2021/2/23  22:40

畏友 追悼05 愛の伝道者  日本史
中学時代、墨田区横川橋4丁目に互いに住んでいた。この友人の父親は服部時計店・精工舎勤務。その社宅に居住していた。下村湖人の「次郎物語」の岩波文庫を読んでいた。真面目な人生を歩んで居たかと思っていたが50数年後の再会後は、だいぶ人生の修羅場を潜ってきたように推察できた。ビールが好きで大いなる喫煙者だった。早くに乳癌で妻を亡くしていた。ここ7年間の交遊は偏に鰥(やもお・連れ合いが欠け独居)の生活と小生のパソコン人生に賛同してくれた結果。ここから先は老いて尚盛んだった友人の言う“愛の伝道者”の告白。二人の女性は多分友人の死は知らないと思う。(2018・12・06)

元気にやっているか? こっちは相変わらず佐原と木更津の女性の間を団鬼六著「我、老いてなお、快楽を求めん」が如くに精勤している。

佐原は遠すぎるし有料道路、ガソリン代も馬鹿にならない。行くと5日は泊まって来る。そうすると木更津の女性からは「昨日、何度も電話したが出ない。心配して昼と夜中の2時にアパートに行ってみた!車がなかった!どこに泊まったの??」と詰問される。頭のいい女性ゆえに当方の言いかたに辻褄が合わぬことをビシビシくる。最後は「まぁいいや。ピンサロかソープの女でしょうけど…歳を考えなさいヨ!」で収まる。佐原に行ったことは口が裂けても言えない。言ったら大変なことになる。お互い充分過ぎる程の知己の間柄。お互いの家も知っている。佐原は大人しいが木更津は激情の性格。集落中にビラを撒いて住めなくしてやる!と前々から言っている。

10月、横浜三渓園に車で行って来た。小学校の遠足以来でその折りは何にも感じず、ただ行っただけの感慨。やはり歳をとると感じるものが違う。実業家にして茶人・原三渓の趣味人の趣きが随所に出ておりとても良かった。

10月末、富岡製糸場に行ってきた。世界遺産になった当座はミーハーばかりでわざわざ行くような所ではないと思っていたが、広大な土地に製糸工場と関連工場、発電所、診療所、寄宿舎、体育館、食堂など100棟の建造物群と明治の「国づくり」の息吹きに圧倒された。滞在は4時間を超えた。更に説明看板を読むと何と三渓園を作った原三渓が富岡製糸場を40年近く経営していたことが。最初官営、次に三井そして片倉工業と思っていたが片倉工業の前に原がやっていたようだ。木更津の彼女も驚いていた。

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2021/1/11  20:57

今日の富士山02  日本史
昨日の「今日の富士山」の文章の後半が気に入らず、訂正していたら投稿の重複となってしまった。重複の4点を削除したら折角の拍手の2点も削除と相成った。

もう一度投稿する。添付は明るさを強調して居らず“青富士”のまま。

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2021/1/11  20:47

今日の富士山  日本史
 田子の浦にうちいでてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ 山部赤人

小倉百人一首の第4、山部赤人の歌。田子の浦だから静岡県のどこからか富士山に積る雪を見た、という歌で山部赤人は奈良天平時代の歌人。

富士山と言えば「白妙」と表現されるように積雪の美しい日本一の山と誰しも思う。好き嫌いは別にして日本を代表する山を通り越して日本の代名詞になっているから、この季節はさぞ冠雪で見てみたいと思うに相違ない。

添付の画像の富士山は正真正銘、本日午前中、拙宅の二階の窓から撮影したもの。オリンパスSPシリーズの100EE、多少ズームで撮影。フォトショップで鮮やかさをこれも少しく強調してあるが積雪が甚だ寂しく、豪雪はおろか冠雪とも言えない“青富士”だ。

コロナ禍に加えて秋田、新潟、福井などは豪雪が報道され北陸自動車道では、吹雪でトラックなどが進めなくなり自衛隊の出動となった。日頃、自衛隊は左筋の人からは聊か疎まれているが、大活躍で感謝せねばならない筈。

昔から小生は、物理・地学など興味があっても知識は疎い。シベリアからの寒気団が日本列島の山脈にぶつかって雪を降らす、という程度。

東京都、神奈川県で人口2200万人、千葉・埼玉の一都三県で4000万人の人口、仙台、名古屋。大阪、福岡を加えれば日本人の二人に一人は、この太平洋側に住んで居ると思う。思想信条も均質化が叫ばれているが、先ずは“道州制”など国土の人口比の問題が急務。スマホ、タブレットに着いていけない世代だが、先ずはこれを解決する端緒か、テレワークの普及が早道だ。

