絶望した! 全部書き終わるまでに2週間も掛かる日記に絶望した! …って書きたくて延ばしてる訳じゃないんですよ。ええ、本当に。ただ単に面倒臭いだけです。(をい)
という訳で続きです。読みたい人がいるかどうかは知りませんが続きです。読んでる人がいるのかどうかも知りませんが続きです。読んで面白いかどうかも知り…(以下略)
ってな訳で泊めて頂く人(遺跡掘りしてる高校の先輩)の家の最寄りの駅まで迎えに来て頂いてお風呂と夕飯を頂きました。夕飯の時には先輩のご両親と一緒に奈良のお寺と京都のお寺の違いとか奈良の家は立派な家が多い事とかの話をして盛り上がりました。柿の葉寿司も頂きました。美味しかったです。
その後布団に入ったら京都で歩き疲れたせいかすぐ寝てしまいました。
翌日朝ご飯を頂いて先輩と車で法隆寺に行きました。奈良県というか大和国には神社もお寺も古墳もあって行きたい所だらけなんですが、ちゃんとした奈良観光は初めてだったので、小学生の頃から聖徳太子が好きだったので法隆寺に決めました。小さい時から漫画とかアニメの代わりに日本史の漫画とか漫画の伝記とかばかり読んでたので、聖徳太子とかは普通の人にとってのドラゴンボールの孫悟空みたいな存在だったりします。よく落書きで聖徳太子の顔を書いてた記憶があります。
車を止めた位置の関係で法隆寺の東院伽藍の隣にある中宮寺から見ました。本堂自体は新しい物でミドリガメ(ミシシッピアカミミガメ)が甲羅干しする池に囲まれた中にありました。有名な菩薩半跏像は等身大くらいの大きさがあり、思ったよりも大きかったです。というか、基本的に日本史の資料集でしか見た事のない仏像は思ったよりも大きいみたいです。東寺で不動明王を見たときもそうでした。てか、東寺は何もかもが大きかったです。天寿国繍帳のレプリカもありましたが、何かの本の写真で見たままでした。入り口の受付に預けておいた御朱印帳を受け取って出ました。
次にその隣の東院伽藍を見ました。夢殿は八角形のお堂で柱も八角形でした。お堂の中には行信僧都坐像と道詮律師坐像があったのですが暗くてよく分かりませんでした。夢殿の主である救世観音像は開扉期間ではなかったので見えませんでした。ですが、以前から本でしか見た事がなかった夢殿を間近で見る事が出来ただけで充分満足でした。また救世観音像が見られる時期に来たいです。
東院伽藍から西院伽藍(普通順序は逆だと思いますが)へ行く道には土産物を売る露店が数軒あって、奈良と斑鳩が一緒くたになったお土産、奈良・斑鳩とは全く関係ない某大河ドラマの人のTシャツとか何だかよく分からない物まで売ってましたが、透明なプラスチックの勾玉の中に聖徳太子の人形が入ったストラップがあったので、安かったので買いました。まだ何処にも付けてません。何処に付けようか考え中です。
西院伽藍についてまず中門の仁王像がでかくてびっくりしました。いや、実際の大きさは特別大きい訳ではないんだと思いますが、陽の当たり具合なのか仁王像が中門から飛び出してるように見えて印象的でした。ちなみに入り口は中門ではなく西の角でした。中に入ると目の前に五重塔、その右奥に金堂が見えました。五重塔はWikipediaで予習した通り、1階から5階に向かって小さくなる割合が大きかったです。写真だと広角で撮ったり望遠で撮ったりでその辺りがよく分からなかったので、実際に見に行って良かったです。昔日本史の資料集で金堂、五重塔、中門にある「卍崩しの高欄」が特徴だと書いてあったのを見て何処にでもありそうな気がして「ふーん」としか思ってなかったんですが、金堂の高覧が比較的最近補修されたせいか色が明るかったこともあって確かに目に付きましたし、確かに他の所では見た事がありませんでしたのでなるほどと思いました。金堂の2階の軒の四隅に竜をかたどった柱があってちょっと浮いているように見えましたが、先輩から鎌倉時代に付け足した物だというのを聞いてなるほどやっぱり、と思いました。金堂の中は壁画に加えて柱などの木の部分に少し朱色が残っていて建立当時の鮮やかさを窺い知る事が出来ます。金堂の主である釈迦三尊像は何度も本の写真で見た事がありましたが、その両隣にある薬師如来や阿弥陀三尊と比べると明らかに作風が違って独特の雰囲気がありました。金堂を西側から出て大講堂へ向かう途中に葵の御紋と繋ぎ9つ目結の紋の入った金属(青銅?)の灯籠がありました。願文に元禄とか桂昌院とか書いてあったので多分江戸前期の物だと思います。やはり家紋が付いてると目が行きます。ちなみに法隆寺自体の紋は丸の中に忍冬紋を四つ組み合わせたような紋です。西院伽藍東南隅にある出口そばの土産物屋に置いてあった忍冬紋の入ったペーパーウェイトか何かの説明書きで「忍冬紋」という紋を知りました。前から神社とかでよく見ていて何の紋か気になってたので分かってすっとしました。ちなみにその土産物屋で聖徳太子の書いた「夢」の字を印刷した扇子が売っていたので買ってしまいました。表の右上に「上宮王」(「上官王」に見えるけど)、左下に「聖徳太子」という文字と「以和為貴」の白文印と「篤敬三寳」の陽刻印が、裏の左下に「法隆寺」の文字と「鵤(?)寺倉印」の陽刻印があります。表の左下に「聖徳太子」と書いてありますが、その字は聖徳太子の字ではありません。そもそも「聖徳太子」という呼び名自体聖徳太子が死んで100年くらい経ってからの呼び名ですし。なので「聖徳太子」ではなくて「聖徳太子筆跡」とか書いてあった方が個人的には良かったかな、と思います。大講堂の話を飛ばしてしまいましたが、びっくりするくらい印象に残ってません。改修中か何かで銀色のシートと足場で包まれてて外から姿が全く見えなかったせいもあると思いますが。大講堂から東南の出口に至る回廊をよく見ると途中から梁が弓状になって柱が所謂エンタシスになってます。そこから北(大講堂寄り)は平安時代に新しく出来た物なので梁も真っ直ぐで柱も普通の円柱型をしてます。先輩に言われて気付きました。そんな事もあるだろうと思って詳しい人と一緒に来たんですが正解でした。
