまでが具に記述されていて感謝するしかない。添付は同上官から送られたきた葉書大の追悼カード。母親が再婚した後も大切に保存していた。広東省の路傍の花を“押し花”に使用した上官らしい遺族への差配だ。同ページには実父の亡き兄の家の未亡人から頂いた数々の書類も添付した。“お涙頂戴”の報告ではなく戦病死の事実だけを文章にした。小生の「天邪鬼の探索考」、残るは以下のページ。

2 一市民への徴兵 独立歩兵第8旅団 肝3322部隊
7 帝国陸軍は何故支持されたのか 昭和12年〜16年の世相
9 昭和天皇に戦争責任はあるのか
10 あとがき エリート軍人の頭脳

本年中に完成目指して頑張ったが叶わなかった。史料(文庫・新書・大型本)としては平凡なものだが、出版目的の学者の長年に亘る史料蒐集には到底及ぶべくもなく素人の読解の域を出ない。一市民の徴兵・訓練・2年間の経緯はおおよそ想像ができる。エリート軍人の拙劣な軍事支配と支持せざるを得なかった国民の大いなる乖離は今の世では辿ることができるということ。平成の時代に多くの先達が「昭和史」という分野を確立したことは肯うばかりだ。

取り敢えず以下の取得できる著書で「一市民の徴兵」を来冬早くに完成させたいというこの暮の意気込み。伊藤桂一氏は昨年98歳で亡くなった直木賞受賞作家。8年弱、中国大陸に従軍した。吉田と一ノ瀬は戦後生まれの大学教授だが、史料をふんだんに使って注目されている近現代史家。三野氏は昭和17年生で戦争最前線の武器、装備の著書の第一人者。『1億人の昭和史 陸軍史』は戦争最前線の画像・経験者の投稿が多く『ペン画の陸軍 軍隊内務班』は陸軍内部の実際が解かる。

◇参考史料として戦争最前線の事実を抽出している。
『兵隊たちの陸軍史』伊藤桂一 新潮文庫
『日本軍兵士』吉田裕 岩波新書
『日本軍と日本兵』一ノ瀬俊也 講談社現代新書
『皇軍兵士の日常生活』一ノ瀬俊也 講談社現代新書
『別冊1億人の昭和史 日本陸軍史』毎日新聞社 A4変型
『ペン画の陸軍 軍隊内務班』太田天橋 東都書房 A5変型
『日本軍小失敗の研究 正・続 三野正洋 光人社NF文庫
『帝国陸海軍の基礎知識』熊谷直 光人社NF文庫
『戦中用語集』三國一朗 岩波新書

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2020/12/20  23:08

渡邉中隊長  昭和史
筆者の私はこの世に生まれていたが、実父は昭和20年11月10日に戦病死した。その死に様を上官が丁寧に和紙に墨痕鮮やかに認め、母親の実家に送ってきた。これは中隊(100人規模)長の職務の範囲。陸軍大尉だから陸士卒のいわばエリート軍人。その死に様の内容は横1mに及んで達筆だった。

本文も解読できない部分が3ヶ所あったが、達筆の漢字は何とか意味の通るものに解読した。ただし漢字は、前後の文字で判定できるが、達筆のひらがな、今では使わない言葉は解読できない。添付の画像の最後の2行を、書道を熟す所属する短歌会の選者とその友人に訊ねて漸く解読できた。「天邪鬼の探索考 戦争の昭和史」2項の後半がページになりそうである。

陸軍幼年学校は13歳から3年、陸軍士官学校は16歳から4年、徹底したエリート教育が施された筈。委細は省くが恐らく戦争最前線の指揮の他に、基礎として書道、剣道、ドイツ語、ロシア語などは必須だった筈。

実父の所属部隊は「独立歩兵第222大隊第2中隊。通称、肝3322部隊。南支那(中国江西省)の守備隊だった。江西省・広東省で日本全土ほどの広さで中国奥地など衛生状態は多分劣悪。蝿・虱・蚊などは蔓延していたと思う。最前線で交戦したのではないが、中隊100人ならば劣悪な環境で命を落とす二等兵も少なからず居た筈で、実父は終戦後の戦病死、マラリア・胸部疾患。

