2021/1/24  23:07

千秋楽  身辺些事
日本人の美意識など到底望めないモンゴル人がここ15年「横綱」の大相撲。ハングリー精神旺盛だから勝負は強い。恵まれて育った日本の若者は3Kの大相撲などあまり興味がない。3Kはきつい、汚い、危険。高校・大学の相撲部出身が多く昔のように中学出の裸一貫の力士は少なくなった。身体が大きく単なる“デブ”では、十両以上の給金の出る力士は育たないだろう。公益法人など言っているが、相撲を取り巻く環境は旧態依然。30歳過ぎればいわゆるタニマチという大金をポンとくれる人物など少ないから親方になれない。役力士でも引退後は“ちゃんこ料理”店開業となる。この辺はプロ野球も同じ。

二人の横綱は、引退同然なのに日本人大関はチャンスなのに肝腎のところで甚だ弱い。三世の琴ノ若、モンゴル人の豊昇龍、休場だったが若隆景などが希望の星だ。昔の柏戸・大鵬、輪島・北の湖、貴乃花・若乃花兄弟などの華があって強い力士が欲しい。だが旧態依然の制度の儘では怪我人が増えるばかりで力士生命の短命、人間としても無理に身体を大きくした皺寄せが短命となる。

旧態依然の相撲協会理事では改革は無理だ。先ずは土俵の高さを低く、土俵下には“土色のマットレス”でも敷いて怪我人を少なくすること。体重制限で160キロ以上は出場停止とか、何らかの改革が無ければ大相撲は廃れていくばかりだ。相撲は単なるスポーツでなく神事・伝統を無くすことはないが、力士の無事があっての大相撲。小学生の頃、大相撲巡業を観たことがある。横綱朝潮、平幕の鳴門海が記憶にある。鳴門海は100キロに満たない力士だった。

半藤一利共著
『昭和史裁判』半藤一利・加藤陽子 文藝春秋 2011・07
『文藝春秋SPECIAL昭和史大論争』平成27年秋
『父が子に教える昭和史』半藤一利他 文春新書
『昭和の名将と愚将』半藤一利+保阪正康 文春新書
『そしてメディアは日本を戦争に導いた』半藤一利・保阪正康 東洋経済
『賊軍の昭和史』保阪正康・半藤一利 東洋経済
『なぜ必敗の戦争を始めたのか』半藤一利編・解説 文春新書
『「昭和」を点検する』保阪正康・半藤一利 講談社現代新書
『「戦後」を点検する』保阪正康・半藤一利 講談社現代新書
『世界史としての日本史』半藤一利・出口治明 小学館新書

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2021/1/2  22:59

謹賀新年  身辺些事
室内外で酸素ボンベ装填の暮しを余儀なくされているので、例年参拝していた大晦日の金目観音詣では断念。昨日いわゆる元旦(元日朝)十分に御縁があるように15円を奮発?して観音詣りをした。境内は、普段は聊か寂しいが、さすがに坂東33カ所霊場7番、狭いが駐車場も満杯、賑わっていた。すっかり老人趣味となり“食う・寝る・観る”が正月とは言わず日常の定番となっているが天邪鬼のブログの記事には困らない。今の総理大臣・菅義偉のこれまでの努力は認めるが、どうみても総理の器ではない。武士社会の家老が、一時しのぎとして、老練な黒幕!?によって引き上げられただけの様相。おそらくコロナと五輪で失政となるような気がする。東北出身の苦労人だが一国を率いるリーダーの華やかさは無い。

いつもの年賀状は、今年は61通を印刷。1通は印刷ミス。2通が初めての賀状で本日出した。ここ2、3年「賀状交換は失礼させて頂きます」という人が5人ほど存在したが、筆者も応えて出さない人が4人いた。また短歌会を退会した人も居て3人控えた。「賀状交換を控える」とはとくに何か思い入れがある訳ではないのだろう。筆者に言わせれば単に面倒なだけだと思う。

喪中ハガキが6通あったが、二人は40数年交流があった同じく印刷業で知己になった人物、一人は中学校のクラスメイトで弁護士だった。何だか公的に優秀な人物、日常生活でも真面目で働き者の他界は、諸行無常だが、筆者もそう遠くない時期にそれらの人物にお会いすることになる。

