再び自然栽培
定期的に自然栽培について考える事にした。
時間が流れていくと、その感じ方が違うようになっていくからだ。
出合った頃と今では全くというくらいに違う。
それは何故か?
見る角度というか、細かいところから大きいところに視点が動いていくから
その捕らえ方もずいぶんと違ってくるのである。
自然栽培の根幹には
自然の流れに背かない自然の規律を守って食材を作る、という感覚がある。
作るというのが横柄ならば育ってもらうと解釈する。
でも
そこには人間の意志があって、
それに伴い食材を自然の規律に沿って育てるのである。
なんとなくあやふやな線引きが
理解を阻む理由になるのかもしれない。
自然栽培に触っていくと
その線引きがはっきりとわかってくる。
なにがダメで何がいいのか?
これを多くの人に理解してもらうにはどうしたらいいのだろう?
捉え方は千差万別
人の感性で違ってくる。
結果もまた千差万別
その効果も感じ方も違う。
しかし
確実にその違いはある。
検証はどんな方法で
誰が決めるのか?
それもまだ漠然としているが、
あらゆる現象を情報として捕らえていくと
こうゆうところに原因があるのでは?と思うところが必ずある。
それは個人だけで思っているだけではなく
多くの人が感じてて
確信が無いから言わないだけでいるということに収まっているのではないのか?
それに気がついている人も実際はたくさんいるんだけれども、
言えないままで済ましているのではないのか?
自然栽培は
多くの問題を背負って生まれた
最後の手段なのかもしれない。
地球の環境を守るなどと大そうな言い訳ではなく
自分の子孫を残せる環境を守るための自己防衛なのだ。
人類がいなくなっても地球には全く関係ない。
温暖化は人間にとっての悪環境でであって
地球にとってはなんら影響が無い。
全球凍結とか
火だるまだって地球は残ってきたではないか。
環境は
人間が生きれるための環境であって
地球のための環境ではない。
まずは
それに気がつくべきなのではないのか?
人類が生き残っていく為には
その環境を維持する人類のための方策を見出すことが必要だ。
でなければ
地球は人間を排除するに決まっている。
人間は
地球にとっては人間にとっての嫌なダニに等しいから・・・・

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