今年の11月24日でダーウィンの「種の起源」が発行されて150年だそうである。
生物の進化に言及した画期的なものであることは今の歴史は証明しているようである。
自然栽培で謳う種の話はまさしくこの話にあてはまるものではないだろうか。
遺伝とはどうなっていてどう進化するのか?
「進化的変化の研究から、遺伝的革新は小規模の隔絶した個体群でなければ定着しにくいことがわかっている」らしい。
例えばダーウィンの進化論に着想を与えたガラパゴス諸島の小鳥“フィンチ”はもともと大陸に生息していたが、一部が太平洋の離島で隔絶して生息するようになり、その特殊な環境に合わせて進化したのである。
『種の起源』は自然淘汰のプロセスを次のように概説している。まず、ある個体で遺伝子変異(脊椎が直立歩行向けに変化するなど)が起こり、それに何らかのメリットがあれば何世代も受け継がれ、ついには変異ではなく標準となる。
高橋師匠のニンジンは毎年選抜されいいものを種として残されてきた。
これは選抜することで隔離した個体群となりえたのだろうか?
養分と言えるものが無い土でも育つように進化したのだろうか?
すべてを同じに考えるのはだめな気がするが
似たようなものである気がする。
そのDNAに記憶されてきた土の情報を使って育つとなるなら
連作でできるというのも納得できる話である。
種取りでは長崎の岩崎さんが有名だが
あまり厳しく選抜するより、ある程度大雑把なのがいいものができるという話も聞いた。
いぜれにせよ、大昔裸子から被子に進化し現在に至る植物は
地球の変化に対応して歴史を積み上げてきた自然選抜の結果と言える。
動物もまた自然選抜を生き抜いたエリートである。
歴史の中に肥料を入れてあげなければいけないものは無かった。
だってそんな歴史は近年ほんのわずかの時間しかないのだから。
肥料という人間の間違った勝手な概念が植物をおかしくしてしまうかもしれない。
そういうことを考えていると人間の自分勝手さが見えてくる。
どう思うかは自分で考えればいいのだが、壮大な地球の歴史を考えてみるのもたまにはいいのではないだろうか?

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