旧臘、「天邪鬼の探索考 戦争の昭和史」の第2項、「一市民の戦病死」として告知(昭和21年)してきた上官の陸軍大尉の和紙1メートルに及ぶ読解文を上梓した。重複する記述だが、大尉は、陸軍士官学校卒のエリート軍人、軍事指導の習得もむろんだが、多分30代だろうが相当、書道を習練したと思う候文だった。第2項の1に「一市民の徴兵」を探索途上。感情論に溺れるのでなく事実を探索・抽出中。NHKのドキュメントでも発言した吉田裕、一ノ瀬俊也は戦後生まれの大学教授、伊藤桂一は7年間、中国大陸に兵士生活を送った直木賞作家。兵士の生活の内実に詳しい。殊に伊藤桂一は短歌でも兵士生活を詠っていて中国人に詳しく著書全てが大いなる史料。

『兵隊たちの陸軍史』伊藤桂一 新潮文庫
『日本軍兵士』吉田裕 岩波新書
『日本軍と日本兵』一ノ瀬俊也 講談社現代新書
『皇軍兵士の日常生活』一ノ瀬俊也 講談社現代新書

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2020/12/16  23:17

高島屋  身辺些事
所属短歌会は、今年令和02年03月より月一度の例会が、コロナ禍で行われなくなった。毎年秋の10月の全国大会も中止。新型コロナは、日本はもとより世界各国で多分21世紀の最大の事件になろうとしている。一段落するのは来年以降で東京五輪も中止か再延期だろう。

例会が行われなくなったので、インターネットを扱うことのできる会員に限られるが(20人ほど)冬雷短歌会の「ネット歌会」で毎月2首を発表、参加者が鑑賞、批評・感想を書き込むことで例会としている。12月発表の私の歌は、以下2首。高島屋という固有名詞に多く感想が書き込まれ、「ゐし」は文法の誤りを指摘された。「購ひし」にしたい。固有名詞を詠うのはそれが効果的かどうか、ということになるが、高島屋というデパートが中央区日本橋にあるので「ここに暮らしたのではないか」と指摘された。この指摘は的を射ている。

 高島屋の風呂敷売場に求めゐし日の丸の国旗折り目の目立つ
 仏壇に四つの位牌並べゐて光華院≠フ実父に萩を先づ供ふ

昭和38年春より日本橋通り三丁目の小さな印刷所で4年間、住込み工員だった。ビートルズが来日した41年秋まで日本橋で暮した。東京駅八重洲口まで徒歩10分だが、当時は下町風情が残っていてこの周辺で暮している人も少なからず居た。日本橋交差点の角の昔の白木屋は東急デパートになり、今から20年前に高層の多目的ビルになった。高島屋は昔のままである。町名は「通り三丁目」が取れて単に「日本橋」。都営バスに「通り三丁目」が残る。

筆者が住込み工員だった印刷所は壊され5階建てのビルになっていたのを後年確認。日本橋の鰹節の老舗「にんべん」の地所だった。日本で最初の地下鉄が敷設された国道1号と日比谷通りに挟まれた横丁。新大橋通りでは地下鉄東西線の工事が進んでいた。印刷屋の小僧の仕事は自転車による印刷物の配達、築地、東銀座へ活字を買いに行く事だった。

二首目の仏壇は小生の家の仏壇。実父、母親、義父、義兄の順。萩は秋の彼岸の“お萩”のこと。極貧を味わされた義父は右端だ。添付は自宅の山茶花。

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2020/12/12  17:49

母の命日  身辺些事
昨日12月11日は、母親の命日だったので墓参してきた。この年齢になると、この世へ産んでくれた母親なのに命日を忘れることがある。近々筆者の私もあの世へ行くので怒られるに違いない。平成06年12月11日、クモ膜下出血で76歳だった。当日一旦起きて仏壇へお茶をあげ線香をあげたようだ。

当日は日曜日、社員10人ほどで昨夜から箱根へ旅行だったが、筆者は下戸。呑めないのに宿泊してまで付き合いは御免だった。それが良かった。当日、母は毎朝の仏壇の仕事?のあと多分強烈な頭痛だったようで、布団を引き直したのか、布団の上で頭が畳の部分へはみだす形で動けなかった。隣の家の従姉を呼び、埼玉県に住む妹へすぐ来るように連絡した。その日の夜に死んだので、今、世の中で大問題になっている老人介護を免れた。叔母に“子孝行”だと言われて、今では納得。

その時、50歳でまだ家のローンも20年余を残していたから10年に縮めることができて感謝すべき事実だ。従って今、母の死亡時の年齢と同じ76歳で後期高齢者。墓地の同じ敷地にある昭和の文豪・石川達三の墓にも詣でた。昨夜は稀代のコメディアン小松政夫の78歳の死もニュースになった。2020年も志村けん、渡哲也、野村克也など有名人の死が相次いでいる。男性の平均余命は81歳というからそこまでは生きたいと思う昨今。だが後5年、まだ5年

