2011/5/4  14:05

日本国憲法私見01  政治
最近は、毎年05月03日にだけ、憲法改正・憲法改正反対の集会があり報告的な報道がある。筆者はどちらかと言えば現実に即して憲法はより良く改正すべきと思う。理想論を言えば世界中70億の人間が、みな善人なら憲法も法律も要らないわけで、古今東西、戦争と殺し合いは無くならないのでそれぞれの国の実情に合わせた法律も憲法も必要だろう。

憲法改正の「雄たけび」が、お堀端の「九段会館」で例年行われるように思うが、先の地震で死者まで出したのは、出鼻をくじかれたようなもの。改正反対は、相変わらず社民党・共産党で、あの福島瑞穂が出てくると反射的に顔を背けるのは、これは個人の生理的問題かも知れない。彼らが理想とする欧州の真ん中にある「スイス」は国民皆兵令があり、各家庭には常に自動小銃が使えるようになっている、いわゆるハリネズミの防衛思想で、武装中立国である。日本にもこの考え方を広めることは寡聞にして聴かない。

筆者の天の邪鬼精神からすれば日本国憲法を「平和憲法」、憲法を改正することを「憲法改悪」と決めつけることにある。日本には平和憲法なる憲法はない。何故平和だったのかは子供でも解ることで、軍事的には戦後ずっとアメリカの属国で、軍事を国民的心理で考えずに済んだからである。米ソの冷戦体制に日本はアメリカに与しただけのことである。「憲法改悪」とは、よくもまあこんな言葉を安易に使うものだと思う。これでは昔の「鬼畜米英」「神州不滅」と言い方は同じである。言葉に言葉を包めて中味の綻びを隠すようなものである。これは昔から日本に根強く残る「言霊信仰」の典型である。

憲法改正反対を声高に言う人ほど日本国憲法が、何章に分かれて、何条あるかも知らない人が多い。それは「09条」だけを摘まんでくるからだと思われる。因みに「09条1項」は、これはこれで理想論としていいのではないか。2項は明らかに問題を孕んでいる。交戦権を否定したら自衛権も成り立たない。重要な条文なのに「これを」という指示語が二度も出てきて何か可笑しい。

日本国憲法が「朕は〜」で始まるのは形式的と言うが、全文が旧仮名で表現されているのも前時代的でもある。改正反対を言う人は、上諭の天皇の存在と旧仮名は否定できないことになる。

画像は金目川堤の桜。

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