2020/3/11  21:40

新書乱読07G  読書
二・二六事件 皇道派と統制派
02月26日、もう新聞もテレビも報道しない「二・二六事件」を思い出した。だが“新書乱読”の範囲内に限定しても事件の首謀者、犠牲者は解るが、そこに至る近代の軍部の動きは複雑怪奇で難解。後世の者が安易に軍人は昔も今も「国民の生命安全」を護る為のものという考えは、どうやら単純で甘い。詳しくは松本清張の「昭和史発掘」が良い。これは単なる推理作家の仕事ではなく事件の全容は昭和39年から8年間、週刊文春に掲載された。まだ関係者の多くが存命の時代で史料の理解と構成と表現は多くの近現代史家を唸らせた。

聊か隘路に迷い込んだ気もするが、浅学菲才を自認しつつそこまでに至る軍人の対立を理解したい。二・二六事件を起こした元凶は帝国陸軍内部の軍人の派閥抗争。近代日本は昔の長州・薩摩の下級武士が端緒となって開かれたことは義務教育の「歴史」で習うこと。二度組閣した山県有朋が陸軍の創設者。つまり明治時代、大正時代は長州(山口県)、薩摩(鹿児島県)の出身者が陸軍大臣・海軍大臣・総理大臣の地位を恣にした。就任年数を先頃、現在の安倍晋三が更新したが、それまでは長州の桂太郎だった。伊藤博文以下、二・二六事件までは長州5人、薩摩は3人が首相になった。

唐突だが太平洋戦争の“真の責任者”は265年に亘って君臨した徳川幕府ではないのか。江戸時代に江戸より遙かに遠い長州・薩摩に押しやられた勢力が勇躍近代化の先頭に立った。近代への政治体制が完遂するまで、派閥が自然発生して日本の方向を維持するのには仕方のないことだった気もする。これを打破しようとしたのが、近代史に必ず出てくる「バーデンバーデンの密約」。南ドイツの保養地に欧州駐在武官経験者が集まって密議を凝らした。いわゆる「薩長閥」を打破して近代的な軍事組織に改革することだった、それが大正10年(1921)のこと。

日本陸軍が産んだ秀才といわれた永田鉄山(1884・1生)は陸士16期。因みに陸軍軍人は「陸軍士官学校」の卒業年次が着いて回る。この永田のように早生まれの誤差はあるが、陸士16期ならば必ず明治16年の年号と一致していた。密約の当事者は、永田がスイス公使館付駐在武官。ロシア公使館付武官の小畑敏四郎、参謀本部北京駐在員の岡村寧次。順にドイツ語、ロシア語、中国語に堪能だった筈。永田は信州、小畑は土佐、岡村は幕臣で東京出身。薩長閥でなければ出世も望めない程の当時の軍閥だった。

昭和時代になるとこの3人が中心になって若手軍人の「一夕会」が出来る。だがこの改革派の永田と小畑さえも相互の戦争観が対立して分裂する。因みに昭和16年、総理大臣になる東條英機などは、その頃いわゆる“ペーペー”の下っ端だった。永田は博学で優秀な軍人、国家が総力を結集する戦争観で「統制派」と呼ばれ、小畑は「皇道派」という天皇中心主義の思想を第一義とする派閥に増長してゆく。

両派の陸軍の人事は民間人の右翼など入り混じって二・二六事件の勃発する昭和11年までは、聊かの興味を持つ者を遙かに超える人物と行動と思想が入り混じり複雑な抗争となる。A級戦犯で100歳まで生きた企画院総裁の鈴木貞一は「永田ありせばアメリカと戦争などはしなかった」と戦後悔やんだ。永田は亡き者にされ、小畑・岡村は予備役に追いやられ陸軍中央から去る。この間の軍閥と事件は以下の著書に詳しい。

◇『昭和史発掘』、松本清張 文春文庫 昭和54年
◇『軍国日本の興亡』猪木正道 中公新書 1995年
◇『日本の軍閥』高橋正衛 講談社学術文庫 2003年
◇『昭和の歴史3 天皇の軍隊』大江志乃夫 1988年

