2010/2/21  20:25

陸軍特別攻撃隊  昭和史
昔、同僚だった友人が「知覧」へ行ったのでパンフレットと書籍を購入してきて貰った。その本の表紙の写真が下記の画像。この写真は「子犬を抱く少年特攻隊員」としてあまりにも有名である。昭和史の本を何冊か読めば必ずお目にかかる「超」がつく著名な画像である。

中央の子犬を抱く若いころの俳優・下條アトムに似た少年兵は、荒木幸雄(あらきゆきお)陸軍伍長。昭和03年(1928)生まれで昭和20年には17歳である。群馬県桐生市出身の大日本帝国陸軍軍人で特別攻撃隊隊員に指名されて、万世飛行場から九九式襲撃機で出撃し、沖縄本島沖で戦死した。

荒木は、15歳の秋に陸軍少年飛行兵に応募。難関を突破し学問に飛行訓練に、優れた才能を発揮し、卒業の時には、最高の栄誉とされる陸軍航空総監賞を受賞した。昭和19年10月に特攻作戦が開始されると、優秀なパイロットであったゆえにすぐに攻撃隊員に選ばれる結果となった。昭和20年05月26日、当初の出撃予定日であり出撃予定時刻の2時間前に、隊員とともに写真を撮影されるが、その日は悪天候のため中止。翌05月27日、九九式襲撃機の一団は万世飛行場を出撃後、沖縄本島中部の金武湾のアメリカ海軍レーダーピケット駆逐艦に突入。享年17。今、生きていれば82歳。頭脳優秀であったのでひとかどの指導者となっていたに違いない。

出撃を前に、父に宛てた遺書が残っている。遺書全文はあまりに純真で簡潔である。この「知覧特攻平和会館」は、特攻隊員の少年兵に束の間の安らぎと食事を提供していた「鳥濱トメ」さんとであまりに有名だが、筆者はこれを感情論抜きに考えたい。こんな無茶な攻撃を考え出したのは海軍の参謀である。もう世界を相手の戦争に負けるのを知っていながらこうした作戦を余儀なくした戦前の陸・海軍の罪はあまりにも大きい。しかも「特別攻撃隊」の軍事責任が問われたのかどうか寡聞にして知らない。

(フリー百科事典・ウィキペディア参照)

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