2020/7/15  23:48

昭和の失敗02  昭和史
相変わらず果てしの無い「戦争の昭和史」に挑んでいる。ウェブ上にある戦争の昭和史はプロではなく断然アマチュアの近現代史にこだわる者の記述のように思う。筆者の私もその類。実際に戦争に駆り出された人物はおおむね寡黙らしい。戦争最前線のアジアの現地で小さな女の子を殺害せざるを得なかった市民は、無事帰国して子を成しても一生抱く事ができなかったこともあるらしい。

そうした市民を親に持つ家族が遺された資料からHPに纏めて世間に知らしめている例が多い。昭和史の泰斗・保阪正康氏が度々云う“天空のジャッジメント”が、おおよそステレオタイプの戦争論。戦争は残虐で日本の昔は悪かった、で終り。悪かったのは誰、何でとはならないらしい。確かに日本の高級将校は云わば戦争が商売だから間違っても「非戦」「避戦」は言わなかったのが殆ど。戦前、総理大臣に任命されても日米開戦を避けられなかった軍人は多い。昭和15年当時の米内光政・山本五十六・井上茂美帝国海軍トリオ。暗殺されないように国内を避けて洋上に出されたのが真相。神国日本を信じて止まない且つ武器を持っているテロ予備軍の皇国臣民がうようよ居た時代。

強大な予算と人員を動かしていた陸軍軍人は、自分たちが選ばれたエリートで世間一般の人間は“地方人”と呼ぶほどの傲岸不遜で政治家や外交官などの提言など言うことを聞かなかった。土壇場まで何とか日米開戦を阻止したいと努力した政治家も居て、そうした人物の一人が近衛文麿だった。土壇場で総理大臣を投げ出した“軟弱な総理”思われているが、そうではなかったと評価する現代史家の研究も最近は多い。「日米開戦」の真の責任者は、軍人の他にも多い。それを今、再読・三読して一市民の結論を導き出したいが、それすらも小さな不遜と言われそうだ。

添付は先頃亡くなったが鳥居民(とりいたみ)氏の学者の大人しい見解を通り越した内容。そこでは内大臣・木戸幸一の大いなる企みを明解にしている。

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2020/7/5  19:38

昭和の失敗  昭和史
 下戸なれば“夜の街”には縁のなくそれでも暮しは楽にならざり

確定申告では厚生年金以外に収入はなく書き込みは、税務職員に任せて並ぶ順番さえ無ければ楽なもの。だらしなく情けないが、肺気腫の酸素ボンベ使用の生活では、障害者手帳が交付され、医療費は無料になった。ただしどこまでが無料なのか解からない。酒が好きで夜の街の好きな若者は一定の収入があってもコロナウイルスで大変だ。

東京都では毎日三ケタの陽性・感染者があるらしい。人口1400万人の東京では14万人に一人。陽性で亡くなるのは志村けんのように愛煙家で肺が壊れている老人。コロナは偉大なコメディアンを死に至らしめた。筆者も老人で肺病病み。気を付けなければなるまい。

九州熊本の水害は、無惨なもの、まだ地震から完全に立ち直っていないように類推する。コロナ禍で一向に盛り上がらない都知事選挙。この記述は19時30分、多分20時00分で、直ぐに小池都知事の当確・当選となる筈。いわゆる野党系の宇都宮健児氏は、どのくらいの割合になるのか。

短歌会の仕事が無くなったのは“天の配剤”か、お粗末な文章と追及だが個人の「戦争の昭和史」を推敲中。昭和史という分野が確立!?したのは平成時代に突入してからだ。丁度多くの戦争指導者が次々と物故してゆく時代、テープレコーダー持参で寡黙な多くの軍人から聞き取りをしたのが保阪正康・半藤一利・秦郁彦氏などなど。今、素人が基礎とする単行本・新書・文庫を再読。素人には持て余し気味だが、いわゆる高級軍人に抵抗した人物に焦点を当てる。