肝腎の「統制派」「皇道派」の内部抗争はなに故なのか。何が理由か、浅学には解らない。その陸軍は帝国海軍とも対立していた。戦争は国と国の戦い。敵そのものはロシア・中国・アメリカではなかったのか。行きたくもない戦争に駆り出されて戦病死した遺族には、その対立の感情論は理解したい。ともあれこの内部抗争が、昭和10年、皇道派の相沢三郎の「永田鉄山斬殺事件」を引き起こし、永田に率いられていた統制派は復讐心旺盛で、皇道派の若手将校を二・二六二事件に導いて?自滅させた。更にこの統制派が政治家を凌駕して大東亜・太平洋戦争という勝つことのない戦争へ日本を壟断、国民を道連れにしたことになる。

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2020/3/7  21:39

新書乱読07F  読書
二・二六事件 栗原安秀と齋藤史(ふみ)
『岡田啓介回顧録』(中公文庫)には、岡田啓介総理大臣は、総理官邸の「女中部屋」に隠れていて難を逃れたことが生々しく語られている。首謀者の一人、栗原安秀陸軍中尉は押入れに隠れているのが首相であることを知っていて知らぬ振りをしたという。これが本当かどうかは解らない。多分寝間着姿の総理大臣など松尾伝蔵と見分けが付かなかったのがホンネだろう。栗原は岡田総理と思しき老人を殺害したので「それでよし」とした。首相と間違われて銃殺されたのが予備役の松尾伝蔵陸軍大佐だった。松尾は総理の私的秘書。風体が総理大臣に似ていて受難。松尾の娘婿が「不毛地帯」のモデルの瀬島龍三。岡田の娘婿が終戦時の内閣秘書官・迫水久常。

栗原安秀(1908・明治41生)と家族ぐるみの交際だったのが、斎藤史(1909・明治42生)。“史”は当時、陸軍少将の斎藤劉(りゅう 1879生、陸士12期)の娘。父は佐佐木信綱主宰「心の花」所属で歌人でもあった。栗原と幼馴染だった斎藤史は、天皇親政のために起ちあがった青年将校に同情した。ここは幼い女心のトラウマとなった。すぐさま討伐命令を下した昭和天皇を単純に恨んでいたようだ。むろん鎮圧のあと栗原は銃殺刑。父親も青年将校を援助したと思われ禁固5年の実刑だった。

ここでは青年将校の一人、栗原安秀と陸軍将校にして歌人の齋藤劉、娘の齋藤史に関するエピソードに興味を持つので、その限りで齋藤史の短歌を鑑賞する。『よみがえる昭和天皇』(文春新書)では歌人の辺見じゅん(角川春樹の姉)と昭和史の泰斗・保阪正康氏の対談集に、御製及び齋藤の歌の解説がある。『現代の短歌』(講談社学術文庫)も参照引用する。御製に関しては「新書乱読」の別項目で記述したい。

(『魚歌』昭和15年)
 春を断(き)る白い弾道に飛び乗つて手など振つたがついにかへらぬ
 濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ
 銃座崩れことをはりゆく物音も闇の奥がに探りて聞けり
 額(ぬか)の真中に弾丸をうけたるおもかげの立居に憑きて夏のおどろや
 たふれたるけものの骨の朽ちる夜も呼吸(いき)づまるばかり花散りつづく
 わが頭蓋の罅(ひび)を流るる水がありすでに湖底に寝ねて久しき
 暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた
 (辺見・保阪ともにこの歌の結句を絶賛する)

昭和08年生の上皇は、天皇の時代の平成08年に齋藤史を歌会始の召人に希望した。平成09年の歌会始の題は「姿」。

 野の中にすがたゆたけき一樹あり風も月日も枝に抱きて

天皇に訊かれて「一樹は天皇のこと、これで二・二六事件については心が晴れた」と告白。この時、齋藤は87歳。「短歌人」初代編集委員。平成05年に芸術院会員。平成14年、93歳で死去。

