2021/6/2  22:16

コロナワクチン  身辺些事
早や06月、あと2週間で誕生日が来て77歳、喜寿。母親が平成06年、76歳で死去、それからもう26年を経て遂に母親の年齢を超えてしまうようだ。このところ親しんだ俳優、田中邦衛、田村正和の訃報に接し、着実に自分の順番が近づいているのを実感。1月末、ブログに書き込みをくれていた中学時代の畏友が突然死した。息子は突然の心臓麻痺と言っていたが、正確な病名を訊かなかった。ビールが好きで風呂で温まりながら私によく電話をしてきた。突然死などと言える状態ではなく無断欠勤ののち発見された聊かみっともない死に様だったと容易に推察できる。友人が、遺族が困らない終活をしていたとは思われない。木更津の民間アパートの一室に居たから2月いっぱいで明け渡しを宣告されていたから私が貸していた名作「配達されない三通の手紙」「裸の島」などのDVDは息子に処分されてしまったようだ。お洒落だった背広、ネクタイ、シャツ、帽子も同様だろう。

聊か怠惰な暮し向きの小生も重い腰をあげて平塚市役所へ行ってきた。自分では容易にできないが、係員は私のスマホを駆使、コロナワクチンが07月10日に接種と決定。医療費が10万円を超えないと確定申告ができないと思っていたが申告すればそうでも無いらしい。帰宅後に安い厚生年金の源泉徴収票がやっと見つかってことなきを得た。06月17日、自分の生日に申告する。障碍者の認定があるので少しは戻るのか。

太平洋戦争の高級軍人にはどんな馬鹿な作戦をした過去があっても生き残れば軍人恩給がある。これはかなり高額らしい。戦死者へは遺族年金が出ている。それ以外の私のような戦争未亡人の母が再婚した場合は無縁だ。ただし地方公共団体が出す「戦没者弔慰金」がある。今回は戦後11回目らしいが、前回10回目は多くの戸籍謄本を集めて一年間の査定ののち、5万円×5年=25万円をやっと頂いた。二等兵は戦病死しても薄い手当だが文句を言っても仕方ない。11回目はすぐ交付されるらしい。このブログで何回も書くが、行政は完全なる無作為。少なくとも4〜5回、100万円くらいの支給はあった筈と思うが無関心・無知で知らなかった。あと5年は生きろ!?ということ。

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2021/5/30  20:15

有難い大先輩  身辺些事
 所属短歌会のМK氏は大阪在住。米寿に近い年齢のように聞く。冬雷短歌会には平成時代になって入会されたが、既に大手の「歩道短歌会」で活躍されていたらしい。歩道と言えば斎藤茂吉の弟子・佐藤佐太郎という芸術院会員だった歌人が主宰。氏の完成された短歌から見ればいつまでも抒情性の無い小生の下手くそな短歌だが温かく見守ってくれている。過去の回想のそれも戦争の歌は、いかがなものかと思う人が多いだろう。小生とほぼ同齢の女性は、短歌は“悲しみ”を表現するもの、村上一郎など高名な歌人は“怒り”を籠めるものとする。毎月9首の投稿の末に2首ほどいわゆる社会詠を投稿する。それが太平洋戦争と実父回想の歌。父の戦死を年中詠むのも聊か女々しい趣きもある。以下はМK氏の「冬雷集批評」に12行を割いて鑑賞してくれた。以下は4月号の摂歌。

 歯科医院の門前にはらから集ひゐし父の出征の写真が残る
 
 SМ兄(小生のこと)健筆で記述されるブログを折々に拝見するが、此処に父上出征時の写真が掲示された。血縁のはらから一同が今、戦陣に征く父上と身重の和服姿の母上が写っている。私はこの写真の父上母上の面輪を眺め思わず涙が零れた。何の感激感情も見えず、唯々侘しさと虚しさの面持ちとお見受けした。離別の心情は計り知れない。戦争を罪悪とし反戦論を執筆続けるSМ兄の心象は尊い。
 
 改めて内容とはうらはらに、かようにそれこそはらから(同胞)であるかの如く感想をいただくと有り難く筆者の私も滂沱の涙だ。МK氏はいま。緑内障の治療に専念しておられ冬雷のネット短歌会も休養されている。

 いま個人的な戦争論を「天邪鬼の探索考戦争の昭和史」をインターネット上に、なかなか終わらないが綴っている。能力不足と怠惰な姿勢のなせる業だがこれも簡単にいえば運命だ。あらためてМK氏の指摘で稚拙な論考の原点に戻ることができた。それが出征の儀式の画像。МK氏は両親の面輪に侘しさと虚しさを読み取られた。この出征の儀式後のたった二年後に戦病死している。

