2021/2/28  20:43

畏友 追悼10 孫3人  身辺些事
畏友は大学を出て、若くして結婚、一人息子を設けた。その子は3人。4年前のメール(2017・04・02)で女・男・女の孫に触れている。3年前のメールでは長男は高校受験、長女は高校生だから次女は多分中学生。従って畏友も子息も20代半ばで結婚していたことになる。畏友自身は妹が居ると言っていた。ともあれ畏友が突然死してもこの世に血脈が続いていくのだから小生などは羨ましい限りだ。若くして苦労したであろう過去は、脈々と生きる。父親は精工舎勤務、母親のことは聞きそびれていた。

お早うございます。本日はよい天気の予報。クラス会の日程を携帯番号の分かる連中17名にSMS送信。依頼した昨年の案内状の文面をPCかスマホへよろしくお願いいたします。

きのうは、雨と寒さでそうそうに仕事をやめて帰宅。スマホの整理をやる。大相撲も終わり、ボクシングもやっていない。古本市に行く気力もない。

久し振りに 絵を描いた。PCの音が出るようになった。即、DVDをみた。あとはテレビに接続したVHS、DVD 録画、再生デッキを直すか、買うかだぁ。

さて3月の特筆事項は…真ん中の孫男子、名門県立佐倉高校を前期、後期受験するも「桜散る」。頑固者の末路。後期試験はレベルを下げればよかったのにと親嘆く。滑り止めの両国、安田学園へ。親は大変だ。長女の○〇、県立幕張総合高校2年生。シンフォニックオーケストラ部。10年連続日本一。県立文化ホールでスプリングコンサート。自分が作曲した曲を演奏した。今は演奏旅行で2週間ドイツ、フランス、オーストラリア、イタリアを回っている。ますます親は大変だ。

今は派手だ。こっちは韓国、台湾、グアム、シンガポールだぁ。何せ、ビルマから西、グアムから南、銚子から東へは、札幌から北へは 行っちゃあいねぇ。末っ子の娘は中学入学。姉、兄と同様にピアノ、英会話を習っている。欧州に行っている姉は来年、音大受験。兎に角、三人の子育ては大変だ。

4/21は佐原の犬の予防注射。写真の親子を彼女が運転する軽自動車の後部座席に乗せ、こっちは足を踏ん張り両手でそれぞれの首輪を持つ。狂暴な奴らなのでこっちゃ必死。早くから躾をしていなかった報い。独り暮らし故、餌、水、ワンとお手、待てだけ。散歩は仔犬の頃はやっていたが、半年で強烈な引きを始め彼女が転倒。以来やっていない。

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2021/2/27  23:06

畏友 追悼09 役所仕事   身辺些事
畏友・増田邦昭と7年間ブログ・メールで密なる交遊があったが、こんな突然死を迎えると職業にしろ、プライベートにしろ、あまり過去を詮索しなかったように思う。小生の場合、実父が戦死、義父が個人破産で、人生上トラウマになって短詩形の短歌にも女々しく過去を詠み込んで久しい。中学時代は大人しかった記憶しかないが、國學院大學卒業後の職業、若くして子を成したことなど殆んど聞いておらず不明。だが現場第一線の営業や芸能プロなども経験しているらしく交渉ごとは手練れだったようだ。(2017・04・19に書き込み)

おはようございます。添付の花の名を教えてください。日当たりのよい道端や野原に群生していた。シャベルで掘って家庭菜園の縁に植え込んだ。

埼玉・吉川の江戸時代から続く老舗料亭福寿家。吉川は三郷と越谷に挟まれた町。江戸時代は中川の水運で栄えた町で市内には結構な構えの料亭がそこそこある。中川から上がった鯰の会席料理や鰻会席が名物。

