2019/8/20  22:02

犬養毅  昭和史
先日、昭和史の専門家・保阪正康の著書で講談社新書の『昭和の怪物 七つの謎』(2018年)を取り上げ、渡辺和子というシスターを紹介した。この本で昭和07年に暗殺された(五・一五事件)犬養毅(いぬかいつよし1855─1932・衆議院議員・第29代首相)も叙述されていた。暗殺される寸前の「話せばわかる」の言葉はどうやらフェイクらしく、真実は「話を聞こう」だった。

この時代の政治家は概ね愛人の存在があったから、その末裔も結構有名人が多い。国連高等弁務官だった緒方貞子は1927生だから94歳。同じく犬養毅の曽孫の安藤サクラは1986生だから60歳の開きがある。

愛人の子の犬養健(いぬかいたける)は、吉田内閣の法務大臣、昭和29年、指揮権発動をして「造船疑獄」で逮捕状の出ていた佐藤栄作自由党幹事長の捜査を無期限延期として事実上潰した。佐藤栄作は後に総理大臣になっている。7年間、総理大臣だった佐藤栄作は、犬養さまさまの筈。

◇犬養毅1855─1932昭和7年 衆議院議員・第29代首相
  犬養操(長女)・芳沢謙吉1874─1965外務大臣
   犬養恒子・中村豊一(外交官)
    緒方貞子1927 国連高等弁務官・文化勲章受章
◇犬養毅・斎藤仙(芸者)
  犬養健1896─1960第5次吉田茂内閣法務大臣・仲子(父・長与称吉)
   犬養道子1921─2017評論家・小説家
   犬養康彦1928─2015共同通信社社長
  犬養健・萩野昌子(柳橋芸者)
   安藤和津1948生・奥田瑛二(俳優)
    安藤サクラ1986生(女優)

10月号の文字入力の原稿が届きました。暫時このブログは中断します。画像は「万引き家族」で才能を発揮した安藤サクラ。ネットより拝借。

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2019/8/13  23:50

渡辺和子  昭和史
昨日取り上げた保阪正康は、「昭和史」というジャンルを起ち上げたといってもいいノンフィクション作家。平成時代は「昭和回顧」というブームもあって売れっ子作家になった。むろんそこには誰もが認める努力があったのは言うまでもない。下記の本では13人の昭和を代表人物が書かれている。

『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)2018年
『続 昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)2019年

◇東條 英機 1884─1948 陸軍軍人、第40代総理大臣
◇石原 莞爾 1889─1949 陸軍軍人
◇犬養  毅 1855─1932 第29代総理大臣
渡辺 和子 1927─2016 ノートルダム清心学園理事長
◇瀬島 龍三 1911─2007 大本営作戦参謀 伊藤忠商事会長
◇吉田  茂 1878─1967 第45・48─51代総理大臣

◇三島由紀夫 1925─1970 作家
◇近衛 文麿 1891─1945 第34・38・39総理大臣
◇橘 孝三郎 1893─1974 農本主義思想家
◇野村吉三郎 1877─1964 海軍軍人、駐米日本大使、日本ビクター社長
◇田中 角栄 1918─1993 第64・65代総理大臣
◇伊藤 昌哉 1917─2002 政治評論家
◇後藤田正晴 1914─2005 警察官僚・中曽根康弘内閣官房長官

渡辺和子や伊藤昌哉は軍人でもなく政治家でもなく怪物とは言えない。2016年12月、渡辺和子は89歳で亡くなった。生涯シスターだった。1936年・昭和11年、勃発した二・二六事件で陸軍教育総監・渡辺錠太郎が惨殺された。当時満9歳の和子は目の前で父の暗殺に遭遇した。狙撃は機関銃だった。前記の本に著者のインタビューが詳説されている。渡辺和子の死についてはこのブログでも(2017/3/1)取り上げたことがある。前記の著書に詳しいが渡辺和子は生涯、事件の真の首謀者は許さなかった。それは血気盛んな陸士卒の若者を焚きつけたいわゆる当時の皇道派の陸軍大将・荒木貞夫、真崎甚三郎のこと。昭和天皇の怒りを知ると責任を回避、軍事法廷でも無罪だった。

