2021/4/20  22:09

4月18日  昭和史
新聞もテレビもコロナ禍一色。イギリスは感染者が減りつつあるらしいが、それはワクチン接種が功を奏したらしい。日本のメディアも現実問題としてワクチン接種の報道が大きくなった。

04月18日は「アメリカ真珠湾攻撃」の立役者、山本五十六の命日。昭和18年・1943年のこと。もう78年も前のこと。当時、日本の軍部はこれを秘匿。軍事機密の秘匿は当然だが、山本五十六の戦死を一ヶ月も隠していたのは隠蔽だ。それから一か月後の06月05日に国葬が行われた。

いわゆる天空のジャッジメントで後付けの解釈だが、戦争に負けたことのない日本が負けるだろうと思った人も出始めたのではないか。私の父親が招集されたのは18年10月27日、倒閣容疑の代議士・中野正剛が割腹自殺している。21日、神宮外苑で徴兵されずにいた学生の“学徒出陣”が雨の中、挙行された。11月05日は「大東亜会議」なるものが行われて悪あがきだった。

「鬼畜米英」「撃ちてし止まむ」などのフレーズを多用、当時の朝日新聞が率先して戦局を知らない国民を鼓舞した。知らないことは恐ろしい。翌19年になってフィリピン・サイパンが官民全滅。翌20年の日本本土空襲の基地になった。世界戦略など全く知識のない東條英機首相には軍人は元より政治家も拱手傍観の態。

私の父親は「日国」という戦闘機を造る会社の社員だった。当時の軍部は経済・国力など何も考えない為体。戦争に必要な飛行機・船・武器などの生産を無視。肉弾兵器の兵員は“ねこそぎ動員”になった。筆者の父親が戦争に行くこと自体が日本の敗戦の証拠だ。

添付はサラサモクレン。

クリックすると元のサイズで表示します
0

2021/3/25  21:04

03年03月ネット歌会  昭和史
所属短歌会では昨年04月からコロナ禍で例会は休止。パソコンを操作できる会員20名弱で「冬雷ネット歌会」を挙行。これは逆に首都圏に住まない会員も参加できるから一長一短がある。仙台、福山、カナダの会員が参加して一人2首の歌を鑑賞・批評できる。筆者の応募した03月号の2首は以下の通り。更に鑑賞してくれた方の書き込みの要約を添付する。

吾が父の死に様の推移を三尺の和紙に認め呉れし陸軍大尉
最後の二行小さき文字の楷書にて読解を依頼す書家の歌人に

会員SM氏女性
陸軍大尉が書状として丁寧に書いてくださったのでしょう。そのことの感謝、亡き父への思い、最愛の父の命を奪った戦争とはどういうものだったのか、─。「三尺の和紙」という言葉も歌の中で時代を感じさせる重みがありますね。
二首目 その書状の最後の二行は楷書であっても、現代では使われない漢字だったのでしょうか。
会員MH氏男性
「三尺の和紙」の長さに感謝の意を強めていると思います。沖縄戦で多くの民間人を手榴弾自殺に追い込んだ将校が生き残り、その塹壕の様を得意そうに語るのを見て腹立たしく思いましたが、この歌のような思いやりのある軍人もおられたことは賞賛すべきことと思います。
会員NS氏男性
これは先の太平洋戦争で徴兵され戦病死なされた父君の当時の状況を、上官が遺族宛に知らせてきた手紙のこと。戦場という劣悪な環境で病気になれば助かるものも助からず棄兵の道を辿るほかなく、戦死者のうち病死・餓死が多くを占めているということは記録が語っています。この歌では「死に様」のひと言に思いが籠められていると思います。
会員TA氏男性
2首目の最後の二行「小さき文字の楷書にて」で、三尺の和紙の構成が分ります。かな交じりの草書体、最後は意を伝えたく小さな楷書の文字で2行ほど。真相・実情を知りたく更に解読をと、気迫が伝わり来ます。
会員NK氏女性
陸軍大尉の三尺の中身を読むことは、作者にとっては、大事な父のことを知る重要な仕事だったと思われます。作者という人間のアイデンティティに関わることでもあったと思います。
会員NT氏男性
一首目:やはり具体的な「三尺の和紙」に生き証人となった。元陸軍大尉の誠実さが伝わってきます。「和紙に認め呉れし陸軍大尉」は、本来は「和紙に記せる陸軍大尉」などでしょうが、作者に認知させたという意で「認める」という言葉をどうしても使用したかったのだろうと感じました。
会員MK氏男性
Nさんの評文から一首目の作品の読みを誤読された様に思う。四句「和紙に認め呉れし」の処です。此処は同じ漢字ですが「和紙に認め(したため)呉れし」です。和紙に書き記してあると言う事です。確かなところはどうでしょうか。