 尚同封の押花は去る十二月四日広東集中営に於て御部隊慰霊
 祭の獻華(けんか)尓(に)候故、御佛前に御(亻+具、そな)へ被下侍候

集中営の“営”は正字(火+火+冖+呂)。設営の意味と思う。
被下侍候 侍=「そばに置いて」、被下=「下されたく」と解読。
“尓”は指示代名詞で「に」「の」と読む気がする。

2項の前半「徴兵」は自衛隊の史料編纂所を訪問する予定で気候が温暖になってからのことにする。

尚、このブログでは正字・難字は文字化けがある。

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2020/12/16  23:17

高島屋  身辺些事
所属短歌会は、今年令和02年03月より月一度の例会が、コロナ禍で行われなくなった。毎年秋の10月の全国大会も中止。新型コロナは、日本はもとより世界各国で多分21世紀の最大の事件になろうとしている。一段落するのは来年以降で東京五輪も中止か再延期だろう。

例会が行われなくなったので、インターネットを扱うことのできる会員に限られるが(20人ほど)冬雷短歌会の「ネット歌会」で毎月2首を発表、参加者が鑑賞、批評・感想を書き込むことで例会としている。12月発表の私の歌は、以下2首。高島屋という固有名詞に多く感想が書き込まれ、「ゐし」は文法の誤りを指摘された。「購ひし」にしたい。固有名詞を詠うのはそれが効果的かどうか、ということになるが、高島屋というデパートが中央区日本橋にあるので「ここに暮らしたのではないか」と指摘された。この指摘は的を射ている。

 高島屋の風呂敷売場に求めゐし日の丸の国旗折り目の目立つ
 仏壇に四つの位牌並べゐて光華院≠フ実父に萩を先づ供ふ

昭和38年春より日本橋通り三丁目の小さな印刷所で4年間、住込み工員だった。ビートルズが来日した41年秋まで日本橋で暮した。東京駅八重洲口まで徒歩10分だが、当時は下町風情が残っていてこの周辺で暮している人も少なからず居た。日本橋交差点の角の昔の白木屋は東急デパートになり、今から20年前に高層の多目的ビルになった。高島屋は昔のままである。町名は「通り三丁目」が取れて単に「日本橋」。都営バスに「通り三丁目」が残る。

筆者が住込み工員だった印刷所は壊され5階建てのビルになっていたのを後年確認。日本橋の鰹節の老舗「にんべん」の地所だった。日本で最初の地下鉄が敷設された国道1号と日比谷通りに挟まれた横丁。新大橋通りでは地下鉄東西線の工事が進んでいた。印刷屋の小僧の仕事は自転車による印刷物の配達、築地、東銀座へ活字を買いに行く事だった。

二首目の仏壇は小生の家の仏壇。実父、母親、義父、義兄の順。萩は秋の彼岸の“お萩”のこと。極貧を味わされた義父は右端だ。添付は自宅の山茶花。

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2020/12/12  17:49

母の命日  身辺些事
昨日12月11日は、母親の命日だったので墓参してきた。この年齢になると、この世へ産んでくれた母親なのに命日を忘れることがある。近々筆者の私もあの世へ行くので怒られるに違いない。平成06年12月11日、クモ膜下出血で76歳だった。当日一旦起きて仏壇へお茶をあげ線香をあげたようだ。

当日は日曜日、社員10人ほどで昨夜から箱根へ旅行だったが、筆者は下戸。呑めないのに宿泊してまで付き合いは御免だった。それが良かった。当日、母は毎朝の仏壇の仕事?のあと多分強烈な頭痛だったようで、布団を引き直したのか、布団の上で頭が畳の部分へはみだす形で動けなかった。隣の家の従姉を呼び、埼玉県に住む妹へすぐ来るように連絡した。その日の夜に死んだので、今、世の中で大問題になっている老人介護を免れた。叔母に“子孝行”だと言われて、今では納得。

