理想の教師像。そんなものがあるか?という人もあろう。たとえあったとしても、またそれは人により異なるものだ。したがってあくまでも個人の意見という領域をでない。だからここに書くものも”俺の理想の”ということになろう。
まず形式的に公平であってはならない。弱い立場の方に優しいことは重要だ。つぎに自己の教育理念を持っているものでなければならない。他者から言われたことのみに従う者では仕方がない。更に信念の人であることも必要だ。よく昔は”ワル”だった的教師がもてはやされる傾向をみる場合がある。これは彼ら、ときには彼女らの現在における熱意に対しての評価が、過去との関連で見られないからであろうし、あるいはこの国では過去はワルかったが、そんな人物でも今はこんなに頑張っている風なメディア受けする下地があるからだろうと察する。しかし、この種の者は”俺の理想の教師像”に全く入らない。なぜなら、理想の教師は、表に目立つものであってはならないからだ。自己主張ないし信念は、真に子供にむかったものである必要がある。すこし目を覚ませば、誰もが気づくことだが、昔”ワル”だった的状況の極致は犯罪者(殺人、強盗、放火・・などなど)だろうよ。

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