2020/1/14  23:29

啄木の子孫その後03  昭和史
「りとむ」短歌会の同人の加納亜津代氏は、筆者の所属短歌会の表紙絵を担当する嶋田正之氏の友人。だからこそ「無名鬼の妻」が回覧して来た。だが村上一郎の名を知らない人は、その夫人の長谷えみ子も知らない。筆者も村上一郎夫人も村上本人が短歌を嗜んでいることすら知らなかった。この展開がなければ、このまま村上一郎も忘れたままだった。

御礼の手紙で知己になった加納氏から更に同人の高幣美佐子氏のエッセイのコピーを頂いた。題名が「啄木の額」。ここでそのエッセイを無断引用は憚られるので、その骨子のみ記す。高幣氏が中学校教師になって世田谷区の中学で最初の教え子が「石川晶子」だった。石川晶子は石川啄木の長女の息子・玲児氏の子で晶子は曽孫になる。

父親の正雄が長男・玲児の兄妹に真一・与謝野晶子の晶子を名乗らせた。高幣氏が、啄木の孫の(実は曽孫)の噂を確かめることは無かったらしい。この教師が今も現役かどうかは判らない。高幣氏が短歌の世界に親しんで漸く晶子の額と目元が啄木に似ていることを回想、思い切って30年振りに連絡を取り、新潟に嫁いでいる晶子と電話での会話で盛り上がったらしい。「石川啄木の子孫」とネット検索して父親の画像を確かめた、それが2011年。2009年の「昭和55年11月・太陽からの転載」の記述は、多分筆者の私のブログ。

石川啄木の系譜を知ってその縁戚からメールを頂いても筆者本人の短歌が上達する筈もないが、歌壇の数多の有名歌人が啄木の「境遇・生活短歌」の影響を受けているのは事実。寺山修司などはその痕跡が大。

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2020/1/9  23:47

啄木子孫その後02  昭和史
前回の記述で、石川和幸氏から頂いたメールの指摘で「石川啄木の子孫」を訂正した。啄木の家族は、本人、妻、長男、長女、次女と早逝だった。長女・京子も24歳で亡くなったが、二人の子を成して末裔が栄えている。そのことを紹介したのが、当初の「石川啄木の子孫(2009/8/22)」だった。昭和55年11月号の雑誌・太陽「一握の砂刊行70周年記念」の啄木特集で、筆者の私は啄木の孫・石川玲児氏の画像を勝手ながらスキャンして記事にした。

前回の記述で理解できると思うが、和幸氏のいとこ(同齢)になる石川晶子氏に関連する展開となるので紹介するが、ここは前置きが聊か長いので読み飛ばしていただいて結構。筆者の冬雷誌上(平成25年07月)にエッセイとして掲載した「石川啄木の子孫」を冬雷短歌文庫『相生坂』(平成25年09月発行)にも掲載したのが縁だった。

平成28年06月号に「村上一郎の歌」「『無名鬼の妻』(山口弘子著)を読む」の二点を冬雷誌上に掲載。これを鑑賞した「りとむ短歌会」の加納亜津代氏から葉書を頂いた。『無名鬼の妻』は、冬雷表紙絵の嶋田正之画伯から回覧のかたちで筆者に来た。“無名鬼”こと村上一郎を知っていた。気に入った書籍は書き込みを入れるので新たに前記の本を購入、何度も繰り返し読んでマーカーを引いて理解に努めた。

三島由紀夫切腹事件で解説者として一躍、売れっ子作家になったが、自らも村上一郎は鬱病で昭和50年自刃。奥様の長谷えみ子氏(95歳で存命)は、馬場あき子氏に勧められ「りとむ」同人となり短歌を始め、今も投稿しておられる。山口弘子氏もむろん「りとむ」同人。

紹介者・加納亜津代氏に謝礼のハガキの返礼で小生の『相生坂』を送付した。そこでこの加納氏がコピーして送ってくれたのが高幣美佐子氏のエッセイ「啄木の額」だった。高幣氏は中学校教師出身で「りとむ」同人。教師赴任の最初の教え子が、啄木の曽孫・晶子だった。内容は次回。

添付は筆者の書斎!からの画像。午前中撮影。

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2020/1/5  21:28

啄木子孫その後  昭和史
7年前の平成25年頃、石川和幸氏からメールがあって何度かやり取りしたことがある。この経緯を「冬雷・H25(2013)・7月号」にエッセイとして投稿した。そこでの系譜では誤まりは無かったが、筆者のブログでの記述に誤まりがあって石川氏本人からこの1月3日に書き込みがあったので修正する。