役所仕事について…先月「高額医療の還付があるので本状と医療機関の領収書を持参の上、来庁され手続きを」の手紙が市役所からきた。その文書には医療機関名と医療費が複数記されていた。当方は、律儀に領収書なんかは保管していない。所用が有って市役所へ行った。案の定「領収書は?」ときた。「領収書は棄てた。通知状に事細かに記載されている通りだ。領収書を病院で再発行してもらえと言うのか!」と抗弁。決まりだとか、ぶつぶつ小役人がほざいたが…。受理され、今は還付金が入金されている。

先週に佐原に行ったおり彼女の所にも同じ通知が来ており領収証を探したが見当たらず諦めていた とのこと。一緒に香取市役所へ行った。またまた木更津市役所と同じことを小役人がほざいたが「木更津では受理してくれた。」と抗弁。「上司に確認をします。お待ちください」結果的には受理した。はなから領収証などは不要。医療機関から市役所へ受診と医療費明細をつけて請求しているわけだから…。ことほど役所はややこしくわざわざ仕事を作っている。簡素化の改善等しない。改善策などを上申したら余計なことと上から一喝される。

貴君の父君戦病死証明についても…上部機関に抗弁したら。あるいは新聞社に一報したら道が開けるのか。ダメ元でもいいから。それでは また。

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2021/2/26  22:33

畏友 追悼08 靖国神社参拝  身辺些事
例年このブログで記述するが、2月26日は大日本帝国陸軍のクーデター「二・二六事件」のあった日。85年前のことで当事者は、20歳の兵士だったにしても105歳、存命の人物は居ないだろう。太平洋戦争を回顧することの多い保守系メディアももうない。リベラルと今、称していても朝日・毎日新聞は当時、戦争協力者だった。小生の昨年の“新書読解”も7冊目の「2・26事件G皇道派・統制派」までで中途半端。太平洋戦争を除いて30冊ぐらいは続けたい。

中学時代の友人・増田邦昭の友人・曽我部員義氏の亡き伯父の記録『御親閲を拝受して』を小生の「無明庵」に再録させて頂いた。戦前の「青年学校」の生徒の貴重な記録だ。(平成27年12月記述)そこで初めて叉銃(さじゅう)、咫尺(しせき)、鹵簿(ろぼ)などの言葉を知った。曽我部氏の伯父・曽我部孝氏は、昭和19年に22歳で戦死されている。それは私家版の昭和史。戦前の罫線用紙に書かれた原文をそのままスキャンしてB5判の冊子にしたもの。著者の曽我部孝氏が(大正11年生)19歳のときの昭和16年、昭和天皇への親閲式に臨んだ手記。友人より貰い享けた冊子は2カ月掛かって手書きの文字の文字起こしをした。今ではなかなかお目に掛かれない文言、聞けば簡単な“木更津”の文字さえ当初判読が困難だった。

曽我部氏は千葉県在住。氏の協力で自民党濱田靖一(ご存知ハマコーさんの息子)代議士や参議院の石井準一氏などの後援会が、バス7台にて靖国神社へ参拝。当日、小雨模様だが、その数百人の仲間へ靖国神社の駐車場から潜り込ませて頂いた。個人で参拝しても余程のことがない限り本殿には至らない。その本殿さえ撮影禁止。3年半前で杖突老人だが、まだ酸素ボンベを装填していなかった。靖国神社は大いに賛同するが「遊就館」の展示物は聊か問題。

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2021/2/25  22:00

畏友 追悼07 鴨川探訪  身辺些事
畏友・増田邦昭との交遊を徒然日記風に記述しているが、昨年2020年12月から2014・H26年へ遡っている。以下の文章は「冬雷短歌会2017・12月」号の筆者の撮影した画像と共に説明した文章。撮影は前年の2016・H28年の04月だった。筆者の私は横浜東口から「海ほたる」経由の高速バスで木更津へ赴きそこから畏友の運転で南房総へ向かい、下調べが済ませてあるのでスムーズに事が運んだ。短歌に興味がなければ明治時代末期の歌人・小泉千樫(こいずみちかし)は知らない人物。じじつ私も殆んど知らなかった。下記説明文の赤字の部分は畏友の推敲・添削。(2017・10・29)