渡辺和子は聖心女子大卒業後、経緯は省くが29歳で洗礼を受け、修道会に入る。昭和61年、二・二六事件の首謀者・青年将校の法要が行われた。事件のとき渡辺錠太郎教育総監にトドメを刺した安田優陸軍少尉の弟・善三郎は、法要に誘われて参加した渡辺和子の態度に感銘してカトリックに入信したという。晩年の『置かれた場所で咲きなさい』は、220万部のベストセラーになっている。(文藝春秋2017・03月号・蓋棺録P517参照)

この陸軍のクーデターが失敗したのは、当時30代前半の昭和天皇の逆鱗に触れたことだ。幼少時から育ててくれたのは終戦時の首相・鈴木貫太郎・たか夫妻。この事件で鈴木は瀕死の重傷を負った。たか夫人が「トドメは自分がします」と言って難を逃れた。総理大臣経験者、高橋是清・斎藤実、岡田啓介総理大臣は間違って松尾伝蔵が惨殺されている。東北農村の疲弊など“昭和恐慌”が背景だが天皇側近にまで、何故殺戮に及んだのか、よく解らない。部内で対立していた陸軍中枢に外国情報部が介在!?していたという説もある。

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2019/8/12  23:49

保阪正康の本  昭和史
個人的理由で、いつの間にかと云った按配で「昭和史」の著書を読むようになり、昭和史の本を読むなら保阪正康という作家の本を耽溺している。自分のブログで“保阪正康”を検索したら44回もあった。2018/10/23で紹介した自分の蔵書の40では、これも50冊弱あった。この作者の著書は間違いなく全部読んでいる。平成16年の定年まではこの作家は知らなかった。

所属する短歌会の編集委員から頂戴したのが『昭和史七つの謎』という講談社文庫だった。その“七つの謎”のタイトルに売れる効果があったのか、以後、旺盛な執筆は、昭和の終った平成時代から顕著になった。

http://www1.odn.ne.jp/~ceg94520/mumyouan/mumyouS10a.html

作者は、大卒後「電通」という大企業に勤務したが、小企業の出版社に転職。ゴーストライターをしながら“もの書き”を目指す。国立国会図書館に通い、延べ4000人もの軍人にインタビュー、次第に頭角を現す。昭和の時代、大東亜戦争に関わった高級将校がまだ存命していた。その聞き取りも当初は、一人一人丁寧に手紙を書いて軍人の自宅を訪問したらしい。このパワーが凄い。切っ掛けは三島由紀夫の割腹自殺で「ともに死なう」との旧仮名で戦前の「死なう事件」を惹起したという。

最近では、以下の新書、ソフトカバーを一気に読んだ。やはり興味があると一気に読破、以後再読しながら自分の知識を確認していると云った按配だ。

『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)2018年
『続 昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)2019年
『令和を生きるための昭和史入門』(文春新書)2019年(2007年刊の増補)
『戦争とこの国の150年』2019年 山川出版社

最近出版されたばかりの『戦争とこの国の150年』は4人の作家との対談で共著。西村京太郎(推理小説1930生)、池内紀(ドイツ文学1940生)、逢坂剛(直木賞作家1943生)、浅田次郎(直木賞作家1951生)、半藤一利(昭和史1930生)。『昭和の怪物』は正・続で13人を取り上げている。

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2019/7/20  20:17

座右の文庫  昭和史
韓国大統領・文在寅は、経済に疎いらしく低迷する韓国経済を回復できないでいる。その起爆剤に有効なのが同胞・北朝鮮との融和と思っているのが素人でも解る。50年以上前、解決済みの「徴用工補償」もちゃぶ台返し、且つ日本の今の輸出優遇措置を元へ戻しただけで日本とは経済戦争と捉え、何とアメリカ大統領トランプ氏へ御注進。中国・ロシア・アメリカと強い国には逆らわず日本へイチャモンの集中攻撃。他国から部品を買い集めて組み立てるという韓国経済の根幹を突いてきた日本が更に憎さ百倍と云った趣き。