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2020/3/6  23:08

新書乱読07E  読書
二・二六事件 鎮圧の決断
時系列で言うと事件は、昭和11年02月26日の朝05時から06時の一時間の襲撃。天皇を取り巻く重臣を狙撃殺戮してからの青年将校の行動は単純。結果論だが青年将校は、昭和恐慌で餓死するほど農民が多いのに、都会の財閥・財界人は政治・経済を牛耳っていて裕福な生活を恣にしている。統治権という主権者の天皇と統帥権を持つ大元帥(共に昭和天皇)に仕え、政治・経済を握る財界人、重臣に民心は等閑にされているという単純な発想だった。決起する理由・経緯は数多の著書があり新書も文庫も多い、ここでは割愛。「蹶起趣意書」には元老、重臣、軍閥、政党などが国体を破壊しており、天皇親政の「昭和維新」を断行するという政治を刷新する気概に充ちたものだった。

当時の陸軍大臣は川島義之(1878生。陸士10期)陸軍大将。いわゆる陸軍派閥に属さない軍人(前任は見事な八の字髭の林銑十郎で4ヶ月だが総理大臣にもなっている)。皇道派の若手将校の起こしたこの大事件に対処できなかったのが結論になる。「蹶起趣意書」を受け取った川島は、午前09時に拝謁する。天皇は「速やかに事件を鎮圧せよ」と命令した。午後、皇族、皇道派の領袖・荒木貞夫、真崎甚三郎などが非公式に集まり事態を収拾しようとする。武器をもって陸相官邸、参謀本部を占拠する若手将校を持て余したのが真相。出された告知は曖昧なものだった。(原文は片仮名)

一、蹶起の趣旨に就ては天聴に達せられあり
二、諸子の真意は国体顕現の至情に基くものと認む
三、国体の真姿顕現の現況(弊風をも含む)に就ては恐懼に堪えず
四、各軍事参議官も一致して右の趣旨により邁進することを申合せたり
五、之以外は一つに大御心に俟つ

これでは青年将校の意志に沿ったものなのかよく解らない。本庄繁侍従武官長は決起した将校の言い分を上奏した。尚いわゆる決起将校の山口一太郎の妻は本庄の娘だった。天皇は本庄の説明に耳を傾ける気は無かった。午後になって岡田内閣の閣僚が集まり始め後藤内務大臣が首相代理になる。事態が収拾されるまで三日を要したが、青年将校の士官学校の教官が真崎甚三郎で、彼らの主張は“真崎内閣”を作るのが基本で真崎は「お前たちの気持は判っている」と言い満更でもなかったようだ。

この二・二六事件の決起、結末、裁判、理由の経緯は、それまでの事件・人物が錯綜し、結末もいわゆる暗黒裁判で膨大なものになる。彼らに影響を与えた北一輝をも記述すると本格的でブログの記述にならない。松本清張の「昭和史発掘」の文庫本13冊の8〜13がこの事件。ウェブのウィキペディアでもA4判で40〜50ページにもなる。ここでは『昭和天皇語録』(講談社学術文庫)『昭和天皇独白録』(文春文庫)の発言を記述して昭和天皇の決断を理解する。

◇「鈴木侍従長は生きているか」昭和天皇語録
◇「早く事件を終息せしめ、禍を転じて福となせ」昭和天皇語録
◇「朕がもっとも信頼せる老臣をことごとく倒すは、真綿にて朕が首を締むるに等しい行為なり」昭和天皇語録
◇「私は田中内閣の苦い経験があるので事をなすには必ず輔弼(ほひつ)の者の進言に俟ち又その進言に逆らはぬ事にしたが、この時と終戦のとの二回丈は積極的に自分の考を実行させた」昭和天皇独白録 注・田中(義一)内閣