添付は筆者の入る墓。もう一枚は昭和の文豪・石川達三の墓碑。

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2020/12/4  22:59

諸行無常  身辺些事
後期高齢者で長年“人間”をやっていて且つ年賀状のやり取りだけになっても友人の死は悲しい。これは何方も同様だろう。今年の年末には7通の喪中ハガキが届いた。

所属結社の「冬雷2020・3・4月号」を35人に厳選して05月01日にスマートレターで発送した。多分翌日に届いただろう。一人の友人が05月16日に亡くなっていた。正に“諸行無常 是生滅法”である。この友人の奥さんに確かめていないが、歌誌の返信に「朝起きるとき体が痛くて起き上がれない」と認めてあったから若しかしたら末期の癌だったのか。とにかく死の間際に届いていて不幸中の幸いだ。

この友人は6歳下の活版印刷時代の後輩。昭和44年、アメリカの「アポロの月探査」のニュースを社員食堂で見ていた。大日本印刷という日本で一番大手の印刷会社だった。大企業だが、相場より薄給なので小生は半年で退社した。この時の友人とはまだ二人と連絡をとっている。この後輩は父親が印鑑を彫る職人で“印章店”を経営、その後を継いだ。働き者で実家を移転、新築するほど頑張った。いわゆる町のハンコ屋さん。後輩は店先で小型の印刷機で名刺・葉書・カードを鉛の活字で印刷。私が半ば主催した「旅の会」の大学出の才媛と結ばれたが3年で離婚。少々歩行に難のある、やはり旅の会の女性と再婚。2児を設けた。順風満帆と思っていたが69歳の死は悲しい。

だが私の短歌の趣味を理解してくれ二冊の短歌誌、わが歌集『相生坂』の感想も添えられていた。この二冊の短歌誌を送った10歳年長の先輩も08月14日にくも膜下出血で86歳だった。先輩が主催する印刷会社出身の無尽講でのパック旅行に20回ほど参加させて頂いた。定年後の私の旅は殆どこの会の主催である。この先輩のことは「先輩の死」と09月12日に記述した。2年前の「琵琶湖湖北の旅」が最後となった。

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2020/11/18  22:11

秋のバラ  身辺些事
所属短歌会は、今年の4月以来、毎月の例会を中止。本来なら毎年10月に挙行される大会も中止の憂き目をみた。「コロナ禍」憎しである。そこでパソコンの出来る人に限られるが「ネット歌会」が開かれている。冬雷掲示板に2首投稿。夫々鑑賞しあうという段取り。06月から都合6回目と相成った。それとても参加者は20名。十数名に一人の割合。今、行われている11月号・第6回の筆者の私の一首は以下の通り。

 公民館の廂に翁がカメラ向け尻赤き燕を気長に待てり
 
 いろいろな反応があったが、これは「コシアカツバメ」というらしい。私はその燕を知らかった。ネットで検索したらじっさい華麗で優雅。だが私は三脚を立てて気長に待てない。実を言うと燕ではなく翁のカメラが気になっただけのこと。こうした老人はいいカメラを持っている。ニコンorキャノンのカメラ・ズームレンズで多分100万円弱のプロ用カメラ。三脚とて数万円はするシロモノ。小生は金も無く眼も悪い。オートでしか撮れない。
 
今、相変わらず「天邪鬼の探索考」を綴っている。昭和史に評価が分かれる内大臣だった木戸幸一。昭和天皇を忖度、軍部・右翼を忖度。いわゆる面従腹背でこの人物が日米戦争に大いに関わった。
 
 先日撮影した「秋のバラ」48枚を画像処理。12枚ほどホームページにしたいと思っている。今月はトランプ大統領、没後50年の三島由紀夫に触れたい。添付はフラワーパーク入口。

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2020/11/10  23:02

父の命日  身辺些事
車で10分の所に「花菜ガーデン」がある。“花菜”は神奈川に掛けている。平成22年に開園だから10年になる。県営だから赤字も黒字もない。時々ニュースにもなるから知られてきた。殊に春と秋のバラは見応えがある。本日、久し振りに出掛け、秋のバラを撮影した。一昨年まで年間パスポートを取得、年3回以上、訪問なら「お得」だった。肺気腫で酸素ボンベ使用の生活には“身障者手帳”を頂いているのでこのフラワーパークは入園も駐車場も無料だった。

 高倉健森繁久彌森光子吾が父も逝きし十一月十日

ここ数年、この短歌とも言えない短歌を披露している。昭和二十年の戦病死だからもう75年経過したことになる。小生のHPの「天邪鬼の探索考」はあと6点を残す。今年もあと1カ月半、太平洋戦争開戦を止められた筈の昭和天皇に誤った情報を奏上していた木戸幸一の作為・不作為を抽出している。