韓国の日本への攻撃を疑問に思っていたので、書物・新聞・雑誌を精査したが触れなくてはならないのが明治時代末期の“韓国併合”。でもこれは日本が暴力で朝鮮半島の産業・資産を収奪したかのようだが、事実はどうも逆のようでとても植民地支配とは言えない。このことは多くの客観的証拠があるのに、韓国の良心的学者が指摘しても、その学者は“親日”という理由だけで、その地位を奪われる有様。

月末の文字入力の原稿が本日整いました。会員が増えているので仕事も増えました。しばらくブログはお休みします。就寝前に寝床の脇に積み、今のところ座右の書にしている昭和史の文庫

昭和史の基礎の基礎 保阪正康 だいわ文庫 2007・08
◇誰も書かなかった昭和史の謎 別冊宝島 宝島文庫 2018・02
◇テロと陰謀の昭和史 文芸春秋編 文春文庫 2017・10
◇犯罪の大昭和史 戦前 文芸春秋編 文春文庫 2016・12
◇昭和史と私 林健太郎 文春学芸ライブラリー 2018・10
◇昭和史の軍人たち 秦郁彦 文春学芸ライブラリー 2016・02
◇昭和研究会 酒井三郎 中公文庫 1992・07
◇古本に見る昭和の生活 岡崎武志 ちくま文庫 2017・12
◇佐高信の昭和史 佐高信 角川ソフィア文庫 平成30・08
◇ある昭和史 自分史の試み 色川大吉 中公文庫 1978・03

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2019/2/18  22:52

団塊の世代  昭和史
昨日、故堺屋太一氏の葬儀があった。政財界・文化人の多くの参列者があったようだ。通夜には総理大臣も参列している。通産官僚時代には昭和45年の「大阪万博」のプロデュースもしている。退官のあとは旺盛な知識で作家として多くの作品を残した。筆者には『日本とは何か』(1994年・講談社文庫)は繰り返し読んだ。自然横溢な四季という気候風土、島国という地理的風土がもたらした稲作農耕を淵源とする国民性を豊富な史料で解説。今も「日本人論」のバイブルとしている。堺屋氏と言えば「団塊の世代」の名付け親。昭和21年ごろ多くの生き残り兵士が帰国したからだが、昭和22年〜24年生の人口が突出していることを指摘した。

この団塊世代は多くの作家・文化人を輩出している。宮本輝・ノーベル文学賞候補の村上春樹、北野武、鳩山兄弟など。先頃亡くなった橋本治は23年生、“大”のつく流行作家ではなかったが、日本の古典に通暁している知識人だった。「止めてくれるなおっかさん、背中の銀杏が泣いている、男東大どこへ行く」のポスターが有名。同じく昭和23年生の連城三紀彦(2013年没)も隠れたファンの多い美文の直木賞作家だった。連城は7冊の文庫本を所持。「宵待草夜情」を読み返していた。なぜか明治時代・大正時代に詳しく抒情あふれるものでミステリー作家の域を超えていた。太平洋戦争で亡くなった才能のある若者の生まれ変わりとも思えて、その才能は勿体ない。

蔵書63 講談社現代新書03

◇0352『「気」の構造』赤塚行雄 昭和49年
◇0355『官僚の構造』藤原弘達 昭和49年
◇0363『種田山頭火─漂泊の俳人』金子兜汰 昭和49年
◇0367『家族とは何か』青井和夫 昭和49年
◇0372『日本語のこころ』渡辺昇一 昭和49年
◇0378『たべものと日本人』河野友美 昭和49年
◇0382『塩の道』平島裕正 昭和50年
◇0385『精神の危機─病める現代人に向けて』平井富雄 昭和50年
◇0387『日本人の周辺』加藤秀敏 昭和50年
◇0396『「うき世の」思想─日本人の人生観』橋本峰雄 昭和50年
◇0401『ふるさと考』松永伍一 昭和50年
◇0403『日本人の発想』神島二郎 昭和50年
◇0406『日本的思考の原型─民俗学の視角』高取正男 昭和50年
◇0408『動詞人間学』作田啓一+多田道太郎 昭和50年
◇0410『日本人の言語表現』金田一春彦 昭和50年
◇0413『超越者の思想─神と人との出会い』会田雄次 昭和50年
◇0424『律令制の虚実』村井康彦 昭和51年
◇0432『日本近代二百年の構造』謝世輝 昭和50年
◇0436『知的生活の方法』渡辺昇一 昭和51年
◇0438『日本人の心情心理』荒木博之 昭和51年