ブログは「2018/6/21・啄木子孫03」。石川和幸氏は系譜では、あの石川啄木の曽孫になる。啄木の長女・京子の子が「玲児」、京子が24歳で亡くなったので婿の石川正雄は再婚。そこで生まれたのが靖児、その子が和幸氏で玲児の息子とは従兄弟になる。記述した筆者本人が、和幸氏を正雄の子と記して誤記。祖父・孫の関係だった。和幸氏の父・靖児も昨年84歳で亡くなられた。こう書いても解りづらいと思うので訂正した系譜を記述する。

石川啄木─1912年(明治45年)04月13日、小石川区にて肺結核のため死去。享年26。
◇同年06月14日、妻・節子が啄木亡き後、次女・房江を出産。
◇妻・節子─1913年(大正02年)、05月05日、肺結核で死去。
◇長男・真一─明治43年(1910)、生後24日で死去。啄木存命中。
◇二女房江─昭和05年(1930)12月19日に19歳で死去。
長女・京子─懐妊中に急性肺炎を起こし、二児を残して24歳で死去。

◇石川晴子(姉) 母・石川京子、父・石川正雄
石川玲児(弟) 母・石川京子、父・石川正雄
 (1998年06月30日に69歳で亡くなられた)
◇玲児の長男は真一(早逝した啄木の長男の名を命名) 母・好子
◇玲児の長女は晶子(与謝野晶子の名を命名) 母・好子

石川和幸 父・石川正雄が再婚して靖児が生まれる。その子が和幸。
 玲児と靖児は兄弟。真一と和幸は父方の従兄弟。

添付は当時、引用した「太陽・昭和55年発行」だから40年前になる。したがって啄木の孫の玲児氏は、その当時、祖父の2倍生きたと吐露されているのは納得。筆者と同じく印刷業だったのには惹かれた。今生きておられれば90歳台だ。短歌が取り持つ縁で、曽孫・晶子の中学の教師だった人物のエッセイ(コピー)を「りとむ短歌会」から頂いたことがある。次回これを紹介したい。

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2019/12/13  23:53

昭和の俳優  昭和史
今年も多くの著名人・文化人が亡くなった。定期購入している「産経新聞」の一面にその名が載ったのが11人前後だった気がする。それだけの実績を残したから当然だ。筆者個人の思い入れならば女優・京マチ子(95)、作家・橋本治(70)、映画監督・降旗康男(84)、俳優・梅宮辰夫(81)は、新聞一面の掲載死亡記事に関係なく残念至極だ。

梅宮辰夫は東映映画でデビューした頃、本物を川崎東映に見に行ったことがあった。昭和37年の正月だった。映画の放映の合間に、梅宮辰夫の他に、里見浩太朗、大村文武、久保菜穂子、志村妙子(太地喜和子)などが挨拶した。東映ニューフェイスの宣伝でもあった。司会が脇役俳優の大東良だった。

新聞一面掲載物故者

中村  哲 医師 12・04 73歳 暗殺
中曽根康弘 政治家 11・29 101歳 老衰
八千草 薫 女優 10・24 88歳 膵臓癌
緒方 貞子 国際政治学者 10・22 92歳 死因不公表
金田 正一 プロ野球選手 10・06 86歳 敗血症
竹村 健一 評論家 07・08 89歳 多臓器不全
田辺 聖子 作家 06・06 91歳 胆管炎
ドナルド・キーン 日本文学者 02・24 96歳 心不全
堺屋 太一 作家 02・08 83歳 多臓器不全
梅原  猛 哲学者 01・12 93歳 死因不明
市原 悦子 女優 01・12 82歳 心不全

昨日亡くなった梅宮辰夫は、週刊新潮2019・03・14日号に今まで明らかにしなかった癌闘病を赤裸々に告白している。1974年・睾丸がん、肺がん、2012年・胃がん、2016年・十二指腸乳頭部がん、2019年・前立腺がん、尿管がんと凄まじい癌病歴だ。“夜の帝王”と称された女性遍歴や娘のアンナや17歳になる孫のことは、いずれ芸能誌に詳しく載るだろう。「仁義なき戦い」などで共演した松方弘樹、菅原文太、渡瀬恒彦なども既に鬼籍に入っている。

映画が娯楽の王様の頃、東映などは“第二東映”なども作って粗製乱造の映画をこれでもかと作った。今、映画・テレビで活躍している俳優などは、それら昭和の産物とは無縁。今も元気な俳優は女優を除いて小林旭とか宝田明くらいしか思い浮かばない。