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2020/3/4  21:38

新書乱読07D  読書
二・二六事件 青年将校と犠牲者
当時の陸軍内部の対立から昭和時代前期に様々な事件が起きた。今の時代に過去の日本の軍部を批判するのは容易いが、自分達だけが武器を使って、暴力を以てして実際、世の中を変えることが出来ると思ったのか甚だ疑問。陸軍幼年学校、士官学校を優秀な成績で勝ち上がってきたエリートは、軍事+戦争のことを純粋培養されてきた秀才。卒業すれば直ちに“尉官”。その後一定の軍務を経験して、能力を認められると陸軍大学入学のチャンスが与えられる。二・二六事件の首謀者の青年将校は20代後半の陸軍大学へ進む筈の優秀で正義感旺盛な若手軍人官僚だった。昭和前半の軍人、連動する右翼などが起こした事件が多いが青年将校が短期間に世相を揺るがした事件に影響されたのは間違いない。二・二六事件は起こるべくして起きたテロ及び政治事件の極地だった。

◇昭和06年 三月事件 陸軍中堅幹部のクーデター未遂事件
◇昭和07年 五・一五事件 犬養毅首相が射殺される。
◇昭和07年 血盟団事件 民政党・井上準之助が射殺される。
◇昭和07年 血盟団事件 三井財閥の総裁・団琢磨が射殺される。
◇昭和08年 ゴーストップ事件 陸軍と警察の大規模な抗争に発展。
◇昭和09年 陸軍士官学校事件 陸軍(皇道派)のクーデター未遂事件
◇昭和10年 相沢三郎事件 白昼、統制派・永田鉄山軍務局長を刺殺。

二・二六事件で「君側の奸」(青年将校が勝手に決めつけた天皇を取り巻く悪い重臣達)と言われ襲撃された犠牲者4人、重傷1人、難を逃れた1人を関わった青年将校を記述。

◇総理大臣・岡田啓介
間違われて縁戚の松尾伝蔵陸軍中佐が即死。栗原安秀陸軍歩兵中尉が中心で首相官邸を攻撃した。警察官4名も惨殺された。本人は女中部屋に隠れていて無事だった。発見されたのだが栗原は見逃したと後年、岡田は告白。
◇大蔵大臣・高橋是清
近衛歩兵第三連隊の中橋基明陸軍歩兵中尉に襲撃され赤坂の私邸で即死。
◇内大臣・斎藤実
坂井直中尉、高橋太郎少尉、麦屋清済少尉、安田優少尉が率いる襲撃部隊が当時の四谷区仲町の私邸を襲う。銃弾を40発も撃たれ即死。
◇陸軍教育総監・渡辺錠太郎
青年将校の黒幕の真崎甚三郎と対立していた。齋藤実を襲撃した安田・高橋少尉が襲撃、渡辺は、次女和子を物陰に隠したあと機関銃掃射され即死。
◇侍従長・鈴木貫太郎
安藤輝三大尉が指揮、侍従長公邸で狙撃される。夫人たかの懇願でトドメを刺されず済む。たかはすぐ様、昭和天皇へ電話をし医師派遣を頼む。それが天皇への事件の第一報になった。鈴木は一命を取りとめる。
◇前侍従長・牧野伸顕
牧野は大久保利通の二男。戦後の総理大臣・吉田茂は娘婿。牧野は当日、湯河原の旅館に居た。警護の巡査の機転で脱出成功。自らは殉職。襲撃した河野寿大尉も負傷、入院中に自決。

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2020/3/3  18:18

新書乱読07C  読書
二・二六事件 天皇の決断と電話
当時の陸軍の青年将校が決起、クーデターが勃発した。政治体制を刷新しようとして青年将校は、所謂“君則の奸”を排除して「天皇親政」を確立しようとした。昭和恐慌で多くの国民が食うや食わずの生活なのに、天皇を取り巻く重臣を初めとして一部の政治家・財界人は「富を恣にしている」というのが青年将校のクーデターの動機だった。昭和11年02月26日早朝に事件は勃発したが、当時は今の通信事情のようにすぐ詳細が判るわけはない。岡田啓介首相の動向さえ不明だった。岡田は28日に助け出された。雰囲気の似ている縁戚の松尾伝蔵陸軍大佐が間違われて惨殺された。