 よく考えればこの出征の画像が小生の原点。突き詰めて言えば、昭和18年10月召集、19年12月発病、20年11月に戦病死。お国のために戦闘機を造る企業に勤務する社員が徴兵され、二年の後、戦病死した。「戦争は残虐だからしてはならない」は平凡な平和論、「戦争の出来る国では無かった」は現実を認識してやや前進。「戦争とは何かを知らなかった」のが今の小生の結論。

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2021/5/17  22:57

ネット復活  身辺些事
今月、ブログ記述は二度目。「ウインドウズセブン」のディスクトップパソコンが10年経過して寿命。最新のマシンをようやく使えるようになっても常時扱うのは、ノートパソコンでこれは2階の寝室横の書斎だった。ただし坐り机なので立ち上がるときに大いに膝が痺れてうんざり。エンゲル係数を下げて前回記述のように机とチェアを用意。だが一難去ってまた一難。NTTの光ケーブルの按配が良くない。一昨日遂に繋がらなくなってしまった。

本日104の案内で結論として再接続できたが、30分間もNTTの女性社員の案内・指導でモデム点検、ルーターの電話、パソコン2台に無事接続できて若い女性の案内は商売とは云え感謝あるのみだ。多分このままネット作業が途切れることは無いだろう。来月は喜寿。突然死の畏友の期待の分までホームページの内容は中途半端にしてはいけない。

二日前、午前中辛うじて歌稿締切日15日に自作、作品3欄批評の投稿は間に合っていた。ただ今月末までに「冬雷短歌会2020年鑑歌集の展望」を執筆しなければならない。14名だが最高位の「冬雷集」の半分、選者2人、編集委員1人。三者とも昭和37年創立の時の入会だ。荷がいささか重い。

添付は椋鳥?

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2021/5/7  22:29

パソコン環境  身辺些事
一月末に心臓麻痺で突然死した中学時代の畏友が生きてあれば、ブログの記事の少なさに“生きているか”と書き込みがある筈だが、拍手の欄の書き込みはめっきり減った。平成22年頃、購入したウインドウズセブンのソニーのディスクトップパソコンに寿命が来たようだ。このブログ記事は平成26年に購入した富士通のノートパソコン。ここ三日間、またインターネットが不通になって短歌会からのメールに支障を来した。

ブログ記事を書いているわりにパソコンの詳しいことは知らない。NTTの光ケーブルが先ずモデムに来て、そこから「ルーター」なる機器でパソコンに繋がる。昨日また出張をお願いした元ノジマ電機の社員の診断によれば詳しくは断定できないが無線RANの分配器に問題があるらしい。これはパソコンの富士通の、分配器に最新のソフトをインストールして事なきを得た。今度不通になればWi-Fi機器を求めることになるのか。こうしたメカニズムは殆ど知らない。

時を同じくしてアマゾンで折り畳み式のパソコンの机、360度回転の椅子とマットを購入した。27日夜間の注文で29日・昭和の日に現金払いで到着。回転イスには3時間を要した。結論を言えば予備としてネジが3本があり、説明書には、そのことが記して非ず時間がかかった。

訳あって鰥、6DKの独居である。2階のいちばん狭い3畳間にパソコン用書斎を設定。貧乏人は高齢になっても広い居間に寛げない。2階東側6畳は書庫、北側6畳和室は物置、西側6畳は富士見の居間。丁度玄関の真上がパソコン台。一畳のスペースが二階のトイレ。つまり一坪の空間収まった。これで「天邪鬼の探索考」も捗る筈だが“一坪思考”に陥る予兆かも。

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2021/4/29  20:21

ネット歌会4月  身辺些事
所属結社の「冬雷短歌会」はコロナ禍で昨年03月から東京・豊洲での例会を休んでいる。幸か不幸かネット社会なので「冬雷ネット歌会」を軌道に乗せている。毎月二首づつ投稿、鑑賞。以下は4月の投稿歌。

