2009/8/14  21:10

校正ミス  昭和史
よく新聞や週刊誌に「校正記号」を覚えて家庭で収入を得よう! などという通信教育の案内を見る。関係者がこのブログを見ていたら申し訳ないが、これほどいい加減な案内もない。

校正などというものは印刷会社勤務だったら誰でもできることで、校正記号が何種類もあるわけでなく、筆者などは校正の仕事があれば大金持ちである。出版社関係の親戚などがあれば別だが素人が校正記号を取得してもあまり意味はない。

真の校正者は作家を上回るほどの高度な知識を必要とする。辞書などの校正はかなりの経験を積む出版社のベテランが4人も最初から最後まで担当すると言う。家庭で出来るような生半可な仕事ではないということである。

添付の中公文庫は近代史に興味があればかなり面白い本でもある。昭和20年12月、戦犯としてGHQより出頭を命じられた近衛文麿が何で服毒自殺をしたかが新たな視点で描かれる。三度も組閣した近衛文麿は、軟弱な政治家として語られるが、終始「日米開戦」に反対だったのは事実である。文庫本としては500ページに及ぶ読みでのある本である。

401ページに明らかな記述ミスがあったので、初めてだが中央公論社編集部に電話した。記述ミスか校正ミスかは筆者には解らない。戦前戦後を通じて加瀬俊一という外交官が居た。昭和20年09月02日ミズーリ号甲板で「降伏調印式」が行われた。首席全権の重光葵(まもる)にサインするところを指摘したのが外務省の加瀬俊一である。振り仮名には「しゅんいち」とあった。明らかな間違いである。正確には「としかず」である。加瀬俊一は同姓同音同名で二人居る。ただし正確には「しゅんいち」は大加瀬、「としかず」は小加瀬という外務省では区別がある。

 加瀬俊一(しゅんいち)1897─1956 終戦時のスイス公使
 加瀬俊一(としかず) 1903─2004 終戦時外務省報道官

としかず」は平成16年、101歳の天寿を全うした。「しゅんいち」は終戦時、スイスのアメリカ戦略事務局アレン・ダレスと終戦工作をした外交官である。これは出版社の昭和史を知らない社員が校正ミスをしたのであろうと思う。筆者に校正を依頼すればこういうミスはない。

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