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2019/2/16  23:09

戦争未亡人  昭和史
新元号が愈々いわゆるカウントダウンの段階。「平成」は30年だ。ざっくばらんに男女の寿命を90年とすれば、一世代は30年となる。面倒なので今年を昭和94年にすれば30年前は、筆者は45歳。母親を養育し年間100万円のローン支払いに明け暮れていた。60年前は15歳で昭和34年。その昭和34年は上京後3年目で中学3年生だった。丁度今上天皇が挙式した年。

このブログに書き込みをしてくれるE氏は36年生というから昭和56年頃が東海大学の学生だったことになる。筆者とは17歳違い。そろそろ定年を意識する年代だろう。筆者の昭和36年は、定時制高校2年生、柏戸・大鵬が横綱昇進、日活の人気俳優・赤木圭一郎が事故死した。映画・演歌が全盛だった。

E氏が指摘した金目駅交差点脇の「宮田屋」は(いき出版の画像)雑貨屋で戦後からずっと営業していたように思う。当時はコンビニもスーパーも無い時代、魚は魚屋、肉は肉屋、雑貨は雑貨屋、文具は文具屋、八百屋と米屋は無かった。何故なら昔の中郡金目村の大半は専業農家だった。

E氏の言う「宮田屋」の女将さんは多分「キヨ」さんと云い、筆者の母親と小学校の同級生。キヨさんは倅に先立たれたあと店を畳んでどこかの施設に入所したらしい。生きていれば大正7年生、101歳になる。共通するのは戦争未亡人であること。母親のクラス会名簿をみると男性の三分の一は戦死。幕末から明治時代に排出したエリート軍人が昭和の戦争を起こし、大正時代に生を享けた者がいちばんの犠牲者だった。司馬遼太郎をして「私は不覚にも大正時代に生まれてしまった」と嘆いた。

筆者の母親は再婚して義父が個人破産。貧乏になる為に再婚したようなもの。キヨさんは亡き亭主の弟と再婚、精神薄弱児が生まれたと聴いている。同級生の男性は無論、女性の仲間も多くが戦争被害者だ。一時代が過ぎたので母親もキヨさんも、この告白を許してくれるだろう。当時「戦争反対」などと言ったら非国民と罵られた時代。徴兵を拒否できない仕組みになっていた。そうした筆者の上の世代を安易に批判するのは、筆者の一回り下の世代。今の価値感の正義・理想など通用しない時代だった。

戦前の日本は、70%が農林漁民、90%が貧民だったことを知るべき。貧しければ正義も理想も人権も無い。貧しさから逃れるための追い込まれた戦争だった。だが始めたら終わりがある筈。何故引き際を考えなかったのか。軍人・政治家・言論メディアは責任が重い。為政者に騙された国民にも聊かの責任がある。だがいま戦争を“絶対悪”と切り捨てて戦前を批判することほど容易いことはない。人間が選ぶことのできない時代の運命を批判するのは長閑で傲慢でしかない。

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2019/2/3  16:22

慰霊と和解の旅路 終  昭和史
インパール作戦<TBSブリタニカを参照>
第2次世界大戦中の日本軍のインド進攻作戦の名称。1944年3月6日、牟田口廉也中将指揮下の第 15軍が、ビルマからチンドウィン川を渡って、二手に分かれインパール、コヒマを目指した。日本軍には、チャンドラ・ボースのインド国民軍が参加した。日本軍は6月 22日まで、インパールを 88日間にわたって包囲したが、20日間の糧秣・武器は底を尽き、補給は皆無、第 31師団長佐藤幸徳中将は撤退を決意、33師団柳田元三中将も作戦中止を上申。日本の戦線が伸び切ったとき、イギリス・インド軍の W・スリム中将指揮下の第 14軍は攻撃に転じた。空軍による豊富な物量を投じて日本の全軍を壊滅させ、インパールの防衛に成功した。イギリス・インド軍の死傷者は18000人に対し、日本軍は、戦死または行方不明22100人、戦病死 8400人、戦傷者約30000万人と推定される損害をこうむった。この作戦の失敗は、のちにビルマ防衛戦の全面的崩壊をもたらした。
                    ◇◇◇
およそ太平洋・大東亜戦争の負の遺産としての司令官はこのインパール作戦の牟田口廉也中将が最右翼。東京裁判では7人の絞首刑を含む28人がA級戦犯。牟田口は東京裁判では多くの日本兵を死なせて連合国へ貢献!?したので何の罪にも問われなかった。