添付は「フリオイグレシアス」という薔薇。今日、秋のバラを一挙に48枚画像処理をした。前回は烏瓜の仲間、オキナワスズメウリ。

来年1月の歌、作品三評、100歳を迎える会員の歌一首を抽出、文章は、20字×20行、いささかの難問だ。15日までブログは暫時休憩。

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2020/10/14  21:23

ネット投稿  身辺些事
所属短歌会で「ネット投稿」が新設されている。コロナ禍で通常の例会が中止されたままなので、ネット投稿で自分の短歌二首を投稿。決められた日より鑑賞文を書き込む。20日過ぎに謝辞などを書き込む。これはすべて本名のまま。閲覧はだれも出来るが、書き込みはパスワードを知らないとできない。筆者の10月の歌は以下の二首。

 横向きの顔のかたちの山形県ひたひの部分にわが友は住む
 タオルケットの下からはみ出す部屋用のメガネは又も潰れてゐたり

以前から地図を見るのが好きだが、定年後に一週間の車の旅をしたので東北6県は気になる。茂吉記念館や山寺へ行ったのでヤフーの地図で、山形県が左を向く人間の形に見えた。鑑賞者の一人が言うように友人は、額の部分酒田市に住んで居る。その友人は後輩で元同僚、勤務先の近所の床屋の理容師を口説いて酒田市の実家へ帰り家業を継いだ。家業は魚屋。元印刷会社の営業と理容師の夫婦で果たして“魚”が売れるのか。酒田なら日本海の魚は豊富のようだ。

二首目テレビの録画を観つつ寝るので部屋用の眼鏡を三度潰した。近眼は悲しい。運転用・部屋用・読書用と三種類、二個ずつある。

添付は刈り取りの終った稲田への水路脇に咲いていた。ネット検索をした。「オキナワスズメウリ」というらしい。

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2020/9/24  23:06

哀悼 守屋浩  身辺些事
昭和34年、筆者の私が15歳の中学生の頃、歌謡界にデビューしたのが守屋浩。なんだか妙に足の長いヒョロヒョロした歌手だった。「黒い花びら」で鮮烈なデビューだった水原弘、井上ひろしの「3人ひろし」で売れに売れた。水原と井上はアルコールが原因か、遙か前に亡くなっている。2010/6/8に「讃・守屋浩」をこのブログ記述した。デジタル化されない前のアナログの「歌謡コンサート」から当時、流行の静止画キャプチャで切り取ったのが添付の画像。

現在の上皇、上皇后が結婚したのが昭和34年だった。「南国土佐を後にして」、筆者の好きな三橋美智也の「古城」が大ヒット。イタリア映画「刑事」がヒット。クラウディア・カルディナーレの美しさと主題歌に魅せられていた。伊勢湾台風で多くの死者が出た。

守屋は第一線を退いたあと「ホリプロのスカウト部長」など裏方で若い歌手及び社員等の教育・指導にも当たったらしい。島倉千代子と同じ昭和13年生まれだから10年前は70歳。当時その高音にあまり衰えてはいなかった。デュエット曲「星空に両手を」は島倉千代子のCD全集にある。人気歌手本間千代子と結婚したが後、離婚。再婚して二人の子がいたらしい。2020年、渡哲也、広田三枝子、久米明、宮城まり子などが物故、昭和はまた遠くなりけりだ。

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2020/9/21  22:54

水琴窟  身辺些事
年金生活となり、後期高齢者になるとあまりカレンダーを見なくなる。近所のクリニックへの通院は、月曜日の午前中なのと、缶・瓶の資源ゴミ乃至は燃えないゴミの出す日。先週月曜日に通院したので服薬が切れることはなかった。外出にカートに載せて転がすタイプの酸素ボンベは偶然、先週木曜日に注文、金曜日に届いていた。これが金曜日の注文なら今週水曜日の配達になるところだった。即ち土曜・日曜・祝日・祝日と休日が続く。祝日が2日続くのは殆ど失念していた。この時間軸が衰えるのはいささか問題だ。

短歌会の代表の掲示板に小生の二首が掲載された。これは近所にある「坂東三十三ヵ所観音霊場・第七番「金目山光明寺」の境内にある。

 水琴窟地底より上りくる硬質の響きに一刻暑さを忘る
 水琴窟華奢なる響きよく聴けば彼の世へ誘ふ警告なるかな

水琴窟(すいきんくつ)は手水鉢(ちょうずばち)の水を設えられた甕の中へ落とす。竹筒に耳を当てると、その時に発生した音が竹筒を通って聞こえる。琴の響きに聞こえるかどうかは個人の感性。目的は庭園の設備の一つ、風雅を醸し出すのか。オルゴールのようなメロディはない。

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