以下は小生の感想への返信文。これも要約。
今回もたくさんの鑑賞有難うございました。─やはりN氏のように若い現役のサラリーマン、太平洋戦争のことなど興味を持て!?が、まず無理ですね。M氏の指摘の通り、これは「認め」(したため)です。これも上官の仕事。
ここで戦争の是非は避けて、中隊(100人規模)の司令官は尉官クラス、陸軍士官学校を出ているエリートで、部下の死は上部へ報告、遺族に通知するのも仕事でした。陸軍幼年学校、陸軍士官学校は13歳から7年、兵棋演習は当然ですが、剣道・柔道・書道・ドイツ語・ロシア語は必須。戦前のエリート軍人は和紙に候文も心得ていたようです。

二首目は選者のKY氏にお願いしました。有難いことです。
二文字ではなく「営」の正字「營」であり“集中營”となります。敗戦後、撤退の行軍の中途「集中営」を設営、戦死者の慰霊祭を敢行したらしいです。
上官は路傍の花を押し花にして持ち帰り「単カード」にして送ってくれました。昭和21年、小生は満2歳、ここまですると陸軍大尉の性格が解ります。正に「死に様」の詳しい報告と追悼です。「生き様」という昨今の言葉は基本的に間違いだと思います。

「営」の正字読み解かれをり駐屯地の慰霊祭ゆゑの集中營≠ニ知る

クリックすると元のサイズで表示します

最後の2行
尚同封の押花は、去る十二月四日廣東集中營に於いて御部隊慰霊祭の獻華(けんか)に候故、御佛前に御俱(そな)へ被下侍(そばに置いてくだされたく)候

クリックすると元のサイズで表示します
0

2021/3/22  23:14

戦争論推敲再開  昭和史
本年02月になって畏友の死があり、子息より喪中ハガキめく葉書で父親の死を知らせて来た。50数年ぶりに同窓会で再会、爾来平成26年から昨年まで7年間、濃密なメール交換などが始まった。01月31日の心臓発作での死よりこのやりとりを20回に亘りこのブログに記述。畏友は、毎日小生のブログを点検していたらしい。

友人も期待?していた筆者の拙論「天邪鬼の探索考 戦争の昭和史」は、今、中途半端に滞っている。「初めに」「後書き」は別にして10章、17項目ある。中身は多くの書の読解だが、2章に残された史料を披瀝。そこから戦争の実態を敷衍するだけの論考。未完成(赤字)の5点の記述を再開した。だが後半の「陸軍ななぜ支持されたのか」「昭和天皇に責任はあるのか」「太平洋戦争の結末」「あとがき」は無論、ステレオタイプの平和論、人間性善説の立場はとらないのでいささか難問。06月になれば喜寿77歳、ここまで生きれば人間として十分だが、やはりホームページ作成の楽しみは死ぬまで続けたい。平成20年代、スマホが主流になるまでホームページ閲覧名簿など大いに交流があった。そういう人たちは80歳を超え、ほとんどリタイアした。

目次・はじめに
1 短歌反論の反論
2 一市民への徴兵 独立歩兵第8旅団 肝3322部隊
2-2 ある陸軍上等兵の死
3 日本とアメリカはなぜ戦争をしたのか
 @日米対立の芽 大正時代の分岐点
 A日米開戦への道─ポイントオブノーリターン
 B日米間対立 松岡洋右の誤算
 C日米間交渉 近衛文麿の計算
 D日米間衝突 木戸幸一の打算
4 日米開戦に反対した人はいたのか
5 「昭和天皇独白録」にみる日米開戦の責任者達
6 帝国陸軍は何をしたのか
 @インパール作戦の現実
 A東條英機という軍人首相
 B東條英機の人間周囲
7 帝国陸軍は何故支持されたのか
  昭和12年〜16年の世相

