2014/8/29  9:56

北見和夫  身辺些事
この頁は2015・8・14時点で書き直ししている。以下はその冒頭部分。

≪昨日、このブログ「浅草」に一つのコメントがあった。ただし内容は非公開を希望する由。昭和30年代半ばにデビューしてある程度売れたが、いつの間に姿を消したのが演歌歌手・キングレコードの北見和夫。この歌手は、周囲に歌手時代のことを何も語らず先頃亡くなられたらしい。投稿者はそれを少しでも知りたいとのこと。≫

周囲と記述したが実は、息子を騙っていた。この人物は何が目的か。本人・北見和夫の妹さんから兄は元気です、のメールがあった。謝罪・釈明の記事も平成27年08月13日に配信した。ひとこと補足すればブログ記事とて確認作業が大切だということ。

小生は昭和19年生だから30年代が10代で、演歌の島倉千代子・三橋美智也の大ファン、三橋・春日八郎所属のキングレコードからデビューし昭和36年頃から売れ始めたのが北見和夫、「浅草の屋根の下」(佐伯としを作曲)が、いちばんヒットした。ただしレコードはあるがジャケットは紛失した。「恋人たち」は、美人女優で有名な山本富士子の亭主、古屋丈晴の作曲、いいメロディだ。

レコードは4枚保持している。残りの3枚は添付の通り。美男で美声の持ち主だった。テレビ出演して歌っているのも記憶している。いつの間にか表舞台から消えたので、単に売れなくなったからと思っていた。「北見」は芸名で北海道出身であろう位は想像出来た。むろん消息は知らない。昭和40年後は、ぷっつり姿を消した。歌謡曲は以後、ポップス、グループサウンズが盛んになる。

50年以上前のレコードを廃棄しなかったのは、あくまで筆者の趣味。浅草を冠した歌が多かったのが主因。三橋美智也、鶴田浩二、今をときめく丸山(美輪)明宏、仲宗根美樹もある。50年前の記憶が甦った。久しぶりにアナログプレーヤーを整備して美声を聞く。東京五輪前の追憶だ。昭和38年が端境期、「街角の雨」はステレオ仕様。

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