中央の作戦本部に採用されなかった焦りから勲功欲しさに牟田口の現実を無視した作戦が強行された。インド東部とビルマ西部の雨季までの作戦で20日間の食料と弾薬のみで、兵士が独り20〜50キロを背負い、道なき道を行軍した。戦闘最前線の兵站(へいたん 食料・武器の調達)は全く無視された。隷下の31・15・33師団の師団長は理知的で全員が反対だった。だが上官の命令は絶対服従で逆らえない仕組みだった。軍人なのだから戦争そのものを拒否できる筈もない。31師団の佐藤幸徳中将の言う“バカの4乗”がこの作戦を許可・実行した。この馬鹿とは大本営(参謀本部)、南方軍、ビルマ方面軍、第15軍のこと。

◇参謀本部 杉山 元陸軍元帥は昭和20年09月ピストル自殺
◇南方軍 寺内寿一陸軍元帥(寺内正毅首相の子)は昭和21年病没。
◇ビルマ方面軍 河辺正三(まさかず)は終戦間際に大将。昭和40年病没。
◇第15軍 牟田口廉也陸軍中将 昭和41年病没。

“敵”と戦う最前線の兵士は当初から物理的に勝算の無い作戦だった。牟田口は必勝の信念のみの精神論一辺倒の軍人だった。哀れなのは職業軍人でない一般兵士。愚将の命令でジャングルを行進、肉弾戦を強いられ、90%以上が犠牲、しかも大半が病死・餓死だった。その遺骨は収集されないまま、今もビルマのジャングルに埋もれている。前述のように愚将ほど長生きしたのが日本の軍人の戦後だった。しかも軍人恩給はたっぷりだった。

筆者の知る「インパール作戦」は若手の評論家・古谷経衡の言う“座学”の読解に過ぎないが、物理的事実に基づかない願望論と数字が物語る現実論の区別はつく。(終)

添付はインド東部ナガランド州コヒマのイギリス軍墓地。
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2019/2/2  9:16

インパール 慰霊と和解の旅路18  昭和史
インパール 慰霊と和解の旅路 終

チャンドラ・ボース率いるインド国民軍の民族構成を見ると理解できるようにその大多数はいわゆる普通イメージする色の黒いインド人、英軍から捕虜になって寝返り日本軍に参加したセポイ兵、プンジャブ民族等インド本土出身の兵隊達で、インド人はヒンズー教、ナガランドはキリスト教で人種も違い、インド人は1000年も昔からナガランドやアッサム地方、マニプール王国までも侵攻して来たと言う歴史背景があり、インドとは一線を引いているのです。インド兵達は現地人を当然差別していますから、協力をするのに躊躇していました。

又インド軍と日本軍の兵士達は全く別々に分けられており、実際に兵士同士が日常交流する事は出来なかったようです。寝食共にせず区画を作って駐屯していたのですから、日本兵達も全く戦況を把握するのは困難だったと思われます。民族の違いの実情とは、実際に現地に行って聞き出さないと理解出来ない歴史的背景と複雑な民族の事情が存在しています。

今まで過去7年間、実際に現地と私とが繋がるようになってその基盤が出来、ビルマ作戦協会の支部が出来ました。 名称を「第二次大戦インパール作戦ファンデーション」と変更、飛躍的な発展を遂げました。この経緯があって2014年から日本大使館が「インパール作戦」の重要性を認識し始めたのです。

