2020/5/28  21:32

またまた横文字  身辺些事
このブログで03月16日、04月25日に老齢者には難解な横文字を取り上げた。

◇エンデミック 地域的感染 ◇エピデミック 時期的感染
◇パンデミック 世界中の感染 ◇クラスター 感染者の集団

テレワーク tele = 離れた所work = 働く。
◇ステイホーム stay・home=自宅待機・謹慎
◇オーバーシュート=感染爆発、◇ロックダウン=都市封鎖

またまた横文字が現れた。それは「ソーシャルディスタンス」。以下はヤフーのいわゆる“コピペ”コピーペースト(複写貼付)。ソーシャルディスタンスとは日本語では「社会的距離」。なんだ、いわゆる「三密」のこと。密集・密閉・密接がいけないとのこと。

≪新型コロナウイルスは、症状が出ていなくてもウイルスを保有しているいわゆる無症候の方もいます。無症候の場合、自分がコロナウイルスに感染していると考えずに人に接触をしてしまうということもあり、気が付いたら自分自身がクラスターとなってしまう可能性もあります。自分だけでなく相手への感染を防ぐために、ひいては日本全体の感染拡大を防ぐために、社会的距離の確保、人的接触距離の確保として、ソーシャルディスタンスという考え方が提唱されました。

社会的な分断をイメージされてしまうため、最近ではフィジカルディスタンス(身体的距離)という言葉を用いるように推奨されています。コロナウイルスの感染経路の一つである飛沫感染は、くしゃみで3m、咳で2m。この距離も加味して厚生労働省では、保つべき距離として相手との距離を2m程(最低でも1m)取ることを推奨しています≫。

筆者と同じ考えの「不逞の輩」が居た。三密はいけないが壇蜜(モデル・女優の名)はケッコー。添付はネットより拝借、三密も引用した。許されたい。

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2020/5/24  23:14

大人の意見02  身辺些事
5年ほど前に筆者のブログで「日米開戦の責任者たち」の記事を作成、単なる太平洋戦争の読解の文章と言われればその通り。この記事作成のあかつきに勇躍、何人かの友人と共に大久保修司氏へメール送付した。小生より2歳弱年長の大久保氏からは丁寧に、返信のメールを頂いた。その感想は40年ほど前、英会話の先生の発言が根拠らしい。昨日の大久保氏追悼の続き。

先に述べた米国の先生が、米国が日本に戦争を仕向けたと話した時、色々の国から来た生徒たちはブーイングでした。そのとき「政治家なんてそんなものだ」と言っていた。しかし、貴君が指摘する様に日本の当局者はもっと早く戦争を終結に導く様にするべきだったと小生も思います。今、化学兵器などを非人道的兵器だと米国が言っていますが、核兵器は無論のこと、一体人道的兵器などと言うものはあるのだろうかと思いますね。やっぱり戦争をしないことが一番なんですね。けれど、防衛の軍隊を持たない国の在り様は現実的とは考えにくいと思います。東京の極東裁判は戦争に勝った国が負けた国の指導者を裁いたわけで、裁きは見せしめの様な所もあるでしょう「勝てば官軍です」。

正に大人の意見で単なる正義論でもなく精神論でもない。大人の意見を持つ方が心筋梗塞で亡くなった。もっと長生きしてほしい人物。所属結社の茨城県の会員をリードしている方だった。

重複するが、このブログで「日米開戦への道」時折鑑賞してくれる関西の人から太平洋戦争は、誰が始めて誰が悪いか問われた。人物に特定して断定できないと答えた。単なる読解調査の限りではある程度、順番が着けられる。今、内大臣・木戸幸一の新書を読解中。

@メディアの誘導・国民世論の日米開戦支持A陸・海軍中枢部(佐官クラス)の開戦画策B陸・海軍上層部の開戦責任・決断たらいまわしC木戸幸一における昭和天皇への面従腹背D外務省主流派の拱手傍観

@参謀本部総長(陸軍)杉山元、軍令部総長(海軍)永野終身A内大臣・木戸幸一B総理大臣・近衛文麿C外務大臣・松岡洋右D陸軍大臣・総理大臣・東條英機E海軍大臣・嶋田繁太郎F駐ドイツ日本大使・大島浩G徳富蘇峰&新聞メディアH駐イタリア日本大使・白鳥敏夫I山本五十六(日米開戦・真珠湾攻撃に限定した場合)。