事件の詳細は、関連する新書のどれかを読解されれば02月26日のおおよそは解る。ここでは当時34歳の昭和天皇が如何にして情報をキャッチ、決断を下したかを浅学の中から読み解く。4歳から11歳まで鈴木貫太郎・たか夫妻に育てられたことは、先日の令和02年02月26日に記述した。昭和天皇への第一報は“育ての親”の「鈴木貫太郎の妻・たか」からの電話だった。決起将校にいかなる理由があれ天皇も人間、逆鱗に触れ直ちに討伐を覚悟したようだ。

更に天皇は確かめるべく自ら麹町署に電話をした。あらゆる昭和史の本に紹介されるエピソードだが、天皇は生涯二度、庶民に電話をした。ここでは『昭和天皇語録』(講談社学術文庫)からの引用。交番の巡査が直接、現人神の天皇から電話が来ることは想定していない。電話に出たのが麹町署の署長のサイドカー運転手の大串長次巡査。

「鈴木侍従長は生きているか」「はい、生きております」
「それはよかった。間違いはないか……」「それは確かです」
「総理はどうか」(略)「たぶん生きているでしょう」
「証拠はあるのか…」「生きていれば地下室に入っていると思います」
「どうして地下室なのか」「非常事態にそなえての避難所があります」
「なぜはっきり分からぬか」
「周囲は兵隊に包囲されています。状況を探ることは困難です」(略)
「それではチンの命令を伝える。総理の消息をはじめ状況をよく知りたい。見てきてくれぬか。」
「チン()」の一言にここで初めて巡査は電話の主は天皇陛下だと気づいて戦慄を覚えた。巡査はできる限り状況を把握する旨を伝え、自分の名前を緊張のあまり「麹町の交通です」とだけ答えた。つまり署長をサイドカーに乗せて往来する交通巡査だった。大串巡査は戦後、警部に昇進、昭和25年、皇居拝謁の栄に浴する。その時、昭和天皇は侍従を通じて「この中にコウジマチコウツウはいないか」とお尋ねになった。

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2020/3/1  21:56

新書乱読07B  読書
テロ暗殺の近代 30代総理大臣・齋藤実の無常
「戦前の昭和」に無関心層より少し興味のある者としても、二・二六事件に登場する人物は複雑。首謀者の青年将校は後回しにしても襲われた被害者に先ず目が行くのは仕方ない。高橋是清、齋藤実は総理大臣経験者。以下は所謂テロに倒れた総理大臣或いは経験者。これをみると明治時代末期から高々30年に満たないことが解って明らかに異常。加害者3人は一般人だが、3人は武器を保持する軍人。今の尺度で簡単に言えば国民を守るための軍隊組織が自分達の思うような夫々の政治体制へ国民の代表であるべく国会議員・政治家へ刃を向けたこと。昭和恐慌の貧民の現実が背景にあっても明らかに越権行為。

◇伊藤博文 1841〜1909 1・5・7・10代総理大臣 68歳
 朝鮮人の民族運動家・安重根に射殺される。
◇原  敬(たかし)1856〜1921 19代総理大臣 65歳
 東京駅で19歳の少年・中岡艮一(こんいち)に刺殺される。
高橋是清(これきよ)1854〜1936 20代総理大臣 81歳
 二・二六事件に遭遇、6発の銃弾に倒れる。
◇浜口雄幸(おさち)1870〜1931 27代総理大臣 61歳
 東京駅で右翼・佐郷屋留雄に撃たれる。翌昭和05年、感染症で死亡。
◇犬養 毅 1855〜1932 29代総理大臣 77歳
 五・一五事件に遭遇、海軍青年将校に自宅で襲撃される。5時間後に死亡。
斎藤 実(まこと)1858〜1936 30代総理大臣。77歳
 二・二六事件に遭遇。47発被弾して即死。