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2020/9/16  10:26

AIとカラー化  日本史
筆者の私は甚だ横文字に弱く「IT」がインフォメーション・テクノロジーという情報技術でインターネット時代になって、これは企業も個人も経済に生活に欠かせない。カーナビもドライブレコーダーも必需品。

近頃はAIという言葉が頻繁に使われてこれは“人工知能”。このAI技術を使って昔のモノクロ写真をカラー化することが頻繁になり、その技術も向上して驚嘆するほかはない。昭和の時代、貴重なカラーフィルムを使用した光文社新書の全編、昔のアート紙、今のコート紙に印刷したものが発行されている。ウォーター・ヒギンズというカメラマンが昭和30年代に鉄道を中心に撮影した。

昭和の東京の都電風景は小生に記憶があり懐かしい。だが今度は、全編戦前の画像でもちろんカラーなどではない。それらにAI技術を施してカラー写真に仕上げたのが添付の本。どうやらこれにはカラーの膨大な色の蓄積されたものを使用し、人間の記憶を基に手作業で処理するらしい。新書で2センチの厚さ、手に重い。1500円とはこれも手ごろ。

日本の戦前の田園風景、戦争最前線の画像。特攻機を見送る知覧高等女学校の生徒たち。「十死〇生」の日本の戦争に加担させられた。カラー画像は臨場感が溢れている。こうした出版物は増えるだろう。「天邪鬼の探索考」を推敲する者として、その臨場感は大いに掴める。

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2020/8/24  23:56

近代日本の暗殺  日本史
明治維新から太平洋戦争終戦までの政府要人のいわゆる“暗殺”を著した書籍は殆どお目に掛かれない。一冊に纏めても売れる本ではない。しかし内容はかなり重要。夫々の経緯が夫々の著書に詳しく論考されている。暗殺と云えば幕末の坂本龍馬が有名。歴史に“たら、れば”は空しいが、この人物が暗殺されずにいたらと思う人物が多い。筆者の私が強調したいのが、明治維新に関わった薩長以外から初めての首相の原敬(はらたかし)。

原は議会制民主主義下の日本で政党人それも薩摩長州以外の東北の出身の総理だった。ここが近代政治の分岐点だった。明治維新世代の元老・山県有朋は政党政治を嫌ったが政党政治家のリアリズムに邁進する原を認めていた。原亡き後、山縣もかなり落ち込んで病死した。原は確実に国際協調を目指し軍人の跋扈を抑えた気がする。

永田鉄山(ながたてつざん)亡き後、85年を経過する。多くの識者が今でも昭和の軍人の天才として評価する。松本清張の『昭和史発掘』が端緒で世に知られた。陸軍内部のいわゆる統制派・皇道派の対立は熾烈を極めた。永田の軍務局長就任後、多くの皇道派の軍人を粛清した。昭和10年、皇道派の相沢三郎中佐に白昼堂々刺殺される。陸軍省の心臓部の軍務局が手薄なセキュリティに唖然とする。皇道派は天皇神格化、仮想敵はあくまでソ連。これが転機で翌11年、皇道派の青年将校が二・二六事件を起こす。

近代の国家総力戦を知悉する永田は統制派の筆頭。両者に常に軋轢があった。永田が無事であれば必ず陸軍大臣か参謀本部総長。東條英機、杉山元などという国際情勢も国際条約も知らない陸軍のことしか知らないボンクラの出番は無かった筈。「永田ありせば日米戦争など無かった」という多くの指摘がある。大久保、伊藤、原、犬養、永田への暗殺は愚者の行為で、確実に近代日本の損失だった。重ねて言うが永田鉄山が陸軍大臣だったら徴兵された一般兵の肉弾戦強要など無かった。

