2013/10/28  16:49

パリ講和会議  昭和史
またまた近代史の話で申し訳ない。今、戦争の昭和史「日米対立」を3年越し推敲・改訂中。松岡洋右は別名“昭和の悪役”、方法を間違えたが「日独伊三国同盟」により日米戦争を招いたとの結論は酷である。これに邁進した外務省官僚と安易な愛国心に訴えたメディアの責任は重い。英語力があって、アメリカを知悉する軍人・政治家は遠ざけられていた。歴代総理で英語力ナンバーワンの齋藤実(さいとうまこと)(30代首相)、高橋是清(20代首相)は二・二六事件で暗殺されていた。

今の96代内閣総理大臣は安倍晋三、母親は岸洋子、同名の歌手がいる。56
・57代首相・岸信介の長女、61・62・63代首相・佐藤栄作は実弟、佐藤栄作の妻は従妹の佐藤寛子、佐藤寛子の母親は旧姓・松岡藤枝、昭和15年に就任した外務大臣の松岡洋右の実妹。岸・佐藤兄弟の義理の伯父になる。因みに財務大臣・麻生太郎の母方の祖父は吉田茂。吉田茂の妻は、元内大臣・牧野伸顕の娘。牧野伸顕は廃藩置県で著名な大久保利通の二男。

1919年・大正8年、欧州が舞台となった第一次世界大戦の処理で「パリ講和会議」が開かれた。日本はサイレントパートナーと呼ばれた。直訳では傍観者、米英仏の三首脳には、日本は当時の5大国だが、本音は「口を差し挟む権利はないのだよ」との、あからさまな揶揄だった。この全権代表が、西園寺公望(12・14代首相)と牧野伸顕。随員が近衛文麿、重光葵、有田八郎、吉田茂、松岡洋右。生きた英語を駆使する松岡は、活躍した。この時の内閣は原敬(はらたかし)(19代首相)、外務大臣は内田康哉。原は2年後暗殺される。内田は最も長期間、外務大臣を経験したが有能な官僚だったから…。

前列左から3人目・松岡洋右、6人目・重光葵、8番目・吉田茂、中段右から10人目・近衛文麿、前列折目の右側が全権代表・西園寺公望、左が牧野伸顕。

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