今月の画像 古泉千樫生誕の地
 古泉千樫は「アララギ」短歌会創立の主要なメンバー。十代で早くも歌を投稿する。23歳で上京後、伊藤佐千夫に師事。斎藤茂吉、島木赤彦などと友人になる。万葉調の格調高い作風で知られている。佐千夫宅がアララギの発行所になると編集を手伝う。斎藤茂吉の診療をも受けているが昭和二年、42歳で亡くなった。今年は没後九十年になる。
 
 みんなみの嶺岡山のやくる火のこよひも赤く見えにけるかも

 この嶺岡山は408mに過ぎないが、広い千葉県で最高峰だと言う。生誕の地からはっきり近くに見えるが南房総市になる。鴨川市の奥深く(山深い狭隘なる貧農の地に)生誕の地はあった。この(生誕の家は後年焼失しその地には末裔の家のみひっそりと建つ)。この近辺が整備されて歌碑や休憩所などがある。「椿の井戸」は水面が微かに動くので湧いているに違いない。昨年春の訪問時は、晴天で魚見塚展望台から漁港と太平洋が一望できた。待崎川河口の汐入公園の浜辺には「久美の葉のしろく光れるなぎさ道牛ひとつゐて海にむきたつ」の歌碑がある。茱萸(ぐみ)は花を付けていた。

添付は筆者の撮影。

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2021/2/24  14:45

畏友 追悼06 腰痛  身辺些事
畏友・増田邦昭は76歳にして、恋に、ドライブに、歴史探索に貪欲だった。小生が嗜む短歌には消極的だったが、中学卒業後50年間の空白はあったのだが、2013・H25年、同窓会にて再会、翌年から世代・価値・尺度を共有する者同志、密なるメール交遊が始まった。(2018・09・26)

近況……毎週火曜日朝、腰痛改善の為、整形外科へ通院。予約はリハビリだけで診察は予約不可で2時間待ち。爺、婆ばっかりでウンザリ! 特に婆ぁは会計の際、ろくなものが入ってないデカバックからごそごそ探してやおらポーチを取り出し、そのポーチから更に財布を取り出し、やっとのことで金をゆっくり出して支払っている。国の医療費がかさむ昨今、かの認知症老人施設のイライラ殺人事件の犯人の気持ちがある程度理解できる。この現象は隣の薬局でも同様。コンビニの支払い。銀行のATMでカードを出す際でも……爺ぃは病院でも、薬局でもさっさと払っている。この差は何なのか?検証して欲しい。

通院目的の60%は40代の肉感的なリハビリ医療師の女性だけ。まさに谷崎の「瘋癲老人日記」さながらの態。太ももや胸が身体のあちこちに触れる。最初にかかった医療師がずっと担当になるようだ、誠に結構なシステムだぁ!腰痛改善の為に富津の県立温水プールに通っている。65歳以上は無料だ。快適に泳いでいる。

最近、滝に凝っている。栃木足尾の近くの渡良瀬渓谷の小中大滝、奥日光の湯滝、大多喜町の黒原不動滝、君津の豊英(とよふさ)大滝。2ヵ月の間に車で 近場を歩いている。尾瀬の三条の滝、奥多摩の払沢(ふっさわ)の滝など10月に行ってみたい。

家庭菜園は、トマトは土地が限られているため15年間も同じ場所に植えつづけ連作障害とカルシウム不足で尻腐れ病を発生。沢山実を付けるが全部尻から腐り、里芋は蛾の幼虫に葉をくわれ惨めな状態。

坂東三十三ヶ所観音霊場巡りは、今の彼女(以前貴君を車に乗せたEカップの女性だ)と小田原〜平塚〜厚木方面の寺を歩いてみたいと思う。それでは又??