齋藤は昭和7年(1932)の「五・一五事件」、犬養毅総理暗殺の後、2年間総理大臣として政治を収拾。だが齋藤は捏造された「帝人事件」で総理の座を追われた。因みに齋藤は「水沢三偉人」。奥州市水沢出身で、他の二人は江戸後期の学者・思想家の高野長英、関東大震災復興に力を注いだ後藤新平。

ここから先は以前「2015年」に記述した齋藤実のこと(『滞日十年 上』ジョセフ・グルー ちくま文芸文庫P285参照)。事件の前夜、斎藤は駐在アメリカ大使、ジョセフ・グルーの招きでアメリカ大使公邸に居た。夕食後、邸内でアメリカ映画を鑑賞、斎藤はそれまでトーキー(音声入り)を見た事がなかった。当初は中座して別荘に行く予定だったらしい。気心知れたグルーの歓待で最後まで映画を観て仕舞い、別荘行きは翌日にした。これが徒になった。予定通り東京を後にしていたら、事件から逃れられた筈。

同時に射殺された大蔵大臣・高橋是清(元総理)と共に外国人との交友が広く、過去4年間も駐米公使館付武官を勤めていて特にアメリカ人との交際が深くグルーとは親友だった。斎藤の英語力は歴代総理の中でも相当と評価される。要人との会話も通訳は無、高橋是清も親英米派だった。当時の軍人はもとより政治家もメディアも国民も海の向うのアメリカという国を知らなさ過ぎた。大正時代の原敬は英語もフランス語も堪能だった。知らないことは怖い。

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2020/2/27  23:30

新書乱読07A  読書
松本清張と昭和史発掘
昨日は84年前に「二・二六事件」のあった日なので、事件の概略を記述したが、大きく分けても「事件の顛末」「昭和天皇の決断」「暗殺された人物」「陸軍内の対立」「事件の背景と黒幕」など昭和史の素人でもおよそ5項目は、新書に限っても読解しなければならない。

令和2年・2020年の02月27日は後世に残る「日」になる。コロナウイルスで義務教育・高校などの一斉休校の“お触れ”が総理大臣からもたらされた。7年の長期の「安倍晋三政権」の吉兆はどちらに傾くのか。いずれにしても総理の「桜を見る会の領収証」などの問題は「森林の中の一本の木のそれも枝葉」のことでそんなことを真面目に国会でやっていることではないように思うが如何。世界中でウイルスが大問題になっているのに日本は長閑だ。

下記は再読して二・二六事件の顛末を知ろうと「新書乱読」している最中。松本清張の著書が多いのは、多くの関係者が存命していた昭和42年の「昭和史発掘」シリーズの端緒だから。ここから松本清張は単なる人気推理作家を超えた。この作家の史料解読と筆力のエネルギーに今更ながら驚嘆する。松本は中卒の学歴。当時の高学歴の学者の怠惰が炙り出された筈。

事件全体
 「対談 昭和史発掘」文春新書、「松本清張と昭和史」平凡社新書
 「軍国日本の興亡」中公新書、「昭和史の教訓」朝日新書
天皇の決断
 「昭和天皇の研究」祥伝社新書、「昭和天皇の履歴書」文春新書
 「若い人に語る戦争と日本人」ちくまプリマー新書
犠牲者と家族 
 「象徴天皇制への道」岩波新書、「よみがえる昭和天皇」文春新書
 「昭和の怪物 七つの謎」講談社現代新書
陸軍内部の対立
 「近現代日本を史料で読む」中公新書、「昭和陸軍の軌跡」中公新書
 「教養としての帝国陸海軍」宝島新書
世相・昭和恐慌
 「日本軍兵士」岩波新書、「教養としての昭和史」SB新書
 「あの戦争は何だったのか」新潮新書