その時、50歳でまだ家のローンも20年余を残していたから10年に縮めることができて感謝すべき事実だ。従って今、母の死亡時の年齢と同じ76歳で後期高齢者。墓地の同じ敷地にある昭和の文豪・石川達三の墓にも詣でた。昨夜は稀代のコメディアン小松政夫の78歳の死もニュースになった。2020年も志村けん、渡哲也、野村克也など有名人の死が相次いでいる。男性の平均余命は81歳というからそこまでは生きたいと思う昨今。だが後5年、まだ5年

添付は筆者の入る墓。もう一枚は昭和の文豪・石川達三の墓碑。

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2020/12/8  23:33

真珠湾の日  昭和史
今日は12月08日、79年前、日本はアメリカ・ハワイ真珠湾を攻撃した。このブログで何度か記述。「真珠湾攻撃」の本を読み返している。すべての本は買うと同時にざっと読むが、悲しいかなすぐ忘れる。4年前のこの日もブログで記述した。更にはその前年にも記述したのを忘れていた。更に自分の蔵書案内でも参考書を報告したがいわゆる“ざっと読み”では大半は忘却の彼方といった按配。2016年12月に届く「文藝春秋201701」号で昭和史の泰斗・保阪正康氏が特別寄稿を寄せている。数多の蔵書で2017・平成29年の文春が見つかったので読解後に報告する。5年前の記述が自分でも説得力があると思う。以下は2016・12・08の再録。

極東国際軍事裁判で否定されるまで日本は「騙し討ち」の卑怯な国家だった。今でもそれを信じている人がいる。それも日本人に多い。むろん近・現代史の教育に欠陥があるからである。当時のアメリカは、母国!イギリス・ロンドンがナチスドイツの空襲に晒されていても介入を避けた。モンロー主義と云いアメリカは戦争をしない国だった。だからアメリカ大統領・ルーズヴェルトは、明らかに日本の“最初の一発”を待望!して国民世論を誘導したことになる。日本の最初の一発は、シナリオ通りになった。智謀の限りを尽くして、自国国益のため「日米開戦を誘導した」のは、英国首相・チャーチル、中国・蒋介石、ソ連・スターリンであるのは詳らかになっている。ルーズヴェルトの父親は中国大陸のアヘン貿易で財を成していたから中国大陸から撤退しない日本に手を拱いていたことが大きな原因。

その4年後、日本軍部はまるで消去されるが如く破滅した。永田鉄山、石原莞爾、山本五十六などいわゆる名将が政府の要人だったら日本人の軍人軍属の310万人の死者は無かった筈。2年8カ月、首相だった東條英機は陸軍のことしか知らなかった。桶狭間・鵯越・川中島の戦いの要領で世界を相手に戦争をした。真珠湾攻撃が成功したとき、山本五十六の緻密な作戦だったのに国民は東條を“戦争の神様”と崇めた。祭り上げたのは新聞メディア、嗚呼…。

◆蔵書案内18 真珠湾攻撃・外交
◇『検証・真珠湾の謎と真実』秦郁彦編 中公文庫 2011年
◇『陸軍省軍務局と日米開戦』保阪正康 中公文庫 1989年
◇『日米開戦 陸軍の勝算─秋丸機関』林千勝 祥伝社新書 2015年
◇『開戦神話』対米開戦を遅らせたのは誰か 井口民樹 中公文庫 2011年
◇『真珠湾攻撃作戦』森史朗 光人社NF文庫 2015年
◇『「真珠湾」の日』半藤一利 文春文庫 2003年
◇『外務官僚たちの太平洋戦争』佐藤元英 NHK出版
◇『外務省革新派』戸部良一 中公新書 2010年
◇『加瀬俊一回想録』上・下 山手書房 四六判 昭和61年
◇『太平洋戦争を考えるヒント』保阪正康 PHP研究所 2014年 四六判
◇『真珠湾の真実』柴山哲也 平凡社新書 2015年
◇『昭和史発掘・開戦通告はなぜ遅れたか』斎藤充功 新潮新書
◇『ハル・ノートを書いた男』須藤眞志 文春新書
◇『日米開戦陸軍の勝算』林千勝 祥伝社新書

