2007/5/7

父を送るまで  日々の泡(日記)


5月4日:妹と電話。父の遺体が斎場に移動されたことを言われる。
     朝10時に自宅に来るように指示される。
     朝食後、自宅に。母、兄、妹夫婦、姪がいる。
     どういうワケかお茶とお菓子を食べ出す我等。
     母が想ったより元気で安心する。みんな泣かず笑顔さえ浮かぶ。

     父の思い出話に花を咲かす。
     頑固者で無口で自由に生きたヒト。孫娘には優しかった一面もあった。
     父は最期まで「父」らしく生きてたことに思わず笑った。

     そのまま一家で斎場に。安置室で荼毘に付された父に対面する。
     父は小さくなり目を閉じていた。無邪気に騒ぐ姪に皆笑う。
     葬儀屋の担当の方が挨拶に来る。その行き届いた心配りにリラックス。
     通夜が5月5日、葬儀は6日。初七日も葬儀とあわせて行う。
     親族には父の死を知らせず家族だけで行う旨を決定。

     ホテルに戻り会社各位に連絡。7日に会社休む旨を伝える。
     その後は京都の街に出歩き晩御飯、夜は疲労で寝てしまう。

5月5日:今日は通夜の日。昼過ぎに斎場に行くことに。とてもイイ天気。
 
     斎場にて「湯かんの儀」を行う。
     従姉妹が偶然京都に旅行。父の死を知り駆けつける。その巡り合わせに驚く。
     父の遺体を洗いキレイにしていただく。その後に棺に移す。
     担当者が若い男女であることに驚く。ここでも行き届いた配慮に感謝。
     父の顔や頬を撫でる。

     その後は斎場横のSATYで昼食。みんなで蕎麦を食べる。
     「鴨なんばん」を美味しそうに食べるボクと母。
     ・・・でも人のなくなった後、肉とか食べて良かったのだろうか?

     夜は通夜。お坊さんの読経、心のこもったお話に感動。
     遺影は父の若い頃の写真。父の遺影にいろいろと語りかける。涙は出ない。
     その後は食事会。
     家族で父の想い出にひたる。みんな笑顔、涙はない。
     家族はみんな斎場に宿泊、僕らはホテルに戻る。
     ホテルで嫁と呑む。何か穏やかなキモチ。
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2007/5/7

父が逝くまで  日々の泡(日記)


5月4日早朝。ボクの父がなくなりました。享年76歳。
理由は肺癌と肺炎でした。

通夜や葬儀は全部兄と妹任せでボクは父のために何もしませんでした。
せめて父の病気を知ってから父を送るまでの経緯をここ記していきます。
そのとき、自分が何を感じ何を想ったか・・・それを形としてこの場に残そうと想います。

 4月21日:京都の母、兄から自宅に電話。父が入院との知らせ。
       肺癌、肺炎を併発しよくない状態とのこと。突然の知らせに茫然。

 4月22日〜4月30日:
       兄、妹と度々連絡。父、小康状態と悪化の繰返し。
       医師からGWがヤマらしいとの診断。
       戸惑いつつも祥子さんのライブに行く自分。
       父が「いなくなる」実感が持てず何処かで楽観視してる自分がいる。
       嫁と相談し何とか切符を押さえ5月3日〜5月5日に帰省することを決定。

 5月1日〜2日:兄より連絡。父の状態悪いとのこと。
         意識を失った状態で反応も薄いとのこと。
         GW明けも仕事休めないか?との相談。
         決算作業のメインスタッフである自分には難しい相談、悩む。
         また5月3日夕方京都着の予定を早めてほしいとの依頼。
         嫁と相談し予約していたチケットをキャンセル。
         また実家にボクと嫁が泊まると母が気を使うため京都在中はホテルを
         取る事に。

 5月3日:嫁と新幹線自由席で出発。幸運にも座れる。京都に着く前に妹より電話。
      父の病状が悪化、すぐ来てほしいとのこと。
      ホテルに先に入った後、病院に行く予定を変更。病院に急ぐ。

      父は少し回復。病室には母、妹夫婦、妹の娘(5歳)、兄が来ている。
      父、ベッドに寝ており、色んな機器を体につけて話せない状態。
      ただし、ボクと嫁を認識した様子。
      ボクは何も話せず少し話し掛けただけで遠巻きに見てるのみ。
      父の痩せた足を少し摩った。

      母や兄、妹と少し話す。父が元気そうなので一旦ホテルに戻りその後、
      再度見舞う事に。

      ホテルにチェックイン。妹からホテルに電話。家族も帰宅するので見舞いは
      不要とのこと。医師からここ数日を覚悟する様に診断されたと言う。
      嫁にその旨、知らせる。二人でショックで寝込む。
      目の前が真っ暗、動けない、何も感じない、起き上がれない。
      しばらくそのままの状態。

      じっとしていても仕方ないので気晴らしに食事に出る。
      京都の街を散策。いろんな京風のお店を見てるうちに二人元気になる。
      食欲はなかったが歩いてる内に空腹。創作料理屋で食事。
      料理もお酒も美味しかった。
      こんな状態なのに食事が出来る自分に呆れる。

      ホテルで寝てると深夜1時過ぎに妹から父危篤との電話。
      しかし、深夜で電車が動かず移動できない。始発で向かう旨を約束。

      朝5時前に妹に電話、父が亡くなったことを知る。
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