◇大村益次郎 1824〜1869 日本陸軍の創始者 45歳
倒幕・王政復古の戊辰戦争勝利。木戸孝允、大久保利通と共に明治新政府の幹部。元長州藩士のいわゆる守旧派の刺客に襲われ二か月後に死去。
大久保利通 1830〜1878 初代内務卿(実質総理大臣)47歳
西郷隆盛、桂小五郎と明治維新三傑と称される。薩摩出身、近代日本の政治のリーダー。石川県士族の反乱により千代田区紀尾井坂にて暗殺される。
伊藤 博文 1841〜1909 初代・5・7・10代総理大臣 68歳
松下村塾に学び日本帝国憲法を起草。日本初の議会政治の首相。朝鮮人の民族運動家・安重根に射殺される。初代韓国統監。実際は韓国の理解者。
原   敬 1856〜1921 第19代総理大臣 65歳
東京駅で19歳の少年・中岡艮一に刺殺される。総理大臣を刺殺して大審院では死刑を免れた。後に釈放。1980年まで生きる。背景に右翼の存在がある。
◇浜口 雄幸(おさち)1870〜1931 27代総理大臣 61歳
大蔵官僚出身。幣原喜重郎と同級生。立憲政友会総裁。東京駅で右翼・佐郷屋留雄に撃たれる。翌年、感染症で死亡。中国強硬派の森格の存在もある。
◇井上準之助 1869〜1932 浜口内閣大蔵大臣、日銀総裁 62歳
浜口雄幸内閣の大蔵大臣。荒療治で本本位制を復活。昭和恐慌の緊縮財政で海軍予算を削減、海軍・右翼に怨まれ團琢磨と共に血盟団に射殺された。
犬養  毅 1855〜1932 29代総理大臣 77歳
42年間、衆議院議員18回連続当選。西園寺公望の推薦で77歳で首相就任。五・一五事件に遭遇、海軍青年将校に自宅で襲撃される。5時間後に死亡。
永田 鉄山 1884─1935 陸軍省軍務局長 51歳
日本陸軍では石原莞爾と並び最高の逸材と今も称されている。陸軍内部の統制派、皇道派の抗争で、相沢三郎に白昼刺殺される。二・二六事件の原因。
◇高橋 是清(これきよ)1854〜1936 20代総理大臣 81歳
二・二六事件に遭遇、6発の銃弾に倒れる。昭和前半の財政立直しに尽力。
◇斎藤  実(まこと)1858〜1936 30代総理大臣。77歳
二・二六事件に遭遇。47発被弾して即死。海軍軍人出身。岩手県出身。歴代首相のなかでも最も英会話が堪能だった。着任したばかりのジョセフ・グルー米駐日大使は嘆いた。

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2020/4/28  23:52

七つの「き」と「気」  日本史
パソコンでの短歌会の仕事に失業!?したので筆者のプライベートは「ギアチェンジ」を宣言。無明庵の「戦争の昭和史」を「天邪鬼の探索考」として真面目に推敲、記述することにしたが、2年間の兵役で敢え無く戦病死した実父の“一兵卒”の現実を可能な限り探索してみたいが、参照する本を選んだだけで手を付ける前に音を上げる赴き。

徴兵・入営した市民の残酷な顛末、側面を“これでもか”という史料で裏付けて叙述したのが、「日本軍と日本兵」(一ノ瀬俊也 講談社現代新書 2014年)、「日本軍兵士」(吉田裕 岩波新書 2017年)だが、なるほど学者で大学教授だ。資料の駆使も半端ではなく参考になる。だが吉田は昭和29年生。一ノ瀬に至っては昭和46年生で、戦争最前線を知らない。

岩波新書で戦後ベストセラーになった「昭和史」の著者の一人藤原彰(1921─2003)は陸士55期の軍人で中国大陸で中隊長でもあった。戦後東大に学んで歴史学者になった。岩波現代文庫の「中国戦線従軍記」はアマゾンでは品切れ。イデオロギーは決めつけらしいが、ともかく戦争最前線の軍人だった。戦線の細部に嘘は無いだろう。

日本人とユダヤ人」のベストセラーのある山本七平(1921─1991)氏は1921年生で終戦間際の幹部候補生でフィリピン戦線へ従軍、九死に一生を得ている。『ある異常体験者の偏見』(文春文庫1974年)、『私の中の日本軍』文春文庫1975年)、『一下級将校の見た帝国陸軍』文春文庫1976年)がある。戦争最前線の陸軍兵士の生々しい実態、衛生事情を記述している。分隊指揮官の最前線描写の記述は若手の現代史の学者には到底及ばない。

筆者の素人の記述の取っ掛かりとして所持している参考書の内容で気付いたのは“き”と“気”。この辺から先ずは読解するのが肝要。
「き」は、決起・武器・軍紀・戦機・危機・飢餓・棄兵
「気」は、志気・勇気・血気・病気・気魄・鬼気・狂気
これら七つのキーワードに沿ってひとりの二等兵の死に様に迫ってみたい。