回廊の外へ出て東側にある聖徳太子をお奉りしている聖霊院にお参りしました。御朱印もここで貰いました。御朱印は真ん中に墨書で「以和為貴」、左上に「斑鳩」、真ん中下に「以和為貴/篤敬三寳」は読めたんですが、真ん中上の丸い印は絵なのか文字なのかも含めて何をかたどっているのかが分かりません。貰った時に聞けば良かったです。
その後大宝蔵院で玉虫厨子や百済観音を見た所で先輩の午後の用事に行く時間になったので法隆寺駅まで車で送ってもらって別れました。先輩に「奈良(市)でも見ていきゃあ」と名古屋弁で言われたかどうかまでは忘れましたがそう言われましたのでとりあえず奈良まで行き、なか卯で牛丼を食べながら帰りの電車をJRと近鉄で比べたりした後みどりの窓口で帰りの切符を買い、駅のロッカーに荷物を預けて東大寺を目指して歩きました。正直な話、奈良(市)は全く予習してなかったので何処に行こうか大分迷ったんですが、とりあえず大仏様は見ておこうと思って東大寺にしました。興福寺という選択肢もあったんですが藤原さんちはあまり興味がない(興福寺は藤原氏の氏寺)し予習もしてないし多分今は阿修羅さんにも会えない(あちらこちらを展覧会で廻ってたはず)し、まあ良いやという事でパスになりました。ちなみに春日大社も同じ理由(春日大社は藤原氏の氏神)です。唐招提寺と薬師寺は東大寺よりも興味があったのですが距離的にパスでした。
という訳でJR奈良駅から三条通を東に途中土産物屋を眺めたり高札場とその隣の手力雄神社を見たり釆女神社と猿沢池を見たり左手に興福寺の五重塔を眺めたりしながら坂を登って春日大社の一の鳥居に辿り着きました。その先は奈良公園内で鹿がうじゃうじゃいました。修学旅行生が鹿せんべいを鹿に上げたりしてました。角を切られた牡鹿が角がないので頭を付き合わせて派手に喧嘩してたりもしました。途中左に折れて大仏殿という名前の信号を渡ると鹿以上に修学旅行生がうじゃうじゃいました。外国の人も沢山いました。鹿の糞も沢山落ちてました。鹿も人に慣れてるのか一頭が僕に近付いて来て持っていた観光地図を喰われました。近くの店のおばさんに「紙をあげたら駄目」と怒られました。あげた訳じゃないんですが。どちらかと言うと被害者なんですが。鹿に半分齧られた地図を手渡されて捨てる場所を探しながら歩きました。「大華厳寺」と右から書かれた額が掛かった南大門が見えて来ました。見えてきてから着くまでが意外に長かったです。でかかったので。でかい分梁とかが細く見える上に朱色がはげかかっててかなりぼろぼろに見えました。有名な仁王像は正面ではなく向かい合うように立っていました。門同様でかかったです。南大門を越えて初めて鹿に対する諸注意の立て札を見ました。「この時期は繁殖期で気が荒くなってるから牡鹿に近付くな」とかはもっと早く言って欲しかったです。「鹿を傷つけると罰せられます」とかもあまり鹿に好感を持ってなかったので危なかったかもしれません。
そんなこんなで中門に到着したんですが、こちらでも入り口は西南の角にありそこから入りました。入ってすぐ大仏殿が見えたんですが、遠近感というか縮尺感覚がおかしくなりますね。大仏殿だけ見ると近くにあるんかなと思いますが、その前にいる人間を見るとその小ささに頭が混乱します。これでも奈良時代に最初に建てられた物の3分の2しかないらしいです。(東西の幅が。) 中に入って大仏様を見る頃には大仏殿で目が慣れてしまっているので大きさに対する感動はそんなに大きくないんですが、やっぱりでかいです。こちらも奈良時代に比べると若干小さくなってるらしいですが、やっぱりでかいです。脇侍の虚空蔵菩薩と如意輪観音も普通のお寺の本尊よりでかいと思います。大仏殿の外にあったおびんづるさん(なで仏)も大きかったので足しか触れませんでした。ちなみに御朱印は優先順位を考えて今回はパスしました。
2日間でかなり歩いて疲れてたので大仏殿前のバス停からJR奈良駅まではバスに乗りました。
で、JR奈良駅から電車で帰ったんですが、みどりの窓口で切符を買う時に初め「京都廻りで。」と言ったんですが、続けて「それが一番安いですよね?」と聞いたら「三重県を廻って行く方が500円くらい安いです。30分くらい余分にかかりますが。」と言われたので、面白そうなのでそちらで帰って来ました。途中からはディーゼルのワンマン車でだんだん明かりの見えない所へ入って行ったので若干心配したんですが、関西本線経由で無事帰って来れました。良かったです。
以上、必死で思い出しながら書いたせいで長い上に箇条書きっぽくなってつまらない文章になって絶望した庵主でした。全部読んでくれた
暇な 方、どうもありがとうございました。

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