 父方の伯父は流行らぬ歯科医にて水銀中毒に死す昭和の時代
 歯科医院の門前にはらから集ひゐし父の出征の写真が残る

SМ氏
作者は今、己のルーツを確かめようとされて居る。戦争に獲られた父の顔を覚えては居ない年齢だろうし、僅かに残るセピア色の写真から情報を得るしか無いのだろうと察する。1首目の水銀中毒にギョッとした。あの水俣病の悲惨な映像が蘇って来たからだが、何故歯科医と関係があるのかと調べて見たら「アマルガム」と云う合金の存在を知る事が出来た。虫歯治療の詰め物として使用するものの様だ。成る程、歯科医と水銀中毒の関係をこの歌から学ぶ事ができた。歌として、結句の「昭和の時代」が大雑把な括りとなっているのが、少し残念だ。昭和の時代は長いので、もう少し限定して欲しかった。しかしこうして歌に残すことで作者の生きた証は確実に残されてゆくものと信じる。

ТA氏
一首目、二首目、何故「流行らぬ歯科医にて」と断定するか、疑問に思った。「父の出征」時にはらからが集まり、集合写真を撮るくらいだから親族の中心であり、昭和の時代には数少ない歯医者として流行っていたのではないか。本誌1首目の「手の震えの媼」と水銀中毒を関係ありと読んでみたが、手の震えは有機水銀でアマルガムは違うと知った。しかしながら何かがあると、はらから(同族)が集まる昭和の良き時代を、一面詠った歌だと思う。

NS氏
歯科医だった伯父上を追想されている。歯の治療にアマルガムの詰め物が使われるのが普通の時代、医師である伯父上自身もそのために罹患されたのかも知れません。医院は必ずしも繁盛されたとはいえなかったようでそれを「流行らぬ」とユーモアを含んだ表現をされたことで伯父上の人柄まで想像されます。

МH氏
戦時中は実質のない形ばかりの悲しい栄誉だったのでしょうが、出征する方を万歳!と言いながら見送ったとよく聞きます。この兄弟が集まって出世をする父を見送っている写真には、当時の建前や隠された悲しみの気持ちなど、色々なことは思われ、写真を見ながら当時に思いを馳せる作者が浮かびます。

以下は小生の解説と謝礼文
いつも暗い回想歌を鑑賞していただき感謝です。
SМ氏の言うようにきちんと表現すべきでした。成人してからこの伯父に会ったのは一回。亡くなったのは昭和44年?45年?と聞いています。「大阪万博の頃」とすべきでした。小学校入学の頃、母が再婚の挨拶のときにこの伯父を訪ねました。街中でも水道のない時代、井戸水をやかんに汲んでいて、歯の治療あとは、これをコップに注いで口をすすぐ戦後すぐの時代。この実家の嫁は今、生存。リウマチで財布の小銭もつかめない症状。先頃、独居に限度が来て、ヘルパーに付き添われ老人施設へ入所。

伯父に好意的な鑑賞、感謝です。ですが年、数回開催される「平塚競輪」が趣味だったそうで開催されると患者を断ってまでもギャンブル狂い。困った歯医者でした。そのDNAか、小生は“競馬”好き。ですが人間が走る競輪は信用できません。この実家の嫁は息子二人もすでに病死で老人施設入所。伯父の甥の小生は独身。「櫻井歯科医院」は、事実上昭和の時代に断絶!?です。

添付はその出征時の記念写真。作者の私は母親のお腹

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2021/4/23  23:22

ワクチン案内  身辺些事
筆者の私も“立派な”後期高齢者。本日、平塚市からコロナウイルス予防の「ワクチン接種」のご案内が来た。但し予約した上に実行されるのは05月15日の黄金週間明けになる。外務大臣・防衛大臣・行革担当大臣歴任の河野太郎大臣のおひざ元。早くやって頂戴な、と言いたいところだ。

ワクチン接種は近所の公民館。しかし予約はネットか電話か。案内書をこれから確認。怠惰に暮らしているので確定申告もまだしていない。例年13万円ほどの還付金があるが、昨年後半は、障碍者認定で医療費は無料。昨年前半の医療費は10万円以下で還付申告は無理だろう。戦死した実父の弔慰金申請は福祉課で聴くべきだろう。平成29年にたくさんの戸籍謄本を取り寄せ、平成28年から令和02年まで総額25万円を頂戴した。

今、インターネットで検索したら昨年から5年間、毎年また5万円づつ貰えそうなので、これは市役所に行かねばならない。

近頃、若い研究者の一ノ瀬俊也が著わした『軍隊マニュアルで読む日本近現代史』(朝日文庫)を購入。ざっと読んだが、よくこれだけの史料を蒐集したものだ。とくに出征、入営のマニュアルが色々あるらしい。拙論「天邪鬼の探索考 戦争の昭和史」は、あと5点著わすのに汲々としている。早くしないと友人のようにいつ突然死かもしれない。以下の「昭和天皇の責任」「太平洋戦争の結末」「あとがき─エリート軍人の頭脳」の構想は出来ている。