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2020/5/23  23:52

大人の意見  身辺些事
冬雷短歌会ホームページに、所属短歌会の茨城県の有力な会員・大久保氏が急性心筋梗塞で亡くなられたという記事があった。05月21日との由、二日前のこと。ひたちなか市に住まわれ熱心に茨城県の支部長としてボランティアで活躍された。哀悼の意を表するとしか言えない。だいぶ昔にガンで胃を全摘されていて、身体も細いが声が細く聊か耳が遠くなっている筆者は例会では聞き取れないことが多かった。既に冬雷短歌文庫で『那珂川』を刊行されていた。昭和18年、ソウル生。77歳少し早い死である。太平洋戦争には自分の意見を持っていた。私の太平洋戦争に関するページへの感想である。以下は、5年くらい前に頂いたメールの骨子。

確かに、米国は日本にとって勝てる国ではなかったのに、戦争に突き進めて行った人たちの責任を取り上げる貴君の意見もよく分かりますが、40年ぐらい前ですが私は米国人の英語の先生(この人の知識の豊富なことに驚きました)が、真実は「米国が日本に戦争を仕向けた」と授業で言ってたのを聞いて、窮鼠猫を噛みに行かざるを得なかった状況に追い込まれたゆえに、欧米の列強がアジアに侵略していて、利権を確保していたのに対し、日本が苦しい戦争で得た或いは得ようとしていた利権を殆ど拒否されたので国民も納得できなかったのではないでしょうか? そのような世界情勢はメディアが一番分かっていたから、戦争を後押ししたので、戦争しないでは国民も収まらなかったと思います。天皇陛下は戦争を望んではいなかったことは事実の様です。

仰る通りで日本人の愚かな軍人と政治家だけの責任ではないのを御存知の方だった。この続きは次回。

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2020/5/20  23:42

ほんの少しだけ  身辺些事
12日の記事で「東京電力」の伐採のお願いを記事にした。本日ものものしく三台の車で来たので譲り葉の上部は綺麗に伐採してくれるのかと思ったら、そうでもなかった。あくまで東京電力の電線に掛かる部分のみ。なにしろこの樹木の葉は枯れずにパラパラと隣家の玄関先に毎日落ちる。電線工事のときの高所作業車だから大いに期待したが上部の半分に過ぎなかった。

筆者の歌が載る冬雷3・4月号35部を兄妹、親戚、友人、元同級生に05月01日付で送付した。そのうち電話・葉書・メール等、20人以上の方から返信があった。一方的に送付したのだから大いなる感想に感謝しなければならない。同じ所属結社の会員からカット画像断念には筆者のブログにも多くの書き込みを頂き、丁寧な葉書も頂いて感謝である。

月に一度は行く大型書店、水曜日の午後の割には客足があった。今、老人は本を読むことが求められている。多分図書館も休館中だろう。

◇「正論」6月号 産経新聞社
◇「東京人」6月号 ─臨海副都心が面白い
◇「反日種族主義と日本人」久保田るり子 文春新書
◇「昭和史がわかるブックガイド」文春新書
◇「インパールで戦い抜いた日本兵」将口泰浩 光人新社NF文庫

正論は保守系で中国・韓国に厳しい記事が満載。コロナウイルスを世界に撒き散らした中国には及び腰はよくない。文春新書の初版の「昭和史がわかるブックガイド」は良書だ。21人もの作家・学者が夫々の専門分野から10冊ずつ推薦している。21部門に夫々3冊程度は保持しているが、読んでみたい著書も多くある。自分の年齢と懐具合に鑑みて“ほんの少しだけ”購入したい。

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2020/5/16  20:41

ヒミツの魔法  身辺些事
05月03日に記述した通り、筆者の短歌の出来が、奈辺にあるのか判らないが、冬雷短歌会編集への参与が一段落したせいなのか、巻頭詠に抜擢された。2020年03・04月号が文字入力・カット画像の最期になったので区切りとして“巻頭”に抜擢された筈。

この短歌会が、会員200名弱として、維持会員として2部購入の会員、他の結社への寄贈、地元の図書館、国立国会図書館への納本、一定期間残部をストックしても300部〜400部は印刷されるのではないか。

とにかくこの先、自費出版のハードカバーは、値段的には貧民の筆者には無理(車1台分)。発行所より35部づつ分けて頂き、兄弟、親戚、小学校、中学校、旧勤務先、昔の旅の会の会員だった人達へ送った。歌誌2冊、挨拶文を印刷・挿入、スマートレターに詰め、住所のラベルを貼って宛名書きをして郵便局へ持参したのが15時02分、杓子定規にシャッターを閉められた。やむなく速達用ポストへ投函。