8 敗戦の決断は何故遅れたのか
9 昭和天皇に戦争責任はあるのか
10 太平洋戦争の結末“紙の上の戦争”
あとがき エリート軍人の頭脳


クリックすると元のサイズで表示します
0

2021/1/17  21:56

哀悼・半藤一利氏02  昭和史
≪加藤勝信官房長官は13日の記者会見で「日本のいちばん長い日」などの著作で知られる作家の半藤一利氏の死去について「大変残念だ。心からのご冥福をお祈りしたい」と悼んだ。映画化された「日本のいちばん長い日」を見たという加藤氏は、半藤氏について「『歴史の探偵』と自らを称して昭和の歴史を検証し、一般の人々に分かりやすい形で、後世に伝えていくことに尽力された。自らも歴史に残る功績を残された」と讃えた。≫

この表明を疑うわけではないが、政治家は自分の身分であるべく国会議員の選挙が大半の仕事だから、おそらく半藤氏の著書に親しんではいないと思われる。東京大学卒業の大先輩の仕事に尊敬の念はあるのだろう。

「日本のいちばん長い日」は半藤氏が尊敬する終戦のときの鈴木貫太郎も描かれる。だが帝国陸軍の最後のあがきが主題だった。文春新書の『日本のいちばん長い夏』は昭和38年06月の30名に及ぶ大座談会だった。今村均陸軍大将はじめ6人の軍人、迫水久常など政治家外交官6人、作家・学者・俳優が18人。司会者の半藤氏が大きな料亭へ招待してのものだった。

畏友が読んでみたいというが、興味の焦点によって違ったものになる。3年前の11月21日に「蔵書49半藤一利」として紹介した。保阪正康氏や加藤陽子氏の対談形式の著作は次回紹介。添付は3人の鼎談集。

蔵書49 半藤一利
◇『指揮官と参謀』文春文庫 1992年
◇『歴史探偵 昭和史をゆく』PHP文庫 1995年
◇『戦史の遺書』文春文庫 1997年
◇『ドキュメント太平洋戦争への道』PHP文庫 1999年
◇『戦う石橋湛山』中公文庫 1999年
◇『昭和史が面白い』半藤一利編著 文春文庫 2000年
◇『日本史が楽しい』半藤一利編著 文春文庫 2000年
◇『ソ連が満洲に侵攻した夏』文春文庫 2002年
◇『真珠湾の日』文春文庫 2003年
◇『日本を振り回した6人の男たち』半藤一利編 小学館文庫 2003年
◇『日本のいちばん長い日』文春文庫 2006年
◇『聖断 昭和天皇と鈴木貫太郎』PHP文庫 2006年
◇『昭和史T〜Y 1926─45』ちくま文庫 2006年
◇『昭和史残日録1926─45』ちくま文庫 2007年
◇『山県有朋』ちくま文庫 2009年
◇『ぶらり日本史散策』文春文庫 2012年
◇『荷風さんの昭和』ちくま文庫 2012年
◇『幕末史』新潮文庫 平成24年
◇『十二月八日と八月十五日』文春文庫 2015年
◇『昭和史を歩きながら考える』PHP文庫 2015年
◇『日本のいちばん長い夏』文春新書 2007年
◇『山本五十六』平凡社ライブラリー 2011年
◇『昭和史1926─45』平凡社ライブラリー 2009年
◇『隅田川の向う側─私の昭和史』創元社 2009年 四六判
◇『あの戦争と日本人』文藝春秋 2011年 四六判
◇『昭和史 戦前篇』平凡社 2004年 四六判・平凡社ライブラリー
◇『昭和史 戦後編』平凡社 2006年 四六判・平凡社ライブラリー
◇『日本型リーダーはなぜ失敗するのか』文春新書 2012年
◇『B面昭和史』平凡社 2016年 四六判
◇『なぜ必敗の戦争を始めたのか』半藤一利編 文春新書 2019年

クリックすると元のサイズで表示します
1

2021/1/16  23:38

哀悼・半藤一利氏  昭和史
1月13日、ノンフィクション作家・半藤一利氏が亡くなった。90歳、昭和05・1930年生。老衰が死因だが、男性としては天寿だ。東京・墨田区向島生。東京大学文学部出身、文藝春秋に一貫して勤務、定年後独立して作家専業。この人物を世間に知らしめたのは『日本のいちばん長い日』。終戦の昭和20年8月15日を追ったもの。この本が著されたのは昭和38年。

半藤氏は、当時現役ばりばりの文藝春秋の社員だった。太平洋戦争の関係者の多くが存命している時の30数人の座談会の記録を基にした。30代の一出版社の社員の発想がユニークで秀逸。当時は無名の一社員だから大宅壮一監修と銘打って発行された。昭和40年には阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣役を三船敏郎が演じて話題になった。

