(ペンネーム=勉強不足のJCP党員、便所の住人)開設:2004/8/20〜
2004/11/20 2:42
「「キリスト教」と私 ・・・そのC」
感想文とかエッセイ
「キリスト教」と私 ・・・そのC
自分を守る為に思わず漏らした「虚飾」でしかない言葉や、勝手に自分は幸福だと思い込んでるからこそ生じる軽率な「善意」が、他者を傷つける無神経だったりするという事があります。
それは、私自身の今までの記事(その@〜B+余談1回分)で、自分自身が読み返してみて訂正せざるを得なかった部分により、改めて気が付かされました。
こっそり「訂正」だけしておくなんてのは、単に自分自身の寝覚めが悪いという理由で、主な訂正箇所だけでも挙げておきます。
(他者からは自意識過剰としか写らないが)
「キリスト教」と私・・・少し余談の最初の方で、最初は私の弟が「独身」であると書きましたが、自分自身を振り返って「結婚」などという「形式」などが単純に幸福をもたらすなどという馬鹿な話は無いという事を、全く見ていないという事であって、あくまで他者との交際関係から得られる喜びや、それを維持していく可能性が、当事者の意思の力によって築かれるという認識を欠如させた言動だから、これじゃ遠からず私自身が「離婚」されるという結末を招くかもしれませんねぇ。
(類似の失敗は、過去に何度もあった)
「キリスト教」と私・・・そのBにおいては、自分勝手な「憧れ」だけの括弧付き「恋」なんてものしか出来なかった理由として、自分の経験が足りなかった事を(冗談めかして)チェリー君だったから仕方ないなどと、冗談にも成らない下らない事を放言しました。そんじゃ世間の同世代で異性との性交渉について未経験の青少年達は、自分と同じぐらい愚かだとでも言うのか?…アホか俺は。
今まで他者が開設した掲示板で、政治的意見を述べるなんて事はあっても、ここまで主に「自分自身」をテーマにした文章を書くというのは、(私の主観においては)初めてだと思うのですが、ここまで自分自身を語る文章には、知らず知らずに嫌らしさが混ざるもんだとは…
こうなったら…いいかげん気分を害した読者がココを離れたとしても、結果が出るまで書ききらなかったら、テーマ(今回の場合は自分自身)への勝ち負けという結果以前に、結果を自分が納得できない事になってしまうと、他人はどうであれ自分自身は感じてしまうので、今回もまた自分自身の為に記事を書きます…
前回(そのB)からの続きです。
今回は、やっと自分が上記みたいな馬鹿をやるって事に、ほんの少しだけ気が付かされた大学時代の後半になります。
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【5〜7回生:90〜92年】
学生というのは、あくまで勉強をする為に、自分自身で負担する授業料以外にも、有形無形の様々な援助を社会から「投資」されているわけですから、チンピラや居直り強盗みたいに、偽悪的な「こんな俺に投資した奴に見る目が無かったのさ」なんて軽薄な台詞で身をかわしてるだけでは、結局は自分自身の首を絞める事になります。
そんな事に4年も気が付かず、やっと私が気が付かされたのは、このまま大学を「除籍」になるか(4年以内に学部へ移行しないと除籍になるって規則が有り)、ふんばって必須単位を取って「学部」に移行できるかっていう、瀬戸際になってからです。
長々とした文章を書く(プロ・アマ問わぬ)人の例に漏れず、私も間違いなく阿呆みたいに「俺ってアッタマがイイ〜」などと、今も何処かで自惚れてるに決まっているのですが(私の文を読めば判るわな)、そんな自分のピエロみたいな姿に、ほんの少しだけは気がつかされざるを得なくなったってワケです。
それでやっと勉強を始めました。(学部に移行する単位を揃えて卒業ぐらいはしておこうという自己の利害に対する打算によって)
しかし世間では、自分でこさえた過去のツケというものは踏み倒す事ができない仕組みになっており、たっぷりと遊んでいた遅れを取り戻すってのは、自分を甘やかした結果による「脆弱」と名の余計な利子が付き、最初からやっていれば必要最低限で済んだ事も、更に自業自得の苦労を背負い込むハメになるのです。