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2019/9/29  20:46

タケシバオー  昭和史
本日、船橋市の中山競馬場で中央競馬のGT(グレード1・サラブレッド競争の一番格上)スプリンターズステークス(1200m)があり、タワーオブロンドンという馬が勝った。一着賞金は1億1000万円。因みにダービー・有馬記念などは、今は3億円だ。だから安い馬を勝って馬主になった人は大儲け。1億円以上もする血統ある馬を購入しても一度も勝てない馬もいる。競馬の世界は厳しい。

昭和44年、アポロが月面着陸、東大安田講堂攻防戦、映画「男はつらいよ」の封切、年末に総選挙があった年、筆者は25歳だった。友人を真似して、この年の春、中央競馬の馬券を中山競馬場で的中。200円が6000円になったのがいわゆるビギナーズラック。

馬券が的中、非的中(この方が多い)に拘わず、この年、凄い馬がいた。母系がオーストラリアから導入されていて、母の名はタカツナミ、4人の馬主の頭文字だった。この馬は成績が上がらず、最後に「競友」とういう競馬新聞社社長小畑氏がしぶしぶ200万円で引き取った。この馬が昭和40年に産んだ牡馬がタケシバオー。前評判は悪く期待されていなかった。

だが昭和43年の皐月賞・ダービーは2着、菊花賞はフランス遠征で回避したが、明けて4歳、冬場の重賞を皮切りに春の天皇賞(3200m)を含めて怒濤の8連勝。日本で最初の1億円の賞金をゲットした。手離した馬主は多分切歯扼腕。今の賞金なら軽く10億円を突破している。春3200、秋に1200のG1は今では考えられない騎手の負担重量は62sだった。50sの騎手ならば12sの鉛が装備されているチョッキを装填することになる。

筆者はこのレースをリアルタイムで観た。しかも競馬場の4角(最後の曲り角)では後方、ゴールでは突き抜けた。添付はその時の競馬専門紙。鉛の活字の時代。一ページ組むのもたいへんだったと思う。記念に保存していた。

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2019/9/22  21:35

1944年生  昭和史
前回ユーチューブで見て記述したアメリカのSL4014(ビックボーイ)は1944年生れで75歳、筆者と同齢。アメリカ大陸横断150年記念に合わせて多分、人間と同じく治療・整備された。当時のアメリカの物理・科学の凄さを思う。

当時、アメリカは戦争当事国・日本に落とすべく原子爆弾の核爆発と核融合の二つを急ピッチで研究していた。ニューメキシコ州での実験も成功したらしい。あとは人間の居住地域に投下、その威力試すばかりだった。1945年07月末、日本はポツダム宣言を受け入れ、事実上敗戦に同意していた。

08月01日前後で終戦ならば原子爆弾を落とせない。そこで天皇制存続を曖昧にして好戦的な日本の陸軍軍人の意欲・発言に沿った形にして敗戦受け入れを鈍らせた。鈴木貫太郎首相・米内光政海軍大臣・東郷茂徳外相は即座に敗戦、阿南惟幾陸軍大臣・梅津美次郎参謀総長(陸軍)・豊田副武軍令部長(海軍)は反対した。最後は仕方なく鈴木総理が昭和天皇に決裁を仰いだ。高級軍人は組織崩壊を憂え、我を通すだけで国民はどうでもいい、バカばかりだ。

昭和14年、総理大臣さえ経験した海軍大将・米内光政は、原子爆弾(当時は新型爆弾としか日本の知識はない)投下で、これでとにかく終戦の契機になると思ったのか、天佑(神の加護)と言った。帝国海軍の敵は、終始帝国陸軍だった。最後まで抵抗して日本を焦土にした。

 原爆を落とされしことも天佑と言ひしは総理経験者の軍人

月末の仕事の原稿が到着。暫時ブログは休みます。
添付は疾駆する4014のスクプリト画像。筆者も見習いたい。

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2019/9/19  21:03

ビッグボーイ  昭和史
最近、就寝前にはパソコンはユーチューブ、テレビは過去のBS時代劇の録画を見ることにしている。前者はユーチューバーなどという仕事だか、副業とかも流行っているらしい。恐ろしくてとても見られなかったが「3・11」の津波の画像もようやく見ることができている。今いちばんハマっているのがSL(スチーム・ロコモティブ・蒸気機関車)の映像。むかしデジタルビデオカメラが出現したときは早速購入して、秩父鉄道のSLを撮影したことも再三だった。

最近ユーチューブで見るだけだが、アメリカ中西部のユニオン・パシフィックなる鉄道会社の4000形「ビッグボーイ」というSLは、ただただ豪快で力強く優美さもあり見惚れてしまう。しかもこの機関車が製造されたのは1941〜1944年だったから驚き。1944と言えば筆者が生まれた年。この機関車が当時25台も製造されたというからアメリカの物量が解る。今だからこそ理解できるがアメリカと戦争なんか始めて勝てるわけは無かった。