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2021/2/23  22:40

畏友 追悼05 愛の伝道者  日本史
中学時代、墨田区横川橋4丁目に互いに住んでいた。この友人の父親は服部時計店・精工舎勤務。その社宅に居住していた。下村湖人の「次郎物語」の岩波文庫を読んでいた。真面目な人生を歩んで居たかと思っていたが50数年後の再会後は、だいぶ人生の修羅場を潜ってきたように推察できた。ビールが好きで大いなる喫煙者だった。早くに乳癌で妻を亡くしていた。ここ7年間の交遊は偏に鰥(やもお・連れ合いが欠け独居)の生活と小生のパソコン人生に賛同してくれた結果。ここから先は老いて尚盛んだった友人の言う“愛の伝道者”の告白。二人の女性は多分友人の死は知らないと思う。(2018・12・06)

元気にやっているか? こっちは相変わらず佐原と木更津の女性の間を団鬼六著「我、老いてなお、快楽を求めん」が如くに精勤している。

佐原は遠すぎるし有料道路、ガソリン代も馬鹿にならない。行くと5日は泊まって来る。そうすると木更津の女性からは「昨日、何度も電話したが出ない。心配して昼と夜中の2時にアパートに行ってみた!車がなかった!どこに泊まったの??」と詰問される。頭のいい女性ゆえに当方の言いかたに辻褄が合わぬことをビシビシくる。最後は「まぁいいや。ピンサロかソープの女でしょうけど…歳を考えなさいヨ!」で収まる。佐原に行ったことは口が裂けても言えない。言ったら大変なことになる。お互い充分過ぎる程の知己の間柄。お互いの家も知っている。佐原は大人しいが木更津は激情の性格。集落中にビラを撒いて住めなくしてやる!と前々から言っている。

10月、横浜三渓園に車で行って来た。小学校の遠足以来でその折りは何にも感じず、ただ行っただけの感慨。やはり歳をとると感じるものが違う。実業家にして茶人・原三渓の趣味人の趣きが随所に出ておりとても良かった。

10月末、富岡製糸場に行ってきた。世界遺産になった当座はミーハーばかりでわざわざ行くような所ではないと思っていたが、広大な土地に製糸工場と関連工場、発電所、診療所、寄宿舎、体育館、食堂など100棟の建造物群と明治の「国づくり」の息吹きに圧倒された。滞在は4時間を超えた。更に説明看板を読むと何と三渓園を作った原三渓が富岡製糸場を40年近く経営していたことが。最初官営、次に三井そして片倉工業と思っていたが片倉工業の前に原がやっていたようだ。木更津の彼女も驚いていた。

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2021/2/22  21:43

畏友 追悼04 若い女  身辺些事
実質、2年前のメールだった。増田という友人は國學院大學出身、いろいろな職業を経験したらしいが、定年後もずっと仕事をしていた多分偉丈夫。営業畑が多かったらしく自分の経験則から若い女性の対応、字の読めないあっけらかんとした態度に我慢がならなかった。以下のメール文を読む限りでは、筆者の私も納得。小生は喫煙が祟り「肺気腫」に罹患したのを切実に感じて禁煙を考えていたのが解かる。(2018・12・16)

先月無煙タバコ Glo(ケントの関連)を購入。取説を読むのが面倒で放置してた。数日前、箱を開封。取説を読みながら充電し、スティックを挿入し吸引。全く作動しない。Gloに問い合わせた。受付の女の無教養さに唖然。教養が無くても生きていける感じ。先ず説明が要領を得ないので近くのショップの有無を質問。千葉市とインニシ市にあるとのこと。それで「いんざい」と読むことを教えた。提携店も木更津にはない。では県内の提携タバコ店を聞くとサハラにあるとのこと。「サワラ」と読むことを教えた。だんだん不愉快になって交換、修理を告げると名前を聞かれた。

マスダクニアキと告げる。漢字では?の質問で増田は理解したが、ついでクニを説明。「音楽のヨウガク、ホウガクのホウだよ」「東西南北のホウガク(方角)のホウ(方)ですね」ときた。ついに切れた。「貴女、出身は中国?」「山口です??」「大学出てるの」(ケント関連、港区の会社で当然だろうが)「出ています??」「東京に住み、問い合わせ窓口ならもう少し地理と本を読み漢字を勉強したほうがいいですよ??」と言ってしまった。