添付は拙宅前の隣家。モッコウバラ。

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2020/4/18  20:07

ヤフーブログ閉鎖  日本史
添付画像は「冬雷2020年04月号66頁。昨年末に知人に運転を頼み、山梨県山中湖村を探訪。湖から少し離れた忍野村からの撮影、暖冬で冠雪のない富士山だった。画像の上でクリックすると拡大します。

筆者の私が定年のときの平成16年、新暦の七夕の日にホームページを立ち上げた。「デジタルカメラ歴史紀行」の題名は当時としては無難なところ。まだフィルムカメラが全盛で、デジタルカメラでパソコンへ取り込めるのはオリンパスなど少数だった。個人のブログが勃興したのは平成20年。あれよあれよと言う間にスマートフォンが電話・撮影・ダウンロードの定番になった。

昨年12月に「ヤフーのブログ」が閉鎖された。10年強でブログは下火になったことになる。筆者の「冬雷短歌会の画像」の頁は保存もしていなかったので消失した。他の方々のブログも同様の筈。筆者のHPのアイコンの「冬雷短歌会の画像」を削除したが12個を維持。新たに「最近の投稿歌」を作成した。だがまだ頁そのものが出来ていない。「MAIL」欄は、まだ非接続の状態。「暇人旅行記ブログ」「花ガーデンブログ」は休眠中。

「無明庵」にて改題した「天邪鬼の探索考 戦争の昭和史」は鋭意、推敲中。戦前、戦争など行きたくもない一市民が徴兵されて南支(中国大陸南支那)の江西省(こうせいしょう)に連れて行かれ、広東省(かんとんしょう)で病死したがこれを少しでも辿ることがせめてもの死者への慰めだ。コロナウイルスの発生地中国・武漢は湖北省。その南東に位置するのが江西省と広東省、この二つの省で日本の面積ほどの広さがある。

1943年頃の中国の奥地など、かなりの寒さだろう。衛生事情・食糧事情など多分、劣悪だった筈。無意味にしか思えない、その進軍経路を出来得る限り辿ってみたい。派遣軍・方面軍・第23軍までは一応解る。独立歩兵第222大隊・中隊になるとインターネットにその痕跡はない。大隊は500人、中隊は100人。靖国神社の偕行文庫・国立国会図書館に行けば解るかも知れない。大隊規模の戦友会などがあったらその足跡は解る筈だ。戦友会という史料は私家版など少なからずあるだろう。あっても昭和の時代に消滅している。

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2020/2/19  22:07

新書乱読03  日本史
『歴史を動かした昭和史の深層200』 保阪正康 日文新書 平成15年

今日、大きな病院の呼吸器科の定期健診だった。胸のレントゲン写真も血液検査も検査後、呼吸器科の診断を受ければ診察室の医師の前のコンピュータにはたちどころに判るシステムになっている。結果は悪いまま小康状態、今日明日に命が断たれることはないという感触。ただ野村克也監督のように「虚血性心不全」などはいつ起こらないとも限らない“後期高齢者”なのは否定できない。病院の売店ではマスクは全部売り切れていた。

新書乱読と言っても精読したものとそうではないものとがあるが、当初の目的の昭和。「昭和の世相」「昭和の戦争」を二本柱とする。浅学菲才であっても、自分の尺度・物差しとして精神論・事実論、建前・本音に置けば、危なくなった五感も嗅覚だけは働く。

昭和史の真相が200項目に分かれているので、一つは当然1ページ仕様。ここでは58・59・60・61の東條英機の解説。陸軍のことしか知らない陸軍中将が、政権を投げ出した近衛文麿に変って総理大臣に就任、推薦したのが内大臣の木戸幸一。承認した昭和天皇は終始、道義的責任を感じていた。

情報過多の現在と違い、陸軍官僚だった東條英機にはアメリカという国の実情に疎かった。軍部・外務省からの情報は、威勢のいいナチスドイツのことばかり。独ソ戦争が始まっていたからソ連の知識は少しあっただろう。アメリカ経済が疲弊していた昭和の始め頃、駐在武官だった頃の佐藤賢了は、日米開戦の時の陸軍軍務局長で保阪氏の指摘では「東條の腰巾着」だった。つまりアメリカは領土はあるが、戦争をするような精神力を持たないどうしようもない国との佐藤の見解だった。このブログでは今後、この軍人宰相の事実から逃げた長閑な精神論を列記したい。

