ついこの前、近所で買い物をしていると、後ろから大きな声がした。
「先生!」
最初だれかわからなかった。ひげをはやした、色の浅黒い、そしてはっきりと目を見開いた男が笑いながら立っていた。
「・・・・ですよ。わからんのですか。」
「顔変わったな〜」
「いや、ぜんぜん変わらないってみんなに言われていますよ。ハッ ハッ ハ」 相変わらず豪快だ。
YT君は、平成11年の卒塾生だった。
当時の塾生にだれがいたかという話になり、全然思い出せないとYH君は言った。あの年の塾生には悲しいことがあった。そのことは真っ先に話に上った。県外の高校に進学したWさんの話もでたし、N君が結婚した話もあった。
YT君をはじめ、塾内に体育祭の各段の応援団長がいた。学力1位のS君や、大佐と呼ばれていた高専に行ったF君がいた。大阪にいるH君には子供が4人いるそうだ。彼は私と同じで、視界が突然変になることがあるといっていた。YH君が言った「マリさん」という塾生はいなかったよ。地元の銀行に勤務するバスケ部だったS君、そしてサッカー部だったYS君・・・
「先生は、これまでかなり教えてきているのに、なんでそんなに思えているんですか。」とYH君は言う。YH君は苦労して消防士になった。彼は努力の人であり、塾生当時も他とは一線を画すような独特の雰囲気があった。
私が一人ひとりのことを鮮明に覚えている理由は、実はとても単純で、彼らとの共有する時間が、私の人生の大半だからである。
YH君と話した数日前には、YH君の1年下の塾生の保護者の方とも話した。卓球部だったYM君は、現在2人のお子さんがいるとのことだった。またバスケ部だったRY君は、最近子どもを授かったとのことだった。
「この店にはよく来ますが、会いませんね」とYH君は言う。
人生とは、そのようなものだろう。天空から俯瞰すれば、人と人との出会いは偶然の産物であるのかもしれない。私たちは、時間と言う見えないレールに乗って進んでいて、決して昨日の自分には戻れない。
それは当たり前のことであるのだけれど、無為に年ばかり取ってしまうのは、その人の意志とも無関係ではないと思っている。
今年も、お子さんとの出会い、そして保護者の方との出会いがあった。学力アップの実現もさることながら、お子さんが学ぶことを楽しめる空間であればと願っている。それは、学びの方法においてではなく、他者との間に共有する時間を楽しめるという次元の話である。彼らも、そして在塾生の他のお子さんも皆私にとって大切な存在である。私は迷信も信じないし、その類の他のものも信じない。また道徳的な人間でもない。しかし、出会えた塾生との共有する時間を最高のものにしたいと考えている。塾生に教えてもらうこともあるだろう。皆で楽しく作り上げよう。
「平成30年もあと数時間です。」とリピートされる。
だから何?というと、
「先生は変です!」と塾生のAさんに叱られそうだ。
塾生、そしてその保護者様、卒塾生、そしてその関係者のみなさんに対しいつも感謝してやみません。
塾長 Z

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