素人でも理解できるのは、その胴体の長さで40mもある。蒸気機関車は胴体前部のシリンダ(蒸気を注入するところ)・主軸・動輪の大きさ、力強さだ。米国のビッグボーイは、日本のD51型の2倍の大きさ。シリンダは左右2個が普通だが、これが何と前後にあるから驚き。主軸から伝わるエネルギーを伝える動輪(人間の背の高さ170p)が4×4で16輪もある。それだけ煙管も長く、流れる水は瞬時に蒸気になるだろう。シリンダも60×80pと大きい。アメリカ全土はむろん広軌道で1435p。アメリカ・シカゴの工業地帯と太平洋岸まで、日本全土を攻撃するために大いに物資を運んだに相違ない。

飛行機が主流になったアメリカで今、大陸間横断鉄道150年記念(2019年)に、この機関車が4〜5年かけて修理された。広大なアメリカ中西部を疾駆するSLは最高速度130q、客車・貨物も10〜20輌を引っ張る。一度この目で見たいものだ。

重複するがこれが製造された昭和16〜19年頃、日本は「学徒出陣」に象徴されるように国民総皆兵状態を強いられ“カミカゼ特攻隊”という「生存率0」の集団自殺攻撃という状態にまでなった。アメリカの実情を知る軍人・知識人は“弱腰”という精神論の二文字で叩かれとっくに排除されていた。今、中国・朝鮮半島の悪口・実情を言うと「ヘイトスピーチ」として叩かれる。今も昔も軍事の実態を正直に云うことは非国民のレッテルを貼られる。

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2019/8/20  22:02

犬養毅  昭和史
先日、昭和史の専門家・保阪正康の著書で講談社新書の『昭和の怪物 七つの謎』(2018年)を取り上げ、渡辺和子というシスターを紹介した。この本で昭和07年に暗殺された(五・一五事件)犬養毅(いぬかいつよし1855─1932・衆議院議員・第29代首相)も叙述されていた。暗殺される寸前の「話せばわかる」の言葉はどうやらフェイクらしく、真実は「話を聞こう」だった。

この時代の政治家は概ね愛人の存在があったから、その末裔も結構有名人が多い。国連高等弁務官だった緒方貞子は1927生だから94歳。同じく犬養毅の曽孫の安藤サクラは1986生だから60歳の開きがある。

愛人の子の犬養健(いぬかいたける)は、吉田内閣の法務大臣、昭和29年、指揮権発動をして「造船疑獄」で逮捕状の出ていた佐藤栄作自由党幹事長の捜査を無期限延期として事実上潰した。佐藤栄作は後に総理大臣になっている。7年間、総理大臣だった佐藤栄作は、犬養さまさまの筈。

◇犬養毅1855─1932昭和7年 衆議院議員・第29代首相
  犬養操(長女)・芳沢謙吉1874─1965外務大臣
   犬養恒子・中村豊一(外交官)
    緒方貞子1927 国連高等弁務官・文化勲章受章
◇犬養毅・斎藤仙(芸者)
  犬養健1896─1960第5次吉田茂内閣法務大臣・仲子(父・長与称吉)
   犬養道子1921─2017評論家・小説家
   犬養康彦1928─2015共同通信社社長
  犬養健・萩野昌子(柳橋芸者)
   安藤和津1948生・奥田瑛二(俳優)
    安藤サクラ1986生(女優)

10月号の文字入力の原稿が届きました。暫時このブログは中断します。画像は「万引き家族」で才能を発揮した安藤サクラ。ネットより拝借。

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2019/8/13  23:50

渡辺和子  昭和史
昨日取り上げた保阪正康は、「昭和史」というジャンルを起ち上げたといってもいいノンフィクション作家。平成時代は「昭和回顧」というブームもあって売れっ子作家になった。むろんそこには誰もが認める努力があったのは言うまでもない。下記の本では13人の昭和を代表人物が書かれている。

『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)2018年
『続 昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)2019年

◇東條 英機 1884─1948 陸軍軍人、第40代総理大臣
◇石原 莞爾 1889─1949 陸軍軍人
◇犬養  毅 1855─1932 第29代総理大臣
渡辺 和子 1927─2016 ノートルダム清心学園理事長
◇瀬島 龍三 1911─2007 大本営作戦参謀 伊藤忠商事会長
◇吉田  茂 1878─1967 第45・48─51代総理大臣