2 一市民への徴兵 独立歩兵第8旅団 肝3322部隊
7 帝国陸軍は何故支持されたのか─昭和12年〜16年の世相
9 昭和天皇に戦争責任はあるのか
10 太平洋戦争の結末“紙の上の戦争”
あとがき エリート軍人の頭脳

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2021/4/14  22:29

雑用の山  身辺些事
所属短歌会の先輩の歌に「……この頃お悔やみ欄に眼が行く」なる歌があったが否応でも一時代を築いた大物俳優の逝去は己の老化に切実感がある。一月末に亡くなった中学時代の畏友とは、当時娯楽と言えば映画、粗製乱造だが邦画五社が主演級俳優を離さず週一回の封切りに合わせて娯楽映画を生産した。

加山雄三の「若大将シリーズ」の脇役だった田中邦衛が88歳で先頃、老衰で死去。脚本家の橋田壽賀子は95歳、柔道の金メダリスト古賀稔彦は53歳で癌死。夫々諸行無常というしかない。片岡千恵蔵の「十三人の刺客」「裸の島」はNHKBSで録画していて友人に貸したが、突然死で息子はDVD、本の類は遺品整理に出してしまった。高倉健のDVDセット5巻返却されていた。その中でも優れたものが残っている。「夜叉」「駅」「居酒屋兆次」には3本に田中邦衛が出演。倉本聰の原作・脚本。今寝しなに見ている。

若いときに年上の女房に死なれていた畏友と連絡が密だったのは共に鰥だったからだが、若い時からで馴れているものの雑用が多い。まだ放置してある「確定申告」「特別弔慰金申告」「その友人の墓参」「春彼岸に敵わなかった自分の家の墓参」「週刊誌・月刊誌の処分」「新パソコンと古いソフトの齟齬」「駐車場の屋根を侵食するヒバの木伐採」「軍人手帳・戦地からの手紙のスキャン」「実父の行軍の足跡探求」と盛りだくさんだ。

添付は隣家のチューリップ。

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2021/3/9  9:45

畏友 追悼20 終 浅草  身辺些事
当初のガラケーから始まった畏友・増田邦昭とのメール交換は80回前後に及ぶ。その中から20回に厳選して、主に畏友から送られた画像を中心に徒然日記を構成した。亡くなる5日前の拍手のコメントが最後になった。これは「迷惑メール」(2020・01・26)の記述だが、小生の添付画像はその日の午前中、拙宅の2階の居間から撮影したものだった。年明けから暫くは、北陸は豪雪だが太平洋側は好天が続き、富士山に冠雪は殆どなく“青富士”だった。畏友はその5日後に帰らぬ人になった。驚天動地、茫然自失だった。

≪木更津です。いつも見事な富嶽の姿。羨ましい限りです。木更津からは昔は見えたようだ。富士見通りと言う通り名や富士見町と言う町が今でも残っている。晴れた風の強い日に木更津港から横浜の奥に見える。貴方のブログのような大きな富士の姿はありません。(2021/1/26 9:54)≫

畏友と連絡が密になったのは2014年・平成26年、明けてすぐ、先ずは同窓会で再会する切っ掛けになった墨田区石原の錦糸中学とその校庭の裏側にある級友が営む喫茶店を訪問した。スカイツリーを撮影後、都営地下鉄で浅草へ移動した。中学時代、悪ぶっていた級友が今では真面目な喫茶店のマスター。同行の畏友が中学時代、堅物の読書家の雰囲気だったのだが、今は仕事に恋に知識欲、色欲旺盛なだいぶ破天荒な行動力ある人物に化けていた。

畏友は上記のコメントから5日後、多分、心臓麻痺の突然死だった。2021年01月26日で最後になった。ほぼ毎日ブログの記事を読んでくれ2回に一度はコメントをくれた。平凡な言葉だがこれからは只々寂しい限りだ。

畏友、追悼は20回、今回で終了。電話でのやりとりの中で生き残った方が、先に死んだ方へ墓参する約束だった。暗黙の了解で、筆者の私が当然、先だと思い、墓地と墓碑を知らせておいた。世の中思い通りにはいかない典型だ。遺児に問い合わせをするが、納骨が終了したら千葉県市川市の墓地へ墓参する。友よ!待たれよ!

