2014/11/10  23:25

父親の命日  身辺些事
筆者の父親は、昭和20年11月10日、中国江西省で戦病死。今日が命日なのを危うく忘れるところだった。位牌に線香を手向け久し振りに般若心経を呟き!しばし瞑目。終戦後の野戦病院では食物もクスリも無かったと思う。うち捨てられたのが実情。69年後の筆者は、食物は余り、薬は毎日5種類、8錠を服用、どっぷりと平和に浸っている。嗚呼。

世の中、平和すぎるのか女性の“人権”とかで、慰安婦の「強制連行」だとか「強制性」などと寝ぼけたことを言っている。慰安婦問題は韓国済州島の16人が発端。真に強制されたのは310万人の日本人兵士で最前線で死んでいった。森の中の一本の枝葉を騒ぐのは他国のプロバガンダなのを理解しない。戦前ナチスドイツを礼讃した朝日新聞は健在。似非文化人、政治家が何と多いことか。筆者の実父の死に様は以下のページに掲載してある。二等兵が戦死したから上等兵になっただけのこと。

http://www1.odn.ne.jp/~ceg94520/mumyouan/mumyouS02.html

本日までに『日米開戦の責任者たち』をアップしようと思ったが間に合わなかった。本年暮れまでには完成させたい。内容は「日米開戦」の責任者を恣意的に抽出。『昭和天皇独白録』の中に記述される政治家・軍人を中心にした。経歴は何れも日米開戦時の昭和16年。73年前のこの顔触れは“非戦”の合理的判断は到底叶わず奏上出来なかった。むろん独断と偏見。筆者も日本人、死者に鞭打つ気持ちはない。近代史・昭和史の事実を知りたいだけである。

@杉山 元 参謀本部総長(陸軍作戦部門)
 永野修身 軍令部総長(海軍作戦部門)
 杉山は、終戦後09月ピストル自殺。永野は、日米開戦には反対だった。
A木戸幸一 内大臣
 天皇に面従腹背の政治家。開戦責任は大。昭和52年まで生き存えた。
B近衛文麿 総理大臣
 連合国本部に出頭する日、服毒自決。平安時代からの貴族の誇りは全う。
C松岡洋右 外務大臣
 ヒトラー、スターリンと会談した頃が絶好調。東大卒主流を敵に回した。
D東條英機 陸軍大臣・総理大臣
 陸軍のみの軍人官僚。「町内会長程度のオッサン」は司馬遼太郎の指摘。
E嶋田繁太郎 海軍大臣
 海軍は「日米戦争に勝てない」ことを知悉。伏見宮には抵抗できなかった。
F大島 浩 駐ドイツ日本大使
 ドイツおたくのような陸軍出身の外交官。アドルフ・ヒトラーに心酔した。
G徳富蘇峰&新聞メディア
 蘇峰は明治・大正・昭和を生きた言論人。客観性よりも精神論を重んじた。
H白鳥敏夫 駐イタリア日本大使
 外務省傍流の外交官。イタリア大使を経験。日独伊三国同盟に邁進した。
I宇垣一成 外務大臣(昭和13年)
 三度、総理大臣に推薦されるも陸軍の横槍で頓挫。昭和天皇には不興。
番外編 米内光政 海軍大臣・総理大臣(昭和15年)
 日本海軍を代表する軍人。昭和天皇の信任が厚かった。総理も経験した。

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