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2020/12/4  22:59

諸行無常  身辺些事
後期高齢者で長年“人間”をやっていて且つ年賀状のやり取りだけになっても友人の死は悲しい。これは何方も同様だろう。今年の年末には7通の喪中ハガキが届いた。

所属結社の「冬雷2020・3・4月号」を35人に厳選して05月01日にスマートレターで発送した。多分翌日に届いただろう。一人の友人が05月16日に亡くなっていた。正に“諸行無常 是生滅法”である。この友人の奥さんに確かめていないが、歌誌の返信に「朝起きるとき体が痛くて起き上がれない」と認めてあったから若しかしたら末期の癌だったのか。とにかく死の間際に届いていて不幸中の幸いだ。

この友人は6歳下の活版印刷時代の後輩。昭和44年、アメリカの「アポロの月探査」のニュースを社員食堂で見ていた。大日本印刷という日本で一番大手の印刷会社だった。大企業だが、相場より薄給なので小生は半年で退社した。この時の友人とはまだ二人と連絡をとっている。この後輩は父親が印鑑を彫る職人で“印章店”を経営、その後を継いだ。働き者で実家を移転、新築するほど頑張った。いわゆる町のハンコ屋さん。後輩は店先で小型の印刷機で名刺・葉書・カードを鉛の活字で印刷。私が半ば主催した「旅の会」の大学出の才媛と結ばれたが3年で離婚。少々歩行に難のある、やはり旅の会の女性と再婚。2児を設けた。順風満帆と思っていたが69歳の死は悲しい。

だが私の短歌の趣味を理解してくれ二冊の短歌誌、わが歌集『相生坂』の感想も添えられていた。この二冊の短歌誌を送った10歳年長の先輩も08月14日にくも膜下出血で86歳だった。先輩が主催する印刷会社出身の無尽講でのパック旅行に20回ほど参加させて頂いた。定年後の私の旅は殆どこの会の主催である。この先輩のことは「先輩の死」と09月12日に記述した。2年前の「琵琶湖湖北の旅」が最後となった。

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2020/12/2  22:46

学術会議  身辺世相
国会でも取り上げられた「日本学術会議」だが、菅義偉内閣を攻める野党は喜んだのも束の間、早や下火。憲法の「学問の自由」を侵すとの主義主張はまさに藪蛇だった。学者の6人の推薦が内閣に拒否されたのが学者は面白くなかったらしいが、ことは学者の面子など関係ないほどのその実態が解ってきて、反対勢力が大人しくなったのは、すなわち日本の学者が中国の軍事計画に加担していたことが明らかになってきたからとは由々しき事態。野党勢力の国会質問も鈍ったのは当然。

そういう筆者本人もその実態を知ったのは、週刊新潮の4週に亘る中国の「千人計画」の告発。政治もメディアも日本の軍事計画には敏感に反応するのに隣国・中国の軍事大国化、覇権国家の凄まじい発展・攻勢には目を瞑っている。日本や欧米各国が中国をいわば下請け工場としたばかりにドルを溜め込んだ。西暦2000年以前は、中国は、人口は多いが大人しいアジアの国だった。だが(登+オオザト扁)小平(とうしょうへい)の号令一過、経済は資本主義、政治権力は中国共産党・人民解放軍。なにしろ13億人の潜在能力のある国だった。資本主義経済になって短期間で一気に発展。世界各国が見過ごせない恐ろしい国になった。

中国の半導体技術、宇宙開発、軍事技術は、殆ど日本・アメリカ・旧ソ連邦からの技術の盗用。つまり日本国内では軍事研究は認められない分、多くの日本の学者が中国の研究機関に高額の報酬で雇われ、知らず知らずのうちに日本の技術が中国を応援する恰好になった。日本にはスパイ防止法、有事立法などない能天気な国。日本の学者は中国のIT技術の草刈り場となっていて、学者は都合の悪いことは政治家同様知らぬフリとなる。正義論・精神論のアカデミズムの方々は政治に関与すべきでない。関与するなら「学術会議」の国家からの報酬は辞退すべき。

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