◇三島由紀夫 1925─1970 作家
◇近衛 文麿 1891─1945 第34・38・39総理大臣
◇橘 孝三郎 1893─1974 農本主義思想家
◇野村吉三郎 1877─1964 海軍軍人、駐米日本大使、日本ビクター社長
◇田中 角栄 1918─1993 第64・65代総理大臣
◇伊藤 昌哉 1917─2002 政治評論家
◇後藤田正晴 1914─2005 警察官僚・中曽根康弘内閣官房長官

渡辺和子や伊藤昌哉は軍人でもなく政治家でもなく怪物とは言えない。2016年12月、渡辺和子は89歳で亡くなった。生涯シスターだった。1936年・昭和11年、勃発した二・二六事件で陸軍教育総監・渡辺錠太郎が惨殺された。当時満9歳の和子は目の前で父の暗殺に遭遇した。狙撃は機関銃だった。前記の本に著者のインタビューが詳説されている。渡辺和子の死についてはこのブログでも(2017/3/1)取り上げたことがある。前記の著書に詳しいが渡辺和子は生涯、事件の真の首謀者は許さなかった。それは血気盛んな陸士卒の若者を焚きつけたいわゆる当時の皇道派の陸軍大将・荒木貞夫、真崎甚三郎のこと。昭和天皇の怒りを知ると責任を回避、軍事法廷でも無罪だった。

渡辺和子は聖心女子大卒業後、経緯は省くが29歳で洗礼を受け、修道会に入る。昭和61年、二・二六事件の首謀者・青年将校の法要が行われた。事件のとき渡辺錠太郎教育総監にトドメを刺した安田優陸軍少尉の弟・善三郎は、法要に誘われて参加した渡辺和子の態度に感銘してカトリックに入信したという。晩年の『置かれた場所で咲きなさい』は、220万部のベストセラーになっている。(文藝春秋2017・03月号・蓋棺録P517参照)

この陸軍のクーデターが失敗したのは、当時30代前半の昭和天皇の逆鱗に触れたことだ。幼少時から育ててくれたのは終戦時の首相・鈴木貫太郎・たか夫妻。この事件で鈴木は瀕死の重傷を負った。たか夫人が「トドメは自分がします」と言って難を逃れた。総理大臣経験者、高橋是清・斎藤実、岡田啓介総理大臣は間違って松尾伝蔵が惨殺されている。東北農村の疲弊など“昭和恐慌”が背景だが天皇側近にまで、何故殺戮に及んだのか、よく解らない。部内で対立していた陸軍中枢に外国情報部が介在!?していたという説もある。

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2019/8/12  23:49

保阪正康の本  昭和史
個人的理由で、いつの間にかと云った按配で「昭和史」の著書を読むようになり、昭和史の本を読むなら保阪正康という作家の本を耽溺している。自分のブログで“保阪正康”を検索したら44回もあった。2018/10/23で紹介した自分の蔵書の40では、これも50冊弱あった。この作者の著書は間違いなく全部読んでいる。平成16年の定年まではこの作家は知らなかった。

所属する短歌会の編集委員から頂戴したのが『昭和史七つの謎』という講談社文庫だった。その“七つの謎”のタイトルに売れる効果があったのか、以後、旺盛な執筆は、昭和の終った平成時代から顕著になった。

http://www1.odn.ne.jp/~ceg94520/mumyouan/mumyouS10a.html

作者は、大卒後「電通」という大企業に勤務したが、小企業の出版社に転職。ゴーストライターをしながら“もの書き”を目指す。国立国会図書館に通い、延べ4000人もの軍人にインタビュー、次第に頭角を現す。昭和の時代、大東亜戦争に関わった高級将校がまだ存命していた。その聞き取りも当初は、一人一人丁寧に手紙を書いて軍人の自宅を訪問したらしい。このパワーが凄い。切っ掛けは三島由紀夫の割腹自殺で「ともに死なう」との旧仮名で戦前の「死なう事件」を惹起したという。

最近では、以下の新書、ソフトカバーを一気に読んだ。やはり興味があると一気に読破、以後再読しながら自分の知識を確認していると云った按配だ。

『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)2018年
『続 昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)2019年
『令和を生きるための昭和史入門』(文春新書)2019年(2007年刊の増補)
『戦争とこの国の150年』2019年 山川出版社

最近出版されたばかりの『戦争とこの国の150年』は4人の作家との対談で共著。西村京太郎(推理小説1930生)、池内紀(ドイツ文学1940生)、逢坂剛(直木賞作家1943生)、浅田次郎(直木賞作家1951生)、半藤一利(昭和史1930生)。『昭和の怪物』は正・続で13人を取り上げている。

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