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2020/6/23  23:30

沖縄戦の日  昭和史
06月23日は、昭和20年沖縄戦が終了した日。NHKもニュースで報じていた。だが今、現在の日本は、コロナウイルスを食い止めるのに必死だし、経済も立て直さなければならず、政府も地方自治体も必死。今年ばかりは過去の戦争も顧みられることは少ないだろう。ここへ来て安倍晋三長期政権も飽きられてきた?気がする。隣国の朝鮮半島も何やらきな臭い。

沖縄の怒りは昭和20年06月23日までに県民の4人に1人、15万人が亡くなったこと。日本敗戦後、アメリカが用地を接収したのが普天間基地の始まり。筆者がいつも思うのは、沖縄の地政学的意味。ロシア、北朝鮮、中国など核兵器を所持する独裁国家が近いのであれば米軍基地はむしろ抑止力として必要だと思う。国家的な危険がなければ米軍基地も集団的自衛権も自衛隊すらも必要ない。自分だけは上から目線と言われそうだが、神奈川県には厚木基地も横須賀基地もある。危険は同じ。

拙論「天邪鬼の探索考」は、参考・引用の著書の再読・精査・重要事項の確認。新宿市谷の「自衛隊資料館」へ出向くのは後回しにしても、一市民への戦闘命令と行軍は基本の基本。平成時代に突入してから、つまり30年前から昭和回顧が一つの分野となり、昭和陸軍の地道な調査から保阪正康なる専門家が現れ、それ以前からだが秦郁彦、半藤一利も出版界に重きを成した。

帝国陸海軍の所業は数多の解説本がある。ひと言で言えば、悲しいかな日本のエリート軍人は国を守る事、戦争に勝つことが至上命題なのに、いざ戦争になっても年功序列・学歴社会であったこと。早くからこの事実を打破しようとした軍人・政治家も存在した。今、それを記述しなおしている。太平洋戦争を多く取り上げてきた文藝春秋の『昭和史がわかるブックガイド』は参考になる。21人の専門家が「戦前日本」「陸海軍」「昭和天皇」を論述している。

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2020/6/16  23:48

昭和41年・記念樹  昭和史
このブログは平成20年からでもう12年になる。小生の天邪鬼ぶりは、このブログを見る人には十分に伝わっている。政治に関する独断と偏見は、なかには理解する人もいるが、眉をひそめる人が大半。自分のブログだが自分で見てもカウントされないいから一日30〜50人が見ていることになるので有難い。11年前、このblogの記述を始めたころの記事に昨日、通常のコメント欄に書き込みを頂いた。阪本聖子さんと言うが、何かの専門職あるいはプロの方なのか、昭和41年に母が亡くなったらしく追憶がある由。以下は「2009/07/11 木下恵介アワー・記念樹」の抜粋。

昭和41年は筆者が21〜22歳。住込工員を卒業、四畳半のアパートの一室に落ち着いた。06月にはビートルズが来日公演して大騒ぎ。03月には2日続けて飛行機の墜落。この年だけで4回も墜落事故があった記憶がある。TVはモノクロ。日曜日の午後08時台は、渥美清の「泣いてたまるか」、火曜日は「木下恵介アワー」があった。木下恵介アワーは30分のドラマ。検索したらこの番組の一部始終を記したHPがあって驚きだ。その何作目かに「記念樹」という番組があった。

「記念樹」は昭和41年04月〜昭和42年02月にTBS系で全46話、一話完結で放送。原作・脚本は木下恵介・山田太一。主題歌は小坂一也の歌う「記念樹」だった。作詞・作曲は木下恵介の実弟木下忠司。木下忠司は「喜びも悲しみも幾歳月」「水戸黄門のテーマ」が有名。物語は横浜の養護施設の保母・池貝先生(馬渕晴子)が中心。教え子たちとの15年の絆を描いたもの。その年から15年前なら昭和26年、多分戦災孤児が教え子だ。主人公が結婚するとき植えた一本の桜の木を中心に堅く結ばれた絆があった。その後亭主を交通事故で亡くした主人公の保母と青少年に成長した子供たちが再会、それぞれのその後にお互いに悩むという心温まるもの。