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2020/1/31  23:48

いい迷惑  日本史
所属短歌会の文字入力の仕事は14年間で終了、同時にカット画像の提供も自分の肺機能の劣化で、カメラ行脚も断念したからこれもリタイア。つまり2月からは月末もすることはない。このブログは平成20年から1400回ぐらい投稿しているものの限度には程遠い(11%)ので、天邪鬼精神を発揮して言いたいことを大いに記述したい。

自分が後期高齢者なのだから仕方ないが昔、親しんだ映画俳優が昨年から今年にかけて梅宮辰夫、小林旭の妻・青山京子、宍戸錠が亡くなったのは淋しいことだ。晩年は悪役が多かった中山仁、悪役専門の山本昌平、脇役一筋の織本順吉も昨年秋、亡くなった。昭和は益々遠くなった。テレビ局は今、経費が掛かる大型ドラマは制作しないし、殊に時代劇などは制作が絶え、各局のBS放送は昔の時代劇や刑事ドラマばかりで、CMは通販のテンコ盛り。

今、テレビのワイドショーは何か事件・事故が起きると一斉に、それも夫々の番組が放送するから中国の「コロナウイルス」が発生するとそれに掛かり切りで朝から晩まで同じニュースの繰り返し。BSでも中国、朝鮮半島、米中衝突の生番組ばかり。寝しなに見るのは昔、録画したNHKの時代劇ばかり。CMが無い分、多分中身が濃いのだろう。面白いのもある。

中国ウイルス問題は騒ぎ過ぎのようにも思う。中国で死者が多いのは劣悪な医療事情だろうし、その中国の発生の原因もよく解らず隔靴掻痒。何度も記述するが中国は国土、地下水、大気が70%は汚染されているらしい。したがって富裕層はカナダや豪州に移り住むのが優先で、自国を立て直す意欲などさらさら無い。日本でも北海道の羊蹄山周辺は、日本第2位の湧水を誇るから買い占めている。まことにもっていい迷惑だ。この国との付き合いは深入りしない方がいい。日本人が中国の土地を購入できないというからこの国の自国中心・覇権主義には驚くばかりだ。もっとも安住の地を中国に求める人は、社会主義志向の人でさえ居ないと思う。理論はともかくそれが現実。

添付は虎ノ門、ホテルオークラの側道を下る坂道。

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2019/10/28  23:39

鍋の振り  日本史
毎年、映画俳優、文化人など新聞一面に掲載される程の人物の訃報が届く。テレビ朝日の12時30分からの倉本聰脚本「やすらぎ」シリーズに出演していた八千草薫が亡くなった。88歳、女性ではまだ早いと思うが膵臓癌・肝臓癌では防ぎようがないのか。昭和42・3年頃、テレビ番組で日本の「理想の男性は三島由紀夫、女性は八千草薫」が選ばれていたのを記憶する。05月には京マチ子が95歳で亡くなっている。共に「男はつらいよ」シリーズではマドンナ役で美しいオーラのある50代で出演していてDVDに残っている。

今月の短歌結社の文字入力の仕事が終了。カット画像も今月は、一足に投稿してある。テーマは「山中湖湖畔」だった。10月20日の年一度の大会では、例年のごとく大阪・新潟・宮城県などの会員、平成23年の大会以来の岩手県の会員も参加された。この会員は短歌の上達は顕著で来年は「作品一」に昇格する。

相変わらず外出時は携帯用とはいっても4キログラムと重いが、酸素ボンベをお供にしている。だが近くのコンビニに行くのも愛車の“三菱の軽”に乗っている。近所にある稲田も刈り取られ、蘖も出ている。近所の公民館裏の畑では小学生の野外授業にと毎年植えられている薩摩芋が収穫時。添付の画像。薩摩芋は連作が可能でいわゆる「痩せた土地」でも育つから多分昔は米・麦以上に庶民の食料だったのではないか思う。

筆者の幼少時、絵に描いたような貧乏で実家に一年間預けられていた。南瓜・隠元・茄子が獲れれば毎日のように同じ「オカズ」だった気がする。魚肉など滅多に有りつけなかった。卵は貴重品だった。“ヤモオ”は自分で食料調達・料理する。

 フライパンの“振り”の上達手に残る夕べに菜を切るここ三日ほど

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