大方の味方が、あれはよくない。世界の子供に悪影響を与えたなどというもの。さらに、罵倒する内容の記事なども散見する。
しかし、俺はそうは思わない。
世界の人口の半数がワールドカップをみるらしい。俺もご他聞にもれず、その一人となった。
サッカーには一定のルールがあり、それに反すれば赤い紙を頂戴するのだろう。その辺はいたって単純だ。問題は、そのルール以前のところにあるのかもしれない。それは、世の中の法か?いや、そうではあるまい。憶測でものをいうことは、適切を欠く。要はなぜあの場で、彼が頭突きをするに至ったのかということだろう。もし同じことでもプロレスのリングでなら、よくやったとほめられたかもしれない。
すべては相手あってのことだ。一説には差別的な発言を受けたとも聞く。そうなるとことは違ってくる。日本ではかつて家名を傷つけられるような発言に対しては、当然に相手に制裁を加える権利があった。例えば武士は、家を罵られた場合には、相手を刀で切ったわけである。このような思想は、一面で前近代的であると非難されるであろうが、そこは自己の名誉をまもるという、あるいはそれ以上の近代的価値と表裏一体である。
確かに、暴力という形式による抗議は、外形的にとらえやすく、そちらに批判は集中するだろう。しかし、そこまでして彼の守ろうとした価値はなんであったのかということになる。
価値の基準は、ともあれ相対的であろう。現代ではマスコミ報道の仕方しだいでみかたも流れる。マスコミが、意味有り気に、ジダンの行為をかけば、そこでは逆に相手選手の立場が危うくなるかもしれない。
勝手なみかたであるが、あの頭突きの意味はそこまで大きくないように思える。Wカップだろうが何だろうが、彼は一人の人格としてそうすべきと考えたんだろう。後から後悔があったにせよ、退場のあのときには、正しいことをやったという顔をしていたと思ったよ。

0