教え子には若き日の田村正和・仲宗根美樹・石立鉄男・小坂一也・関口宏・原田芳雄・山口崇などが出演。この番組の冒頭の「記念樹」のテーマ曲は忘れられない。平成09年、62歳で食道がんに亡くなったが、小坂一也の哀愁を帯びた高音で独特なビブラートで歌った。今でも口ずさめる。それから40数年レコードを探し求めたが無かった。だがインターネットとは本当に便利なもの。ユーチューブにアップされていて感動した。以後繰り返し聴いている。以下をクリックされたい。聞いたことのある人も居る筈だ。

https://youtu.be/IcpsAOUh9YI

このブログの拍手のコメント数ベスト6

41 2011・02・08「活版印刷01」
25 2010・08・24「三橋美智也」
23 2009・08・23「いしだあゆみ」
22 2012・09・10「啄木子孫02」
20 2010・06・08「守屋浩」
14 2009・07・21「記念樹」

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2020/5/10  22:44

戦争の昭和史推敲  昭和史
本日の中央競馬のG1「NHKマイルカップ」を勝ったのはミルコ・デムーロ騎手。1979生だから42歳。イタリア出身の騎手。“無観客”などという言葉をスラスラ喋る優秀な騎手、身長155pだから欧州では小さい男性。春の天皇賞以外のクラシックの重賞は勝っているから騎乗技術は十分。ただ騎乗スタイルがいささか乱暴でここ2年は関西では疎まれていた。だが2015〜2018年の騎乗では連対率(2着まで)が高くこの騎手の馬を買えば大いに儲かった筈。

今、筆者は全面的に「戦争の昭和史」を書き直しているが、一度注目して著した戦前の政治家は、読み直して推敲をしても、やはり好戦的な軍人・政治家に大いに利用されたのが外務大臣の松岡洋右、首相に三度祭り上げられたのが近衛文麿だったことは的を射ている。松岡は積極的外交、近衛は常に消極的な政治姿勢だった。要所要所にエピソードを挿入すると本人の思惑を通り越して、太平洋戦争に利用されたことがよく判る。

松岡は外務省の本流から疎まれて背伸びをして外交の隘路に分け入った。近衛は自分の決断がどういう結果を招くかが見通せずに日米交渉で墓穴を掘ったのが真相。この二人に大いなる責任はあるが、二人にだけ押し付けるのは無責任極まりない。昭和15年、外務大臣に就任した松岡洋右の軌跡を精査しなおしている。

松岡の性格・思想・行動は、その関わった人物から読み取ることができる。逆に交遊関係から思想・行動が育まれたのは誰でも同じだろう。松岡の経験した夫々の外交・事件が、日露戦争後の日本の近代を物語る。夫々の項目には関連する人物が錯綜。「日米対立」という視点で、この外交官・政治家の関わりは随所に見られる。明治時代末期から昭和16年までの40年間の日本の“いびつさ”が炙り出される。

◇アメリカ西部の地方大学出身。劣等感が上昇志向に結びついた気がする。
◇反エリート意識だが長州(山口県)出身であることから本流意識をもある。
◇東大法学部卒→外務省エリート官僚の形を早くも身をもって知っていた。
◇若い頃、肺を病み病弱だった。ベルリンのドイツ軍閲兵で杖を突いている。
◇異母兄弟があり、アメリカでの「ベバリッジ夫人」への感謝の意識が強い。
◇好き嫌いが激しく独善的。軍人、閨閥への反発か。松岡人事に見られる。
◇第一次大戦後のパリ講和会議では寡黙な日本代表団を憂え、発信した。
◇陸軍の安易な「南方進出」に、その皮膚感覚からアメリカの反発を察知。
◇最初の勤務経験から中国大陸には、軍人とは違った現実感覚があった。
◇三国同盟の推進は、目的がソ連のスターリンだったことが今、解っている。