筆者の私のブログで検索すると姓名だけで半藤一利氏は58回、保阪正康氏は60回を数える。その保阪氏は81歳、次いで昭和史で有名な秦郁彦は88歳。半藤・秦氏は東京大学在学中に知り合ったらしい。蛇足だが、半藤氏夫人は夏目漱石の孫。

定年間際に短歌会の例会で編集委員のA氏に「もう読んだからあげるよ」と貰ったのが保阪正康著『昭和史七つの謎』。これは2003年発行の文庫だから単行本は、それより前になる。ここで昭和史の第一人者の保阪氏を知った。別の友人にはこれも文庫で半藤一利著『日本史が楽しい』を紹介された。更に『昭和史が面白い』もある。ざっくりとした分け方では保阪氏は陸軍、半藤氏は海軍に詳しい。殊に『昭和史が面白い』は鼎談集で軍人・文化人・芸能人と共に語る内容で文句なく面白かった。先頃亡くなった「なかにし礼」と藤原正彦の母・藤原ていとの三者で「満洲引揚げ」の項目は体験者だけに、その内容は秀逸。

半藤氏は「えらそうなことを言って太平洋戦争も知らないくせに」と言われたことが過去にあって、その関りを赤裸々に後に告白した。“東京大空襲”で墨田区の中川に落ち、少年の半藤氏は、どこの誰だか判らない大人に首根っこ掴まれ引き上げられ、九死に一生を得ている。また茨城県では米軍の機銃掃射も経験している。以下の文庫本はいわば座右の書。

◇『昭和史七つの謎』保阪正康 講談社文庫 2003年
◇『昭和史が面白い』半藤一利 文春文庫 2000年

クリックすると元のサイズで表示します
1

2020/12/27  16:41

戦争最前線  昭和史
前回の記述で戦病死した実父の死に様を母の実家に知らせてくれた上官の手紙を紹介した。重複するが横1mにも及ぶ達筆な和紙。

2─2 ある陸軍上等兵の死
≪「天邪鬼の探索考」の2─2≫としてページにした。

http://www1.odn.ne.jp/~ceg94520/mumyouan/mumyouS02-b.html

内容は上官の手紙、発病の日付から亡くなるまでが具に記述されていて感謝するしかない。添付は同上官から送られたきた葉書大の追悼カード。母親が再婚した後も大切に保存していた。広東省の路傍の花を“押し花”に使用した上官らしい遺族への差配だ。同ページには実父の亡き兄の家の未亡人から頂いた数々の書類も添付した。“お涙頂戴”の報告ではなく戦病死の事実だけを文章にした。小生の「天邪鬼の探索考」、残るは以下のページ。

2 一市民への徴兵 独立歩兵第8旅団 肝3322部隊
7 帝国陸軍は何故支持されたのか 昭和12年〜16年の世相
9 昭和天皇に戦争責任はあるのか
10 あとがき エリート軍人の頭脳

本年中に完成目指して頑張ったが叶わなかった。史料(文庫・新書・大型本)としては平凡なものだが、出版目的の学者の長年に亘る史料蒐集には到底及ぶべくもなく素人の読解の域を出ない。一市民の徴兵・訓練・2年間の経緯はおおよそ想像ができる。エリート軍人の拙劣な軍事支配と支持せざるを得なかった国民の大いなる乖離は今の世では辿ることができるということ。平成の時代に多くの先達が「昭和史」という分野を確立したことは肯うばかりだ。

取り敢えず以下の取得できる著書で「一市民の徴兵」を来冬早くに完成させたいというこの暮の意気込み。伊藤桂一氏は昨年98歳で亡くなった直木賞受賞作家。8年弱、中国大陸に従軍した。吉田と一ノ瀬は戦後生まれの大学教授だが、史料をふんだんに使って注目されている近現代史家。三野氏は昭和17年生で戦争最前線の武器、装備の著書の第一人者。『1億人の昭和史 陸軍史』は戦争最前線の画像・経験者の投稿が多く『ペン画の陸軍 軍隊内務班』は陸軍内部の実際が解かる。

◇参考史料として戦争最前線の事実を抽出している。
『兵隊たちの陸軍史』伊藤桂一 新潮文庫
『日本軍兵士』吉田裕 岩波新書
『日本軍と日本兵』一ノ瀬俊也 講談社現代新書
『皇軍兵士の日常生活』一ノ瀬俊也 講談社現代新書
『別冊1億人の昭和史 日本陸軍史』毎日新聞社 A4変型
『ペン画の陸軍 軍隊内務班』太田天橋 東都書房 A5変型
『日本軍小失敗の研究 正・続 三野正洋 光人社NF文庫
『帝国陸海軍の基礎知識』熊谷直 光人社NF文庫
『戦中用語集』三國一朗 岩波新書