しかし世間には親切にも、自業自得であっても助力をしてくれる人というのも居るみたいで、半ば諦めかけ除籍になる事態に備えて寮を夜逃げみたいに抜け出して引っ越していた私の下宿部屋まで、勉強を教えに来てくれた方が居ました。
それは、同期で物理学科に入学して、既に大学院への進学も決めていた、ある女性党員の方でした。
その女性党員は、「活動家たる者は人並み以上に勉強をして、自分自身が求める政治活動が、他者から本末転倒と謗られる事が無い様にせねばならない」という、非常に自己の目的に対して誠実な方だったので、こういう私ですら少しは見習った方が身のためだと思わされる様な方ではあったのです。
それで、特に独力では理解度の不足が取り返せそうになかった数学を始めとした幾つかの単位について、家庭教師みたいに教えて頂き、他の語学とかで取り残していた単位は、これでも(自分の中で比較すれば)あくまで必死に出来るだけの勉強をしてた上で、足りない部分は自分でも無様であるのは承知の上で、断られたらそのまま就職活動にでも行ける様なスーツを着ていくような真似をして、教授の研究室に追試で救済して欲しいと土下座しに行きました。
しかし、ほんの少しでも勉強の成果が出て、試験の点数も前期に比べ後期は上がってたからこそ、願いも聞きとげられたみたいです。
なんとか学部に移行する事は出来ました。
同時に私は日本共産党に入党しました。
別に恩義を感じての事ばかりでも無く、ソ連・東欧の崩壊の最中に、全否定では無い何かを探したかったんだと思います。
しかし学部移行に必要な単位は揃えたものの、まだ卒業の為には前半で残した単位は全て取得せねばならなかったので、カリキュラムが学部の単位と重なってしまい、更に自動的に学部に移行してからも1年留年を強いられましたたが、その留年で生じてしまった時間で、専門単位以外の経済学や哲学を始めとする社会科学関係を勉強しようともしました。経済学科の先生が顧問をやっていた複数の社研(社会科学研究会)系のサークルに参加したりして、そういう方面で党員として頑張るという任務も初めて与えられたワケです。
(党中央で催される学習会にまで何回か参加させてもらったのも屁理屈だけが唯一の取り得?だったって事で)
その頃、同じ物理学科の後輩で、当時は数少なくなっていた党の新メンバーだった女性と、初めて「交際関係」というのにもなりました。
こうして見ると絶好調みたいですが、党員としての資質(理論とかじゃなくて品性です)が問題とされる様になって、表面上でも調子が良かったのは最初の1年だけでした。
当時の自分を考えると当然の結果だとも思えるんですが、その後の卒業までの2年間は…まず彼女に振られ、活動では私の「品性」の無さで党の信用まで落とす事で皆の足を引っ張るなんて事があって、自分の居場所どころか精神までガタガタで、何度かカウンセラーの世話にもなりました。
しかしそれでも、この記事の本題であるキリスト教の教会には、全く行かなくなって信仰からは離れ続けました。
党を通じて成長したかったからこそ入党という選択をした後で、いまになって虫が良すぎると感じたというより、単に自分自身の中身を変える様な奇跡を自分の「信仰」による「祈り」には求められないと思っていたんでしょう。
また、大好きだった漫研には、過去が恥ずかしくて顔を出せない状態で、もう逃げ場はありません。
それで意地になり卒業だけは果たし、「民主経営以外へ」就職も決めました。
しかし、引きずっていた彼女への未練を断ち切る様に卒業前に再度アタックし、もう一度振られるなんて事までしたくせに…再度ハッテン場で同性とも関係を持ったりもしました。
(もう自分でもワケが判んなくなってます)
人に嫌な思いもさせ御世話になっておきながら言えた義理じゃないんですが、当時の未熟さを乗り越えきれたとは言えない限り、未だ良い思い出にはできず、苦い記憶しか残せない時期でした。
(そのD)に続く

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