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2020/2/4  23:21

原点回帰  昭和史
日常生活をギアチェアンジして原点に戻ると、筆者のブログ・HPは、1「太平洋戦争」2「昭和史」3「戦前世相」という大まかなジャンルになる。自分の実父が太平洋戦争の犠牲者という事実はもちろんだが、定年間際に短歌会の例会で編集委員のAY氏に「もう読んだからあげるよ」と貰ったのが保阪正康著『昭和史七つの謎』。これは2003年発行の文庫だから単行本は、それより前になる。ここで昭和史の第一人者の保阪氏を知った。別の友人にはこれも文庫で半藤一利著『日本史が楽しい』を紹介された。ざっくりとした分け方では保阪氏は陸軍、半藤氏は海軍に詳しい。殊に『昭和史が面白い』は鼎談集で軍人・文化人・芸能人と共に語る内容で文句なく面白かった。

この二冊が昭和史・太平洋戦争・戦前世相にのめり込むきっかけだった。そこで原点に帰ることにした。前半の5冊は再読・三読、後半5冊はざっと読みだったので“冬の夜長”で枕元に置くことにした。これだけ読めば「昭和」「太平洋戦争」の凡そは分かる。対談集の心理学者・岸田秀氏の疑問はそのまま筆者の私の疑問。

即ち「ガダルカナルの戦いなど日本軍大敗のその後の作戦遂行が、そのミスを学ばぬ同じ過誤で更に多くの犠牲者を出すことを繰り返した。インパール作戦などが有名。これは日本人の戦争の戦意不足、努力不足、能力の不足、物量の不足が大敗した理由ではない。根本的な必敗の原因の日本人の現実感覚不全がある筈」と云う。それは宗教と心理の分野に及ぶ。筆者には少々重荷の気もする。いずれ結論として導き出されるが、稲作農耕民族には、戦争への戦術・思想・歴史も甚だしく幼稚で“戦い”が似合わないことだと思う。

◇『昭和史七つの謎』保阪正康 講談社文庫 2003年
◇『昭和史が面白い』半藤一利 文春文庫 2000年
◇『戦争と人間の風土』鯖田豊之 新潮選書 昭和42年
◇『あの戦争は何だったのか』保阪正康 新潮新書 2005年
◇『一下級将校の見た帝国陸軍』山本七平 文春文庫 1987年

◇『太平洋戦争の新常識』歴史街道編集部 PHP新書 2019年
◇『なぜ必敗の戦争を始めたのか─陸軍エリート将校反省会議』
  半藤一利編・解説 文春新書 2019年
◇『一気に読める「戦争」の昭和史』小川榮太郎 扶桑社新書 2018年
◇『日本人と「日本病」について』山本七平・岸田秀
  文春学芸ライブラリー 2015年
◇『戦争とこの国の150年』保阪正康対談集 山川出版社 2019年

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2020/1/14  23:29

啄木の子孫その後03  昭和史
「りとむ」短歌会の同人の加納亜津代氏は、筆者の所属短歌会の表紙絵を担当する嶋田正之氏の友人。だからこそ「無名鬼の妻」が回覧して来た。だが村上一郎の名を知らない人は、その夫人の長谷えみ子も知らない。筆者も村上一郎夫人も村上本人が短歌を嗜んでいることすら知らなかった。この展開がなければ、このまま村上一郎も忘れたままだった。

御礼の手紙で知己になった加納氏から更に同人の高幣美佐子氏のエッセイのコピーを頂いた。題名が「啄木の額」。ここでそのエッセイを無断引用は憚られるので、その骨子のみ記す。高幣氏が中学校教師になって世田谷区の中学で最初の教え子が「石川晶子」だった。石川晶子は石川啄木の長女の息子・玲児氏の子で晶子は曽孫になる。