クリックすると元のサイズで表示します
0

2020/12/20  23:08

渡邉中隊長  昭和史
筆者の私はこの世に生まれていたが、実父は昭和20年11月10日に戦病死した。その死に様を上官が丁寧に和紙に墨痕鮮やかに認め、母親の実家に送ってきた。これは中隊(100人規模)長の職務の範囲。陸軍大尉だから陸士卒のいわばエリート軍人。その死に様の内容は横1mに及んで達筆だった。

本文も解読できない部分が3ヶ所あったが、達筆の漢字は何とか意味の通るものに解読した。ただし漢字は、前後の文字で判定できるが、達筆のひらがな、今では使わない言葉は解読できない。添付の画像の最後の2行を、書道を熟す所属する短歌会の選者とその友人に訊ねて漸く解読できた。「天邪鬼の探索考 戦争の昭和史」2項の後半がページになりそうである。

陸軍幼年学校は13歳から3年、陸軍士官学校は16歳から4年、徹底したエリート教育が施された筈。委細は省くが恐らく戦争最前線の指揮の他に、基礎として書道、剣道、ドイツ語、ロシア語などは必須だった筈。

実父の所属部隊は「独立歩兵第222大隊第2中隊。通称、肝3322部隊。南支那(中国江西省)の守備隊だった。江西省・広東省で日本全土ほどの広さで中国奥地など衛生状態は多分劣悪。蝿・虱・蚊などは蔓延していたと思う。最前線で交戦したのではないが、中隊100人ならば劣悪な環境で命を落とす二等兵も少なからず居た筈で、実父は終戦後の戦病死、マラリア・胸部疾患。

 尚同封の押花は去る十二月四日広東集中営に於て御部隊慰霊
 祭の獻華(けんか)尓(に)候故、御佛前に御(亻+具、そな)へ被下侍候

集中営の“営”は正字(火+火+冖+呂)。設営の意味と思う。
被下侍候 侍=「そばに置いて」、被下=「下されたく」と解読。
“尓”は指示代名詞で「に」「の」と読む気がする。

2項の前半「徴兵」は自衛隊の史料編纂所を訪問する予定で気候が温暖になってからのことにする。

尚、このブログでは正字・難字は文字化けがある。

クリックすると元のサイズで表示します
1

2020/12/8  23:33

真珠湾の日  昭和史
今日は12月08日、79年前、日本はアメリカ・ハワイ真珠湾を攻撃した。このブログで何度か記述。「真珠湾攻撃」の本を読み返している。すべての本は買うと同時にざっと読むが、悲しいかなすぐ忘れる。4年前のこの日もブログで記述した。更にはその前年にも記述したのを忘れていた。更に自分の蔵書案内でも参考書を報告したがいわゆる“ざっと読み”では大半は忘却の彼方といった按配。2016年12月に届く「文藝春秋201701」号で昭和史の泰斗・保阪正康氏が特別寄稿を寄せている。数多の蔵書で2017・平成29年の文春が見つかったので読解後に報告する。5年前の記述が自分でも説得力があると思う。以下は2016・12・08の再録。

極東国際軍事裁判で否定されるまで日本は「騙し討ち」の卑怯な国家だった。今でもそれを信じている人がいる。それも日本人に多い。むろん近・現代史の教育に欠陥があるからである。当時のアメリカは、母国!イギリス・ロンドンがナチスドイツの空襲に晒されていても介入を避けた。モンロー主義と云いアメリカは戦争をしない国だった。だからアメリカ大統領・ルーズヴェルトは、明らかに日本の“最初の一発”を待望!して国民世論を誘導したことになる。日本の最初の一発は、シナリオ通りになった。智謀の限りを尽くして、自国国益のため「日米開戦を誘導した」のは、英国首相・チャーチル、中国・蒋介石、ソ連・スターリンであるのは詳らかになっている。ルーズヴェルトの父親は中国大陸のアヘン貿易で財を成していたから中国大陸から撤退しない日本に手を拱いていたことが大きな原因。