35人の半数から丁重に電話、メール、葉書、封書を頂いた。そのうち葉書の一枚は通常の二倍ほどの大きさ。裏面は水彩画に文章が添えられていた。中学校時代の女性の友人、当時から大人びていて聞けば19歳で結婚、長男が50歳になるとか。かなり裕福らしく毎年夫婦でハワイ暮し。

 最後にひとふりパッパこれが美いしさのヒミツ魔法の調味料です

言葉を入れ替えるとこれが立派な短歌になる。

 これが最後のひとふりパッパ美味しさの我のヒミツぞ魔法の調味料

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2020/5/12  22:48

記念樹伐採  身辺些事
筆者の家の玄関は寝るとき以外は鍵を掛けない。もう短歌原稿のレターパックは来ないからいいが、この家は施錠していないので郵便局のレターパック・隣組の回覧板など玄関の三和土に置いてあったことがある。初めて来る人はドアホンを鳴らして待っている。昨日の来訪者は「東京電力」だった。「お宅の樹木が伸びて電線を邪魔しているから少し伐採したいとの由。これは渡りに船、足腰の筋肉が衰えて、梯子を上っても身体の中心が定まらない。即、お願いした。

 記念樹に貰ひしゆづり葉その時は握りても指の重なる細さ
 ゆづり葉の幹はをみなの胴回り程に成り葉はばらばらと落つ

杠葉・譲り葉・ユズリハは昭和57年、新築のとき市当局から頂いた記念樹。親指・人差し指で丸めて握っても尚、細い樹木だった。あれから40年弱、今や女性の胴回り程に太くなっていわゆる葉っぱは勢い盛んで常緑樹、今の季節、緑葉のまま、バラバラと落ちる。東京電力には50アンペアで毎月一万数千円の支払いだからこれもサービスのうち。

もう9年前になるがこのブログで「日米開戦への道」を自己流で綴っているとき、関西の人から太平洋戦争は、誰が始めて誰が悪いか問われた。人物に特定して断定できないと答えた。今、「戦争の昭和史」を書き直している。今、読解調査の限りではある程度、順番が着けられる。世相と個人の順番。

@メディアの誘導・国民世論の日米開戦支持
A陸・海軍中枢部(佐官クラス)の開戦画策
B陸・海軍上層部の開戦決断たらいまわし
C木戸幸一における昭和天皇への面従腹背
D外務省主流派の拱手傍観

@参謀本部総長(陸軍)杉山元、軍令部総長(海軍)永野終身A内大臣・木戸幸一B総理大臣・近衛文麿C外務大臣・松岡洋右D陸軍大臣・総理大臣・東條英機E海軍大臣・嶋田繁太郎F駐ドイツ日本大使・大島浩G徳富蘇峰&新聞メディアH駐イタリア日本大使・白鳥敏夫I海軍第一委員会

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2020/5/6  23:43

あれから40年  身辺些事
ディープインパクト」と言えば日本中央競馬会のサラブレッドの馬の名。直訳すれば「ディープ」は、思い入れ、奥が深い。「インパクト」は衝撃。確かにこの馬は強くて、14戦12勝、2着1回、フランスの凱旋門賞は3着だったが、当地で治療薬物が検出されて失格。2002生。2006・平成18年の有馬記念で引退。昨年2019年、骨折で死亡した。

今や日本のJRA・中央競馬会では「ディープインパクト」を種牡馬に持つサラブレッドが多くの重賞レースを席捲、グレード1の馬が50頭も居る。何とダービー馬を5頭も出した。また“たられば”だが、先日の「天皇賞」も昨年に続きフィーエルマン(父・ディープインパクト)が勝利した。個人的は土曜日のダービートライアル「青葉賞」も共に的中した。この二つのレースは筆者には相性がいい。

一昨年の青葉賞は万馬券をゲットした。今年春のクラシックレースは、“三密”のお達しで観客無、場外馬券無の開催。勝ち馬投票はインターネットのみで残念。コロナウイルスを避ける三密はよくないが壇蜜のグラビアヌードはこれはケッコー。例年この時期、短歌会の画伯の「創展」が有楽町・交通会館であるが、これも中止だった筈。酸素ボンベのカートを転がしても、有楽町、新橋ウインズに出掛けたものをと切歯扼腕。

「兵隊たちの陸軍史」は出征から戦死・生還までの事実に詳しい。この黄金週間に再読中。伊藤桂一氏は4年前、99歳で亡くなった。7年弱の兵隊経験は強靭な生命力以外に無い。