私は国際電話で何回もこの意義をデリーの日本大使館に訴えていました。当初は「そんな雲をつかむ様なお話は…ねえ?」と素っ気なく非協力的であったのを今でも思い出します。外交官の資格を持って、何故インドにとって「インパール作戦」の歴史的重要性を知らないのか? 何度も激怒して電話越しに訴えていたのです。当然今では全く180度変更していますが。このような事情は殆ど知らない、知られていないでしょうが、結果的に私が描いた図式通りに進んでいるのです。

これはやはり、何万人と戦地で亡くなられて忘れられていた日本軍の英霊の招きであろうと私は感じています。(終)

添付はインド独立の英雄マハトマ・ガンジーとチャンドラ・ボース
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                    ◇◇◇
本年早々送られてきたインドのナガランド州・コヒマの画像紹介、マクドナルド・昭子氏のここ数年の活動報告は今回で終了です。「慰霊と和解の旅路」NHKBS1の放送の半年後、認知症であられた昭子氏の父・浦山泰二中尉(第31師団31連隊)は平成30年・2018年01月、96歳で亡くなられました。思えば九死に一生を得た浦山泰二中尉が帰還したからこそ昭子氏が生まれた。筆者の愚妹と同じ昭和26年(1951)生。
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2019/2/1  9:59

インパール 慰霊と和解の旅路17  昭和史
ビルマ作戦協会

私は実際に多くの激戦区に行くことが出来たのは、ビルマ作戦協会の和解活動をしていると言う日英両国の戦争体験者同士が始めた唯一無二の団体であり、その二世代である私が2代目の会長として、第三国も含めた和解と相互理解を深めることの重要性を直接州知事に訴えたからです。 その理由と国際的意義を理解されたから、VIPとして正式に招待され、警察の武装部隊のガードを付けて頂けたのです。マニプール(36種族)もナガランド(16種族)も戦後、州が対立し紛争が続いていたこと、また種族間でも武力闘争の紛争が今でも続いているのです。

私の訪問ニュースを新聞で見たと、このナガランドの地下組織のレジスタンスグループで武力闘争の親玉が部下を連れて私に会いに来てホテルで会合を持ちました。ガードマンの隊長からも危険だから会って行けないと制止されたのを断り私の責任で意思を通してホテルロビーで会うことが出来ました。

多くの事情を知ることが出来たのは何らかの意味がある気がします。日本人が知らないインド国民軍のこれらの地域の動向は、私の印象では全く日本人が思っているのとは相違していました。

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2019/1/31  17:31

インパール 慰霊と和解の旅路16  昭和史
マクドナルド昭子氏近況02

最近では戦後生まれの三世代が接触して来る場合が増えており、ドキュメンタリー映像を作りたいとの要望が数件生まれています。 又いつかは大きなスケールのビルマ戦とインパール作戦、特にコヒマの激戦に関しての国際映画をプロデュースする企画を立てたいとも希望しています。日本の公平なる立場を表現するには国際映画にしなくては効果がありません。先ず、英語で脚本を作るのが先行するでしょうね。

長くなりましたが希望は豊富にあります。 どれも日本の英霊達や戦争体験した私の父達の苦労を労い、名誉を復活させたいと言う夢があります。先立つものは…とかでいつも自費で活動するには限界があり、本音は非常に疲れ果てているのが現状です。愛国心を持ち日本の国の名誉の為とビルマ作戦協会の会長となって10年が経ちました。日本の国からは何も助成金が出ません。 しかも私は戦没者の遺骨収集の活動にも協力やアドバイスを行なっています。

体力、精神力、経済力もう限界に近く、今年もコヒマ、インパール方面とデリーにも再訪するようにと要請があります。どうなることやらです。
                    ◇◇◇
添付は「サピオ」2017・09月号
1982生の評論家・古谷経衡(ふるやつねひら)は、若手の評論家。韓国に行ったこともない人が韓国経済崩壊を言い、チベットに行ったこともない人がチベットの悲劇を言い、『失敗の本質』を座右の書とする人がインパールを地図でしか知らない政治家の“座学”と非難する。コヒマへ“道なき道”を四駆の車で訪問した現実をルポルタージュした。放置されたままの日本人兵士が眠るコヒマの現地の在り様を仔細に記述した。筆者などは明らかに座学そのものだ。

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