若い者は…とは言わないが、知らないことでも生きていけま〜す。ジジイうざい。と言うことなんでしょうね。手前味噌ではないがうちの孫たちのほうがまし。伜に厳しくした成果と思う。添付は最近見た映画と次に見る映画。炊き込みご飯にはまっている。

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2021/2/21  16:38

畏友 追悼03 短歌感想  身辺些事
筆者の私の短歌は、昨年、所属結社の歌誌、令和0203月号に初めて巻頭詠に掲載された。続く04月号では9年間続けた歌誌のカット画像提供も体力的に苦痛になって断念した。最後は取って置きの富士山7枚を最後とした。歌誌の残部35部、二ヶ月分を買い受け、兄妹を初め友人知人に解説付きでスマートレターで発送した。以下は増田邦昭の謝礼のメール文。(R02・05・09)受領。添付画像はアパート周囲の空き地に季節の野菜を育てていた。


「冬雷」3月号、4月号を受け取りました。ありがとうございました。
 
 柿・花梨・梅・柚子の順に枯れにけり実の生る樹木我が家に絶えたり
 二階の和室使はぬゆゑに戸袋に野鳥が運びし枯葉が溜まる
 笑ふこと泣くこと忘るるごとくゐて車煽られひと日怒れり


貴君の生活感が如実に観てとれる。 いい歌ですね。有りのままの独り暮らし老人の生きざまやら哀感などが表現され感服いたしました。家庭菜園に耕作の喜びを禁じ得ない小生にとっては表現、創作の庭に遊ぶ貴君の生きざまが目映いばかりです。

さて、先日 Book Offで掘り出し物を見つけ購入。DVD「小津安二郎 大全集」集録は東京物語、麦秋、晩春、父ありき、風の中の牝鶏、一人息子、戸田家の兄妹、お茶漬の味、長屋紳士録の9作品。まだまだ全部を観る時間がなく「晩春」は秀逸。感動しました。原節子の品の良さには昨今の女優には無い美しく上品な物腰に「永遠の処女」と巷間言われるのも大いに納得するところで コロナ騒ぎの中で一服の清涼 剤の趣きでした。

さて、人混みを避け、年がら年中マスク、手洗いなど神経質に対応し、人を見れば感染者かと疑心暗鬼にかられ、いい加減精神的に参ってしまう。いつになったら解除されるのか。政治の不在、総理のリーダーシップの無さを露呈して……。もう政治家や役人には期待したくない。

添付は家庭菜園のもの。目の前の霧が晴れて思い切り大宴会をしたいと思います。体調にくれぐれも気をつけて創作に頑張ってくださいな。それではまた。

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2021/2/20  21:32

畏友 追悼02 仕事   身辺些事
畏友、増田邦昭は76歳だが、現役の労働者だった。過去に色々な職業、勤務先があったらしいが厚生年金を受給していた筈、中小企業だったら国民年金でそれほどの収入だったと思われず生活費を稼ぐ必要に迫られていたのか。だがだいぶ前に細君を亡くし、一人息子に孫は3人、上の男女は大学生だ。筆者の私のブログの愛読者で「拍手」への書き込みが多かった。短文はスマホ、長文はディスクトップのパソコンから送られてきた。昨年10月10日は回転寿司の裏方の仕事で目を瞠る。仕事、食う事、女性を愛すること、ビールの好きな友人だった。以下は彼の書き込みでカット個所は無い。

≪函館回転グルメ「函太郎寿司」の写真を送ります。朝8時から15時までの勤務で店開店は11時。それまでにまな板の洗浄、ホールの床掃除からモップ掛け、レーンのふき掃除、テーブル拭き、タッチパネル拭き、3種類のダスターを使って徹底的にやる。