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2021/3/8  15:29

畏友 追悼19 子規庵  身辺些事
短歌誌のカット画像の取材で平成26年07月27日、鶯谷の「子規庵」(近代俳句・短歌の創始者・正岡子規終焉の地)を訪問。この前後に同窓会があって畏友と連絡が密になった。2014年・平成26年、明けてすぐ浅草をメインに、錦糸中学校庭の裏側にある級友が営む喫茶店を訪問、そこから直ぐのスカイツリーを撮影、久し振りに浅草行きとなった。以下は小生の畏友へのメール

邦ちゃん元気。毎月第2日曜日は短歌会の例会。江東区豊洲行き。去年(平成25年)は07月10日、今年は11日に猛暑到来。小生腰椎圧迫骨折より遥か前から自律神経失調症。循環機能が衰え猛暑では脱力感が顕著。去年は3か月間30℃越えだった。東京行きは気分不良で早めに帰還。17日の台東区根岸の撮影は無報酬だが殆ど義務で小生の矜持となっている。体力旺盛なるさなえちゃんに疎まれるも良し。女性は10年後の未来に想像が及ばないらしい。家賃8万円の支払いが続くわけもないのに。(短歌会の会員・茶の湯の師匠に促され50代半ばの病院の清掃婦(外部委託の専門職)を紹介されていた。いわば70代を越えてからの見合である。)毎月15日締切の投稿歌やっと完成した。これから推敲して明日送付。夜は昨日録画した池上彰の番組を見て北朝鮮の研究。米ソ冷戦の産物。

畏友は70歳を超える小生の見合話を興味津津だった。結論として70歳の見合は不成立。年金とて少なく今更結婚などできない。間に入った茶の湯の師匠・歌人の面子を軽んずることは出来ず、一度東京駅地下の「銀の鈴」でお会いしたが、小生が杖突老人で当初から多分、先方にその気はなく、筆者の私が先方を忖度、丁寧な手紙で別離を言い、半ば自然消滅となった。

この年の秋にスマートフォンを購入、それまでいわゆるガラケーを使用、パソコンに文字を入力、これを自分のケータイに送付、そこから畏友のスマホなどに送信していた。『坂の上の雲』で注目された正岡子規は、台東区根岸の里が終焉の地。子規の≪柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺≫の俳句は、知られているが、この根岸で詠まれた短歌も一首、諳んじていた。

 隣にも豆腐の煮ゆる音すなり根岸の里の五月雨の頃

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2021/3/8  15:21

畏友 追悼18 木更津行  身辺些事
重複するが、このブログは畏友との再会後のメールの遣り取りだが2020年から2014年へ遡っている。19は、小生の短歌誌カット画像の取材で平成26年07月27日に鶯谷の「子規庵」(近代俳句・短歌の創始者・正岡子規終焉の地)訪問の経緯。畏友との厚誼が始まったのが2014年・平成26年、明けてすぐ翁、二人で浅草をメインに、級友が営む墨田区石原の喫茶店訪問。そこから直ぐのスカイツリーを撮影した。

この時の畏友のメール(2015・12・21)は、昔の職場の同窓会の経緯。このメールに添付画像はなく、今回は小泉千樫の生家のある南房総市見学のあと畏友のアパートを訪問したときのもの。畏友の描いた油絵を添付する。畏友は知識欲旺盛、これから古文書読解の崩し字を学習したいと言っていた。小生と逆、スマホに詳しいが、パソコンの画像加工は出来ず、画像の保存を伝授。あとは昔話に終始した。

さて昨日は、新企画OB会。またまた幹事。滅多に参加しなかった。もと上司、最後は役員まで上り詰めた。彼に対する怨みやら何やらで大変な状況になった。こっちは、感謝すらあった人ゆえ、まあまあ昔の話は…流してなんて言っても 口から泡を吹かんばかりだったり、怒りで入れ歯を飛ばし、文句を言われてた当事者をはじめ、全員で床に這いつくばり入れ歯探し。たまたま当方持参のLEDライトで発見。さすが幹事だとの称賛の嵐。入れ歯は3メーター先の通路がわに落ちていた。よくもまあそんなに遠くへ飛ばしたものだと皆んなで大笑いし、揉めごとは収まった。とにかく70過ぎの爺いやババアの集まりとはそんなもんだ。

1か月前、同じ店、同じ時間帶、同じ幹事でやった錦糸中学校クラス会。やはり70爺いやババアだったが、全く違う。広告代理店勤務、出た大学は、早稲田法学部、中央法学部、明治商学部、東京学芸大学教育学部…その差が理屈ぽく、とにかく疲れた一日だった。新年の木更津来訪は2月半ば辺りがいいな。それでは、又。

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