父親の正雄が長男・玲児の兄妹に真一・与謝野晶子の晶子を名乗らせた。高幣氏が、啄木の孫の(実は曽孫)の噂を確かめることは無かったらしい。この教師が今も現役かどうかは判らない。高幣氏が短歌の世界に親しんで漸く晶子の額と目元が啄木に似ていることを回想、思い切って30年振りに連絡を取り、新潟に嫁いでいる晶子と電話での会話で盛り上がったらしい。「石川啄木の子孫」とネット検索して父親の画像を確かめた、それが2011年。2009年の「昭和55年11月・太陽からの転載」の記述は、多分筆者の私のブログ。

石川啄木の系譜を知ってその縁戚からメールを頂いても筆者本人の短歌が上達する筈もないが、歌壇の数多の有名歌人が啄木の「境遇・生活短歌」の影響を受けているのは事実。寺山修司などはその痕跡が大。

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2020/1/9  23:47

啄木子孫その後02  昭和史
前回の記述で、石川和幸氏から頂いたメールの指摘で「石川啄木の子孫」を訂正した。啄木の家族は、本人、妻、長男、長女、次女と早逝だった。長女・京子も24歳で亡くなったが、二人の子を成して末裔が栄えている。そのことを紹介したのが、当初の「石川啄木の子孫(2009/8/22)」だった。昭和55年11月号の雑誌・太陽「一握の砂刊行70周年記念」の啄木特集で、筆者の私は啄木の孫・石川玲児氏の画像を勝手ながらスキャンして記事にした。

前回の記述で理解できると思うが、和幸氏のいとこ(同齢)になる石川晶子氏に関連する展開となるので紹介するが、ここは前置きが聊か長いので読み飛ばしていただいて結構。筆者の冬雷誌上(平成25年07月)にエッセイとして掲載した「石川啄木の子孫」を冬雷短歌文庫『相生坂』(平成25年09月発行)にも掲載したのが縁だった。

平成28年06月号に「村上一郎の歌」「『無名鬼の妻』(山口弘子著)を読む」の二点を冬雷誌上に掲載。これを鑑賞した「りとむ短歌会」の加納亜津代氏から葉書を頂いた。『無名鬼の妻』は、冬雷表紙絵の嶋田正之画伯から回覧のかたちで筆者に来た。“無名鬼”こと村上一郎を知っていた。気に入った書籍は書き込みを入れるので新たに前記の本を購入、何度も繰り返し読んでマーカーを引いて理解に努めた。

三島由紀夫切腹事件で解説者として一躍、売れっ子作家になったが、自らも村上一郎は鬱病で昭和50年自刃。奥様の長谷えみ子氏(95歳で存命)は、馬場あき子氏に勧められ「りとむ」同人となり短歌を始め、今も投稿しておられる。山口弘子氏もむろん「りとむ」同人。

紹介者・加納亜津代氏に謝礼のハガキの返礼で小生の『相生坂』を送付した。そこでこの加納氏がコピーして送ってくれたのが高幣美佐子氏のエッセイ「啄木の額」だった。高幣氏は中学校教師出身で「りとむ」同人。教師赴任の最初の教え子が、啄木の曽孫・晶子だった。内容は次回。

添付は筆者の書斎!からの画像。午前中撮影。

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2020/1/5  21:28

啄木子孫その後  昭和史
7年前の平成25年頃、石川和幸氏からメールがあって何度かやり取りしたことがある。この経緯を「冬雷・H25(2013)・7月号」にエッセイとして投稿した。そこでの系譜では誤まりは無かったが、筆者のブログでの記述に誤まりがあって石川氏本人からこの1月3日に書き込みがあったので修正する。

ブログは「2018/6/21・啄木子孫03」。石川和幸氏は系譜では、あの石川啄木の曽孫になる。啄木の長女・京子の子が「玲児」、京子が24歳で亡くなったので婿の石川正雄は再婚。そこで生まれたのが靖児、その子が和幸氏で玲児の息子とは従兄弟になる。記述した筆者本人が、和幸氏を正雄の子と記して誤記。祖父・孫の関係だった。和幸氏の父・靖児も昨年84歳で亡くなられた。こう書いても解りづらいと思うので訂正した系譜を記述する。