誰もが後期高齢者になれば、余命が確実に見えてくる。漸く実父の出征、二等兵の訓練、兵器取扱、歩兵の行軍、中国奥地の地域事情、衛生事情、戦病死の経緯などを追及することがフツフツと湧いてきた。素人が追及できる範囲の探求ではあるものの。“支那派遣軍・北支那方面軍・第23軍・独立歩兵第8旅団・独立歩兵第222大隊(肝第3322部隊)までは国立公文書館のデータと第23軍の司令官までは解る。そこから先の「第2中隊」は100人規模だから詳細は不明だ。この中隊に私家版であっても記録を残した軍人・一般兵が居たかどうか。一度「国立国会図書館」「靖国神社偕行文庫」に出向きたい。500人規模の“大隊”ならば何らかの痕跡はある筈。

添付はアロエ、昭和55年、実母と同居したとき、総武線亀戸駅の花屋で購入、500円。あれから40年、アロエは元気だ。

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2020/5/3  23:47

記念誌送付  身辺些事
冬雷2020年03・04月号に巻頭詠・カット画像終了(富士山)が掲載されたので、廃棄される運命の残部35部づつを頂いた。昨年、後期高齢者となったからには、聊か大仰だが、いつ何どき時“お迎えが来る”かは神のみぞ知る。記念になる歌誌二部づつを兄弟・従兄弟・小学校・中学校の旧友、日本史の会「青甍会」の友人に04月末日付けで送った。以下は同封の挨拶文、泣き言を告白しても仕方がない。短歌会の文字入力・カット画像提供の経緯と共に体調を知らせた。自業自得、盛者必滅、行雲流水の心境だが、これも少しく女々しい。

前略
平成10年「冬雷短歌会」に入会、22年目にして令和02年03月号の巻頭詠に抜擢され、掲載されました。尚、続く04月号の「富士山」7点がカット画像投稿の最後になりました。お暇な折に鑑賞して頂ければ幸いです。

小生、平成24年に腰椎を骨折、鈍痛が続き、今は杖を曳く有様で情けないことです。その時のMRI検査で腹部に大動脈瘤があるとの診断。昨年05月には肺気腫との診断で10日間入院。間質性肺炎もあり、酸素の取込みが60%とかで、今は室内外で酸素ボンベを使用、鼻チューブ装填の生活になり果てました。動脈瘤の手術には耐えられない肺機能で、手術をしても人工呼吸器仕様になり、付き切りの介護を余儀なくされるとの由。延命治療は断りました。自業自得の極みのようです。(略)

最近スマホのSNSの驚異的な発達で、机上のパソコンに拠る個人のホームページ作成はすっかり下火になりました。ですが10年前のスタイルでのページ作成、ブログの発信は続けます。ブログの記事はいつも世相に逆らう天邪鬼の独断と偏見。こちらも序での折、ご鑑賞頂ければ幸いです。 草々
 令和2年4月

いわゆる“根こそぎ動員”で中国江西省に送られた実父の一市民の末路は出来得る限り早く調査したい。中国大陸で7年間も兵役して生還した直木賞作家の伊藤桂一氏の「兵隊たちの陸軍史」は出征から戦死・生還までの事実に詳しい。この黄金週間に再読中。4年前、99歳の天寿を全うされた。学者の著した著作より遙かに臨場感に溢れ、末端兵士の経緯を想像させる。

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2020/4/30  23:55

読書ウイーク  身辺些事
このゴールデンウイークは、外出自粛要請で日本列島“籠り切り”の状態。経験したことのない世間・世相なのだが、筆者などはこれが例年通りで違和感はない。日本列島「読書ウイーク」の到来も個人的には悪くはない。

戦病死した父親のその実態を出来得る限り遡及したいと考えたが、これはどうやら難題。昭和18年秋の徴兵・出征から始まって軍隊内部の生活・訓練・輸送・中国南支那という地域・軍事事情・衛生事情・現地の敗戦後・マラリア罹患などの実態を可能な限り迫りたい。だが市販の昭和史の文庫・新書・単行本は学者の集めた資料の精査とその咀嚼で、一定の評価は出来てもあくまで専門家の文章。目的は近代・現代史家の仕事の一環。物理的な数字の資料を駆使しても学者の培った己の良心・正義感を棚に挙げられない。そこにイデオロギーが少しく入る筈。これらはいわば学術書であって多くの日本人が購入して読破・納得しても作者に反論は出来ない。

以前にも記述したが繰り上げ卒業の幹部候補生で戦争最前線の指揮官の経験ある山本七平・会田雄次の著作、直木賞作家の伊藤桂一、古山高麗雄、大岡昇平などの小説が、戦争最前線の兵士の実態に迫っているように思う。陸軍兵士の内実は手元に置いてある著作と画像で往時の実態を詮索しているに過ぎない。