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2020/2/26  22:44

新書乱読07@  読書
『対談 昭和史発掘』 松本清張 文春新書 2009年

二・二六事件 事件勃発
今日は02月26日、昭和11年(1936)に所謂二・二六事件のあった日、このブログでも度々取り上げているが、それから84年、今の若者は元より新聞・テレビのメディアも殆んど無関心。ここ一ヶ月は「コロナウイルス」のニュース一辺倒。筆者の所属する短歌会でも03月の第二日曜日の例会も中止、初めてのこと。このウイルス問題が国内の政治・経済にどう影響するのか。

NHKBSで昨年08月15日に放送された≪NHKスペシャル「全貌 二・二六事件〜最高機密文書で迫る〜」≫が02月23日に再放送され、これを録画・鑑賞した。NHKはこの事件の一部始終を記した「最高機密文書」を発掘して番組を制作した。文書を秘匿していたのは帝国海軍の富岡定俊(最終階級は海軍少将)。1936年02月26日早朝の事件勃発から4日間の決起部隊の状況が全て時間単位で把握されていたことに昭和史・海軍研究者が驚嘆した。秘匿していた理由、その入手源、方法は謎だという。

素人でも解ることは陸軍・海軍は終戦まで対立していたこと。外国と戦争をするのに、海軍は予算拡張のために先ず陸軍と、陸軍は組織として海軍より人員と予算を獲得すること先決。外敵より内敵を先ず抑えることが優先だった。これでは勝てる戦争(勝てないが)も勝てない。

以前の記述と重複するが、事件は詳述を避けるが、昭和11年02月26日早朝、20人の青年将校が1500名の兵士を率いて首相官邸などを襲った。総理大臣・岡田啓介、大蔵大臣・高橋是清、内大臣・斎藤実、陸軍教育総監・渡辺錠太郎が(陸軍大将)殺され、侍従長・鈴木貫太郎が瀕死の重傷を負った。だが岡田啓介総理大臣は、間違って松尾伝蔵(陸軍大佐)が殺され難を逃れる。松尾は総理の私設秘書の予備役だった。

首謀者の青年将校は何となく覚えている、“アンクリイソムラ”即ち安藤輝三、栗原安秀、磯部浅一、村中孝次。磯部と村中はこれ以前に昭和09年に「陸軍士官学校事件」でクーデターを計画したという理由で免官になっている。決起将校の目的は天皇の“君側の奸”を排除することだった。この頃の昭和天皇は34歳、4歳から11歳まで鈴木貫太郎・たか夫妻に育てられている。決起将校にいかなる理由があれ天皇も人間、逆鱗に触れ討伐を命じた。

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2020/2/24  23:27

新書乱読06  読書
『日本人の叡智』 磯田道史 新潮新書 2011年

著者は若い学者。平成15年『武士の家計簿』(新潮新書)でいわゆるブレイクした。若い頃から歴史好きで、古文書解読に携る縁があって夢中になり、今では古文書解読が趣味を通り越して専門家になった。「武士の家計簿」の原文を入手してから薄い和紙をピンセットで捲りながら解読に励んだ。これはベストセラーになり、映画化もされ筆者も鑑賞に及んだ。テレビは圧倒的にNHK出演が多い。有能なビジネスマンの風情だが、当たり前だが番組では、日本史の蓄積されている知識を披瀝して感心する。

この書は戦国時代が現代まで98人の知識人の主義主張を見開き2ページに、そのエッセンスを“叡智”として紹介している。98人は武将・学者・政治家・軍人と多岐にわたる。総理大臣も居れば新聞記者、明治維新に関連した人物も西郷隆盛など、英国の紀行作家のイザベラ・バードも紹介。

太平洋戦争の最中、政権末期の東條英機を非難した新名(しんみょう)丈夫を紹介している。この戦争の張本人として今でも東條英機は、昭和前半の悪役として名高いが、帝国陸軍という組織のみの軍人官僚を指導者として仰いだのが不幸の始まりだった。憂色濃い政権末期の1944年(昭和19年)2月23日付の東京日日新聞(現・毎日新聞)一面に、「竹槍では間に合わぬ、飛行機だ、海洋飛行機だ」という記事を執筆した。