石川啄木─1912年(明治45年)04月13日、小石川区にて肺結核のため死去。享年26。
◇同年06月14日、妻・節子が啄木亡き後、次女・房江を出産。
◇妻・節子─1913年(大正02年)、05月05日、肺結核で死去。
◇長男・真一─明治43年(1910)、生後24日で死去。啄木存命中。
◇二女房江─昭和05年(1930)12月19日に19歳で死去。
長女・京子─懐妊中に急性肺炎を起こし、二児を残して24歳で死去。

◇石川晴子(姉) 母・石川京子、父・石川正雄
石川玲児(弟) 母・石川京子、父・石川正雄
 (1998年06月30日に69歳で亡くなられた)
◇玲児の長男は真一(早逝した啄木の長男の名を命名) 母・好子
◇玲児の長女は晶子(与謝野晶子の名を命名) 母・好子

石川和幸 父・石川正雄が再婚して靖児が生まれる。その子が和幸。
 玲児と靖児は兄弟。真一と和幸は父方の従兄弟。

添付は当時、引用した「太陽・昭和55年発行」だから40年前になる。したがって啄木の孫の玲児氏は、その当時、祖父の2倍生きたと吐露されているのは納得。筆者と同じく印刷業だったのには惹かれた。今生きておられれば90歳台だ。短歌が取り持つ縁で、曽孫・晶子の中学の教師だった人物のエッセイ(コピー)を「りとむ短歌会」から頂いたことがある。次回これを紹介したい。

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2019/12/13  23:53

昭和の俳優  昭和史
今年も多くの著名人・文化人が亡くなった。定期購入している「産経新聞」の一面にその名が載ったのが11人前後だった気がする。それだけの実績を残したから当然だ。筆者個人の思い入れならば女優・京マチ子(95)、作家・橋本治(70)、映画監督・降旗康男(84)、俳優・梅宮辰夫(81)は、新聞一面の掲載死亡記事に関係なく残念至極だ。

梅宮辰夫は東映映画でデビューした頃、本物を川崎東映に見に行ったことがあった。昭和37年の正月だった。映画の放映の合間に、梅宮辰夫の他に、里見浩太朗、大村文武、久保菜穂子、志村妙子(太地喜和子)などが挨拶した。東映ニューフェイスの宣伝でもあった。司会が脇役俳優の大東良だった。

新聞一面掲載物故者

中村  哲 医師 12・04 73歳 暗殺
中曽根康弘 政治家 11・29 101歳 老衰
八千草 薫 女優 10・24 88歳 膵臓癌
緒方 貞子 国際政治学者 10・22 92歳 死因不公表
金田 正一 プロ野球選手 10・06 86歳 敗血症
竹村 健一 評論家 07・08 89歳 多臓器不全
田辺 聖子 作家 06・06 91歳 胆管炎
ドナルド・キーン 日本文学者 02・24 96歳 心不全
堺屋 太一 作家 02・08 83歳 多臓器不全
梅原  猛 哲学者 01・12 93歳 死因不明
市原 悦子 女優 01・12 82歳 心不全

昨日亡くなった梅宮辰夫は、週刊新潮2019・03・14日号に今まで明らかにしなかった癌闘病を赤裸々に告白している。1974年・睾丸がん、肺がん、2012年・胃がん、2016年・十二指腸乳頭部がん、2019年・前立腺がん、尿管がんと凄まじい癌病歴だ。“夜の帝王”と称された女性遍歴や娘のアンナや17歳になる孫のことは、いずれ芸能誌に詳しく載るだろう。「仁義なき戦い」などで共演した松方弘樹、菅原文太、渡瀬恒彦なども既に鬼籍に入っている。

映画が娯楽の王様の頃、東映などは“第二東映”なども作って粗製乱造の映画をこれでもかと作った。今、映画・テレビで活躍している俳優などは、それら昭和の産物とは無縁。今も元気な俳優は女優を除いて小林旭とか宝田明くらいしか思い浮かばない。

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