2013/10/1  13:45

日米開戦への道06-2  昭和史
日米開戦への道06−2 東條英機02
東條は、今の価値で数10億円の陸軍機密費を私することなく、愛人を囲うわけでなく清廉潔白だった。陸軍中野学校の創始者で陸軍省軍務局の岩畔豪雄(いわくろひでお)は、赤坂通いが派手で自分の周囲から遠ざけた。自分の家の女中さんの手を握っただけで自分の甥を殴りつけた。世田谷区用賀の粗末な木造家屋に子供7人の円満な家庭を築いていた。戦後アメリカの「戦略爆撃団調査チーム」は、そのあまりの質素な生活を容易に信じなかった。

陸軍内の事、その日の出来事は必ずメモ、週末にはそれを人事・機構等項目別にメモし直す。論理明快・数字も正確た。だが悲しいかなそれは陸軍内のことに終始した。東條は、帝国陸軍に関しては生き字引のような存在だったが、海軍・世界情勢・ハーグ条約(捕虜扱い)、中国に関する「九カ国条約」、大正時代の「ワシントン条約」、昭和初期の「ロンドン条約」など外交は知らなかった。日米開戦時の世界情勢さえよく知らず、戦後の「東京裁判」で訴追検事を呆れさせた。

この昭和前半の「帝国陸軍軍人」の鑑のような人物は生涯、二つの誤りを犯した。昭和天皇の「英米との戦争には反対の意向」を判っていても、開戦を阻止できなかった。陸軍・海軍の中枢部、朝日・毎日新聞などメディアの催促、世論の昂揚を交わしきれなかった。東條は中国戦線での20万人の戦死者・英霊に申しわけないと大陸からの撤兵を終始拒んだ。組織の論理で拒めなかったのが実情。だから終戦時には、筆者の父親を含めて一桁多い310万人の戦死者を出した。“日米開戦への道”における東條の役割は低い。だが結果として昭和天皇の「非戦」の意志を貫徹できなかった罪は重い。

とどのつまりは「欲しがりません!勝つまでは」の精神論ではなく「戦争など出来ない国力」の物理論でもなく、戦争・戦死の最前線は実感することなく“事務処理”としか捉えられなかったことになる。今の“福島原発事故”における経済産業省の高級官僚と同じ。

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