その4年後、日本軍部はまるで消去されるが如く破滅した。永田鉄山、石原莞爾、山本五十六などいわゆる名将が政府の要人だったら日本人の軍人軍属の310万人の死者は無かった筈。2年8カ月、首相だった東條英機は陸軍のことしか知らなかった。桶狭間・鵯越・川中島の戦いの要領で世界を相手に戦争をした。真珠湾攻撃が成功したとき、山本五十六の緻密な作戦だったのに国民は東條を“戦争の神様”と崇めた。祭り上げたのは新聞メディア、嗚呼…。

◆蔵書案内18 真珠湾攻撃・外交
◇『検証・真珠湾の謎と真実』秦郁彦編 中公文庫 2011年
◇『陸軍省軍務局と日米開戦』保阪正康 中公文庫 1989年
◇『日米開戦 陸軍の勝算─秋丸機関』林千勝 祥伝社新書 2015年
◇『開戦神話』対米開戦を遅らせたのは誰か 井口民樹 中公文庫 2011年
◇『真珠湾攻撃作戦』森史朗 光人社NF文庫 2015年
◇『「真珠湾」の日』半藤一利 文春文庫 2003年
◇『外務官僚たちの太平洋戦争』佐藤元英 NHK出版
◇『外務省革新派』戸部良一 中公新書 2010年
◇『加瀬俊一回想録』上・下 山手書房 四六判 昭和61年
◇『太平洋戦争を考えるヒント』保阪正康 PHP研究所 2014年 四六判
◇『真珠湾の真実』柴山哲也 平凡社新書 2015年
◇『昭和史発掘・開戦通告はなぜ遅れたか』斎藤充功 新潮新書
◇『ハル・ノートを書いた男』須藤眞志 文春新書
◇『日米開戦陸軍の勝算』林千勝 祥伝社新書

クリックすると元のサイズで表示します
0

2020/11/25  23:41

三島由紀夫  昭和史
昭和45年11月25日、作家・三島由紀夫が東京・市ヶ谷の自衛隊の建物で割腹自殺した。そこから既に50年が経った。左筋の新聞では多分、黙殺だろうが産経新聞では昨日、今日、明日と三回に分けて解説。木曜日に三人が関わりを執筆している。10年前、このブログでも取り上げた。

昭和45年07月07日に三島由紀夫が産経新聞にコメントを寄せた。50年前の予言のようなコメントは的を射ている。

『私はこれからの日本に大して希望をつなぐ事ができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にも、なれなくなっているのである』

中国・北朝鮮のような独裁国家、言いがかりをつけては日本から援助を欲しがる韓国、日本の領土を返さないロシア。これに的確に対応できない日本は、多分、三島の言う「国の大義」など為政者は考えたこともないのだろう。

45歳で上記の予言、三島由紀夫は天才だった。時々『金閣寺』を読み直しているが、完璧な名文で主題を浮き上がらせる比喩などは誰も真似できない。師匠にあたる川端康成は美文だった。

添付は多分三年後の「憂国忌」のパンフレット。

クリックすると元のサイズで表示します
2

2020/11/23  23:51

戦争論推敲04  昭和史
ここ四五日かけて昭和15年から5年間、昭和天皇の内大臣だった木戸幸一という戦前の官僚の史料を読み漁っていた。愚かな軍人・政治家と違って目立たないので、木戸幸一を正面から扱った著書は少ない。ただ第一級の史料として『木戸日記』がある。今、市場にある学者や専門家の本を読んだ限りの読解文だが、筆者の「天邪鬼の探索考」で木戸幸一を取り上げた。引用した個所はその著書を表示している。やはり東京裁判で辛うじて絞首刑を免れて昭和20年より10年間、巣鴨拘置所で服役していて責任は重い。高級官僚の面従腹背は今も昔も変わらない。

日本の健軍以来の陸軍組織・機構と天皇に忠実な、戦術・戦闘しか知らない人物を“政略・戦略”を必要とする表舞台に東條英機という軍人を抜擢した。抜擢した木戸幸一と抜擢された東條英機が太平洋戦争という事態を招いた端緒だった。一般国民は過酷で悲惨な三年半を過ごした。行きたくもない戦争に駆り出されて戦死した人間は抗う術はないということ。以下あと5点を残す。

2 一市民への徴兵 独立歩兵第8旅団 肝3322部隊
2─2 ある陸軍上等兵の死
7 帝国陸軍は何故支持されたのか 昭和12年〜16年の世相
9 昭和天皇に戦争責任はあるのか
10 あとがき エリート軍人の頭脳

添付画像は先日撮影した。アブラアダブラ。

クリックすると元のサイズで表示します
1


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