2012/8/9  16:57

ヤルタ秘密協定  昭和史
08月08日の産経新聞朝刊(朝刊しかないが)に、にぎにぎしく昭和20年・1945年の敗戦の年のことが報道されていた。当時のスターリンのソ連が「日ソ中立条約」を破棄して、いわばノックアウト負けの大日本帝国に襲いかかってくるという情報、いわゆる「小野寺電」のこと。ソ連は米英より信用できないと主張していた。

事実その通りになった。だが当時は、国民はおろか軍部もメディアも信じるすべは無かった、が真相である。原子爆弾を落とされるまで判らなかった。

詳しくは筆者の≪私解 戦争の昭和史≫の第4章「日米開戦に反対した人はいたのか」に詳しく掲載してある。当時のスウェーデン駐在武官“小野寺信(まこと)陸軍大佐”(終戦時は陸軍少将)は、独自のネットワークから米・英・ソ連の「ヤルタ協定」(日本の敗戦処理)から5か月後の08月に米・英承知の上でソ連が、満州に攻め入ってくるとの情報を日本の「大本営陸軍部」に送っていた。軍部中枢に真実を見極める能力も度量も無かったのは云うまでもない。

こともあろうに、そのソ連に終戦の仲介を模索していた内閣は、小野寺情報は、本当なら恐ろしいことで疎ましいものであったらしい。大本営・参謀本部(陸軍)の奥の院の次長、作戦部長、作戦課、軍務課などが、これを握りつぶしたのは、20数年以上も前の“昭和”の時代からささやかれていたことである。

ここで詳しい経緯は省く。今でも確かな証拠はないのである。しかし昭和史の専門家・学者・作家は知っている。握り潰しの張本人はもうこの世にはいない。

筆者は、梅津美治郎参謀総長、瀬島龍三作戦課員が、その人だと思う。後者は10年間、シベリアに抑留されたが、平成19年09月、95歳まで生きた。関西の小商社「伊藤忠」を大手にのし上げたと云われている。

添付は小野寺信陸軍少将。昭和62年没、89歳。ドイツ語、ロシア語、スウェーデン語に堪能な情報将校だった。娘さんは大鷹節子氏、昭和一桁生だが…。筆者のHPを評価してくれた。

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