そのあとは店頭を電気掃除機と大型のコロコロをかける。その後、5メートルの高さから張りでているガラス磨きを徹底的にやる。ホール掃除のあとは厨房に入り、魚問屋から届いた寿司ネタをステンレストレイに20食分並び替え、だし巻き玉子を準備。ボールに卵を10個、だしをお玉1杯いれ攪拌器で白みがさらっときれるまでシャカシャカする。そのあと目の細かいザルをステンレスボールの上にのせ卵液を濾す。20人ほどいる職人の下準備。

11時には昼飯。100メートルほど離れた所にあるテナントスタッフ専用の休憩。食事用の大部屋で“はや飯”をすます。職場に戻り洗い場用のビニールエプロンと長靴を着用し洗いの作業につく。

洗い物は客が使った食器だけでなく板前が使ったザルやらボウルやら揚げ物に使った油切りのうけまでさまざま。洗剤をつけたスポンジで一点づつ洗い60センチ角の洗浄用の下穴がついたトレイにのせ、洗浄機の真下へ移動し定位置についたか確認し、ハンドルを押し下げる。洗浄機の中は上下に穴が空いたパイプ状のシャフトがお湯を噴射しながら高速回転。一定時間が経過するとブザーが鳴りハンドルを持ち上げ洗浄終了。洗い終わった食器はそばにある棚にある籠に種類ごとに重ねて収納。コップやら湯のみ茶碗はホール担当がホールへ運ぶ。こんな作業の繰り返しで3時前に遅番の洗い担当に引き継ぐ。≫

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2021/2/19  21:41

畏友 追悼01 老境  身辺些事
令和03年・2021年01月31日、心臓麻痺で亡くなった中学時代の親友。小生の方が圧倒的に先に逝くと思っていた(じじつ既往症が多い)。だがその順番が狂うのが人生! 友人の心臓病の服薬は、はっきり聞いていなかった。ビールが好きで風呂に入りながらよく電話をしてきた。喫煙も止めなかった。76歳なのに10・20代のような不摂生の生活をしていた。殆んど死因は自己責任だと思う。聊か苦言を弄したが聞く耳はなかった。7年間に30回ほどの長文のメール交換を保存していた。哀悼の意味を籠めて20回ほどに縮めて報告記述する。内容は豊富だ。昨年12月04日、印刷会社の先輩(86歳)、後輩(69歳)の急逝を紹介しつつ「諸行無常」として記述した。以下のメールを改めて読むと運命の予兆を感じさせる。後段は最近見た映画の感想。これは割愛した。

≪貴君のブログにあるような諸行無常の境地に昨今は! 何年もの間、音信不通だった旧友に電話したら「この番号の電話は使われていません」の通知。関係先を調べ、本人は5年前に亡くなっていた。あるいは3歳下の後輩は今年の1月に亡くなったとの家人の話。「元気なうちに会いたかった、話をしていれば」の後悔の念が強く一念発起して世話になった先輩やら、以前50年もの昔に付き合った女性のこと気掛かりで電話番号を探している。

先方は何を今更と思うかも知れないが気になって仕方がない。このような心境になるのはどうしてなのかよく分からない。おそらく自分が昔を懐かしむ老境の域に達したのだろうと思う。大学1年の折りに付き合った女性を探し木更津から車で鶴見まで向かいやっと会えたが、中原中也、八木重吉の詩に涙した昔の面影は全く無くごく普通のおばちゃんに成り果てて幻滅、落胆したことがあった。昔のいい思い出としておくほうが良かったのに。

パンドラの箱は開かないほうが良かったのかと…。何故、会いたかったのかと思うと昔に戻って焼け木杭に火がつくことを望んでいた訳では無く、単なる好奇心を満足させると謂った自己満足的な考えの具現化に他ならない。「今、どうしているかなぁ?」は当分の間、封印しておくこととする。写真は千両、万両の木。上に向かって結実するのが千両。下にさがるのは万両。≫

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