毎日新聞社の「一億人の昭和史」シリーズは昭和54年発行。鉛の活字の全盛時代に「写真植字」の製版だから画像の多用もあって思い切った決断だった筈。穿った見方では、太平洋戦争の画像資料は、殆んど朝日・東京日日(毎日新聞)に著作権があるから単純に戦争協力者と言われても仕方ない。毎日新聞は昭和天皇の元気なうちに多くの画像資料を駆使した出版物を企画して、これが大型本で“見る昭和史”になった、と筆者は理解。戦後30年を経過した頃の企画。生還した最前線兵士の投稿を促がしたのは、優秀な企画者ゆえなのか。当時は各家庭に「百科事典」が鎮座していた時代。

◇「ペン画の陸軍 軍隊内務班」太田天橋 東都書房 昭和42年・1967年
◇「別冊一億人の昭和史 日本陸軍史」毎日新聞社 昭和54年・1979年
◇「私の中の日本軍 上・下」山本七平 文春文庫 1983年
◇「一下級将校の見た帝国陸軍」山本七平 文春文庫 1987年
◇「昭和の歴史3 天皇の軍隊」大江志乃夫 小学館文庫 1988年
◇「あの戦争は何だったのか」保阪正康 新潮新書 2005年
◇「皇軍兵士の日常生活」一ノ瀬俊也 講談社現代新書 2009年
◇「<玉砕の軍隊>、<生還の軍隊>河野仁 講談社学術文庫 2013年
◇「天皇の軍隊」大濱徹也 講談社学術文庫 2015年
◇「日本軍兵士」吉田裕 岩波新書 2017年

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2020/4/21  21:54

特別弔慰金受領  身辺些事
このブログで過去数回「戦没者特別弔慰金」のことを記述した。最初は2009年だった。2016年・平成28年に請求、本年令和02年(平成32年)分、最後の5万円を本日受領した。5年間×5万円=25万円。以後、過去の記述と重複するが太平洋戦争の戦没者には国家のいわゆる微々たる補償がある。

◇軍人恩給 総務省 生き残りの主に職業軍人が受給、これは高額。
◇遺族年金 厚生労働省 両親、未亡人となった家族が受給。
特別弔慰金 地方自治体 上記ではない戦没者係累が自治体より支給。

これらは全て自己申告。届出が無ければ役所は基本的に無作為。筆者の実父の場合、昭和20年11月10日の戦病死。戦死なので軍人恩給はない。母親が再婚したので遺族年金は資格がない。特別弔慰金は実父の伯父が一度受給していたが、昭和40年のこと。伯父は昭和44年に死去。10年毎の弔慰金(西暦1975、1985、1995、2005)は、筆者はその存在すら知らなかった。

平成28年に多くの書類を揃えて(2015・平成27年)この弔慰金を請求。そこでは筆者本人のみが受給できることを証明する戸籍謄本等、数多の書類を揃えなければならなかった。やっと翌年平成29年に通知が来て、この年、2年分を市役所に赴き、指示された郵便局で、平成28・29年度の計10万円を手にした。国家の国民への借金は1000兆円。この中に筆者への国債25万円が含まれる。4年前、請求して一年半弱を要した。以下は当時揃えた書類。

@請求書
A請求者本人の戸籍謄本
B母親の除籍謄本
C戦没者(実父)の戦没記録のある戸籍謄本
D請求者と戦没者の関係の解る戸籍謄本
Eマイナンバー・住民票
F本人確認(免許証)

◇請求書類の経路
請求書提出→市区町村→神奈川県(戦没者の都道府県は千葉県)→厚生労働省→財務省→市区町村→請求者本人の居住する郵便局

4種類もの戸籍謄本を揃えて解ったことは、筆者の実父は、伯父との間にその名前も存在も知らない2・3・4男の伯父が居たこと。多分生後すぐ死亡したのだろう。長男は伯父、長女の伯母がいて、実父は5男だった。この戸籍謄本を追加請求するのに時間がかかった。明治時代は衛生事情・医療事情が悪く、産まれても無事に育つ保証は無かった。大正天皇ですら明治天皇の正室の子でなくいわゆる妾腹の子。因みに天皇の直系男子は、江戸時代初期にまで遡る。歌人・石川啄木の子孫など子を成して生き残ったのは長女の京子のみで、これも24歳で亡くなっている。

どうやら特別弔慰金は、第11回があるらしくネットでこれから探索。貰えるものは「コロナウイルス」の10万円と同じく請求する。筆者の場合、年金生活の底辺に甘んじているから尚更である。添付はその時の国庫債券。

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