終始海軍と対立していた東條英機首相の逆鱗に触れた。「竹槍事件」として昭和史の本に多く紹介されている。東條は当時37歳の新名に懲罰召集を課した。新名が海軍に関連する新聞記者だったので本人は、結局免れたが、出身地の丸亀連隊(第11師団歩兵第12連隊)の30代後半の250人が見せしめで召集されて結論として送られた硫黄島で全員が玉砕・戦死した。一人生き残った新名は昭和31年まで生きて国民不在の政治体制を批判し続けた。

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2020/2/23  23:40

新書乱読 番外編  読書
若い頃の東京生活は下町中心。休日は、筆者の唯一のギャンブル・中央競馬の馬券購入が好きでよく場外馬券売場へ出掛けた。当時は週休二日制では無かった。地下鉄・東西線経由で「中山競馬場」まで足を伸ばすのも屡々。麻雀は出来るが並べる程度。今は短歌の例会で上京時だけ馬券を購入。高額馬券をゲットしたこともある。今週から2020年の中央競馬のG1(グレードワン)レースが始まった。今日のレースの賞金は1億円、調教師が10%、騎手5%・厩務員5%の取り分だから競馬サークルは必至だ。馬主が80%取得と言っても競走馬を購入する時は、安くても数千万円はする。月々の馬の飼料・管理は50〜60万円。資産家でないと維持は無理。

馬主になるには年収1億円は無ければ資格を与えられない筈。歌手の北島三郎の持ち馬「キタサンブラック」が2・3年前に菊花賞・天皇賞・有馬記念などを勝ち18億円もの賞金をゲットしても昭和・平成時代を通して200頭ぐらい購入して初めてその優秀な馬に巡り合ったそうだから過去は殆ど儲かっていない。

昨日の「ダイヤモンドステークス」は16頭建ての16番人気の馬が勝って配当金は128730円。馬券は100円単位。1000円買えば128万円になる。調教師は苦節12年、初めての重賞勝ち、今頃は感激で酔いしれている筈。今日のダートの最高峰のレース「フェブラリーステークス」も2着の馬が最低人気、1番人気の馬が勝っても36230円の配当。1000円購入で36万円。予想ではズバリ的中なのだが、どんなに運が良くても総合的に的中の確率は、4回に1回だから東京に在住していたなら膨大な?預貯金はパアだった筈。

グレードの高いレースは、過去のデータを首っ引きでも概ねこんな結末。酸素ボンベのカートを曳いて馬券購入のためだけ上京することは憚れる。過去何回か的中した4月最終週の「青葉賞」「天皇賞・春」が待ち遠しい。

昭和史・太平洋戦争の“目次”の心算の座右の新書を10冊厳選。行きたくもない戦争最前線へ徴兵されて戦死・病死・餓死した兵士の実態に視点を当てる。将官クラスの職業軍人は多分、愚将の紹介になる。名将と言われる軍人もいるが、真の名将なら多くの国民を犠牲にする前に止めている筈。

◇『日本軍兵士』 吉田裕 岩波新書 2017年
◇『戦中用語集』 三國一朗 岩波新書 1985年
◇『皇軍兵士の日常生活』 一ノ瀬俊也 講談社現代新書 2009年
◇『日本軍と日本兵』 一ノ瀬俊也 講談社現代新書 2014年
◇『教養としての帝国陸海軍』 別冊宝島編集部編 宝島社新書 2019年
◇『太平洋戦争の新常識』 歴史街道編集部編 PHP新書 2019年
◇『昭和史の急所』 保阪正康 朝日新書 2019年
◇『「戦争体験」の戦後史』 福間良明 中公新書 2009年
◇『「昭和」を点検する』 保阪正康・半藤一利 講談社現代新書 2008年
◇『「戦後」を点検する』 保阪正康・半藤一利 講談社現代新書 2010年
◇『兵隊万葉集』 早坂隆 幻冬舎新書 2007年
◇『短歌で読む 昭和感情史』 菅野匡夫 平凡社新書 2011年

添付はB5大型本。

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